山頂での攻防
8話:山頂での攻防
山頂。古鷹が待っていた。
「よく来てくれた」
その表情は、険しい。
「儀式はもう始まっているだろう。生贄は地下へ。100人以上だ」
コンヌは息を呑んだ。
「お父さんは」
「門は地下だ。だが、封印はもう限界に近い」
その時――空気が、変わった。
「ようこそ」
低い声。頭まで覆われた黒いローブの男が、施設から姿を現した。ゆっくりとした動き。だが――コンヌの背筋が凍る。
「行け、コンヌちゃん」
ときやが囁いた。
「君は地下へ。ここは僕たちが」
「でも」不安そうにコンヌ呟く。
「大丈夫」
ときやは微笑んだ。
「君のお父さんを、連れて帰ってあげて」
コンヌは唇を噛んだ。そして、頷く。
「…必ず、無事で」
地下への入口へ走り出す。
「させるか」
教祖が動いた。
いや――消えた。
「!」
コンヌの目の前。突如、教祖が立ちはだかる。瞬間移動。
拳が振り下ろされる。
ガキィン!
古鷹の刀が、間に割って入った。
「行け!」
「はい!」
コンヌは走る。振り返らない。信じるしかない。足音が遠ざかる。古鷹とときやは、教祖と向き合った。
「二人か」
教祖が嗤う。古鷹の目が、鋭く光った。刀を構える。だが――その構えは、10年前とは違っていた。教祖が消える。古鷹は動かない。目を閉じる。風の流れ。空気の揺れ。殺気の方向。振り返りざまの斬撃。
ギィン!
教祖の拳と刃が激突。
「なに…!」
教祖が驚愕する。
「読まれた…?」
古鷹は答えない。ただ、刀を構え直す。十年間の修行。全てがこの瞬間のため。古鷹は刀を引き、連続で斬りかかる。一閃、二閃、三閃。教祖が後退する。そこへ――
「ここだ!」
ときやが低い姿勢から飛び込む。タックル。教祖の足を狙う。教祖が消える。だが――
「左!」
古鷹の声。ときやは身を翻し方向転換する。その直後、教祖が出現。全力をかけたのタックルが教祖めがけて直撃する。
「ぐう」
教祖の身体が蹌踉めく。
「くっ…」
教祖が舌打ちする。その刹那、刃が教祖の腕を掠める。
ギィン!
血飛沫が舞う。二人は間合いを詰める。教祖が消える。
「上だ!」
古鷹が叫ぶ。ときやが見上げる。教祖が、空中から降ってくる。だが――古鷹の刀が、既に上段に構えられていた。
「遅い!」
一閃。
ザシュッ!
教祖の足が斬られる。
「ぐあっ…!」
教祖が着地と同時によろめく。そこへ――ときやが組み付く。背後から。腕を首に回す。絞め技。
「離せ!」
教祖が暴れる。その膂力は凄まじい。ときやの身体が、振り回される。
「ぐっ…」
だが、離さない。
「古鷹さん、今です!」
古鷹が踏み込む。全体重を乗せた、渾身の一撃。刀を両手で握り――
「てえええぇぁぁ!」
ズバッ!
刃が、肩口から脇腹まで斬り裂いた。一瞬の静寂。そして――教祖の口から、低い呻きが漏れた。人間の声ではない。地の底から這い上がるような、重い音。ローブが裂け、黒い染みが広がっていく。速い。あっという間に布地が飽和する。
「が…」
膝が、揺れた。わずかに。だが確かに。ときやはその瞬間を逃さなかった。絞め技を更に限界まで締め上げる。教祖の手が、ときやの腕を掴んだ。指が食い込む。骨が軋む音。
「ぐっ…」
それでも離さない。
「あ、あああ――」
教祖の声が変質していく。怒りではない。困惑だ。この身体が、言うことを聞かない。そういう声だった。やぶれかぶれの力でときやを振り払う。ときやが吹き飛び、地面を転がる。そして――教祖は切り払った古鷹を掴んだ。
「貴様ああぁぁ!」
拳が、古鷹の顔面へ。
ガッ!
古鷹の顔が歪む。だが――古鷹は刀を離さない。すかさず刃を斬り返す。教祖が再び古鷹を殴る。古鷹の肋骨が折れる音。
「がはっ…」
古鷹が血を吐く。だが――それでも反撃の手を緩めない。
「うおおおお!」
古鷹が叫ぶ。刀が教祖を貫き、刃を柄まで押し込む。
「ぐ…があああぁぁぁ!」
教祖の拳が、再び古鷹を打つ。古鷹の顔が腫れ上がる。
血が流れる。だが――教祖の動きが、止まる。力が抜けていく。そして――二人同時に、倒れた。
ドサッ。
「古鷹さん!」
ときやが駆け寄る。古鷹は、血まみれだった。顔は腫れ、肋骨は折れ、呼吸が浅い。だが――生きている。
「古鷹さん、しっかりしてください!」
「ああ…やった…」
古鷹は目を開ける。だがその目には、困惑があった。
「おかしい…」
「え?」
「弱すぎる」
古鷹は倒れた教祖に這うように近づいた。黒いローブに覆われた巨体。その顔は、フードに隠れて見えない。古鷹は震える手で、フードに手をかけた。
「確認する…」
ゆっくりと、布を剥ぐ。そして――
「!」
古鷹の目が、見開かれた。ときやも、息を呑んだ。フードの下から現れたのは――見知らぬ男の顔だった三十代半ば。強面の、筋骨隆々とした男。だが――古鷹は、この顔を知らない。
「これは…」
古鷹の声が震えた。
「10年前の教祖ではない…」
「別人…?」
ときやが呟いた。
「ああ…」
古鷹は愕然とした表情で、男の顔を見つめた。
「10年前、亥原と私が戦った教祖は…もっと痩せた男だった。顔つきがまるで違う」
「この男は操られていた…美月さんが言いかけた言葉はこれだ」
ときやが呟いた。
古鷹の顔が蒼白になった。
「まさか…」
その時――
男の口が、わずかに動いた。
かすれた声。
「ひ…ひどい…頭が…」
ときやが顔を近づけた。
「あなた、名前は?」
「お…俺は…なんで…ここに…」
男の声は混乱していた。
「頭の中に…誰か…いた…」
「誰かがいた?」
「声が…命令が…逆らえなくて…」
男は苦しそうに呻いた。
「教祖様の…声が…頭の中に…」
ときやの背筋が凍った。
「古鷹さん…」
「ああ…分かった」
古鷹は立ち上がろうとする。だが、肋骨の痛みで倒れそうになる。
「本物の教祖は…ここにはいない」
古鷹が歯を食いしばった。
「この男は…教祖に精神を支配された、ただの信者だ」
「では、本物は…」
ときやは直感した。その時、地下から轟音が響いた。
地面が揺れる。
「下だ…!」
ときやが叫んだ。
「本物の教祖は…地下にいる!
コンヌちゃんが…一人で…!」
ときやの顔が蒼白になる。
倒れた男が、虚ろな目で空を見上げている。
「教祖様…なぜ…俺を…」
その口から、血が流れた。古鷹は、男の傍らに跪いた。
「すまない…」
古鷹の目に、涙が浮かんだ。
「君も、犠牲者だったのだな…」
古鷹は静かに男の瞼を閉じた。だが、致命傷は外れたようでまだ微かに息をしている。
その時――サイレンの音。パトカーが、複数台到着した。
「動くな!」
機動隊員たちが銃を構える。
そして――
「父さん!」
美月が駆け寄ってきた。
「美月…」
古鷹が娘の顔を見て、微笑む。
「すまない…心配を…」
「喋らないで! 今、救急隊を!」
美月が無線で叫ぶ。救急隊員たちが駆け寄る。
「ときや…すまない…私はもう行けそうにない…」
ときやは古鷹の肩を叩く。
「大丈夫です。古鷹さんのおかげでここまで来られました」
「ときや…コンヌを…亥原を…頼む…」
「はい。必ず」
ときやは立ち上がる。そして――地下への入口へ走った。
(急がないとコンヌちゃんが危ない!)
エレベーターに飛び乗る。扉が閉まる。
全身が震えている。恐怖ではない。焦燥だ。
(コンヌちゃんが…)
(一人で…)
(本物の教祖と…)
---
ホールでの記憶が蘇る。教祖の拳が、コンヌの腹部に直撃。
「がはっ…!」
コンヌが吹き飛ぶ。肋骨が折れる音。動けなくなったコンヌに、教祖が近づく。
「終わりだ」
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「いやだ…」
ときやが呟く。
「いやだ、いやだ…!」
「僕が…僕がここに残ったから…美月さんの言葉の違和感に気がつかなかったから」
ときやは、唇を噛んだ。後悔してもしきれない。深淵へ降下していく。表示が進む。
B1。
ときやは拳を握る。
(待ってて、コンヌちゃん)
B2。
(絶対に、助ける)
B3。
---
考えないと頭に言い聞かせても最悪の想像を膨らませてしまう。倒れたコンヌ。動かない。教祖が、ゆっくりと近づく。
「終わりだ」
拳が振り上げられる。
---
「やめろ!」
ときやが叫ぶ。
誰もいないエレベーターで。
B4。
(コンヌちゃん…)
(死なないで…)
(お願いだから…)
ときやの手が震える。
B5。
扉が開く。




