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第18話 |霜牙《そうが》




門の場所は律の端末に出ていた。


湾岸の旧高架跡。


協会から、屋根を渡って六分だ。


高架の下は昼間より白かった。


投光器が何台も並んで、高架の柱や路面のひびまで照らしている。


白鷺(しらさぎ)の車列が三台。


中継の車はその後ろに停まっている。


協会の職員が黄色い封鎖線を張っている。


俺は屋根の上から、それを見下ろしていた。


律が三歩後ろに立つ。


「閉門まで、あと十四分です」


律が端末を見ながら言った。


俺は頷いて、屋根から道路へ降りた。


封鎖線の前まで歩く。


その向こうに、門があった。


高架の柱と柱の間に、縦に裂けたような赤い光が立っている。


門の輪郭が赤く脈打っていた。


白鷺の職員が封鎖線の手前に二人立っている。


どちらも白い装束だ。


一人は端末を握り、もう一人は何も持たずに腕を組んでいた。


俺が近づくと腕を組んでいた方が半歩、前に出た。


「関係者以外は入れない」


若い男の声だった。


「白鷺の管理門だ。下がれ」


俺は足を止めた。


律が後ろで、防水メモ帳を開いている。


「灰塚さん、時間が」


律の声は小さい。


俺は封鎖線の前で、門を見ていた。


赤い光が路面にまで届いている。


「中に何人いる」


俺は訊いた。


白鷺の職員は答えなかった。


端末を持っていた方が、ちらりと俺の殻を見る。


墨色の殻の継ぎ目が、投光器の下で白く光っていた。


「お前、等級は」


「ない」


俺が答えると、二人は顔を見合わせた。


それから、腕を組んでいた方が小さく笑った。


「ないなら、なおさら入れない」


俺はそれ以上、何も言わなかった。


後ろで律が端末を耳に当てている。


「もしもし、真柴さんですか」


律の声は夜の空気にやけに通った。


「夜分にすみません。小鳥遊です」


俺は振り返らずに聞いていた。


「はい、いま高架跡の封鎖線の前です」


「赤化したB級正門です」


「白鷺の管理門で、閉門まで十三分です」


律はそこで一度、言葉を切った。


それから、ゆっくりと続けた。


「灰塚さんが、中に入ろうとしています」


受話口の向こうの声は、俺には聞こえない。


律が小さく頷いた。


「はい、等級はありません」


また間が空いた。


律が息を吐くように言った。


「……そうですか」


それから、律は俺の背中に向かって言った。


「灰塚さん」


俺は振り返った。


律は端末を耳に当てたまま俺を見ていた。


「第22条には、準用の規定がありません」


律の声は真柴さんの言葉をそのまま写したように平たかった。


「救助に入れるのは、等級を有する者だけ。灰塚さんは、持っていないので」


「止める条文は、ないそうです」


俺は律の顔を一度だけ見た。


俺は封鎖線の前で、もう一度だけ門を見た。


白鷺の職員がまだ俺の前に立っている。


腕を組んだ男がもう一度「下がれ」と言おうとした。


俺はその横を抜けた。


半歩、低く身を沈める。


黄色い封鎖線の下を、潜る。


テープが背中でわずかに鳴った。


端末を持っていた方が、手を伸ばす。


指が殻の肩をかすめた。


俺は止まらなかった。


律がストップウォッチを押す音が、後ろで小さく聞こえた。


中継の車のスピーカーが、夜の路面に声を落とす。


《入ったのは……》


低い声が一拍だけ詰まる。


《E級、いえ、等級なし、の——》


声が途中で消えた。


俺は赤い光の前に立っていた。


門の口が縦に裂けている。


赤い光が首の継ぎ目を照らした。


俺は一歩、踏み込んだ。


  ◇


門の中は凍っていた。


息が白い。


足の下は黒い氷だった。


高架の路面がそのまま凍りついている。


橋脚が何本も並んで、上へ消えていた。


柱の表面を霜が白く覆っている。


ケーブルが天井から垂れ下がり、先端に氷の塊をぶら下げていた。


車が一台、道の真ん中で凍っている。


タイヤまで氷に沈んでいた。


俺は門の内側で足を止めた。


赤い光はもう無い。


代わりに、奥から青白い明かりが差していた。


進む。


奥へ。


奥の橋脚の向こうに、白い殻が見えた。


四人。


壁を背にして、円を組んでいる。


白い殻の線の光が煤を被ったように鈍い。


赤い霜が殻の表面に点々と張りついていた。


その中心に、ひときわ大きな白い殻が立っている。


重装の肩が氷の明かりを受けて白く浮いていた。


俺は目を細めた。


胸の下に、数字が浮かぶ。


1150


白鷺のA級、御堂晃(みどうあきら)。


白い重装は中継で見たことがある。


その周囲を赤い影が回っていた。


狼だ。


赤い霜を毛の一本一本にまで纏っていた。


一匹がこちらへ顔を向けた。


俺はその狼の胸の下を見た。


700


一匹で七百。


俺は九百四十だ。


足りている。


足りてはいる。


御堂がこちらを見た。


白い重装の肩がゆっくりと向きを変える。


兜のバイザー越しに、俺の殻を上から下まで見た。


「白鷺の現場だ」


声が大きい。


「部外者は下がれ」


俺は歩を止めなかった。


俺の殻の線だけは白いままだった。


「聞こえなかったか。E級が何をしに来た」


御堂の声がさっきより大きくなった。


俺は答えなかった。


答えるより、数えたほうが速い。


赤い狼が六。


橋脚の上に二。


壁の陰に、まだいる。


六匹が同じ向きに回っていた。


左だ。


凍った路面の上で、どの狼も左へ回る。


右へ回った狼は一匹もいない。


霜で滑るからだ。


荷運びの六年で、何度も見た癖だった。


俺はその円の外側へ回り込んだ。


「おい、聞いているのか」


御堂の声が背中に当たる。


円の外側から、内側へ。


一匹目の横っ面へ入る。


狼が首を振る。


俺は半歩、外へずれる。


牙が空を切った。


もう一度、内へ。


首の継ぎ目へ、薄刃を当てる。


引く。


赤い霜が刃の線で割れた。


狼の首が傾ぐ。


脚が二本、氷の上で滑った。


崩れる。


「何をやって——」


御堂の声が途中で切れた。


二匹目が円を離れてこちらへ来る。


俺は橋脚を蹴った。


氷の柱を三歩。


柱の面を蹴って、真横へ抜ける。


左へ回った。


そこだ。


俺は柱を蹴って落ちる。


狼の背の真上。


首の継ぎ目が上を向いた瞬間だった。


薄刃を逆手に抜く。


真上から、継ぎ目へ。


刃が入る。


深く。


狼の前脚が折れた。


胴が氷の上に落ちる。


赤い霜が一斉に剥がれた。


俺は氷の上に降りた。


二匹。


まだ四匹、回っている。


円の向きは変わっていない。


視界の端に、白い文字。


【レベルが上がりました Lv.14→Lv.15】


【能力を取得しました:縫影(ぬいかげ)】


二行。


俺は二行を一度だけ見た。


それから、前を見た。


円はまだ左だ。


俺は円の外側を走った。


凍った車の屋根へ上がる。


一匹が屋根の下へ来る。


首の継ぎ目が上を向く。


薄刃を逆手に抜く。


真下へ、落とす。


刃が入る。


もう一匹、屋根の端へ上がってきた。


爪が氷を掴む。


掴む場所を、俺は先に踏んでいた。


車の屋根を蹴って、橋脚へ渡る。


俺はケーブルを掴んだ。


下の狼が三匹、揺れる影を追って左へ回る。


揺れが止まる前に、俺は手を離した。


落ちながら、二匹の首を横へ引く。


着地。


壁の陰から、まだ出る。


凍った車の屋根へ戻る。


屋根の上から、出てくる順に刈った。


いつもなら律が数える。


今日は、誰も数えていない。


御堂隊の白い四人は、壁際で動かない。


最後の一匹が円の内側で足を止めた。


回る先がもう無い。


俺は半歩、踏み込んだ。


刃を入れる。


赤い霜が風に流れた。


俺は薄刃を収めた。


息が白い。


門の口の向こうから、律の声が届いた。


「閉門まで、三分!」


氷の路面を奥から音が滑ってくる。


青白い明かりの中から、白いものが歩いてくる。


狼だ。


さっきまでの赤い狼とは、大きさが違う。


凍った車の屋根と同じ高さに、背中があった。


霜をまとった大狼。


白鷺の隊員の誰かが、その名を呼んだ。


「……霜牙」


赤い眼はこちらを見ていない。


壁際の四人を見ていた。


胸の下に、数字が浮かぶ。


1600


俺はその数字を一度だけ見た。


御堂より、上だ。


霜牙が一歩、踏み出した。


氷が足の下で鳴る。


御堂隊の白い殻が、びり、と震えた。


殻の線がさらに鈍る。


四人の肩がわずかに下がった。


御堂の重装の肩だけが、まだ前を向いている。


霜牙が二歩目を踏んだ。


壁際へ、まっすぐ進む。


俺は動かなかった。


動くより先に、見ていた。


霜牙の前脚がわずかに浮く。


右の前脚が爪の先まで氷から離れる。


その瞬間、霜牙の肩が一番沈んだ。


重い。


跳ぶ前に、いちばん重い。


俺は半歩だけ、円の内側へ入った。


霜牙の前脚が氷を掴む。


俺は路面を蹴った。


橋脚の霜へ、斜めに走る。


柱の面を、さらに上へ。


ケーブルが目の前で揺れた。


俺はそれを掴む。


振る。


俺は手を離した。


体が宙へ浮く。


霜牙が顔を上げた。


赤い眼がこちらを捉える。


前脚が氷から浮く。


来る。


俺は空返しを使った。


体が宙で一度、横向きになる。


霜牙の牙がその下を抜けた。


もう一度、と俺は思った。


一度の跳躍で、二度目。


初めてだった。


腹の底で、殻が軋む。


体がもう一度、向きを変える。


霜牙の頭が真下に来た。


肩のひれが空気を裂く。


俺は霜牙の真上にいた。


霜牙が身を沈めた。


跳ぶ。


前脚が浮く。


俺は前腕のひれの縁に指をかけた。


薄い殻片が一枚だけ折れる。


軽い。


俺はそれを霜牙の足もとへ投げた。


黒い氷の上に落ちた影へ、殻片が刺さる。


深くは刺さらない。


影に触れただけだ。


縫影。


霜牙の前脚が止まった。


浮いていた脚が落ちる。


着くはずの場所から、半歩ずれる。


氷が鳴る。


首が傾ぐ。


胸の奥で、赤い核が脈打っている。


殻の下から透けて見えた。


胸は斬らなかった。


首の継ぎ目へ、上から薄刃を入れる。


刃が霜の毛を割って、継ぎ目に沈む。


深く。


霜牙の首が大きく傾ぐ。


前脚が折れた。


胴が氷の上に落ちる。


霜が一斉に剥がれた。


俺は氷の上に降りた。


息が白く残った。


視界の端に、白い文字が一行。


【型を取得しました:狼の型(かた)】


殻の線の光が一瞬だけ琥珀に揺れた。


瞬きのあいだに、白へ戻る。


霜牙の胴が氷の上で一度だけ跳ねた。


それきり動かない。


奥の橋脚の間に、光が開いた。


出口だ。


俺は薄刃を収めた。


壁際で、白い殻が動いた。


四人のうちの一人が、膝をつく。


もう一人が兜を外す。


若い顔だった。


息が白い。


白い殻の線に、光が戻ってくる。


煤を被ったような鈍さが、肩の継ぎ目から剥がれていく。


白鷺の白が白に戻っていく。


御堂の重装の肩がゆっくりと下がった。


兜のバイザーがこちらを向く。


「白鷺の……現場に、E級が」


声はさっきまでより小さかった。


語尾が霜の上で消える。


俺は答えなかった。


俺は出口へ歩いた。


凍った車の横を通る。


後ろで、白い殻が立ち上がる音がした。


御堂隊が俺の後ろに続いてくる。


門の口が近づく。


門の外から、律の声が届いた。


「閉門まで、一分です」


俺は門をくぐった。


赤い光はもう無い。


中継の車のスピーカーが、小さく息を呑む音を立てた。


《……戻りました。等級なしの、単独で——》


香坂の声が低く落ちた。


語尾が消えかかっている。


後ろから、白い殻が続けて門をくぐる。


四人の白い殻が封鎖線の内側に並ぶ。


誰も俺を見なかった。


御堂だけが一度だけこちらを見た。


何か言おうとして、口が開いて、閉じた。


封鎖線の手前で、白い殻の男が一人、待っていた。


長身。


立っているだけで、周囲の白鷺の職員より頭ひとつ抜けていた。


俺は足を止めた。


胸の下に、数字が浮かぶ。


2310


白鷺の幹部、白峰怜央(しらみねれお)。


中継で何度も見た顔だった。


その数字を一度だけ見た。


白峰はゆっくりと口を開いた。


「見事でした」


「霜牙を一人で」


俺は答えた。


「たまたまだ」


白峰は笑わなかった。


口元だけ、わずかに緩めた。


「たまたまで霜牙は落ちませんよ」


白峰が一歩、こちらへ近づく。


「灰塚くん」


名前を呼ばれた。


名乗った覚えはない。


「君は組織に入るべきだ」


「君にとっても合理的だよ」


俺は、少しだけ間を置いた。


「一人でいい」


白峰の敬語が一瞬だけ消えた。


「……面白い」


声が半音低くなる。


「一人で、どこまで行ける?」


俺は答えなかった。


俺は封鎖線の外へ歩き出す。


律が三歩後ろに続く。


白峰はそれ以上、何も言わなかった。


後ろから、御堂の声が聞こえた。


「白峰さん、あいつは」


「いいんだ」


白峰が制した。


俺は振り返らなかった。


黄色い封鎖線を跨ぐ。


律が隣に並んだ。


「灰塚さん」


「帰る」


律はそれ以上、何も言わなかった。


中継の車のスピーカーが、小さく音を拾う。


香坂の声が低く流れた。


《……ええ、無事です》


語尾が夜に消えた。


人垣の前を通る。


ハンターたちが半歩、道を空けた。


誰も声をかけない。


人垣の中に、暗い橙の殻があった。


戸張だ。


俺は横を通り過ぎた。


目も合わせない。


戸張も前を見たままだった。


封鎖線から、二十歩ほど離れた。


背中の向こうで、白鷺の職員の声がした。


「おい、今の墨色の殻、知り合いか。どこの所属だ」


間が空いた。


「知らないっす」


それだけだった。


俺は振り返らなかった。


隣で、律は何も言わなかった。


  ◇


高架を離れてから、殻ログを開いた。


【殻装:第二殻】 Lv.14 → Lv.16

等級:―(測定不能)

第二殻 脱皮まで:Lv.30

筋力 25→27 / 敏捷 35→37 / 殻硬度 16→17 / 共鳴 18→19

未割振:0

殻圧:940 → 1,000

能力:[影走り Lv.6] [空返し Lv.5] [薄刃 Lv.5] [残殻 Lv.3] [縫影 Lv.1]NEW

常時:[殻読み]

型スロット:1 [狼の型]NEW

九百四十から、千。


御堂は千百五十だった。


まだ、下だ。


律が隣で手帳を開いた。


「灰塚さん、Lvは」


「十六」


律がLvの列に書いた。


「S級の到着は、閉門の後だったそうです」


「そうか」


交差点で、律と別れた。


  ◇


アパートに帰った。


六畳の部屋に、冷えた空気が溜まっている。


窓の外はまだ暗い。


靴を脱ぐ。


俺は首の後ろで殻を畳んだ。


肩のひれが空気に解ける。


部屋の隅で、携帯が震えた。


画面を開く。


鷹宮紗夜から、一件。


「遅い」


二文字だけだった。


俺は携帯を手に持ったまま窓の外を見た。


俺は、少し考えて、打った。


「まだだ」


送る。


すぐに既読が付いた。


返事は来ない。


俺は携帯を机に置いた。


冷蔵庫を開ける。


缶コーヒーを一本、取った。


プルタブを引く。


小さな音が鳴った。

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