ポロネーゼとパンケーキ
オノの名前を出すと、あっさりホテルに入ることができた。あとはカードキーを使えば、ある程度の金が手に入る。
の、はずだったが。
「……」
トシナはドアを見つめた。
「トシナ?」
「……大丈夫だ、ひとは」
カードキーを握る手に汗が滲む。
(このドア、どうやって開くんだ……鍵穴がないぞ)
ドアというものは、鍵を使って開くものではないのか。
「安心しろ、トシナ。ひとはを使え。こういう時に神の子を使うのだ」
「いやっ、それは使わねぇっ」
「いじっぱり」
額に手を当てるひとはを止める。こんなどうでもいい場面で、貴重な能力を使わせるわけにはいかない。そんなことをしたら、トシナのプライドが危うい。オノに散々馬鹿にされた挙句、ひとはの能力に頼った、なんて。
だが、一向に分からない。「それっぽい」金属の上に、カードを突きつけることしかできないのだ……!
ひとはから視線を感じる。「こいつ何してるんだろう」みたいな生温かい視線。
と。
ピッ、ガチャッ。
「……あ」
この音には聞き覚えがある。間髪入れずドアノブを捻る。ドアは内側に向かって鈍く開いていった。
「ほらひとは、開いただろう!」
「……すでに検索ずみ。次からはひとはに従うべき」
トシナはその場に崩れ落ちた。てこてこ、その隣をひとはが歩いていく。顔だけ向けると、ベッドの上に置かれていた財布を手に取っていた。中身を開き、金額を確認する。
「計5万円。たいへんリッチ。トシナ、アメを買いに行こう」
町へ出ると、ふわりと良い香りがした。金木犀だ。
(……そういや、もうすぐ祭りがあるな)
豊穣を創世神へと感謝する、秋の祭り。……もうトシナには関係の無いことだが。
「トシナ。ひとははパンケーキが食べたい」
「奇遇だな。俺も何か食べたい気がする」
上の金で思う存分食べたい。日頃コキ使われている恨み辛みをここで晴らしておく。適当な店に入った。
「いただきます」
「ます」
目の前には、真っ赤に染まった皿。もちろん血や生肉といった物騒なものではない。ポロネーゼだ。
トシナはフォークを回すと、深紅の螺旋を書き込んでいく。口に入れると、まず広がるのはふわりと甘いトマトの香り。続いて牛肉の旨味が合体。麺と肉を噛むたび、幸福が脳内に放出されていく。
「うまい……」
じん、と頭の芯が痺れている。これが食の悦というものなのだろう。下層のバーで食べる、トマトスープをかけた名だけのミートスパとは全く違う。
「うまうま」
ひとははナイフとフォークを器用に使っている。彼女が頼んだものは、蜂蜜とクリームがたっぷりかかった分厚いパンケーキである。これだけでもカロリーが高そうなのに、極めつけにはサクランボやパイナップルなど、新鮮なフルーツまで乗せられていた。
童女には食べきれないほどの量だが、かなりのペースでパンケーキを口に運んでいる。
夢中でポロネーゼをかき込んでいたトシナは、思わずフォークを握る手を止めた。
(ひ、ひとは……!?)
常に表情が変わらなかった童女が、満面の笑みを浮かべている。ここだけ切り取れば、普通の子供と並べても全く分からない。
(そうか。ひとはにとっては、初めて食うモンだからな……)
とても幸せに違いない。
トシナは自分の皿を見る。フォークには、たっぷりのスパゲッティが巻かれていた。
一度引き抜くと、ほんの少量を取る。
ゆっくりとゆっくりと、時間をかけて食べる。
少しでも長く、ひとはがこの瞬間を味わえるように。
腹を満たしたところで、少し町を歩く。
「ところで、トシナ。顔バレはへいき?」
「家は遠いよ。顔合わせることもない……念のため、帽子買っておくか」
「ひとはは顔バレしない」
「童女だからな」
規則正しく並べられた石畳に、香りの良い暖かい風。絶えず笑い声や会話が響く。悲しみなど、ぐずる子供の泣き声しかない。
これが上層という街だった。
下層が求めてやまない街。トシナがいたころと何も変わらない。下層の生活を知った今、まさしく楽園というべき場所だ。
購入したハンチング帽を深く被る。服を着替えたといえ、平穏に違和感を覚えてしまう。
彼らは下層のことなど知らないだろう。今日も明日も変わらない。変化があるならば過去の街と同じく、満足した人生の違いがあるだけ。
(……贅沢した俺が言うことじゃないよな)
それに、上層の富を集めても、下層の状況は救いがたい。本当に救うというのならば、枯れた大地を再生せねばならない。
(今は仕事に集中する時だ)
「トシナ……トシナ。かんがえ中か」
「……あぁ、どうした」
ひとはに袖を引っ張られていた。
何かあったのか。ひょっとしたら、神の気配を感じたのかもしれない。
「眠くなった。ホテルに戻りたい」
「お前は童女か」
「童女だ」
そうだった。
客室だけならば事務所の方が広い。ベッド同士の間は狭く、手を伸ばすだけで届いてしまう。だが、床はしっかりとした絨毯がひかれ、壁際には絵が飾られている。窓際にはよく分からないキカイ……空気清浄機であることをトシナ達は知らない……まである。
旅行はしたことがないが、一般的なホテルなのだろう。
「トシナ! オフロがある! しゃわーがでるぞ、しゃわーが!」
そこでテンションを上げるのか、ひとは。
「眠いんじゃなかったのか。早く寝ろ」
「はーい」
ベットに飛び乗ると、布団にくるまった。普段の癖が出るのか、くるまり方は乱雑で足がはみ出ている。
「……」
トシナも、少し眠くなってきた。自分達には任務がある。けれど、少しくらいだらけても大丈夫だろう。神の気配くらいなら、神殿でなんとかしてくれるはずだ。




