指令
ひとはの手を引き、中央塔へと向かった。
外に出ると、濃い油の匂いが鼻につく。
汚染から逃れるため、人々は高い塔を世界に建てた。だが、貧富の差は空にも発生する。平穏を極める上層、貧乏極まる下層に人々は分かれた。一生をかけても埋まらない高度の差。
中央塔とは、上層を支えている巨大エレベーターの俗称だ。いくら地上を捨てたと言っても、基盤のメンテナンスは欠かせない。支える柱が折れれば、民ごと上層は崩れ落ちる。
下層は地上に残った者たちの末裔や、何らかの事情で上層から追いやられた者の町だ。ある者は上層に憧れ、ある者は憎み、ある者は妬みながら過ごしている。暮らしは、生活基盤の確保から始まる。水の枯れた地で、他人に手を差し伸べる者はいない。
上層にはそんな労苦は過去のものだ。オートメーション化された産業技術で食料には困らず、神術を応用した結界で天気に悩まされることもない。地上が栄えていた時と同じかそれ以上の平穏を保っている。たとえ職を失ったとしても、神殿が保護してくれる。
オノは門の東、饅頭精肉店の前にいるということだった。
「まんじゅうよりもアメが買いたい」
「我慢しろ」
中央塔の周囲はバリケードで占められている。下層の人間が基礎部に近づくのを防ぐためだ。廃墟となった精肉店の中で、何かが輝いた。見ると、誰かがいる。首にネックレスをかけている。あれが光ったのか。
下層では見慣れない、艶やかな黒髪。オノだろうか。念のためメリケンサックを握り声をかけた。
「……ミズマンジュウ」
……改めて、この合言葉はどうなのだろうか。
程無くして、返答が返ってきた。
「オニマンジュウ」
オノは長身の女性だった。うねる黒髪を一つにまとめている。神殿の職員というよりは、いかにも重労働の作業員といった者だ。かっちりした作業着には、皆川運輸の文字。
「トシナとひとはだな。わたしはオノだ。説明は聞いただろう」
トシナが頷くと、オノは廃墟から台車を引き出した。上には巨大な段ボールが乗せられていた。
……大人と子供が入れそうな。
まさか。
「入れ」
「スパイじゃあるまいし」
「早くしろ。巡回のフリをして迎えに来ているのだ。それとも、お前たちに反論の権利があると思っているのか」
オノは機械的に言う。
従うしかないようだ。オノの言う通り、トシナとひとはは彼らに逆らえない。
入る……といっても、膝を立てて座る体勢が精一杯だ。ひとはに至っては横になるか、トシナの上に乗るしか居場所がない。
その上厚紙特有の匂いが立ち込めている。長時間はきつそうだが、オノたちがそれを加味するかどうか。
「ひとは、大丈夫か」
「ぶじどころかわくわく」
「子供は良いな……」
ひとはは段ボールを押したり触ってみたり、とにかく動き回る。その度トシナにぐにぐにと膝や肘が押し付けられ、時に痛い。
「静かにしていろ。これは非合法なのだ、バレれば神の存在自体が危機にさらされる」
「分かったよ」
「善処する」
箱の蓋が閉まる瞬間、オノはトシナたちを冷たい目で見ていた。彼女にとって、自分たちはただの駒どころか不確定要素なのだろう。
斑目敏奈と優祈一葉は、神殿すら察知できなかった存在なのだから。




