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皆川由希の事情

「トシナ。ひとははあいつに会わない」


 まだ煌めき剣を拭きながら、ひとははそう宣言した。


「そうなのか。お前にしては珍しいな」


 今は神殿に向かって歩いている。トシナもメリケンサックに汚れが残っていたが、諦めることにした。ホテルに戻って、お湯と石鹸で洗えば取れるだろう。最悪、硬度が保証されていれば汚れていても構わない。


「珍しいとは不敬。ひとはを感情のないこむすめと思ってはいけない」


「思ってないけど。一目見て嫌うなんて、神関係なのか」


 言うと、ひとはは黙り込んだ。代わりにじとっと、湿度の多い視線で見上げてくる。


「あのアマとは因縁がある」


「上層に来たことあるのか?」


「関係なく。嫌い」


「そこまで言うならいいが……」


 ひとはは謎の多い童女だが、そういうこともあるのだろう。一目惚れという言葉があるように、一目で嫌いになってしまう人間がいてもおかしくない。特にひとはは超常の力と共に生きている。第六感が他の童女よりも優れているのだろう。あの少女が悪人とは思えないが。


 考えているうちに、神殿の近くへと来た。


 聞き覚えのある声が響く。


「あ! 先ほどの方!」


「ひとはは逃げるっ! トシナ、うまく撒け!」


 少女の声が響いた途端、ひとははすごい勢いで去っていった。先ほどの肉人間を狩った時に勝るとも劣らない速度で。


「あら、あの子、どちらへ?」


「腹が減ったらしい」


 適当に言うと、少女は納得したらしい。改めてトシナへ向き直った。


 裾にスカイブルーのチェックがあしらわれたブラウスに、同色のネクタイとスカート。制服には詳しくなかったが、上品な雰囲気が漂っている。


 見た目通り、少女は丁寧な礼をした。


「先ほどはありがとうございました。私一人では、どうなっていたか分かりませんわ」


「まあ、俺のせいでもあるからな」


「私は皆川由希と言います。よろしければ、あなたのお名前も教えてもらえませんか?」


 名字で呼ばれるのは好きじゃない。しばらく考えた後、トシナは言った。


「……周りの奴らは、名前で呼ぶ。トシナと呼んでくれ」


「トシナさん、ですわね。ふふ、良いお名前ですわ」


「そうか?」


「では、私のことも由希と呼び下さいませ。これで平等ですわ」


「いいのか、俺は初対面だぞ?」


「たまにはそれもいいのです。決まり切った形ばかりではつまらないでしょう?」


 お嬢様にしては破天荒だ。本気でそう思っているのか、由希は目を瞬かせる。そしてずい、と顔を近づけ。


「ささ、呼んで下さいませ」


「今か?」


「えぇ」


「・・・・・・由希」


「ふふっ、くすぐったいですわね」


 由希は頬に手を当てた。なんとなく居心地が悪くなり、髪を掻いた。トシナから言い出したことだが、今日会ったばかりの人間をこうして呼ぶのは恥ずかしいものがある。


「さっきのことだが。そもそも詫びなきゃいけないのは俺の方だ。お前の服、汚しちまっただろ」


「え? あらっ、本当ですわ……」


 由希は初めて、自分の服の汚れに気付いたらしい。絡んできた男の対応、そして謎の爆発で頭から追い出されていたようだが。


 改めてお金を出す。


「これはお前がもらっておいてくれ」


「……分かりましたわ。あなたの律儀さに敬意を払って、もらっておきます」


「回りくどい言い方だな」


 今まで接したことのないタイプだ。


「お嬢様ですから。ところでトシナさんは、この辺りにお住みの方で?」


「いや、仕事で来たんだ。近くのホテルにしばらく泊まってる」


「そうでしたの。では、また会えたら嬉しいですわね。一期一会ですもの」


 由希は笑った。鈴を転がすような、上品な笑い方だった。



 ◆



「トシナ! すごいやつがいた!」


 ホテルに戻ると、ひとはが顔を輝かせて待っていた。手には写真を持っている。


「カメラなんて持ってたのか?」


「念写した! 回数なんて待ったなし!」


「それでいいのか」


 自分の欲に正直すぎる。トシナは半ば呆れながら、写真を手に取った。


「すごいぞ。空をとんだ。人は空をせいはしたのか」


「はあ」


 何を言っているのか、この童女は。


 なぜ今、空を飛ばねばならないのか。たとえ飛べたとして、地上のどこにも新天地などない。空中も、積み重なる層と、以前の層を調査する空中偵察機だけで十分だろうに。


 視線を寄越すと、車椅子に乗った女性が見えた。なるほど、どういう訳か空中にいる。無論、浮かんでいるのではなく、どうやらホイールの超加速で一瞬だけ宙に浮いた……ように見える。


 奇抜な者もいたものだ。どんな顔だろうか。全く興味は無いが、面構えくらいは見てもいい・・・・・・。


「!?」


 思わず二度見する。


 栗の木をそのまま移したような茶髪。少し太めの三つ編みが2本。オレンジの小花・・・・・・金木犀だろう、を模した髪飾り。


 なによりも、恐怖を顔に張り付かせながら、優しく気弱そうな顔立ち。


「……佳花」


 写真の中には、友達がいた。


 トシナが下層に堕ちる前の、唯一の親友……花井桂花が。


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