胡蝶の夢
「畜生、いきなりテーブルが崩れて来なきゃ……」
男、テリーは舌打ちした。破れたカバンを抱え直す。
黒い球は全て消えてしまった。雇い主から大事にしろと耳にタコができるほど聞いたが、消えてしまったものは仕方が無い。信用を無くすのは痛いが……。
「あのアマ、次に会ったらただじゃおかねぇ……」
顔はしっかり覚えている。女学生と、シンプルな服装の女性。どちらも美人だ。痛い目に遭わせれば、多少は溜飲が下がるものだろう。
「しっかしなんだったんだ、アレ。見たことねえもんだが、いったいどこの古代兵器なのかねぇ……」
空気に触れれば危険ということしか聞かれていない。
雇い主は何を考えているのだろう。大方、神殿へのテロだろうが。
テリーは上層での生まれだったが、神殿に対する不満はある。もともと、素行も悪く、勉強もする気になれず、適当な仕事についた。だが、派手な仕事は割り振られない。単純作業しかない労働に嫌気が差し、夜の町をふらついていたところ、声を掛けられた。
黒いローブの女に。
彼女は言った。指定の時間、ある場所へ、この袋を届けて欲しい。成功すれば、多額の褒賞金が手に入る。
うまい話だったが、金に困っていたのも事実だ。了承し、袋を受け取った。
そして暇をカフェで潰そうとしたとき、あの少女からコーヒーをかけられたのだ。
「そもそも危険なモンなら、カバンをもっと頑丈に作れってんだ」
「ニャア」
ぼやいたとき、猫が通りかかった。緑の目で、一心にテリーを見上げる。
「なァ。お前もそう思うだろ?」
テリーは猫に同意を求めた。聞かれてもいないのに。
口元を緩めると、ポケットからニボシを出した。
「にぼしいるか? ちょうど持って……むぐゥ!」
背後から手が伸び、テリーの口を塞いだ。黒い革に似た素材の手袋だ。テリーは咄嗟に塞ぐモノを剥がそうとするが、爪が空しく表面をひっかくだけ。
ニボシが地面にばらまかれる。
猫は乾燥した魚に向かって鼻を寄せた。香ばしい醤油と、抗いがたい栄養への誘惑が細胞を刺激する。猫は頭上の惨劇など気にも留めず食べた。暴れる男の足が何度も頭上を掠めたが、猫にとっては食欲が何よりも勝った。
やがて満足した猫は口元を舐め、毛づくろいを始める。
路地裏には誰もいなかった。




