花々は、まだ何も
「花井さん! 大丈夫ですか?」
「は、はい!?」
名前を呼ばれ、我に返った。白い線が微かに示す輪郭は、さっぱりとまとめられた髪……受付の佐藤さんだ。
「さ、佐藤さん、ですよね?」
「えぇ! 八鶴さんはご一緒ではないんですか?」
「ニクブロ地域で爆発があったみたいで……八鶴さんは避難誘導に当たってます。僕だけ、先に帰ってきたんです」
「あぁ、爆発音なら私も聞きました。大丈夫でしたか?」
「はい、僕は……」
「そうでしたか、安心しました!」
佐藤さんの声が高くなった。安心したというのは本心なのだろう。桂花は力を抜いた。ようやく危機から脱したのだ。車椅子を加速させる心配は、もう無いのだ。
「みなさん、花井さんはどこにいるか、とても心配してらしたんですよ」
「すみません、心配かけたみたいで……」
桂花は頭を下げる。
今まで心配されたことはない、と嘆いていたが……自分が思う以上に、心配してくれる人はいるのかもしれない。
「えぇ。特に兵隊長様なんて真っ青になっちゃって」
「へ、兵隊長様が?」
神殿を警護する部隊の長だ。普段の桂花の業務に関わりがないだけでなく、一般職員が滅多に会う機会のない上層部だ。
桂花はそんなに重大な人物なのだろうか。いや、考えすぎではないか。ただの職員でしかないのに……。
「やっぱり、自分のとこの警備ができてないのは格好悪いから、ですからね」
「そ、そうですよね」
佐藤さんの言葉に頷く。
「それか、桂花さんがすっごいことをしてきたかですかね」
「はい?」
斜め上からの話題に、桂花は目を丸くした。
「よくお話であるじゃないですか。記憶がない間、人知れず世界を救った! とか」
「は、はぁ」
他愛ない空想といえばらしいが、そんな飛躍した予想をしているとは。
「実は、職員の間でちょこちょこ話題になってるんです」
「あ、あわわ……」
桂花は顔が赤くなるのを感じた。自分が話題になるなんて、恥ずかしすぎる。
「ほら、一年前は災害が多かったのに、急にぴたっと止んだじゃないですか。ちょうど桂花さんの記憶があいまいな時と重なって……あ」
佐藤さんが言葉を止める。
「き、記憶喪失の方に失礼でした、私。つい口を滑らせてしまう癖が……ごめんなさいっ!」
「い、いいんですよ! き、気になりますよね! 僕も分からないくらいだし……
頭を下げる佐藤さんに、桂花も頭を下げる。佐藤さんはそれを見て、また平謝り。桂花も……。
「お二人とも、何をされているので」
「や、八鶴さん!」
八鶴さんの冷静な声がした。
「すみません、私が失礼なことを……八鶴様、避難は完了されたのですか?」
「はい。兵士部隊に引き継ぎました。桂花様、部屋に戻りましょう」
「分かりました。……佐藤さん、僕、本当に気にしてないですから!」
「はいっ!」
佐藤さんは元気よく答える。
頭の上で八鶴さんが、小さく溜息を吐いた気がした。
「本日はお疲れでしょう。このままお休みください」
(……そうだった)
お疲れ、という言葉で思い出した。桂花はそもそも体調が良くなかったのだ。心臓が急に痛み出して、けれどすぐに消えて……。
背後の八鶴を伺う。いつものように機械的だった。その顔を見ていると、騒動など起こらなかった、そんな気さえしてくる。
不気味な鼓動だって、あの一回だけだ。
(まぁ、大丈夫か)
桂花はそう結論づけ、自室へと向かった。




