美しい破壊者
ふふ、と笑いながら次に視線を向けられた男爵令嬢は、頬を引きつらせた。
「以前、おっしゃっていましたわね。王子殿下は、わたくしよりあなたが好きなのだから、縛りつけるのはやめてほしいと」
そういえばあったな、とドミニクも記憶を辿る。
廊下のど真ん中、まるで主人公のように悲痛そうに涙を浮かべて、取り巻きを引き連れていた。
あくまでにこやかで、穏やかなアリアドネの微笑みは、しかしあまりに場違いだ。
男爵令嬢が、ぶるりと身体を震わせた。
「婚約は白紙になって、あなたの望みは叶ったわ。よかったわね」
「な……なんでですか。毒飲むなんて、そんなことしなくても、婚約破棄しますって言うだけでよかったじゃないですか」
「まあ」
「め、目の前で、毒なんか飲んで、でも生きてるし、びっくりしすぎて、もうわけがわかりません」
確かに、普通の令嬢として生きていて、目の前で人が毒を飲んで死にかけることはない。
まあ、普通ならば王子の婚約者に冤罪を吹っかけること自体、しないのだが。
こてん、と首を傾げたアリアドネが、困った子供を見るような目で男爵令嬢に微笑む。
「だって、わたくしは王子殿下の婚約者で、王妃教育を受ける身でしたもの。わたくし有責の婚約破棄となるなら、先ほど王妃殿下がおっしゃったように、毒杯を賜るか斬首に処されるか。どちらかしかありませんでしょう」
「は……?」
「せめて首はつながったまま、父母と兄の元に帰りたかっただけなのですが……斬首がお望みでしたかしら」
悲しげに眉尻を下げ、俯いたアリアドネの肩を、ドミニクは堪らず抱き寄せた。
本音じゃない。たぶん、きっと、演技だ。でも、それでも痛い言葉だ。
────アリーは、たとえそうでも頓着しない。
たとえ本当に他人に死を願われていたとしても、それがドミニクでないなら、笑って流すだろう。
今みたいに、悲しい素振りなど見せることなく。
ドミニクはそれが、そんなアリアドネの無関心さが、やっぱりつらい。
「そっ、そんなこと、思うわけないじゃないですか! 恐ろしい!」
「あらまあ。あなたと殿下がおっしゃったのは、そういうことでしたわ。でなければ、毒など飲むはずがありません」
「…………そんな」
ガタガタ震える男爵令嬢が、壊れたアリアドネを見つめて涙を流す。
謝って許されることではない、許すわけもない。
哀れみすら感じないドミニクも、アリアドネと同じく壊れているのかもしれない。
「うふふ。でも、よいのですよ。あなたや殿下や王妃殿下が、わたくしの死を望んでいても」
くすくす笑いながら、アリアドネがドミニクの肩に身を預けた。
兄を見つめる瞳には、唯一彼にしか与えられない特別な信頼がある。世界でたった一人、ドミニクだけ。
ひと雫ずつ、言葉に毒を含ませながら、彼女は微笑み続ける。
この場のすべての加害者と関係者の心に、じわじわと罪と楔を打ち込むものだけを、巧妙に選んで。
「だってわたくし、なーんにも気になりませんもの。お好きになさって?」
「アリアドネ……」
「ふふ、おかしいわね。殿下がどちらを好んでいるか、王妃殿下が毒を与えたのはなぜか、なんて。どちらでも構いませんのよ。心配なさらないで」
「……」
「でもねえ、ふふ」
形のよい頭が、ドミニクの肩に乗る。
あたたかくて、彼女が今こうして生きていることに、どれだけ安堵していることか。
喪いかけたあの果てのない恐怖を、ドミニクは今も夢にみる。
それを知っているから、アリアドネはそっと寄り添うのだ。
「わたくしの大切なお兄様が、許さないとおっしゃっているの。いかなる理由、背景があったとして、そんなもの無価値ですわ。わたくしにとって価値があるのは、この世でドニーだけ」
氷点下にまで凍えた場で、アリアドネはまるで日だまりのように微笑みながら、裁決を下す。
「だから、わたくし、あなた方を許しませんわ」
美しく慈悲深く微笑みながら、アリアドネの声は歌うように跳ねる。
「陛下、望みを問うてくださいましたね。わたくしの望みは一つだけ。生涯、彼らを憎み厭うことをお許しください。わたくしは命を賭しました。きっと彼らにも相応の覚悟があるのでしょう。その上で、一生をかけてお恨み申し上げますわ」
「…………」
「うふふ、楽しい余興でしたわ、殿下。とっても」
ふふ、くすくす。
場違いに軽やかで弾んだ笑みに、王子は絶望の深淵に合間見えた者のように顔色を失う。
みな一様に背筋を震わせ、美しいまま壊れた一人の令嬢を、ただ、ただ見つめていた。




