そして、彼女は毒を飲む
やたら男爵令嬢がアリアドネの近くで転んだり、全身びしょ濡れの姿で佇んだり、怪我をして登校したりするようになった。
ドミニクはそれを冷めた目で見ていたが、アリアドネは気にも留めていない。
無関係な彼女が犯人のように語られることに苛立っても、本人が笑って放っておけと言う。
王子は婚約者への礼儀である贈り物や手紙、定例のお茶会すらすっぽかすようになった。
アリアドネは催促するようなことはなく、礼儀通りに手紙や贈り物を送り、一人の茶会で紅茶や菓子を楽しんで帰宅する。
そんな婚約者に、王子が歯噛みしているのを、ドミニクだけがわかっていた。
一度、王子に諫言したことがある。
婚約者のいる身で、他の女性と親密な様子を見せるのは如何なものか、と。
王子は、子供っぽく唇を尖らせ、どうせ婚姻するのだからと言った。
だから、ドミニクは王子から離れたのだ。
側近の打診を正式に断ると両親に告げると、二人は神妙な面持ちでドミニクの話を聞いた。
そして、あらゆることを想定した上で、今できる手を打つことにした。
アリアドネは変わらない。いつも微笑んで、悪意にも穏やかに対応し、さらに相手を魅了して妬みを買う。
見目は少々きついが、彼女の表情や物腰は常に柔らかい。それを表立って否定することは、誰もできなかった。
「ドニー、新しい本屋さんができたのよ」
「ドニー、孤児院に寄与する絵本を作ったから読んでみて」
「大好きよ、お兄様」
二人が常に一緒にいるのは、誰もが知っている。
優秀な妹に追いつくため、死に物狂いで勉強したから、ドミニクだって優秀だ。
次期公爵として、ドミニクもまた完璧を目指して努力した。
王子妃となる妹の後ろ盾になるのは、兄である自分だ。それが誇りで、そして原動力でもある。
寮生活だが、週末は必ず家に帰り、両親や家人たちと顔を合わせた。
アリアドネは変わらず平等だったが、穏やかで明るい彼女がいるだけで、家の中が華やぐ。
社交界に出れば、容姿がよく教養に長け、話題も豊富なアリアドネは引っ張りだこだ。
連れ歩く王子は誇らしげにしながらも、しかし端々に嫉妬を隠せない。
魑魅魍魎の社交界では、そのあからさまな言動に、学園とは違う冷ややかな目が向けられた。
だからか、学園に戻れば王子は必死さすら滲む様子で男爵令嬢に愛を囁き、睦まじさを周囲に見せつけようとする。
経験が浅く青臭い若者たちは、こぞって王子を囃し、公爵令嬢を批判した。
賢明な者たちは、早い段階で距離を図り家門とのやり取りをしているようだが、割合として多いとは言えない。
そのすべてをつぶさに把握しながら、ドミニクは妹と共にいた。
そうして訪れた卒業パーティーの日。
登場するなりアリアドネを呼びつけた王子が、声高らかに男爵令嬢への加虐を断罪しても、アリアドネは微笑んでいた。
そして、毒をあおったのだ。
身体中が沸騰するほどの激怒と、心臓が凍りつくような恐怖を、ドミニクは初めて経験した。
知っていた。アリアドネが、生にも他者にも頓着しないことを。
けれど、自ら死ぬなんて手段、彼女は選ばないと思っていた。
狼狽えて何もできない王子を尻目に、ドミニクは用意していた解毒剤を口移しで与え、応急処置をしながら馬車を用意させた。
色んなことを想定していた中で、もっとも最悪だ。
汗だくになって妹を介助するドミニクに、王子がうろうろとまとわりついたが、一切相手にしなかった。
配置していた公爵家の騎士や侍女が忙しなく走り回り、王宮と公爵家への伝令も出す。
集まっていた子女はそれぞれの家の馬車で帰し、ドミニクも王子を振り切って妹を公爵家に連れ帰った。
王宮で手当てをするなど正気か。害した者に預けるほど、ドミニクも公爵家も愚かではない。
幸い、賢い妹は王子から婚約破棄の言質を取っていた。会場のすべての人間が証人だ。
掴みかかろうとした男は、たかが伯爵令息。騎士団長にも罪を問うてやる。
同調してありもしない罪を羅列していた宰相の息子は、どうしてくれようか。侯爵家の後継ですらない身のくせに。
隣国は、どうやら我が家門と戦争がしたいらしい。継承権の低い皇子を守るために、どこまでするだろう。
そして何より、王子だ。あれだけは決して許さない。
好ましい相手を受け止める度量もなく、傷つければ意のままになると思い込む浅慮さを悔やめばいい。
体温を失っていく妹を抱きしめるドミニクの目は、静かな憎悪に染まっていた。




