第19話 一人に刺せないから
眠たい身体を励ましながら何とか自宅に辿り着く。何だか今日はバイトで働くよりも疲れた気がする。スマホの電源は切れているが絶対に夜中の一時を過ぎているだろう。
俺は錆びた玄関のドアノブを握りしめると大きく吐息をつく。
このままでは佳賀里の使用人のせいで寝る時間が削られるではないか。
いや、元々は佳賀里が俺との約束を守って公園に来てくれたら、いや、そもそも俺が意固地になって佳賀里を待っていたのが悪いのか。
そう言えば次の休日に老紳士が迎えに来ると言っていたな。正直、佳賀里の家には招待されたくはない。そもそも佳賀里とは友達でも何でもない。共通点は嫌われ者同志くらいで喋ったのも数えるくらいなのだ。
明日学校で佳賀里に会ったらお誘いは受けないと伝えるかと考えた所で大きな欠伸が出る。限界だ。眠すぎる。早く風呂に入って寝よう。
ガチャリと玄関のドアを開ける。すると静まり返った廊下の奥に明かりが灯っていた。
出掛ける時にきちんと電気を消したのだけどな。
今朝の記憶を辿りながら廊下に一歩踏み出すとリビングから角が生えた赤い顔が現れた。
「うひゃぁぁぁああああ!?」
リビングから顔を覗かせたのは般若の面だった。不審者は見覚えのある青いジャージを着ている。黒く長い髪や服装で愛依だと分かったが不意を突かれ過ぎて変な声を出してしまった。腰を抜かしたのも久しぶりだ。
びっくりした。何だよ、愛依かよ。化け物が家に忍び込んだと思ったっての。本当に心臓に悪い仮面だ。以前も夜中に愛依に出くわした時は口から心臓が出そうな程に驚いていたものだ。とにかく心臓に悪いから止めて欲しい。
不審者が誰か分かったので立ち上がろうとすると違和感を覚えた。
なぜ愛依がリビングにいるのだろうか。あれほど部屋を出ない愛依がリビングにいるのはおかしい。愛依は徹底的に家族の俺ですら会わないように立ち回っている。食事は俺が部屋の前に運んだ時、トイレや風呂は俺がいない時を狙って行っている。
もしかして何かあったのだろうか。不安が沸き上がると予想外のことが起きた。
「お……お……お兄ちゃん!」
なんと駆け足で近寄ってきた愛依が廊下に座っている俺に抱きついてきたのだ。俺の背中に手を回す愛依は俺の胸に顔をうずめている。愛依の息遣いや体温が伝わってきた。
俺はもちろん放心状態となる。
何だこの状況は。もしかして夢か? 夢なのか? 愛依が俺に抱きつくなんて週十年振りなのだけど? 何これ? 意味が分からない! しかも何だこのドキドキは!? もしかしてドッキリか!? 隠しカメラでもあるのか!?
眠気が完全に抜けた俺は艶のある愛依の黒髪を眺める。
すると表情は見えないが愛依が声を震わせた。
「な……何で……連絡くれないの? し……心配したんだから……」
愛依の台詞と共に母さんの顔が蘇る。俺は全てを察して天井を見上げた。
愛依の母親、つまり俺の育ての母親が最初に倒れた時も同じような状況だった。
仕事に出掛けていた母さんが日付を超えても帰ってこなかったのだ。連絡をしても反応は一切なかった。警察に連絡した後で愛依を残して俺と父さんは街を飛び出した。
母さんの職場の近くや家の近くには見当たらなかったので隣の街まで駆けまわっている最中に病院から連絡があった。
母さんは人気のない路地で倒れているのを通行人が見つけて救急車で運ばれていた。
そしてこの時は命に別状はなかったけど検査で重い病が見つかってしまう。母さんは倒れた一年後に死んでしまった。
「ごめんな愛依。心配かけたな」
どうやら愛依は俺の事を心配してくれたらしい。本当に優しい妹だ。
「いなくなると……思ったんだよ……?」
「大丈夫だから安心しろ。俺はどこにも行かない」
「お母さんみたいに……いなくなったら許さない……から」
「だから大丈夫だって。一番大切な愛依を一人にはさせないから」
般若の面が俺を見上げてくる。般若の瞳の穴を見るとうっすらだけど涙目なのが分かった。俺は心配かけた愛依の頭を撫でる。何だか子供の頃に戻ったようだ。
昔は外へ出るときは必ず俺の手を握ってきていた。俺も妹の愛依に頼られていると思って嬉しかった記憶がある。
しかし甘い思い出に浸る時間は一瞬だった。
「さッ……さッ……触らないでッ!」
「はぐッ!」
いきなり立ち上がった愛依の後頭部が俺の顎にクリティカルヒットする。
首がしなるほどに突き上げられた俺は意識を刈り取られ廊下に顔から崩れ落ちた。
そして次の日から愛依が話し掛けてこなくなった。




