第31話:暴走と、黒い刃
「う……あ……ああああああっ!」
ミリアの絶叫が、闘技場に響き渡った。
彼女の身体から溢れ出したどす黒い瘴気は、みるみるうちに勢いを増し、神々しかったはずの純白のローブを禍々しく染めていく。手にした光の杖も、今や不吉な紫色の光を放ち、周囲の魔力を無差別に吸い上げる暴走状態に陥っていた。
「ミリア、どうしたのだ! しっかりしろ!」
貴賓席から、アルフレッド王子が悲鳴に近い声を上げる。その顔は真っ青だった。
彼が宰相から聞いていた話と、あまりにも違う。ミリアは、圧倒的な聖なる力でルシアーナを断罪し、民衆の喝采を浴びるはずだった。こんな、自滅するような醜態を晒すなど、聞いていない。
「話が違うではないか……! 宰相! これは、一体……!」
王子が狼狽するその様を、観客席の片隅で、商人のふりをして紛れ込んでいた宰相の側近が、冷たい目で見つめていた。計画通りだ。王子と民衆に、「聖女ミリアの力は不安定である」と印象付ける。これで、後に宰相が「より安定した管理」を提案する下地ができる。
闘技場は、大混乱に陥っていた。
「おい、なんだあれは……聖女様から黒い煙が……」
「呪われているのは、あっちだったんじゃないのか!?」
観客たちは我先にと出口へ殺到し、怒号と悲鳴が入り混じる。
その混乱の、まさに頂点。
全ての意識が暴走するミリアに集中した、その一瞬の隙を突いて。
観客席のあちこちから、十数人の影が、音もなく立ち上がった。彼らはごく普通の観客を装っていたが、その服の下には、漆黒の戦闘服と、殺意に満ちた武器を隠し持っていた。宰相直属の暗殺部隊だ。
彼らは、人々のパニックを盾に、フィールドへと飛び降りると、一直線に私へと襲いかかった。
その動きには一切の無駄がなく、明らかに熟練の暗殺者のそれだった。
彼らの真の目的は、この決闘の混乱に乗じて、私、ルシアーナ・フォン・ヴァインベルクを、この場で確実に暗殺すること。
「――やはり来たか!」
しかし、彼らの前に、三つの影が立ちはだかった。
カインさん、ゴードンさん、リーシャさん。彼らは、この瞬間をこそ、待ち構えていたのだ。
「ルシ、下がるな! お前はミリアを頼む!」
カインさんの鋭い声が飛ぶ。
私は頷き、暴走して苦しむミリアに向き直った。彼女をこのままにはしておけない。
「ドブネズミどもが……相手が足りねえんじゃねえか?」
ゴードンさんが、巨大な斧を肩に担ぎ、挑発的に笑う。
「あなたたちの相手は、私たちよ」
リーシャさんも、冷静に弓をつがえ、その切っ先を暗殺者たちに向ける。
「笑わせる。たかが辺境の冒険者ごときに、我ら『影』が止められるとでも――」
リーダー格の暗殺者が言い終わる前に、カインさんの姿が霞んだ。
暗殺者たちは、魔道具で身体能力を強化されている。だが、彼らは、本物の修羅場を潜り抜けてきた『流星の剣』の強さを、根本的に見誤っていた。
「なっ――!?」
暗殺者の一人の喉元に、カインさんの剣が突きつけられる。しかし、斬らない。切っ先は寸でのところで止められていた。
カインさんは、この男の「本質」を見ようとして、眉をひそめた。見えない。ただ空っぽの、人形のような魂。魔道具による偽装が、彼の能力を阻害し、精神に奇妙な負荷をかけているのだ。
(――面倒な相手だ)
だが、そんなことは些細な問題だった。
私を完全に始末するために仕掛けられた、卑劣な罠。その事実が、彼の内に眠る闘志に、静かに、しかし激しく火をつけていた。
決闘は、今や、闘技場全体を巻き込む乱戦へと姿を変えようとしていた。




