第21話:分かち合う力
どれくらいの時間、そうしていただろう。
私の嗚咽は、やがて途切れ途切れのしゃくりあげに変わり、暴走の後の激しい疲労感に身体を支配され始めていた。涙は枯れ果て、もう声も出ない。ただ、カインの胸に顔をうずめ、彼の心臓の音だけを聞いていた。
カインは、私が落ち着くまで、何も言わずにその背中を優しく撫で続けてくれた。蹴破られた扉から冷たい夜風が流れ込んできても、彼の腕の中は、不思議なほどに温かかった。
「……落ち着いたか」
ようやく顔を上げた私に、彼は静かに問いかけた。その顔は疲れ切っていたが、黒い瞳には、安堵の色が浮かんでいる。
「は、い……。あの、カインさん……腕、とか……大丈夫ですか……?」
私の暴走した魔力に直接触れていたのだ。彼自身、ただでは済まなかったはずだ。私は慌てて彼の身体を見回すが、目立った外傷は見当たらない。
「ああ、問題ない。お前の魔力は、少し肌がピリピリしただけだ。それより、お前の方が……」
彼は私の頬にそっと手を伸ばすと、まだ残っている涙の跡を、不器用な手つきでそっと拭った。その思いがけない仕草に、私の心臓が小さく跳ねる。
「……あの、ありがとうございました。私のせいで、酷い目に……」
「気にするな。俺がそうしたくて、したことだ」
カインはぶっきらぼうにそう言うと、私の隣にどさりと腰を下ろした。狭いベッドが、ぎしりと軋む。
しばらく、二人の間に気まずいような、それでいて心地よいような沈黙が流れた。
私は、先ほどの彼の言葉を反芻していた。
『俺がお前の聖域になる』
あの言葉が、どれだけ私の心を救ってくれただろう。しかし、同時に、疑問も浮かんでいた。
「……でも、どうして……。私の力は、他の人の苦しみを、一方的に吸い上げるだけの、呪われた力のはずです。カインさんが、私の代わりに背負うなんてこと、できるはずが……」
それができるなら、父や母、あるいは私を慕ってくれた騎士たちが、とっくに気づいていたはずだ。
私の疑問に、カインはしばらく何かを考えるように押し黙っていたが、やがて一つの可能性を口にした。
「……もしかしたら、条件があるのかもしれないな」
「条件……?」
「ああ」
カインは、私の方に向き直ると、じっと私の目を見つめた。
「ただの仲間、ただの主従、ただの家族……それだけじゃ駄目なんだ。お前の魂が、相手の魂を、心の底から『信じられる』と判断しなければ……」
彼の言葉に、はっとさせられる。
今まで、私は誰かを本当の意味で信じたことがあっただろうか。父や母は尊敬していたが、公爵家の令嬢と当主という壁があった。騎士たちは主従関係であり、どこかで利用価値を見定められていた。そして、アルフレッド様は……。
「俺は、お前の苦しみを、自分のことのように感じた。お前を、何があっても守り抜きたいと、本気で思った」
カインは、おそるおそる、といった様子で、私の手に自分の手を重ねた。
「お前も……俺の言葉を、俺の覚悟を、信じてくれたんじゃないのか?」
その言葉は、まるで合言葉のようだった。
重ねられた手から、彼の温もりと、揺るぎない覚悟が流れ込んでくる。私は、今度こそ、その手を振り払わなかった。彼の言葉を、その存在を、全身全霊で信じたいと思った。
その瞬間、私の頭の中に、天啓のような閃きが走った。
「……もしかして……」
【サンクチュアリ・フィールド】は、一方的に吸収するだけの力ではないのではないか?
強い、強い絆で結ばれ、お互いの魂が完全に信頼し合った相手となら……。
苦痛や負担を、「分かち合う」ことができるのではないか?
それは、あまりにも希望に満ちた仮説だった。でも、試してみる価値はある。
「カインさん……私の手を、強く握っていてください」
「……ああ」
「そして、何があっても、信じてください。私のことも、あなた自身のことも」
カインは、私の真剣な眼差しに、黙って力強く頷いた。
私は彼の目を見つめたまま、集中する。スキルを発動する。対象は、私自身に蓄積されている、暴走の後の「精神的な疲労感」と「負の感情の残滓」。
【サンクチュアリ・フィールド】
淡い光が、私とカインの手を中心に、ふわりと灯った。
いつもなら、この瞬間に私が感じるはずの苦痛や疲労が、軽くなることはあっても、誰かに移ることはなかった。
しかし、今回は違った。
私が感じていた、鉛のように重い倦怠感と、心の奥にこびりついた不快な感情の残滓が、すうっと半分に軽くなるのを感じた。そして、その半分が、確かに、握られた手を通して、カインへと流れていくのをはっきりと感じたのだ。
「……これは……」
カインが、驚きに目を見開く。彼もまた、私の疲労と苦痛の残滓が、自分の中に流れ込んでくるのを感じていた。それは、決して心地よいものではないはずだ。だが、二人で分かち合えば、十分に耐えられるレベルのものだった。
私の力は、呪いではなかった。
少なくとも、彼との間では。
私たちの揺るぎない信頼が、呪いを祝福へと変える、奇跡を起こした瞬間だった。




