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第七話 黒衣の交渉人

時計が指し示す時間は、翌日の朝八時。

オリスは自室で黒い任務服に袖を通し、お尻近くまである長い金髪も全て隠し、目元を黒い布で覆いスカイブルーの瞳を隠した。

オリスは部屋の空間に手をかざし、無属性魔法のゲートを発動させた。

部屋には黒く重厚な扉が現れた。

扉の近くにはモニターがあり、オリスは行先をテセオの政府官僚邸の上空に設定し魔力を流した。

「政府官僚、拒絶。結界、結界」

オウムが扉の上空を旋回した。

「ええ、入室拒否の結界を張ってしまえば、ゲートは繋がりません。万能じゃないですね」

オリスは軽く息を吐くと、扉を開けた。

扉のすぐ下は上空で、政府官僚邸を上から見下ろせた。

オリスは踏み出し、天地を守りつつ重力に従って下った。

オリスが離れると扉は閉まり、姿を消した。


官僚邸の中では、オリスとすれ違う官僚達の顔が引き攣り、書類で顔を隠したり、踵を返す者がいた。

オリスは気に留めることなく見知った通路を歩き、とある大臣の執務室へ向かった。

ノックもせず、行きついた流れで扉を開け、入室した。

部屋には誰もおらず、オリスは応接セットのソファーの上座に腰掛け佇んだ。

シン…と静まり返った部屋に、オリスの背後から朝日が差し込む。

部屋に飾られたアンティークや金細工の調度品が光輝いた。

(久し振りですね。こうして朝から朝日を浴びるなんて)

オリスは背もたれに背中を預けながら、身体に陽の暖かさを感じた。

少しすると、廊下から聞きなれた男達の会話が聞こえた。

オリスはその声に、背もたれから離れ背筋を伸ばし、凛とした佇まいをした。

すぐに扉が開かれ、二人の男が足を踏み入れた。

男達は足を止め、息を呑んだ。

その視線の先には、朝日に照らされながら浮き立つ黒い影が、応接スペースの上座に怪しく佇んでいた。

男達は顔を引き攣らせた。

顔も性別も素性も分からない黒い人間が来るのは初めてではない。

何度も突然の来訪に驚かされている。

しかし、この突然の来訪はいくら経験しても慣れるものではなかった。

いつも肝が冷え、寿命が縮む思いだった。

「……い、いらしていたんですね。知らぬ事とはいえ、失礼しました」

先に入って来た男が、引き攣った顔をピクピクさせ、両手を揉み合わせた。

「大臣…」

後ろに控えていた補佐の男が、警戒と不安の色を混ぜた声色で耳打ちした。

「大丈夫だ。依頼中でない限り、彼等は手を出さん」

大臣は小声で返した。

確かな事は、黒い服の装いに金の刺繍でSが縫いつけられていることから、VOIDの幹部であるということだけ。

いつも来訪するSの黒い人間が、全て同一人物なのか大臣達には知る術も無かった。

オリスはスッと手を差し出し、向かいのソファーへの着席を促した。

「あ、ああ。いや、失礼」

大臣は声を裏返し、心臓の脈をドクドクと感じながらオリスの向かいに座った。

(大臣にお会いしに来て、自らが上座に座さるとは。しかも着席の促しまで。いつもいつも、一体どんな立場とお思いなのでしょうね)

補佐の男は嫌悪に目を険しくさせながら、大臣の座るソファーの後ろに控えた。

オリスは懐に手を伸ばした。

補佐の男の眉がピクッと動き、オリスの動きを凝視した。

後ろに組んだ手の中では、密かに魔力を集約していた。

オリスは筒状に丸められ、赤いリボンで止められた紙を取り出した。

胸の高さで筒を持ち、長く垂れたリボンの端を、指先で軽く摘まんだ。

流れるようにスルッと解き、摘まんだ指先を横に伸ばし、リボンを宙に放った。

放たれた赤いリボンは、特段うねることもなく、重力に従って落下し、黒ずんだアガット色の絨毯の上に落ちた。

オリスは筒を開き、一瞬だけ紙に視線を落とすと、縦向きに机に置き、差し出した。

紙の上下は丸まり、紙の視野を狭めた。

大臣と補佐の男は、身を乗り出して紙を見つめた。

紙の中央には、一文だけ、魔法で文字が書かれていた。

"任務完了。奴隷密輸船にエルフの存在を確認"

二人は一瞬で今日の突然の来訪の合点がいった。

以前、VOIDに依頼していた奴隷商人達の殺害の件だった。

「早速の依頼完遂、ありがとうございます。流石、仕事が早いですね」

大臣は少し安堵しながら、謙譲した。

まだ心臓の脈をドクドクと感じていた。

オリスは微動だにせず凛と佇んだ。

部屋には沈黙が流れ、大臣達に嫌な汗が流れた。

次第に、心臓の音が早まり、大きくなる。

大臣は目を泳がせ、必死に次の言葉を探した。

部屋の隅の金庫が視界に入った。

「……ほっ、報酬、ですかな?すぐに準備させます」

大臣は引き攣った笑顔で取り繕いながら、補佐の男に指示を出した。

補佐の男は慌てて、手に集約した魔力を解除し、ドギマギしながら契約書に示されている金額をトレイの上に準備した。

部屋には開錠の音と金貨の音のみが響き、沈黙が流れた。

大臣の耳には、静まることを知らない自身の心臓だけが、うるさく響いた。

少しして、補佐の男は、オリスの目の前の机にトレイに乗った大量の金貨を差し出した。

「約束通り、三人分に少し上乗せした額を用意致しました」

補佐の男は軽く頭を下げ、ソファーの後ろに控えた。

オリスは金貨に手を付け、ゆっくりと枚数を数え始めた。

カチャカチャと金貨の鳴る音だけが空間を支配し、大臣達は時折意識して唾を飲み込み、数え終わるのを待った。

オリスは数え終わると空間魔法を展開し、その中から大きい巾着を三枚取り出した。

ジャラジャラと音を立てながら、次々に巾着の中に金貨はしまわれ、パンパンに膨れた巾着が三つ、出来上がった。

その重そうな巾着を全て空間魔法の中に収納し終えると、オリスは再び凛とその場に佇んだ。

突然の静寂が流れた。

オリスの静寂が、大臣達に厭な緊張を走らせた。

依頼の報告を聞き、依頼料の受け渡しも済んだ。

いつもならこれでこの黒い人間は立ち去っていく。

しかし、いつまで待てども黒い人間は動かない。

この黒い人間は次に何を求めてる?

大臣の心臓は激しく脈打ち、胸が痛んだ。

「…あのぅ…まだ、何か…?」

大臣は震える声を絞り出した。

オリスは人差し指を一本、机に丸まる紙に向けた。

大臣達は再び紙に目を向けた。

依頼完了の中央の文字が相変わらず書かれているだけの紙だった。

大臣は凝視する為、紙を手に取り顔に近付けた。

自然と丸まった上下を伸ばしつつ、紙を見つめる。

大臣は、後ろから覗き込む補佐の男と一緒に目を見開いた。

丸まった紙の下部に、魔法文字で"奴隷の処遇は?"と書かれていた。

大臣はハッと顔を上げ、オリスを見た。

オリスは相変わらず、そこにある影のように佇んでいた。

「…しょっ、処遇ですか…えー、この手の問題は少し保留かと…相手がエルフともなると話も進めにくくて…」

大臣は焦点の合わない目で、しどろもどろに答えた。

酷く声は震え、大量の冷や汗で洋服はびっしょりだった。

オリスの手が懐に伸びた。

補佐の男は息をするのも精一杯で、オリスの動きに反応できなかった。

オリスは折り畳まれた新しい紙を取り出した。

紙を広げると、先程よりも小さかった。

白紙の紙を机の上に差し出し、人差し指を紙に向けた。

大臣達は、オリスの一つ一つの動作を固唾を呑んで見守り、喉を鳴らした。

オリスの指先から魔法の線が紙に伸び、文字を浮かび上がらせた。

"エルフの交渉権はこちらがもらう"

大臣は咄嗟に後ろを振り返り、補佐の男と顔を見合わせた。

補佐の男は、戸惑いながら首を横に振った。

大臣はオリスに向き直ると尋ねた。

「も、もらうと言っても、あなた方がエルフと交渉出来ると言う根拠は…?」

エルフは気高く人間との対立も絶えない種族。

政治や交渉の場に置いて、誰彼構わず人間が容易に交渉できるわけでは無かった。

殆どの人間の言葉は聞く耳を持たれなかった。

"交渉はこちら優位で進めさせてもらう"

「なっ!そんな勝手なっ!」

続けて書かれたオリスの魔法文字に、補佐の男は思わず声を上げ、身を乗り出した。

大臣は軽く手を上げ、補佐の男を止めた。

補佐の男は静かに身を引き、オリスを睨んだ。

「聞こう。どんな条件で進める気だ?」

大臣は胸痛を抱えながらも、探る目を向けた。

しかし、顔はマスクで覆われ、目元すら黒い布で何も見えない。

黒い塊を瞳に映しても、何も得られなかった。

"企業秘密"

「それでこちらにエルフは回してくれるのか?」

オリスの短い魔法文字に、大臣は毅然として聞いた。

"エルフの意思次第"

「……はぁ」

大臣の深いため息が漏れた。

「少し考えさせてくれ。こちらも、私一人では決めきれないのでな」

大臣は疲れ切った顔をした。

"書面にて、結果を待つ"

その言葉に大臣が了承の返事をすると、オリスは席を立ち部屋を出て行った。

オリスがいなくなった瞬間、二人の男のどっとしたため息が漏れた。

補佐の男は、黒ずんだアガット色の絨毯に尻餅を付き、天井を見上げて魂の抜けた顔をした。

大臣はソファーの背にもたれかかり、全身の力を抜いた。

未だ心臓がドクドクと脈打ち、胸が痛かった。

よく心臓が止まらず、乗り切ったものだと思った。

ふと、オリスの座っていたソファーを見た。

ソファーと机の間の床には、オリスが捨てた赤いリボンが、黒ずんだアガット色の絨毯の上で赤々しく際立っていた。

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