第六話 鎖の音
その日の深夜。
暖色の光魔法で照らされたギンの部屋で、黒い任務服に袖を通していた。
洗面台の鏡の前で、前髪から全ての髪がバンダナの中に収まっている事を確認し、滑り止め付きの黒手袋に手を隠す。
双剣を腰に下げ、空間魔法の収納先に暗殺用の針がある事を確認した。
仕事机の引き出しに向かい、鍵のかかった引き出しを開けた。
中には、一丁の白い拳銃。
ギンはそれをしばらく見つめる。
「……いってきます」
引き出しに再び鍵を掛け、黒いマスクを付け顔を覆った。
モモンガは肩に飛び乗り、白蛇は首に巻き付き、ギンと共に部屋を後にした。
テセオの繁華街から外れた、暗い人気のない夜道。
そこを歩く二人の男性がいた。
一人は黒いスーツ姿の男で、鋭い目線をあちこちに向けていた。
その男の前を少し猫背になり、嫌そうに歩く男性がいた。
「全く…何故この私が囮など…」
しかめっ面で、ボヤきが止まらなかった。
突然、男の後ろで物音がし、男は振り返った。
「何だ?どうしっー」
男は視界の状況を把握する前に、激痛と息の止まる感覚に襲われた。
背中から胸にかけて激しく痛み、ドクドクの全身が脈打ち大量の冷や汗に襲われた。
薄れゆく視界の中、やっと理解出来たのは、ボディーガードとして雇ったスーツの男が倒れていることだけだった。
全身を黒に包んだギンが、背後から双剣の一本を、男の背中に貫通させていた。
十分に刺し続けた後、剣を勢いよく引き抜いた。
背中の穴から血が吹き出すと共に、支えを失くした男の身体は地面に叩き付けられ、突っ伏した。
(入れ替えられている)
ギンは男の顔を見下ろし、オリスから貰った資料を思い返していた。
三人の標的の顔写真が載った資料。
本来、ギンの担当する標的は、この男ではなかった。
(本命は…翡翠の方に行ったか)
ギンは翡翠が向かっているであろう方角を見つめ、移動を開始した。
ギンと同じ全身を黒に包んだ翡翠は、テセオの街の水路を使って海へと向かう一隻の船内に、五人の実行班と共に息を潜めていた。
船内は灯りが乏しく、通路が薄暗かった。
少し影になれば、足元の障害物が認識できなくなり、躓いてもおかしくなかった。
翡翠と実行班はその通路の天井のダクトから、通路を見下ろしていた。
オリスから貰った資料通り、忠実に配置された場所で待機していた。
翡翠の標的は三名の内の一人。
残りの二人はギンが担当する手筈だった。
静かな通路に耳を澄ませる。
コツコツと通路の金属を鳴らす、複数の足音が聞こえた。
翡翠は注意深く、足音の主を凝視する。
実行班達も、それぞれの範囲から見える範囲で目を凝らす。
段々と対象が大きくなり、輪郭がはっきりしてくる。
翡翠はその輪郭に違和感を覚えた。
自分が担当する標的の顔じゃない。
並んで歩く二人の男。
それは正しくギンが担当する筈だった二人。
(……まずいな)
翡翠の視線が止まり、少しの焦りを感じた。
その二人の男の後ろには、大柄なスーツの男。
資料にあった手練れのボディーガードといった所だろう。
“翡翠様、事前の状況と違いますが、行きますか?”
実行班のリーダーが少し動揺した面持ちで尋ねた。
翡翠は即座に頭の中で作戦を組み替えた。
"護衛は俺が対処する。お前等はあの標的二人を仕留めろ"
念話で実行班全員に指示が行き渡った。
翡翠は返答を待たず、ダクトを蹴破り、男達の前に降り立った。
色々な事を加味して動かなければいけなくなった状況に、翡翠の呼吸が一段だけ浅くなった。
「お前、VOIDだな」
余裕の笑みを浮かべながらも、翡翠の胸元の印を見て、怯えていた。
「や、ヤバくないっすか?ロレンツさん。あ、あいつの胸元…」
隣の男が全身の身の毛をよだせ、震え上がった。
翡翠の胸元には、金の刺繍でSのマークが刻まれていた。
「ええ、この件に幹部を寄越すとは、やはり警戒しておいて正解でした」
ロレンツは薄く笑った。
翡翠は気怠そうな目をして男二人を見つめ、両手にはめたガントレットをぶつけ合い、音を鳴らした。
その音に、標的の男は肩をびくつかせた。
音に反応して、大柄な男が動き、翡翠とロレンツ達の間に立ち塞がった。
翡翠は大柄な男を見つめた。
当初の予定では、もう少しレベルの低い護衛を実行班が相手をする予定だった。
しかし、現れた大柄な男に対して、連れて来た実行班五人では太刀打ちできない実力差があることを、翡翠は瞬時に見抜いていた。
翡翠は意を決して踏み込み、大柄な男に立ち向かった。
自分でも、この条件付きの戦闘で、大柄な男を正確に制御できる自信はなかった。
大柄な男は翡翠に怯むことなく、素早く重い一撃を返してくる。
翡翠は避けながら懐から煙幕を取り出し、ロレンツ達に投げつけた。
辺りが白煙に包まれた瞬間、複数の金属を鳴らす音が遠ざかっていった。
白煙に包まれる翡翠の横を、五つの黒い影が音もなく走り去った。
(予定とは違うが、ちゃんとやれよ)
翡翠は五つの影を見送った。
見送っていると、煙幕の中から太い腕が伸び拳が飛んできた。
翡翠は仰け反り避けると、間を取った。
すぐに煙は捌け、そこには翡翠と大柄な男だけがいた。
(さて、やらないとな)
翡翠は気合を入れ直した。
「どうすんだよ!ロレンツさん!俺ら殺されちまうぜ!」
男は腹を突き出し、仰け反り気味で苦しそうに走った。
「大丈夫。この為に高い金を払ってあいつを雇ったんです。そう簡単にはいきませんよ」
ロレンツは息を切らしながらも、口元に笑みを浮かべた。
薄暗い船内の廊下で、男は通路の物に躓き盛大に転倒した。
ロレンツは咄嗟に足を止め、振り返った。
男が痛みに顔をしかめながら、起き上がろうとしていると、走ってきた奥の道から黒い五つの影が飛び出した。
ロレンツが驚いていると、男が叫び声をあげた。
男を見ると、草魔法の茨が男に巻き付き、棘が身体に食い込み、血が流れていた。
ロレンツは唾を飲み込みながら、数歩後退った。
迫る五つの影に、ロレンツは煙幕を投げつけると共に、簡易魔法発動装置を発動させ、その場を走り去った。
実行班の五人は、一人の標的と魔法の処理に追われ、慌ただしくなった。
その様子を通路の天井のダクトから、ギンが使い魔と共に見ていた。
“お前等はあの男を追え。翡翠を向かわせるようにするが、間に合わなければ実行してよし”
ギンが念話でモモンガと白蛇に告げると、使い魔達は返事をし、ロレンツの後を追った。
ギンもさっとその場からいなくなった。
翡翠と対峙する大柄な男は、その巨体からは考えられない素早さで身体を動かし、全体重を乗せた重い一撃を飛ばしてくる。
翡翠は反撃らしい反撃をせず、いなしてばかりだった。
(あー、ターゲットじゃねぇからやりにくいっ…!)
VOIDの標的以外殺害禁止の規則が、翡翠を苦しめた。
殺すことを目的にすれば、瞬殺だった。
しかし、今考えなければならないのは、いかに殺さず、相手を機能停止にさせられるかだった。
"翡翠様っ!一人、標的を見失いました!"
翡翠の耳に実行班のリーダーからの焦った念話が届いた。
翡翠の顔が引き攣った。
"一人を処理している間に、ロレンツが逃走。行方を眩ませました!"
(くそっ!こいつをまだ無力化できてねぇてのにっ!)
翡翠は焦りを滲ませ、動きが鈍くなった。
その隙を大柄な男は見過ごすことなく、翡翠の腹部に拳をめり込ませた。
翡翠は歯を食いしばり、声を漏らすのを耐えた。
腹部を抑えて、ヨロヨロと後退り、肩で息をした。
痛みに思考を取られそうになりながら、この状況の打開策を必死で考えた。
その時、大柄な男の上空から、棘のない蔦が降って来て、足首から肩にかけて蔦が巻き付いた。
翡翠はその状況に目を見開きながらも、魔法の気配と手法から、誰が来たのか瞬時に理解した。
大柄な男は巻き付く蔦を次から次へと引きちぎった。
しかし、引きちぎるスピードより、巻き付くスピードの方が早く、いつしか蔦は身体中に何重にも分厚く巻かれ、立っていられなくなり床に倒れ込んだ。
その倒れた男の横に、静かにスッと一つの黒い影が音もなく降り立った。
"船内、第三区画の倉庫"
ギンはモモンガから受け取っていた情報を念話で翡翠に告げた。
翡翠はそれだけで、その場所に何があるのか、全てを察した。
翡翠は悔しい思いを抱えながら、ギンに背を向けて走り出した。
(やっぱ、格がちげぇ)
翡翠は歯を食いしばり、苦虫を噛み潰した顔をした。
ギンは翡翠を見送ると、足元で騒ぐ男の顔面を踏み潰し、意識を奪った。
そして、手当たり次第に船内の扉を開け、中を確認して進んだ。
まるで何かを探しているようだった。
その通路の一番角の部屋に手を掛けると、鍵がかかっていた。
他の部屋に鍵はなく、ここだけ部屋の鍵の他に南京錠まで取り付けられていた。
ギンは無属性魔法である開錠の魔法を南京錠にかけた。
一般的に開錠にかかる時間は五分。
ギンは二、三分程度で開錠できた。
“やっぱり、得意分野じゃない分、時間がかかるな”
ギンはぼんやりと考えながら、開錠作業をした。
耳にはモモンガの念話で、翡翠と合流し処理完了の報告が聞こえていた。
“翡翠、実行班と戻って来い。さっきの場所にいる”
ギンは伝えつつ、開錠を終えると扉を開けた。
真っ暗な部屋の中に、無数の気配を感じた。
小さな白色の光魔法で、少しだけ部屋の一部を照らした。
その光に反応して、ゴソゴソと動く衣擦れの音に、ジャラっと鎖の鳴る音が響いた。
「………」
ギンは光の先に見える姿を瞳に映した。
何も心を動かされることなく、淡々と状況確認を行った。
そこへ、実行班の五人が翡翠より先に合流した。
ギンは光魔法を消し、通路に出た。
"船を岸につける。あとはいつも通りだ"
ギンは実行班に告げた。
実行班は返事をし、船内に散った。
“あんたの肩ごついわね。乗り心地悪いわ”
モモンガが文句を垂れる念話の声が聞こえてきた。
“首も太ーい。巻き付くのしんどいよ~”
白蛇の情けない声もした。
“うるせぇ!文句あんなら自分で移動しろよ!大体なんで俺がギンの使い魔を運ばなきゃなんねぇんだよ!”
翡翠は目元の血管をピクピクさせながら叫んだ。
“翡翠がトロいから?”
モモンガはさも当たり前のように答えた。
“そうそう。翡翠が来る前に俺等が足止めしてなきゃ、標的殺せてなかったでしょ~”
白蛇が追い打ちをかけるように補足した。
“うっ…”
翡翠は顔が引き攣り、言葉を失った。
“貸しよ。送迎だけでチャラにしてあげるって言ってんだから、安いもんでしょ”
“くっそ、調子に乗りやがって。この毒毒コンビが!”
(うるさいな)
ギンは白けた目で、翡翠が走って来る方を見つめた。
翡翠がギンの前まで来ると、モモンガはギンの肩に飛び移り、白蛇はスルスルとギンの身体を這い、首に巻き付いた。
“はぁーやっぱりこの肩が一番いいわね”
“細くて巻き付きやすーい”
使い魔達は、温泉に入るかのような極楽の声を上げた。
“まだ気を抜くな。全て終わったわけじゃない”
ギンは釘をさすと歩き出し、船の外へ向かった。
翡翠は苛立ちながら、ふと、部屋の中を見た。
廊下の薄明りに微かに照らされる灯りだけで、目を凝らした。
(なっ、エルフも混ざってんのかよ。あいつ案件じゃねぇか。めんどくせぇ…)
翡翠はため息を漏らし、そそくさとその場を離れ、ギンの後を追った。
船が岸に着くと、翡翠は空間魔法の中に潜ませていた使い魔の大型犬を街に放った。
上空には、オウムが旋回していた。
“後は任せていいな、翡翠”
ギンは繁華街に走り去る大型犬を見つめた。
“ああ”
翡翠が短く答えると、ギンはあっと言う間に姿を消した。
“翡翠~もうすぐ警備兵がそっちに到着~”
人懐っこい明るい大型犬の声が、翡翠の耳に届いた。
“実行班、終わったか?そろそろ警備兵への引き渡しだ。撤退するぞ”
翡翠の言葉に実行班達は船から出て、施設へ戻った。
翡翠は物陰から船を見張り、大型犬の帰りを待った。
大型犬は、ワンワンと吠えながら、二人の警備兵を船の前まで誘導した。
「こんな所に船?」
警備兵達が怪訝な顔をしていると、大型犬は船に飛び乗り中から激しく吠えた。
吸い寄せられるように、警備兵は船の中に入り、蔦に巻かれ、気を失っている男を発見した。
警備兵が慌て、取り乱している隙に、大型犬は船から立ち去り、物陰に潜む翡翠の元に向かった。
“よし、誘導ご苦労さん。帰るぞ”
翡翠はわしゃわしゃと大型犬の頭を撫でた。
大型犬は嬉しそうに顔を綻ばせた。
船では、二人の警備兵が混乱し、取り乱しながら、慌ただしく応援を要請していた。
組織の施設のオリスの部屋で、オリスが一人、仕事をしていた。
仕事机の隣には止まり木があり、オウムが止まっていた。
部屋にノックの音が響き、全身を黒に包んだギンが入って来た。
オリスはそのギンの姿を一瞬だけ視界に入れ、すぐに視線を戻した。
「急ぎの報告とは、珍しいですね」
オリスはギンが発する前から全てを察し、驚いた様子もなく、書類仕事を続けた。
「任務は完了した。後処理は翡翠が行っている。それとエルフが絡んでいる」
ギンはオリスの机の前まで来ると、端的に述べた。
オリスの手が止まった。
「そうですか」
冷静に答えるものの、オリスの目はキツくなった。
「あと、今回は相手も仕組んでいたな。事前情報通りに行かなかった」
ギンが補足した。
「標的の、入れ替え、入れ替え」
オウムがギンの言葉に反応した。
「ええ、そのようですね。相手も、裏をかきたかったのでしょう」
オリスは平然と答えた。
「翡翠、手こずる。ピンチ、ピンチ」
オウムは羽をバサバサと開いた。
「そこはギンのフォローがあったので大丈夫でしょう。それにしても、エルフですか…私が動かなければいけなくなりましたね」
オリスは考え込んだ。
「エルフ、エルフ。あー専門分野、頭痛い」
オウムの声を後ろに、ギンは黙って部屋を出て行った。




