第五話 仕事の顔
シルハは町の服に着替え、ギンのメモを頼りに事務所の下まで来ていた。
上を見上げると、建物にぶら下がる相談事務所と書かれたシンプルな看板があった。
「不自然な造り…」
シルハは地上から空までマジマジと見上げた。
一階は酒場で、昼間の今は明かりも消え、静まり返っている。
その上の階に相談事務所が設けられていた。
酒場と隣の建物の間に、細く暗い階段があった。
シルハは少し緊張した面持ちで、静かに、ゆっくり登った。
すりガラス状の扉の前に立ち、何度か深呼吸をして、心臓を落ち着け、呼吸を整えた。
意を決して、事務所の扉のドアノブに手を掛け、押し開いた。
恐る恐る足を踏み入れ、辺りを見回す。
扉の左側には、ローテーブルと座り心地のよさそうなソファーがテーブルを挟んで二台置かれていた。そのソファーに座って左を見れば、大きなガラス張りの窓から、テセオの街が見下ろせた。
扉から右側を見れば、背の高い本棚が並び、背表紙には端的にタイトルや日付が記載され、整然と並べられていた。
シルハは、呆気に取られ、立ち尽くした。
ギンの部屋に入った時も思ったが、ギンの部屋も、この事務所も、とても綺麗に整頓され、片付き、埃一つもなかった。
同時に、余計な物が一つもなく、シンプル過ぎる印象も与えた。
「来たなら早く来い」
事務所の更に奥から、ギンの声が聞こえた。
入り口から正面には、部屋を区切る壁があり、奥へ道が続いていた。
シルハは驚き、声を上げ奥の道を見つめた。
「そこは出入り口。お客様の邪魔だ」
動かないシルハに更にギンが告げた。
シルハは謝りながら、奥へ続く道を歩き、仕切りの先へ顔を出した。
ガラス張りの大きな窓を背に、事務机で仕事をするギンがいた。
シルハはふと、来た道を振り返った。
入り口まで真っ直ぐに繋がる通路と、部屋を隔てる壁。
シルハはギンの場所と通路を何度も交互に見て、首を傾げた。
(ギン先輩の位置から、扉って見えなくない?何で私だって分かって…)
シルハは扉を見つめた。
ギンはチラッとシルハの様子を見て、書類に目を戻した。
「お客様とお前の気配を間違う筈がない。視覚だけが全てじゃないんだ」
ギンは呆れながら、呟いた。
その言葉に、シルハはドキッとし、ギンの方を見た。
ギンは相変わらず書類を見ていて、シルハを見ようとしない。
シルハは見てないよね?と怪訝な顔で立ち尽くした。
「お前、茶は入れられるか?」
書類から目を離し、シルハに目をやったギンが、唐突に尋ねた。
「はっ、はいっ!」
シルハは背筋を伸ばし、慌てて答えた。
少し声が裏返った。
「じゃあ、お客様が来たら、紅茶をお出しして。奥の給湯室に道具は揃ってる」
ギンは羽ペンでこの部屋の更に奥を指し示した。
羽ペンの先には、ベージュのカーテンで仕切られた入り口が見えた。
シルハは近付きカーテンを少しだけ掻き分け、中を覗いた。
狭いシンクとコンロにヤカン。
少しの作業台と後ろには小さい食器棚があり、ティーセット一式が綺麗に仕舞われていた。
シルハは見学を終え、カーテンを整えると、ギンのいる部屋を見渡した。
ギンの向かいに、一つ、白い事務机が余っていた。
シルハはじっと見つめ、控えめに口を開き、指をさした。
「あの、これ私の…」
「な訳ない」
食い気味にギンに否定された。
「ですよね〜」
シルハは苦笑いをし、心の中で涙を流した。
「まぁ、取り敢えず、使ってもいい。大事にしろよ」
ギンは羽ペンを書類に走らせ、素っ気なく補足した。
シルハは意外な言葉に明るくなり、微笑んだ。
その時、事務所の扉が開き、声が聞こえた。
ギンは素早く羽ペンを置き、立ち上がると、シルハに顎で給湯室を指し示すと、入り口に向かった。
「いらっしゃいませ。この事務所にご用が?」
ギンの声はさっきまでと比べ物にならないくらい柔らかく優しい声がした。
シルハは変化に戸惑いながら、給湯室に向かうと、紅茶の準備を始めた。
お湯を沸かす間に、ティーセットを取り出す。
カップのデザインが一つしかなく、選ぶ手間が省けた。
作業台の引き出しをいくつか開け、ティースプーンや茶葉などを探し当てた。
給湯室に聞こえてくるギンとお客さんの声を聞きながら、紅茶を淹れた。
聞き慣れないギンの声色に、いつまでも違和感を感じていた。
入り口左側の机とソファーで会話をする二人を邪魔しないように、静かに紅茶を出した。
出し終えると、さっき許しを得た白い机に頬杖をついた。
ギンの話し方はとても落ち着いていて、表情もとても柔らかく、時折微笑んだ。
(あんな顔もできるんだ…)
シルハは珍しいものを見るような目をした。
しかし、そのギンの顔は、どこか儚さを含んでいるように見え、シルハは少し目を伏せた。
シルハはふと、白い机の表面を撫でた。
白い木目調の木の机は少しひんやりした。
手を裏返し、指の腹を見つめる。
指の腹には、汚れも埃もついていなかった。
机の上には、何一つ置かれておらず、最近の使用感が感じられない。
しかし、机には多少の傷や、ペンのインクの痕残りがちらほらあり、かんぜんな未使用とは思えなかった。
(最近使ってなさそうなのに、やけに綺麗だな、この机…)
シルハは不思議そうにしながら、机の引き出しを静かに開けて回った。
どの引き出しも何もなく、埃すらない徹底ぶりだった。
一つ、鍵のかかった引き出しだけ、近くに鍵がなく、開けられなかった。
シルハは、机の散策を終えると、話半分に聞いていたギン達の話に、真剣に聞き耳を立てた。
依頼人の話から、依頼人は高利貸し商に騙された被害者集団の代表らしかった。
依頼は高利貸し商から回収出来るだけの金の回収と暗殺。
回収した金の二割を依頼料に当てる事で合意していた。
依頼人が必要事項を書類に記入し、ギンと書類が交わされると、依頼人は事務所を後にした。
依頼人が帰ると、シルハは紅茶の片付けを始めた。
「二割って、結構取るんですね」
トレイにティーカップを乗せながら、まだ座ったままのギンに声を掛けた。
「これでも安い方だと思うが?」
ギンは机の上で契約書を整理しながら淡々と答えた。
先程までの優しい声色はどこへ行ったのか。
いつもの冷たい声に戻り、笑顔もなくなっていた。
「(切り替えはや…)普通、依頼料って一割ぐらいじゃないですか?」
シルハは少し顔が引き攣った。
「普通はな。これは殺しが絡んでる。安く済む筈がない」
ギンは書類を見て答えた。
「でも、さっき安い方って」
シルハはトレイに乗せ終えたが、気になってその場を離れられなくなった。
「相手が一般の庶民だからな。あまり法外な依頼料を取っても、次に繋がらない。依頼人も何の為に金を回収してもらったのか分からなくなるからな」
ギンはソファーに深く身体を預けた。
「色々考えてるんですね」
シルハは感心し、目を丸くした。
「当たり前だろ」
ギンは呆れたように目をキツくして、シルハを睨んだ。
そして、書類と契約書を持ち、席を立った。
シルハも給湯室に片付けに向かった。
ギンの机の横には、魔道転写装置があり、その隣には、魔道転送装置があった。
書類を転写装置にセットし、魔力を流し込んで起動させ、書類を複製する。
隣の転送装置に複製した書類を置き、モニターから宛先を役員とオリスの二人を選び、魔力を流すと、複製した書類は姿を消した。
「さっきの話、引き受けたんですか?」
ティーセットを片付け終わったシルハが、給湯室から出てきて聞いた。
「まだだ。俺の独断で依頼を引き受ける事は出来ない。依頼を受けると言う事は、組織の総意だ」
ギンは事務机に戻り、テセオの街の地図を広げた。
「なんで今更街の地図を見てるんですか?」
シルハはキョトンとし、ギンの地図を覗き込んだ。
しっかりした紙に、文字が綺麗に書かれ、新そうな地図だった。
「高利貸し商の家の把握に、その他関係ありそうな施設の確認。調査するにも暗殺するにも、ルート取りは大事だからな」
ギンは指で地図のルートをなぞりながら答えた。
「もう頭に入ってると思った」
シルハは少し驚き、顔を上げギンを見た。
間近にギンの真剣な顔が見え、ギンの青いセミロングの髪が顔に垂れ、陰りを見せた。
「入ってるよ。それでも、確認は怠らない」
ギンは少し儚い顔をして、静かに呟いた。
シルハは少し吸い込まれそうになりつつ、地図に目を戻すと、異変に気付いた。
シルハが今まで見てきた地図より一段細かく、各々の店の名前や、民家の姓名まで載っていた。
「民間の姓名まで載ってるなんて、大分細かい地図ですね。こんな地図あるんだ」
「それぞれの民家の住人の把握、位置関係は細かく頭に入れたいからな」
「でも、調査は諜報員がしてくれるんじゃ…」
シルハはそんなに入念にする必要もないように感じた。
「俺は自分の調査を信じる。諜報員の話はただの答え合わせに過ぎん」
ギンの言葉には、少しの拒絶を感じた。
「でも、住人なんてコロコロ変わりますよ?引っ越しとか」
シルハはギンを見て、突っ込んだ。
ギンの気付いていない部分を指摘出来たと少し勝ち誇った。
「ああ。だから一年に一度、買い直してる」
ギンの淡々とした返しに、シルハは顔を引き攣らせた。「わざわざ毎年?通りで地図が綺麗だと思った…」
シルハは大きいため息を吐いた。
同時に、ギンの仕事に対する姿勢に呆気に取られた。
その時、魔道転送装置が光だし、紙が現れた。
ギンに取るように言われ、シルハは紙を取り、ギンに渡した。
「何だったんです?」
シルハは尋ねた。
「任務の許可証が届いた」
ギンはシルハに書類を渡した。
その書類は、先程の高利貸しに関する内容で、役員とオリスそれぞれからの判子と、ボスの直筆サインと判子が入った任務遂行許可証があった。
シルハは実物の許可証を初めて見た。
(これがボスのサイン…読めない)
シルハは難解な顔をした。
ボスのサインはかなりの崩字で、どれがどの文字か分からない程、難解だった。




