第四話 意思を持つ者
シルハがまじまじと会議室の中を見回していると、少し離れた所で、翡翠の声が聞こえた。
「ギン!勝負しろ!頭なんかより体動かしてぇ」
翡翠は扉に向かうギンの前に仁王立ちで立ちはだかった。
筋肉質でガタイのいい翡翠の身体は、小柄で華奢なギンの前では、大きな壁に見えた。
翡翠の足元には、キリッとした目に、マロ眉の大型犬がいた。
(うわぁ~翡翠先輩やっぱ大きいな。対するギン先輩、めっちゃ小さく見える。ま、私より背低いし、当然か)
シルハはぼんやりと見つめた。
「嫌」
ギンは目も合わせず、スッと翡翠の横を縫って通り過ぎた。
「なんでだよ!」
翡翠は声を荒げ、振り返った。
「必要ない」
ギンは静かに歩を進めた。
肩ではモモンガが呆れたように大あくびをかましていた。
「逃げんのか?」
翡翠は声を低くし、挑発するような目をした。
ギンは足を止め、少し振り返った。
「……翡翠が弱い」
ギンは真面目に答えた。
「んだと!やってみねぇと分かんねぇじゃねぇか!」
翡翠は顔を険しくし、叫んだ。
「殺す未来しか見えない」
ギンは、その形相に動じることなくボソッと呟き、会議室を出て行った。
肩ではクスクスとモモンガが笑っていた。
「あの野郎…!」
翡翠はモモンガの態度も相まって、余計に顔を険しくし、拳を振るわせていた。
「行ってしまいましたよ、彼」
資料を抱えたオリスが、立ち尽くすシルハに近付き、声を掛けた。
「えっ!?」
シルハはハッとなり、辺りを見回した。
会議室には、オリスと翡翠の他に、円卓に座って資料を読んでいるマトラト以外、いなかった。
「ついて行かなくていいのです?シルハ」
オリスは会議室の扉を指さした。
シルハはオリスの指の先と、オリスを何度か交互に見た。
段々と顔が青ざめて行く。
そして慌てて「失礼します!」と言うと、駆け足で会議室を後にした。
オリスは苛立っている翡翠を見て、ため息を吐いた。
「翡翠、いい加減、学習したらどうです?」
オリスは少し離れた所から、冷たい視線を向けた。
「うるせぇ!」
翡翠は腕組みをして、鼻を鳴らした。
「あなたが幹部になってから、もう五年です。何度同じ答えをもらい続けていると思ってるんですか」
オリスは呆れて、長い金髪を後ろに払った。
その反動で、オウムは羽ばたき、会議室を旋回した。
「五年。五年。翡翠、同じ」
オウムの小馬鹿にした声が響いた。
「……うるせぇ!!」
翡翠は旋回するオウムを睨み付けた。
(詮索禁止のルールは分かるけど、あいつは背負い過ぎなんだよ)
翡翠は不服そうに膨れた。
そして、悪態を付きながら、円卓に座るマトラトに叫んだ。
「マトラト!模擬戦付き合え!むしゃくしゃする!」
「えっ、またっすか。ギン先輩の憂さ晴らしを俺でしないで欲しいっす」
マトラトはげんなりした顔をした。
「うるせぇ。これも育成だ」
翡翠はふんぞり返った。
「もう~都合のいい時だけ上司部下の関係使わないで欲しいっす」
マトラトは肩を落とし、文句を垂れた。
「実際上司なんだからいいだろ?おら、行くぞ」
翡翠は会議室の扉に向かった。
「へーい。どうせ拒否権ないっすもんね~」
マトラトは重い腰を上げ、「オリス先輩、お先っす~」と断りを入れ、翡翠と共に会議室を後にした。
シルハは慌てて会議室を飛び出し、ギンの後を追った。
(もう!ギン先輩いつの間に出て行ったの!?全っ然気付かなかった…!)
階段を駆け降りる途中で、シルハはギンに追いついた。
「置いていきましたね、先輩」
シルハは後ろからギンに文句を言った。
ギンからは反応がなく、ただ階段を下っていた。
(聞こえてない?)
シルハは大きめの声を出したつもりだった。
「先輩!!」
首を傾げつつ、再度ギンの近くで大声を出した。
それでもギンは、無反応だった。
怪訝に思いながら、もう一度大声を出そうと、深く息を吸った時だった。
「うるさい!聞こえてる!」
ギンの肩から高い声が聞こえ、シルハは息が詰まった。
ギンの肩を見ると、小さい望遠鏡を持ったモモンガが、ビシッと望遠鏡をシルハに突き付けていた。
「えっ、かわいっ」
シルハは、歩くギンの肩で揺れる使い魔の可愛さに、目を奪われた。
「可愛いとか言うな、候補生!」
モモンガはムッとした顔で、キツイ口調を放った。
「(見た目に反して喋り方が可愛くない…)あの私、候補生ですけど、シルハって名が…」
シルハは苦笑いを浮かべた。
「黙らっしゃい!候補生!厚かましい。あなたみたいな尻の青い子、候補生で十分!」
モモンガは望遠鏡をビシビシ振りながら叫んだ。
ギンは二人の会話を気にすることなく、自室の鍵を開け、入っていった。
シルハはモモンガとやり取りをしながら、躊躇いなく入った。
「当たり前のように入るんだな」
ギンが振り向かず、仕事机に向かいながら言った。
ピタッとシルハの足が止まった。
言われて初めて、ギンの部屋に踏み込んでいたことに気が付いた。
「あっ、すみません、つい…」
シルハは気まずそうに目を泳がせ、ギンの部屋を見渡した。
「まぁ、こざかしい小娘!」
モモンガがの顔が引き攣った。
「あの、私、ギン先輩の部屋には入っていいんですよね?部下になったから」
シルハは恐る恐る尋ねた。
「ま、掟上は」
ギンは仕事机の椅子に座り、書類を記入しながら答えた。
「よかった…」
シルハは安堵し、胸を撫で下ろした。
モモンガと白蛇はギンの元を離れ、部屋の好きな所に散った。
ギンとシルハの間には沈黙が流れ、ギンの羽ペンを走らせる音だけが響いた。
「いつまでそうしている気?俺は君に用はないんだけど?」
ギンは、書き上げた書類を横に積み上げながら呟いた。
「わ、私にはありますよ!部下になったんですから、仕事教えて下さい!」
シルハは少しムッとした。
「何を?」
ギンは書類に目を落としながら聞いた。
「えっ…」
シルハは予期せぬ言葉に、思考が止まった。
「何を教えて欲しいの?書類の書き方でも教えればいい?」
ギンはシルハに目を向け、更に問い詰めた。
「えっと…」
シルハは身体を強張らせた。
具体的なことを考えようとしても、何も考えられなかった。
ギンはシルハを見つめ、次の言葉を待った。
しかし、シルハから次の言葉を発せられることは無く、沈黙が流れた。
ギンは書類仕事に戻り、再び羽ペンを走らせた。
「教えて欲しい事が分からない子に、教えられる事なんてないよ」
ギンは書類に向かって呟いた。
ー私は具体的に何を教えてもらいたい?ー
シルハの思考は靄に包まれた。
その時、ギンの部屋にノックの音が響き、オリスが入ってきた。
「ギン、諜報員から次に来そうな依頼内容です。対応お願いしますね」
オリスはギンの前まで来て、資料を渡した。
「ああ」
ギンはそれを受け取り、目を通し始めた。
「苦戦しているようですね」
ギンが書類を読み終わるまでの待ち時間に、オリスがギンを見ながら呟いた。
「ここでは、意思を持って動かぬ者は何も得られません」
(意思…)
オリスの呟きに、シルハは思考を巡らせた。
ー私は、兄さんのことが知りたくて、ここまで来たー
「これ、今日中には来そうだな」
ギンは、オリスの呟きには反応せず、書類の所感を述べた。
「ええ、事務所は開けておいた方がよろしいかと」
オリスも特に触れることなく、話を進めた。
「分かった」
ギンはその書類を脇に置き、書きかけの書類に戻った。
用事の済んだオリスは、黙って部屋を出て行った。
(少し、干渉してしまいましたかね?ま、初めての部下ですし、許容範囲内、許容範囲内)
オリスは少し微笑んで廊下を歩いた。
ギンとシルハの間には、再び沈黙が流れた。
(ギン先輩の部下への希望申請もわざわざ出して、叶った)
シルハは一つ一つ自身の行動を思い出した。
ー今、そのチャンスがあるなら、私はここで兄さんと同じ幹部を学びながら、兄さんを知らなきゃ…ー
シルハは拳を握り締めた。
ギンは、書類を書き終えると席を立ち、部屋の隅にあるパーティションに向かった。
内側に入ると、シルハからギンの姿は見えなくなった。
パーティションからは、衣擦れの音が聞こえ、先程まで着ていたギンの服が、パーティションに掛けられた。
「あのっ!どちらへ?」
シルハは意を決して、パーティション越しに声を掛けた。
「……町。仕事があるから」
ギンから遅れて返事が来た。
「私もっ!ついて行っていいですか!?そのっ、勉強したいです!」
シルハは必死に叫んだ。
今、ここで喰らい付かなければ、一生置いていかれると思った。
そして、二度とギンから、兄の事を知れないと思った。
ギンはパーティションから出ると、街の庶民の青年の服装をしていた。
仕事机のメモ帳に羽ペンを走らせると、メモを破り取り、シルハに渡した。
シルハは戸惑いながら、受け取った。
「勉強したいなら服装を直せ。そんなんじゃ街で浮く」
ギンはシルハの服装を見つめた。
灰色の長袖のカッターシャツに黒のベストを重ね、黒いズボンを履いていた。
街にいる庶民の女性には似つかわしくなかった。
「準備が出来たらここに来い。そこにいる」
ギンはシルハの返事も聞かず、部屋を出て行った。
シルハは、恐る恐るメモを見た。
そこには"相談事務所"と書かれ、住所が記載されていた。
シルハはよしっと頷き、メモを握り締め、ギンの部屋を出た。




