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第三話 窓のない部屋

ギンは街外れの森の中を歩いた。

鬱蒼と茂る草木に、夜の月明りは心許なかった。

静かに虫の鳴き声だけが響いた。

森の奥には、五階建て相当の立方体の壁が聳え立っていた。

ギンは正面の建物の前に行き、左寄りに止まった。

目の前の壁に手をかざし、魔法の波動を壁に流した。

少し待つと、壁は静かに扉一枚分だけ開いた。

個人の魔法の波動を登録し、開錠する仕組みだった。

ギンが中に入ると、室内と森が隔たれた。

室内は、光魔法のランプが夜用に暖色の色を灯していた。

中央には階段とロビー、さらにロビーから三方向に通路が伸びていた。

ギンは階段を登り、三階まで上がった。

左の通路を歩き、エレベーターや扉の前を通過し、一番奥の部屋に鍵を開けて入った。

部屋は暗く、廊下の灯りに目が眩んでいる事を差し引いても、物の輪郭さえ掴めないほど見えなかった。

ギンは最低限の灯りに、光量を絞った暖色の光魔法を自身の周りだけにそっと照らした。

そして、森の月明りよりも心許ない光で、迷いなく歩いた。

この部屋に住むようになって十年。

特段大きな模様替えは行っていない。

ギンにとって、この部屋の配置は、目を閉じていても、手に取るように分かった。

ギンは、部屋に入ってすぐの書類仕事をこなす机に向かい、鍵付きの引き出しを開錠し、引き出しを開けた。

中には、白い一丁の拳銃。

「ただいま、リューイン」

ギンは切なく見つめた。

「今日は、お前の嫌う善人殺しじゃない。そう怒ってくれるなよ」

ギンは自嘲気味に白い拳銃に語り掛けた。

引き出しに鍵をかけ直すと、書斎部屋を通り過ぎ、奥の扉をくぐる。

部屋にはベット、ローテーブル、ソファー、タンスなどの収納家具があった。

ギンはタンスから必要な着替えを取り出し、さらに奥の脱衣所へ向かった。

町の服を脱ぎ、洗濯籠に入れ、浴室の扉を閉めた。

温かい水を頭から被った。

水が頭から毛先、肩、背中を伝って足先まで流れる。

ギンは目を閉じ、水に身を委ねながら、ゆっくりと息を吐き、肩の力を抜いた。

生まれてから人を殺すことばかり教えられ、初めても今も、殺すことに抵抗はなかった。

だからと言って、自分に何の罪もないと思える程、割り切ってもいなかった。

叶うなら、この水で全ての罪も業も、洗い流されればいいのに。

ギンはいつも、願うようにシャワーを浴びた。


ーこれが、女神アステルの鎮魂歌(レクイエム)なら、俺は許されたのだろうかー


ギンは浴室の鏡に映る自分の横腹に目をやった。

背中から横腹にかけて、青紫色に変色した小さな痕が一つあった。

ギンはその跡を忌々しく見下し、指で押し潰した。


ーここまで業の深い人間を、彼女は許しはしないだろうー


ギンは俯き、排水溝に呑まれる水の流れを、ぼんやりと見つめた。


シャワーを終え、就寝前の身支度を終えると、ベッドの脇に立ち見つめた。

枕元の両サイドには白蛇とモモンガが左右を陣取って寝ている。

「……ただいま」

ギンは二匹の使い魔に静かに告げ、起こさないようにそっとベッドの中に入り、眠りについた。


時間が経って、ギンは枕元で控えめに鳴る時計の音で目を覚ました。

目を覚ましても、相変わらず部屋は暗く、天井の色さえ識別できなかった。

ギンは起き上がると、部屋全体に昼用の明るい白い光魔法を放ち、照らした。

この部屋には一切の窓がない。

窓のない部屋では、外界の光がなく、日が昇ったかどうかさえ、分からない。

時計が指し示す時間と表記だけが、朝だと知らせた。

明るくなった部屋は、昨日より物の配置がよく見えた。

置物や調度品、部屋を彩るインテリアはなく、殺風景でシンプルな部屋が広がった。

ギンはベッドから出ると、簡易キッチンに向かい、お湯を沸かし始めた。

沸かしている間に、洗顔と着替えを済ませた。

黒いウールのズボンには、センタープレスがしっかりと入っている。

皺ひとつない黒い長袖のカッターシャツに、第一ボタンだけが外れている。

エメラルドグリーンのピアスを付け、シトラスの香水を付ける。

簡易キッチンに戻ると、数種類の茶葉から適当に取れたもので紅茶を淹れた。

昨日の内に街で購入しておいたスコーンを手に取り、トレイに紅茶をのせ、ローテブルに並べた。

部屋の前に届けられた街の朝刊はモモンガによって運ばれ、ローテーブルに置かれていた。

ギンは朝刊を読みながら、淡いオレンジ色の紅茶を口に含んだ。

口の中に適度な渋みが広がり、デリケートな花香に鼻孔をくすぐられた。

「…今日はヌワラエリアか」

ギンは紅茶を見つめた。

洗面所の方では、モモンガが魔法を駆使し、洗濯をしていた。

白蛇はベッドの上でずっと丸まっていた。

微かな物音だけが響く、静かな時間が流れた。

朝食を済ませるとギンは、白蛇を首に巻き、モモンガを肩に乗せ、部屋に鍵を閉めた。


ギンの部屋の一つ上の四階には、会議室と資料室があった。

会議室の中は、窓のない閉鎖空間に光魔法だけが光り、中央には中心に空間のあるドーナツ型の円卓があった。

ギンが会議室に入ると、八つある内の一席を残して、VOIDの幹部達が座っていた。

資料を読み込む者、机に突っ伏してだらけている者、爪やすりで爪の手入れをしている者など様々で、緊張感の欠片もない程自由にしていた。

それぞれの幹部の側には、様々な動物の使い魔が一体仕えていた。

会議室の一番奥の席に、ギンが座り、円卓は満席となった。

ギンの右隣に座る金髪のエルフの男が、資料から目を上げた。

肩には、オウムを乗せていた。

ギンの着席を確認すると、「それでは、会議を始めます」と静かに告げた。

資料を読む者は一度視線を外し、突っ伏していた者も起き上がり、爪やすりの手も止まり、一瞬だけギンに視線が集まった。

ギンは机に肘を付き、顎に手を当てながら、資料を読んでいた。

幹部達はギンの存在を確認すると、会議を取り仕切るエルフのオリスの言葉に耳を傾けた。

「まず、昨夜の任務報告について、諜報員から任務完了の通知を受けています。間違いありませんね?ギン」

オリスは視線だけをギンに向けた。

「ああ」

ギンは資料から目を離さず答えた。

オリスはそれだけを聞くと、会議を進めた。

「では次に、政府の大臣からの依頼です。簡単に言えば、奴隷人身売買の商人の殺害です。こちらはギンと翡翠に、動いてもらう事に決定しました」

「あー、めんどくせぇ」

オリスの声に反応し、先程まで突っ伏していた赤髪の筋肉質の男が、ため息を漏らした。

「ギンと翡翠には、資料を渡してあります。しっかり頭に入れて動いて下さい。特に翡翠」

オリスは構わず続け、翡翠を睨んだ。

「俺だけ名指しかよ!」

翡翠は嫌そうに顔をしかめた。

「今回、ターゲットは三名です。手練れのボディーガードもつけて、かなりの用心をしているようです」

オリスは翡翠の言葉を無視して補足した。

「うわっ、そのボディーガード対象に入ってねぇんだよなぁ?」

翡翠はうんざりした顔をした。

「ええ。対象外です。誤っても、殺さないように」

オリスは当たり前という顔をして、釘を刺した。

「わぁーってるよ。あーやりずれぇ」

翡翠は天井を見上げ、項垂れた。

その時、会議室の光魔法が消え、暗闇に包まれた。

「お、ようやくお出ましか。たくっ、毎回、毎回待たせやがって」

翡翠は頭を起こし、円卓の中心の空間に目をやった。

他の者も中心を見つめ、静かに待った。

円卓の中心の空間が光を放ち、僅かに暗闇を照らした。

その魔法の光の中に、何人かの人物が映し出された。

幹部より上の地位を持つ 役員達だった。

「待たせたな、幹部の諸君」

モニターの中心にいる初老の男が、椅子に深く座り、声を発した。

「定例会を始めましょう」

長い前髪で片目を隠した女が、男の隣で含み笑いをした。

役員と幹部との会議は粛々と進んだ。

一時間程続いた会議の終盤に、初老の男が告げた。

「最後に一人、幹部候補生を紹介する」

その声と同時に、会議室の扉が開き、薄暗がりの部屋に光が差し込んだ。

扉の前には、人が立っていたが、会議室からは逆光でシルエットしか分からなかった。

その人物が会議室に足を踏み入れると、扉は閉まった。

円卓の下座に立つと、スポットライトが当たるように、その人物だけを光が照らした。

「幹部候補生一等、シルハです。よろしくお願いしますっ!」

シルハと名乗る女性は、胸に拳を当て、緊張した声色でハキハキと声を張った。

高く結んだポニーテールから垂れる髪は長く、一つ一つの動作で紫色を揺らした。

「こやつを今日からギンの下につけることとする」

初老の男が言い渡した。

ギンは興味なさそうに目を伏せていたが、指名され、嫌そうな顔でシルハに視線を向けた。

その時、翡翠の高らかな笑い声が響き渡った。

「こりゃいいぜ!ついにギンにも部下か!」

翡翠はニヤニヤと嬉しそうにした。

ギンは物言いたげな顔で翡翠を見た。

「おかしいと思ってたんだ。なんでギンにだけ部下がつかねぇのかって。これで一匹狼も卒業だな、ギン!見ものだぜ」

翡翠は煽りながら、鋭い目付きになってギンに視線を向けた。

「今日から任せたぞ、ギン」

初老の男の声が聞こえた。

「……はい」

ギンは諦めたように視線を落とし、ため息を吐きながら小さく答えた。

ギンの返事を聞くと、光と魔法が消え、会議室に光が戻り、全体を照らした。

オリスの終了宣言の声を合図に、幹部達は席を立ち、会議室を後にし始めた。

シルハの隣を何も言わず、幹部達が通り過ぎた。

(今日から、こんなすごい人達の側で仕事するんだ…)

シルハは期待と不安が入り混じり、息を呑んで喉を鳴らした。

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