第十一話 善悪の天秤
シルハは女性寮の自分の部屋に戻ってきた。
暖色の光魔法を小さく灯し、自分の足元を照らした。
部屋にはベッドが二つあり、一つのベッドでルームメイトのジュティスが寝ていた。
シルハは部屋の隅でバンダナを取り、髪を結んでいたゴムを外し、長い紫の髪を散らし、肩の力を抜いた。
任務服を脱ぎ、部屋着に袖を通す。
光魔法で薄暗く照らされる部屋の中で、衣擦れの音だけが響いた。
その光の中のシルハを、ジュティスがベッドの中から静かに見つめていた。
ジュティスはシルハが着替え終わるタイミングで声をかけ、起き上がった。
「あっ、ごめん。起こしちゃった?」
シルハはパッと振り返り、申し訳なさそうにした。
「ううん、起きて待ってた」
ジュティスは首を横に振った。
「待ってなくても良かったのに」
シルハは任務服を洗濯に持って行き、寝る準備をして忙しく動いた。
「それはダメよ。折角友の大事な任務一日目だったんだから。で?どうだった?あのギン先輩の部下としての任務同行一日目は」
ジュティスは自分の机に水を取りに行った。
「ダメ出し喰らった」
シルハは嫌そうな顔をした。
「あら、早速?」
ジュティスは口角を上げた。
「潜入技術の指摘。私がギリギリラインで合格したの見抜かれた」
シルハは自分のベッドに座り、頭をガックリと落とした。
「流石、幹部席に十年居座るだけのことはあるわね」
ジュティスはシルハに水を渡し、自分のベッドに座った。
「ねぇ、いつも思うけど、その噂ってどこまで本当なの?」
シルハが嫌悪の目を向けた。
「さあ?でも、この組織の人間は誰に対しても詮索しないルールを守る分、分からない空白には色々と尾ひれを付けたくなるのよね」
ジュティスは肩をすくめ、クスッと笑った。
「そうだとしても、今日のあのギン先輩に、噂通りのものがあるとは思えないんだよね」
シルハは憂いた目で、床に視線を落とした。
「どんな感じ?」
「静かで、寡黙で、孤高の一匹狼、って感じがして近寄り難い…」
シルハは任務服に身を包み、静かに立ち尽くすギンの姿を思い返した。
「案外それは表の顔で、裏では女にご執心なのかも」
ジュティスは含み笑いをした。
「その噂、本当かなぁ…」
シルハは疑いの目を向けた。
ーギンは女役員にご執心ー
役員の数には決まりがあり、ギンが役員になれば、次に押し出されるのはその女役員。
その女役員が役目を終えないように、ギンは幹部の席に居座って、女役員を繋ぎ止めている。
それがギンの噂の一部だった。
「ま、人間には表と裏の顔があるからね。今日の調査でも、何か見えたんじゃない?人間の二つの顔」
ジュティスは水を一口飲んだ。
「まぁ…調査対象は庶民に対して悪徳な高利貸しをして恨みを買ってた。でも、その人の娘さんが病気で、ある商人から高額な薬を買う為の資金として、悪徳高利貸しをしてた」
シルハはベッドに片足を乗せ、膝に頬を乗せた。
「なるほど。悪く金儲けしてるだけかと思ったら、裏で商人に搾取される被害者でもあった訳か」
ジュティスは暗い天井を見上げた。
「高利貸しも悪いけど、娘さんの為だったし、完全な悪じゃないっていうか、商人の方がもっと悪に見えるし…」
シルハは顔を険しくし、少し苛立った。
「誰かから見れば完全な悪に見えたり、見えなかったり。完全な善悪の判断って難しいよね」
ジュティスは、そんなシルハを見つめた。
「だからこそ、調査って嫌い。殺す相手の事情知っちゃったら殺しにくくなるじゃん」
シルハは土器の籠った声で吐き捨て、膝に顔を埋めた。
「それが潜入技術の稚拙さに出てる」
ジュティスは鋭い眼差しを向けた。
「心理が身体に出ちゃうのは、まだまだ甘い証拠ですよ。分かってますぅ」
シルハはムッとした顔を向け、口を尖らせた。
「でもさ、私達の殺しって、善悪を判断して悪を殺してるわけじゃないよね。依頼が成立すれば善だって殺す。そこに私情は許されない」
ジュティスは目を光らせた。
「殺す理由が善悪じゃない。ギン先輩は、平気なのかな。善人を殺す事も、悪人を殺す事も…」
シルハの瞳は揺れた。
相談事務所で二度ほど見た、どこか儚さを含んでいるような表情をするギン。
その儚く見えた理由も、ギンの事情も何も知らない。
けれど、その表情をするギンが、殺しを平気でしているとはシルハには思いにくかった。
「どうだろう?ただ、ギン先輩達幹部の人って、そこの揺らぎを無くす事を徹底している人達なんだろうなとは思うよ」
「揺らぎ?」
シルハは怪訝そうにジュティスを見た。
「殺す事に対して、人は正当な理由を探しがち。今のシルハみたいに」
ジュティスは一つ一つ指を立てながら説いた。
殺す理由があるから殺すのか。
殺すだけの理由がないから殺さないのか。
VOIDはその思考を許さない。
殺せと言われれば、善悪問わず殺さなければならない。
ー人としての善悪の倫理観と無慈悲ー
その感情の狭間で人は揺れる。
「幹部の人達は、その揺らぎを失くすことを徹底してる。私達みたいに一つの事で揺れない」
ジュティスは頭を横に振って、目を伏せた。
「それが幹部になるってことなのかなぁ」
シルハは暗い天井を見上げた。
シルハの足元に、暖色の光魔法が弱く灯り、薄暗く部屋を照らしていた。
一つの窓もない部屋の中で、その弱い明かりがシルハの心を映すように、ぼやけて揺らめいた。




