第十話 代償
日が沈み、繁華街に街の灯りが灯る頃、組織の女性寮の一室で、シルハが任務服に着替え、髪を震える手でバンダナにしまっていた。
鏡を見る顔は強張っていた。
「表情固いよ~シルハ!」
シルハの両肩に手を置き、明るい声でルームメイトのジュティスが声をかけた。
シルハはビクッと肩を震わせ、情けない声を上げた。
「今夜は調査でしょ?殺しじゃないんだからそんなに緊張しなくても」
ジュティスはヘラッと笑った。
「そ、そうだけど~あのギン先輩に同行するんだよ?」
シルハは眉を下げた。
「確かに。あの幹部最古株のギン先輩だからね~更に調査という諜報活動は幹部候補生の私達にとっては久し振り」
「そう。私、潜入とか調査苦手なのになぁ」
シルハは肩を落とし、ため息を吐いた。
「確か実技滑り込んだよね?」
ジュティスはニヤッとした。
「う、受かればいいの。掘り返さないで」
シルハは目を逸らした。
「ま、調査だけなんだから、気楽に行っておいでよ」
ジュティスは、シルハの背中を叩きながら押し、部屋の扉まで見送った。
テセオの住宅街に少し大きな邸宅があった。
二階の一室に、一人の細身の男が薬を持って入った。
「ご飯、食べられなかったんだね」
ベッド脇の机にある手つかずの夕飯を見て、男は眉を下げた。
ベッドで仰向けに寝転がる女性は、男の声に目を開けた。
「ごめんなさい、お父さん。食欲なくって…」
女性は弱々しい声を出し、天井を見つめた。
「いいんだよ、セレーナ。せめて、薬だけでも飲んでくれ」
父親は持っていた粉薬を水と共に差し出した。
セレーナは重そうに身体を動かし、ゆっくりと起き上がった。
「こんな高い薬、無理しないで」
セレーナは顔を歪ませながら、父親の手にそっと触れた。
色白の肌に、指先から体までとても細い身体をしていた。
「いいんだ。これでセレーナが元気になるなら」
父親は静かに頭を振り、切なく微笑んだ。
その様子を、部屋の天井裏に潜むギンとシルハが見つめていた。
父親が薬を飲ませ部屋を出ると、ギンとシルハも屋根裏を後にし、父親を追った。
父親は夜道を歩き、複数の商人が集まる商人の館へ向かった。
商人の館では、一室ずつ商人が事務所を構えていた。
父親は慣れた手つきで入館手続きを済ませ、五階の一室に向かった。
ギンとシルハは、それぞれの使い魔のモモンガとネズミを、館の配管から建物の中に潜り込ませた。
二人は館の庭の木に登った。
そこからは、五階の一室を眺められた。
部屋には仕事机に向かうふくよかな男性と、仕事をする二人の男が見えた。
室内の声は、部屋に潜入したモモンガとネズミがそれぞれ自分の主の耳に音声を届けていた。
「何?また、あの薬が欲しいと?」
商人の男は、椅子にふんぞり返り、葉巻の煙を深く吐いた。
「はい、娘の病気を治す為なんです。是非ともお恵みをっ…」
セレーナの父親が、恐縮した態度で必死に頭を下げた。
「あれも簡単に手に入る薬じゃなくてなぁ」
商人はわざとらしく呟き、父親を見定めた。
「それはもう、存じております」
父親は平伏するように更に頭を下げた。
商人は静かに掌を上にして差し出した。
父親は少し頭を上げ、商人の手を見ると大慌てで身体を起こし、懐から膨らんだ巾着を取り出した。
商人は父親が持つ巾着を一瞥した。
「足りんな」
商人は落胆する顔をした。
「そんな筈はっ!前回もこの額をお渡ししました!」
父親は顔を青ざめさせながら、膨らんだ巾着の底を包んで、揺すりながら商人に見せた。
巾着からは、金属のぶつかり合う音が聞こえた。
「値上がりだよ、ウェルド。これは貴重な薬なんだ。前回と同じ値段で買える訳がないだろう?」
商人は高らかな笑いを浮かべた。
「でも、こんなに毎回の値上がりは聞いていない!」
ウェルドの胸は焦りで高鳴った。
前回も前々回も、金貨二枚ずつ値上がりをしている。
もう初期に買った時の値段とは比べ物にならない額に跳ね上がっている。
これ以上の値上がりは、自身の生活維持もままならなくなり、工面が厳しかった。
「それだけ貴重な薬という事さ。金がないなら庶民から搾り取ればいいだろう?君のお得意の高利貸しでなぁ」
商人はニイッと口角を上げ、短くなった葉巻を灰皿に擦り付けた。
灰皿からは白い煙が細く上った。
ウェルドは薬代の工面の為に止めた葉巻の匂いに鼻を刺激されながら、苦虫を噛み潰した顔で立ち去った。
シルハはネズミに帰還命令を出し、ギンと共にウェルドが館から出てくるのを待った。
ギンはモモンガを部屋に残らせ、引き続き商人の会話を盗聴した。
「あの高利貸しもそろそろお終いだな。次で適当に薬がなくなったとか言って切ろう。次のターゲットを探しておけ」
商人は部屋にいる男達に指示を出した。
ウェルドが館を出ると、闇夜に紛れてギン達が後を追った。
ウェルドの家の近くには、倉庫として使っている家があった。
灯りを付けて入ると、家探しするように引き出しや扉を乱暴に開けて回った。
「全く。あの商人め。足元を見よって。もううちに金はない。庶民から搾り取るにしても、もう取り尽くしたのうなもの。どうしたらいい…」
ウェルドは苛立ちと切迫した顔をした。
ギンとシルハは、玄関とは別の窓から侵入した。
ギンは音もなく床に着地したが、シルハの着地は「トン」と小さく床の音が響いた。
ギンは鋭く目を細め、一瞬だけシルハを射抜くように睨みつけ、すぐに視線を戻した。
シルハはその視線に気付かなかった。
ウェルドの動きを警戒しながら、二人は地下室へ潜入した。
小さく弱い光魔法で、自分達の手元だけを照らし、地下室の倉庫の中を漁った。
倉庫の棚には、金貸しの記録がされた帳簿がしまわれていた。
ギンはその帳簿のいくつかのページを、魔道具に記憶させた。
シルハも帳簿をパラパラとめくった。
ギンはウェルドの近付く気配を感じ取り、素早く帳簿を元の位置に戻した。
シルハも少し遅れて気付き、慌てて帳簿を戻した。
"捌けるぞ"
ギンは念話で告げると、地下室を出た。
シルハも地下室を締め、すぐ後に続いた。
シルハが触っていた帳簿は少し傾いた。
ウェルドは地下室の部屋を開け、明かりをつけて見回した。
「おかしいな…何か今、人の気配を感じたんだが…気のせいか?」
ウェルドは部屋の中を何度も見たが異変は感じられず、首を傾げながら地下室を締めた。
ギンとシルハは民家の屋根を走り、飛び移って街の外に向かっていた。
そこへ帰還命令を受けたモモンガが、夜空を優雅に飛びながらギンの肩に着地した。
ギン達は夜の森の中へ姿を消した。
二人は施設に帰ると、任務服のままオリスの部屋を訪ねた。
シルハはオリスの部屋の前で待機した。
幹部の個人部屋には厳密な立ち入り規則があり、シルハはオリスの部屋への入室許可がなかった。
「おや、もう調査が終わりましたか?」
オリスは机で書類仕事をしていた。
「あの高利貸しに金は殆どない。回収できる金額から考えると、依頼料二割は微々たるものだし、依頼人に残る金も雀の涙だ」
ギンは淡々と述べた。
「使い道は?」
オリスは仕事の手を止め、ギンを見た。
「家のローンと薬代と生活費が主な流れだ」
ギンはオリスに魔道具を投げ渡した。
それは先程、帳簿を記憶させたものだった。
オリスは魔道具を起動させ、映像を確認した。
「商人の不当な値上げも確認済みよ。それと、薬は何の変哲もない風邪薬みたいよ」
ギンの肩に乗るモモンガが補足した。
「高利貸しも悪い者に目を付けられましたね。最近、ただの風邪薬を高額で売り付ける商人が増えているんですよ」
オリスは呆れた目をした。
「商人、高利貸し、庶民。商人、高利貸し、庶民。循環。循環」
オリスの机の近くの止まり木に止まるオウムが甲高い声を上げた。
「搾取の縮図ね」
モモンガはふんっと鼻を鳴らした。
「うわぁ~流石人間。嫌な仕組み」
ギンの首に巻き付く白蛇は嫌そうに項垂れた。
「お金の使い道は分かりました。あなたの事です。隠しの方も調べたんでしょう?」
オリスは魔道具をギンに投げ返しながら尋ねた。
「ああ。手を付けてもう殆ど残っていない」
ギンは魔道具をしまった。
「となると問題は、依頼ですね。金にならない依頼は受けるべきではありません」
オリスは少しため息を吐いた。
「同感だ」
「とにかく、これは我々だけで決められる話ではありませんね」
オリスは新しい紙を取り出し、今聞いた内容をまとめた。
ギンは部屋を出ようと、オリスに背を向けた。
「諜報員より早い正確な情報、いつも感謝していますよ」
オリスはメモをしながら、立ち去るギンの背に呟いた。
ギンは何も反応せず、部屋を出ていった。
シルハは、オリスの部屋から出てきたギンの後について行った。
ギンの部屋はオリスの部屋から一つ挟んだ同じ階にあった。
「今日の任務は終わりだ。寝ろ。そして、明日の朝は自室待機か訓練でもしてろ」
ギンは廊下を進みながら、後ろにいるシルハに告げた。
「訓練?」
シルハは首を傾げた。
ギンはピタッと足を止めた。
「潜入の時の足音、物音がうるさい。気配も出し過ぎ。お前それで本当に一等か?」
ギンは振り返り、怪訝な顔でシルハを睨んだ。
「あ、はは…あれはちょっと苦手だったり…」
シルハは苦し紛れに笑った。
「ギリギリ合格ラインをもぎ取ったか。暗殺でそれらが苦手って致命的だぞ」
ギンは軽蔑の眼差しを向けた。
「うっ…精進します…」
シルハは頭を垂れて肩を落とした。
ギンはシルハと別れ、自室に戻った。
バンダナを取り、青いセミロングの髪を肩に揺らし、任務服を脱いだ。
手早くシャワーを浴びると、髪を乾かし就寝の身支度をした。
モモンガと白蛇が先に横になるベッドにそっと入り、身体の力を抜いた。
目を閉じて、深く息を吐くと、ベッドに身体が深く沈んだ。
ギンはゆっくりと目を開け、暗闇の天井を見つめた。
「……"シルハ"…か…」
ギンは噛み締めるように呟いた。
「魔道具の静止画で、昔リューインから見せてもらった事あるけど、あの時はかなり幼かったよね~」
白蛇がギンの頬にすり寄った。
ギンはチラッと白蛇へ視線を向け、白蛇の頭を指の腹で優しく撫でた。
「ああ。あれは、八年前に見た昔の静止画だからな」
ギンの脳裏に、リューインの声が蘇った。
「なぁ、ギン。これ見てよ、俺の妹のシルハ!殆ど会えてないけど、可愛いだろ?」
エメラルドグリーンの髪色をしたリューインが、ギンに魔道具の中に映る静止画を満面の笑みで見せた。
ギンは読んでいた本からチラッと視線を外した。
そこには、花束を抱え、笑顔を向ける紫髪の幼いシルハが映っていた。
「別に」
ギンは興味なさそうに、本に戻った。
「もう!お前ってば、本っ当女の子に興味ないんだから!」
リューインはぷくっと頬を膨らませた。
「俺も~人間の女に興味なーい。てか、人間に興味なーい」
リューインの首に巻き付く白蛇がうねうね身体を揺らした。
「はいはい、人間不信の白蛇にはこの可愛さは分かんないよ」
リューインは口を尖らせた。
「そこの人間不信ズに共感を求めるのが間違ってるわね」
ローテーブルの上に座るモモンガが呟き、クッキーをかじった。
「えー、じゃあ姐さんは分かってくれるだろ?」
リューインはモモンガに魔道具を見せた。
「私、人間の女は恋愛対象じゃないの」
モモンガは白けた顔で紅茶を飲んだ。
「分かってるよ!てか、シルハに手出したら怒るよ?」
リューインはムッとして、眉をひそめた。
「はいはい、シルハちゃんラブね~」
モモンガは呆れた顔をした。
「シスコン」
リューインの首元では、白蛇が吐き捨てた。
ギンの脳裏には、使い魔達に茶化されコロコロ表情を変えるリューインの姿が映し出されていた。
(お前が死んでから五年か、リューイン…)
ギンは静かに目を閉じ、白蛇達と眠りに落ちていった。




