第八話 出発
ロウ・ヴァレイスが王都へ行くらしい。
その情報は翌朝には風凪道場中に広がっていた。
いや、道場だけじゃない。
小さな山村というのは噂が広まるのが異様に早い。
朝日が昇る頃には、
“騎士団長が来ている”
“蒼嵐も来ている”
“しかも師範が剣聖だった”
という三連撃によって、村全体が軽く混乱していた。
道場の前には、朝から村人たちがちらちら様子を見に来ている。
落ち着かないことこの上ない。
「師範、本当に王都行くんですか?」
荷物をまとめていると、年少組の少年が不安そうに聞いてきた。
「行くらしいな」
「他人事みたいに……」
だって他人事みたいな感覚なんだよな。
そもそも、王都なんて最後に行ったのいつだ?
十年……いや、もっと前かもしれん。
弟子たちが独り立ちしてからは、必要以上に外へ出ることもなくなった。
気づけば、山で木を切って、飯食って、稽古つけて一日終わる生活に馴染んでいたのである。
「師範、荷物それだけですか?」
別の門下生が驚いた声を出す。
床に置かれているのは、小さな袋が一つだけだった。
中身は着替えと簡単な生活用品。
それから木刀。
以上。
「少なくないですか!?」
「旅なんてそんなもんだろ」
昔はもっと少なかった。
剣一本で各国を歩き回っていた時期もある。
するとリゼが横から口を挟んだ。
「師匠って昔から荷物少ないんだよねー。しかも野宿めちゃくちゃ上手いし」
「お前が勝手についてきてただけだろ」
「いやぁ、あの頃は楽しかったなぁ!」
リゼは懐かしそうに笑う。
だが門下生たちはざわついていた。
「え、蒼嵐様って昔から師範について回ってたんですか?」
「王都行ったり他国行ったり!」
「え!? なんか冒険譚っぽい!」
リゼは得意げに胸を張る。
「ちなみに師匠、昔めちゃくちゃモテてたよ」
「余計なこと言うな」
「各国で女の人に声かけられて――」
俺は木刀を持ち上げた。
「ごめんなさい」
即謝罪。
学習はしているらしい。
すると、道場の外から妙にざわついた声が聞こえてきた。
「おお……」
「なんだあれ……」
嫌な予感。
外へ出る。
そこには、やたら豪華な馬車が止まっていた。
白銀の装飾。
側面に刻まれた王国騎士団の紋章。
さらに周囲には騎士たちまで控えている。
どう見ても“偉い人の乗り物”だった。
俺は無言でアレンを見る。
「……お前」
「はい」
「これで来たのか?」
「騎士団長ですので」
真顔だった。
門下生たちがざわつく。
「すげぇ……」
「本物の騎士団の馬車だ……」
「なんか貴族の屋敷みたい……」
いやまあ、普通はそういう反応になる。
だが問題はそこじゃない。
目立つ。
致命的に目立つ。
村人たちも遠巻きに集まり始めていた。
「あれ騎士団長様じゃないか?」
「蒼嵐様もいるぞ!?」
「え、何が起きてるんだこの村……」
完全に騒ぎである。
するとリゼが、にこにこしながら村人へ手を振り始めた。
「おはよー!」
「きゃああっ!?」
村娘が悲鳴を上げた。
リゼは首を傾げる。
「なんで悲鳴?」
「お前、自分の知名度理解してないだろ」
王国最強の一角に突然笑顔で手を振られたら普通びっくりする。
すると今度は、年長の門下生たちが荷物を運びながらこちらへ来た。
「師範、これ馬車に積みます!」
「ん」
見れば、保存食や水袋までまとめられている。
「……誰が準備した?」
「みんなです!」
少し誇らしげな顔だった。
俺は少しだけ目を細める。
こういうところ、本当に真面目なんだよなこいつら。
すると、年少組の一人がもじもじしながら前へ出た。
「し、師範……」
「なんだ」
「王都って、やっぱすごいんですか?」
その問いに、俺は少し考える。
王都ルヴェリア。
世界有数の大都市。
騎士、魔導士、商人、貴族、冒険者。あらゆるものが集まる場所だ。
そして。
面倒事も世界一集まる。
「人が多い」
「感想それだけですか!?」
門下生たちが総ツッコミした。
リゼが爆笑する。
「あははっ! 師匠ほんと都会に興味ないよね!」
「疲れるんだよ」
人混みは苦手だ。山の方が落ち着く。
するとアレンが静かに口を開いた。
「ですが、現在の王都は以前よりさらに発展しています」
門下生たちが真剣な顔になる。
「魔導技術の進歩により、街の構造も変わりました。自動照明、魔導列車、浮遊式輸送機なども導入されています」
「う、浮くんですか!?」
「はい」
年少組が目を輝かせる。
だが俺は嫌な予感しかしなかった。
「また訳わからんもの増えてるな……」
するとリゼが笑う。
「師匠絶対“最近の若いもんは”って言うタイプだよね」
「言わん」
少し言いかけたことはあるが。
そんなやり取りをしていると、門下生たちが次々と集まってきた。
「師範、お気をつけて!」
「ちゃんと帰ってきてくださいね!」
「王都でも剣聖ってバレないようにしてください!」
最後のは無理だと思う。
すると、一人の少年が小さく呟いた。
「……なんか、寂しいです」
静かになる。
その言葉は、多分みんな思っていた。
門下生たちにとって、ロウ・ヴァレイスは“いつも道場にいる師範”だったのだ。
どこかへ行くなんて、あまり想像していなかったのだろう。
俺は少しだけ困った。
こういう時、何を言えばいいのか分からん。
だから、とりあえず頭を掻いて言う。
「別に帰ってこないわけじゃない」
門下生たちが顔を上げる。
「三日くらいだ。気づけば戻ってる」
すると、少しだけ空気が和らいだ。
「……はい!」
いい返事だった。
同時刻、ルヴェリア王国王都。
王立魔導学院、中央研究棟最上階。
そこは、普通の研究室とは明らかに空気が違っていた。
壁一面に浮かぶ魔導式。
天井近くを自動で飛び回る記録用魔導具。
積み上がった大量の研究資料。
机の上では小型の魔導装置が青白く発光している。
王国最高峰の魔導研究室。
その中央で、一人の女性が静かにペンを走らせていた。
銀色の長髪。
透き通るような蒼い瞳。
知的で整った顔立ち。
王立魔導学院主席教官。
八傑、 “銀刃”セリア・アークライト。
彼女は机に積まれた報告書へ視線を落としていた。
「……魔導刻印の暴走例が、また増えている」
静かな声。
だが、その目は鋭い。
研究員の一人が緊張した様子で答える。
「はい。西部だけではありません。北部でも同様の反応が確認されています」
「刻印式の構造解析は?」
「現在進行中ですが……既存理論と一致しません」
セリアは小さく眉を寄せる。
既存理論と一致しない。
それがどれほど異常か、彼女にはよく分かっていた。
王国の魔導技術は世界最先端だ。
その彼女たちでも理解できない術式が使われている。
あり得ない話だった。
その時。
コンコン。
研究室の扉がノックされる。
「入りなさい」
入ってきたのは、学院の若い職員だった。
彼はどこか慌てた様子で一礼する。
「セリア様。騎士団より連絡が」
「……内容は?」
職員は一枚の紙を差し出した。
セリアはそれを受け取り、目を通す。
そして。
その手が、ぴたりと止まった。
「……え?」
珍しく、素の声が漏れる。
周囲の研究員たちが驚いた顔をした。
普段のセリアは滅多に感情を表に出さない。
冷静沈着。
合理的。
それが“銀刃”セリア・アークライトという人物だった。
だが今、彼女は明らかに動揺していた。
紙には、短くこう書かれていた。
――ロウ・ヴァレイス、王都到着予定。
数秒の沈黙。
そしてセリアは、深く息を吐いた。
「……まずいですね」
研究員たちが顔を見合わせる。
「え?」
セリアは額へ手を当てる。
「アレンだけでも真面目すぎて空気が重くなるのに、そこへリゼが加わると騒がしくなる。そして先生が来ると、全員好き勝手を始めるんです」
やけに実感のこもった声だった。
研究員が恐る恐る聞く。
「そ、その……ロウ・ヴァレイス様というのは、やはり凄い方なのですか?」
セリアは少しだけ黙る。
そして、静かに答えた。
「……この国で、あの人より強い剣士を私は知りません」
研究室の空気が変わる。
セリアがそこまで断言する相手。
それがどれほどの存在か、全員理解した。
するとセリアは小さくため息をつき、椅子から立ち上がった。
「……迎えの準備をします」
その横顔は、どこか少しだけ嬉しそうだった。




