第14話
「魔王の妹ぉ!?」
素っ頓狂な声が執務室に響き渡ったのは、もうお昼になろうかという頃の事であった。
恐ろしい甲冑の追跡から無事救出された後、私は廊下で話すのもなんだからという事で、アドルフと名乗った男が宛がわれている、城内の執務室に案内されていた。
通された所は広い割に大きな執務机と、来客用のソファくらいしか目立った家具がない、閑散とした場所であった。執務机の上こそ、山積みになった本やら書類やらが両脇に塔を作っている状態だったが、散らかっているのはそこだけで、後はむしろ散らかす物すらないとでも言わんばかりになにもなかった。絨毯すらない殺風景な部屋は、ひんやりとした空気も相まって寂しげな印象を受ける。これでもし埃が厚く積もっていたならば、きっと10人中9人は廃墟だと思うだろう。残りの1人は、アドルフの同類だ。
ソファに放るようにして降ろされた私は、正面に座る男をうっかり直視して冗談抜きで腰を抜かすかと思った。
と言うのも、廊下ではそれどころではなかったのも関係して、正面からまじまじと見る事が叶わなかった男の顔が、部屋の明かりの下でよく見れば鬼のごとき顔つきをしていたからだ。
その瞬間の衝撃と言ったら、1人暮らしの部屋でゴキブリと目が合った時のものとよく似ている。恐怖と驚愕で、喉に声が張りついて悲鳴すらあげられない、あの感じ。しかも、それを真正面から眺めるはめになった私は、心臓が危うく胸を突き破ってコンニチハをする所だった。
ひとつひとつの部品はそれ程悪くはないのに、全部を集合させた途端に殺気立った顔立ちになるのだから不思議である。少し窪んだ切れ長の目がいけないのか、あるいは真っ直ぐに伸びた眉毛がいけないのか。魔界中の呪いをかき集めては、重ね塗りをしていったかのような雰囲気が纏わりついている。まあ、人を呪わば穴二つと言うからね。若気の至りでなにかやらかした結果なのかもしれない。自業自得である。くわばらくわばら。
目を見開いたまま動けないでいると「どうした、魔界一の美男子と名高い俺の顔に見とれてんのか?」と更に不可思議かつ理解不能な事を言われたので、思わず素で「えっ、その顔で?」と言ってしまったのは、実に不慮の事故であった。反省はしてないけど。ちょっと傷ついた顔をされたが、そんなの知るか。なにが悲しくて、凶悪面に見とれなければならないんだ。やっぱり魔族の美的感覚はどこかずれている。元人間の私から言わせてみれば、お兄様の方が100倍は美男子ですぅ。
「お前が…?」
「そーです」
出された鮮やかな青色の焼き菓子をパクパク摘みながら、私は頷く。魔族は食事を必要としないが、かと言って食べられないという訳でもない。むしろ嗜好品としての飲食は流行しているようで、舌に刺激を求める魔族は好んで食べる。アドルフもまた、その内の1人であるらしい。
一見すると子供がこねた後の粘土に見えるそれも、目を瞑って口に入れれば舌の上で雪のように溶けて、柑橘系の香りとあっさりとした甘味が口に広がった。魔界クオリティの見た目さえ気にしなければ、中々美味な代物のようで安心した。
それに舌鼓を打ちつつ「誰だ」と聞かれたから素直に答えたのに、アドルフは私の顔を無遠慮に凝視した後、憐憫の眼差しを向けやがった。失敬な。
「……お嬢ちゃん、悪い事は言わねぇ。今日の所は見逃してやるから、さっさとお家に帰んな」
「なぜにそうなる」
「パパやママはどこだ、俺が一緒に探してやるから」
「ちょっと、迷子扱いしないでよ」
こう見えても、すでに魔族としては成人してるんだぜ。3日前にだけど。
「バカか、十分迷子だろ!…チッ、誰がこんな問題児を放し飼いにしたんだよ。親の顔が見てみたいぜ」
「おい、ブルーナの悪口はよせ」
「残念、あいつは独身だ。どこでその名前を知ったのかは知らんが、嘘をつくならもっとましな嘘をつくんだな、クソガキ」
と、アドルフは馬鹿にした表情で鼻を鳴らした。
むきーっ!腹立つー!!
しかも私が苛立っているのを知っていて、わざとらしくやれやれといった顔をするのだから、余計に腹が立つ。大人気ない。強面ゴリラのくせに、本当に大人気ない。私はもやもやしたものが、腹の底に溜まっていくのを感じた。
なぜかと言えば、一応ブルーナの名前を出してみたはいいが、本当に彼女の下へ連れて行かれたら困るのは私の方なのだ。じっとしていろ、の命令を破って無断で抜け出してきたのだから。それに加えて、城内で騒ぎを起こした事がばれようものなら、どんなお仕置きが待っているのか恐ろしくて考えたくもない。よくて八賢の塔に放り込まれるか…、最悪の場合北の森へ拉致監禁という事もあり得る。そして朝から晩まで修業という名の苦行を強いられるのだ。それだけは絶対に避けねばなるまい。
こんな事なら抜け出さなければよかったのだが、後悔先に立たず。今更どうのこうのと悩んでも仕方がない。脳みそをフル稼働させて、なんとか打開策がないものかと探っていると、溜め息をついたアドルフが皮肉るように言った。
「――まあいい。で?その魔王陛下の妹サマは、魔甲冑が立てられているような立入禁止区域で一体なにをしていたんでしょうねぇ?」
う…。ご尤もな質問だ。脱走して来たと言っても信じてもらえないだろうし、そうと言ってそれらしい答えを作った所で簡単に見破られるに違いない。事実、アドルフは先ほどから穴が開きそうな眼光で、私を見つめてくるのだ。嘘をついた瞬間に切り捨てられそうで怖い。
私は少しの間躊躇った後、心を決めて正直に話す事にした。
「そりゃあ…する事がなくて暇だわ、邪魔扱いされるわで抜け出てきたら偶々――いや、ホントだってば!なぜに剣を抜く!?」
やはり信じてもらえなかったようだ。弁解する私が目にしたのは、話の途中で立ち上がり、仰々しい飾りが付いた鞘から刀身を抜いて、地面すれすれに下げるアドルフの姿だった。もちろん生粋の元日本人で、台所の出刃包丁より長い刃物を見た事がない私は、ぎょっとしてソファにへばりつく。顔から血の気がサーっと引いていくのがわかった。
「なぜかって?」
先ほどとは打って変わった、低く唸るような声が静かに吐き出された。そこで言葉を切ったアドルフは、薄く冷笑を浮かべた。
「正直、オマエがどこの誰だろうとどうでもいいんだよなぁ。不法侵入には変わりねぇし、本当の事を話すなら見逃してやってもよかったんだがな。…ま、それもどうやら無理なようだし……。痴話喧嘩の種と禍の種は、芽が出る前に潰しておくに限るって、生後1日目に習ったろ?」
いやいやいやいや、聞いた事ありませんけど!?
教えるにしても、生まれたての赤ん坊になに教え込んでんのよ!だいたい魔界には冤罪という言葉はないのか!切ってもいいよね、答えは聞いてないって、切り捨て御免より酷いわ、バカヤロウ!!
と言うような事を息も絶え絶えに力説すれば、アドルフは「あれ?生後1週間だったか?」とのん気に首を捻った。問題はそこじゃないのよ、アドルフさん…。
これが本物の魔族とまがい物の魔族との差か。こんな所にも見えない壁が存在しているようで悲しくなる。いまでも前世の常識から抜け出せない私は、心のどこかで同族ならば話せば許してくれると勘違いしていたのだ。でもそれは魔族にとっては全くの非常識で、普通の魔族は目の前で誰が殺されようと道端の石ほども興味が湧かないのだろう。
例え知らない人であっても躓いたり落し物をしたりしたら、決まって手を差し伸べてくれる人がいた前世とは大違いである。私は急に泣きたくなった。魔王になりたいなんて言って魔界に生まれたはいいが、そんなものになれなくてもいいから、日本に戻りたい。まさかこんな場所、こんな事でホームシックにかかるとは思ってもみなくて、途方に暮れた。
「………」
「まあ、俺も心まで鬼になりたいワケじゃねぇから、陛下に報告して厳重注意って事にしといてやるよ。――ただし今度同じ事をやってみろ。いくらガキだと言っても、俺はオマエを殺さなくちゃいけなくなる。わかったな?」
「…………」
「……。返事は!」
――あ、まずい。
そう思った時にはすでに遅く、肩を震わせた私の目から涙がポロリと零れ落ちた。一度零れてしまえば、それが呼び水になったかのように後から後から涙が頬を伝って流れ落ちた。いい歳をして、人前で泣く事があるとは思わなくて早く止めなくちゃと焦る気持ちと、もうどうにでもなれという気持ちが心の中でせめぎ合う。
また怒られるかも。そう思っていたのに、予想に反してそれを見たアドルフの慌てようといったら、まるで喜劇の役者のようだった。一瞬で険しい表情を緩め、いかにも高価な剣をぞんざいに投げ捨てると
「あー!!ごめん!ごめんねぇ!おじちゃんが悪かったよねー!怖かったよねー!!もう怒ってないから泣かないでー!!陛下も血の通った魔族であるワケだし、きっとクソガキ、あ、いや、お嬢ちゃんの1人や2人、許してくれるんじゃないかな、うん!俺からもお願いしてやるからさ――」
「――その必要はない」
刃物のように鋭利で、氷のように冷たい声がアドルフの言葉を遮った。聞き覚えのある、耳にしたら永遠に忘れられないであろう声だ。それはアドルフのものよりも小さかったはずであるのに、騒がしかった室内は一瞬にしてシンと静まり返った。
アドルフは奇妙な体勢のまま、動きを止めた。私も、私の涙もピタリと止まる。そしてアドルフと目を合わせてから、2人揃ってギギギと軋む音が聞こえそうなくらい鈍い動作で声のした方向を振り向いた。
「「ゲッ」」
その瞬間、私とアドルフの声が綺麗に重なった。




