第13話
蒼ざめた顔で訴える少女に、甲冑がなんだって?と聞き返そうとした時、にわかに廊下が騒がしくなった。ぎこちない、金属音のようなものがやかましく響き渡る。ちょうど少女が走って来た先から聞こえてくるようだ。それと同時に少女の身体が硬直して、アドルフの服を握る手に力が入った。
色がなくなった少女の頬に、一筋の汗が流れ落ちるのが見えた。その視線は空中の一点を凝視したまま動かない。大丈夫か、と怪訝そうに眉をひそめるアドルフの声など、全く届いていないかのようだ。
そうこうしている間にも、金属音はどんどん大きくなって、最後に一際大きい音を立てると、それっきり停止した。置物同然になった少女越しにその音の正体を確認したアドルフは、やっと合点が行った。
「ああ…。なに、オマエ。あれに触ったのか?バカだなぁ」
思わず呆れた声が出る。
その視線の先には、古風で無骨な甲冑が槍を片手に立っていた。元々実戦で使われていただけあってなんの飾り気もない甲冑は、青白い松明の明かりを反射して凄味を増している。その手に握られた槍の穂先は、いまにも突きかかりそうな輝きをもって威嚇していた。兜の奥からは、紅く光る2つの点がこちらを凝視している。
アドルフの声で、それこそ手入れを怠った甲冑のような動作で後ろを振り返った少女は、甲冑と視線が合った途端濁った悲鳴を上げてアドルフの首へしがみ付いた。
「ぎゃああああああ!!!!!!」
原因はこれで合っていたようだ。実に喧しくて結構。
この甲冑は、例の青竜旗騒動が起こった際に、当時の魔王が防犯と面白半分趣味半分で廊下に設置したものであった。それも、魔族は鎧兜といった無粋なものは使用しないため、人間界からわざわざ取り寄せた代物である。大体その数は、中枢区域だけでもざっと200体はあるか。当時は人間界も大戦争が終わった後で、どの武具店も余った在庫や買い取った中古品で甲冑が溢れかえっていたのもあって、軽く足を伸ばせばどこにでも安い鎧はたくさんあった。
しかし、溢れかえっていたとは言っても、怪しい黒服の集団が狂ったように甲冑を買い漁る姿は、ちょっとした悪夢であっただろう。その後買い漁られた武具店の店主が、軒並み全ての在庫を売り払いどこか遠くへ引っ越した事は余談である。
それはさて置き甲冑は、もちろんそのまま置くのでは飾り以外なんの効果もないため、不審者が触れると文字通り地底の果てまでただただ追い回すという魔法を、魔王自ら一括でかけたのだ。その魔法自体は至極単純な魔法だが、時として単純なものの方が恐ろしい事もある。危害は加えないものの、死ぬまで永遠に付かず離れずの距離を保って追いかけて来られたら、発狂したくもなる。
実際、いまだに出払ったまま帰って来ていない甲冑がいくつかあるそうだが、憑かれた相手がどうなったかは知らないし、知りたくもない。
しかも悪い事に甲冑は、中身のない魔法で動いているだけのものであるから、殺そうにも殺せない。代わりに魔法を解こうとしても、魔王が直々にかけた魔法だ。そう簡単に解けるはずもなく、打つ手はなし。早い話が、勝手に触るなと言う事だ。歴代の魔王であれば解けるらしいが、それを頼ってのこのこと公の場に出ようものなら、不法侵入をしましたと公言しているようなものだ。次の日には、首と胴体が円満離婚している事は間違いない。
それらの処理は軍とはまた別の組織が行っているらしい。らしい、と言うのは、魔王しかその組織の事を知らないからだ。だが、いつの間にかバカどもが片付けられているのを見ると、実在はするようである。
かくしてできあがったのが、後に精神破壊装置として名を馳せる事となった、悪名高き魔甲冑である。生まれつき、頭のネジが5、60本飛んでいるような魔族の精神を破壊するのだから、その威力は相当のものと言っていい。
いまの所統計で、7:3の割合で開き直ったバカが魔王城に出没したという記録が残っているが、アドルフが城に勤め始めてからはまだ一度も事件は起きていない。が、それも本日付けで記録の更新が行われそうだ。
「うるせぇ、耳元で騒ぐな!」
どうやら少女は、不幸な事にこれに追いかけられていたようだ。それにしても、いまどきあれに引っかかるなんてなんとも間抜けな奴だ。むしろ目の眩む感動すら覚える。
その間抜けは、アドルフが怒鳴り返すとひとまずは口を噤んでくれたが、代わりに首を締め上げる力を強められた。その上再び噴き出してきたらしい涙で、アドルフの頬を濡らす事も忘れない。無言の反抗を試みているらしい。じっとりとした目を向けられる。
――はいはい、年甲斐もなくがきんちょに声を荒げた俺が悪うござんしたよ。……どうせ縋りつかれるのなら、もっと肉感的な美女がよかったんだがな。
そう思ったのが顔に出ていたのか、頬の薄い肉を引っ張られた。躾のなっていないガキである。それもガキの頭にクソがつくらしい。横目で少女を睨みつけると、不細工なぬいぐるみ共々なんともふてぶてしい顔つきをしていた。妙に腹立たしい顔だ。それが人に助けを求める奴の態度か!さすがのアドルフも、これには文句を言おうと口を開くが、それよりも先に機械的なたどたどしい発音が遮った。
「オナマエ ヲ ドウゾ」
声のする方向へ視線を戻すと、うっかり忘れ去られそうになっていた甲冑が、紅い目をチカチカ点滅させていた。聞き取りにくい言葉を変換しつつ、そう言えばこんな機能もあったっけ、と脳内のうろ覚えな記憶を探る。耳元で喋った、喋った!とチビが煩いが、黙殺して問いに答える。
「…アドルフ・ディーンだ」
「タダイマ ショウゴウチュウ――――」
少女がなにをしてるの?と聞いてきたがこれも無視。…しようとしたのだが、再び頬を抓りあげられて仕方なく、この甲冑の呪いを解除しているんだ、とだけ返した。クソガキめ。少女は少女で、なぜか「それはいい事を聞いた」とでも言うような顔をするが、どうせ碌でもない事を考えているのだろう。関わらないに限る。
見なかったふりをして、待つ事十数秒。少女がアドルフの頬を引き伸ばす事数回。甲冑は瞳を明るい赤色に輝かせた。
「アドルフ ディーン マカイリクグンダイジン サマ。カクニンヲ オエマシタ。ドウゾ オトオリ クダサイ」
甲冑は恭しくお辞儀をすると、またけたたましい金属音を連れて今度はスキップで去って行った。…やれやれ。
しばらくして、廊下にはようやく元の静寂が戻ってきた。今日1日で1週間分の疲労を味わった気分だ。どっと身体が重くなる。だが、まだやらねばならない事が残っているのだ。
“陸においては魔王を除いて並ぶものなし”とまで例えられた陸相アドルフは、ホッと一息をつく少女を首から強引に引きはがし、暴れる手足をものともせずにぶら下げると威厳に満ちた声で詰問した。
「で、オマエ誰よ」




