私を雇い直しても、証拠は書き直せません
「復職を断れば、証言の信頼を失うと仰せです」
返答を届けに行った書記が、控えの間へ戻るなり告げた。
私は開いていた記録帳を閉じた。
「どの証言の、どの部分が変わるのでしょう」
「そこまでは……」
「では、その点を広間で尋ねます」
シリウス様が扉を開けた。
彼は、戻る必要などないとは言わなかった。
「私も立ち会う」
それだけで、椅子から立つことができた。
◇
王太子は、玉座の前で私を待っていた。
「父上。彼女が会計を整理すれば、誤解はすべて解けます。それを拒むのは、自分の説明に自信がないからでしょう」
「私の説明の訂正が必要なら、箇所をお示しください」
私は卓上の書類へ手を向けた。
「商会へ送金が完了していなかったこと。帳簿に送金済みと書かれていたこと。私が確認作業を承諾していなかったこと。どれを訂正するのですか」
「細かな事実を並べているのではない。府全体の収支を整えろと言っている」
「収支の調査でしたら、私を採用しなくてもできます」
殿下の目が細くなった。
「誰がやる」
法務卿が答えた。
「本件の調査担当に行わせます。疑われている府の指揮下へ、証言者を戻す必要はありません」
私は、初めてその言葉の意味を考えた。
復職すれば、私はまた殿下から仕事の順番を命じられる。
どの帳簿を見るか。誰へ質問するか。何を先に片づけるか。
私がいなければ進まないのではない。
私を戻したほうが、殿下には都合がよかったのだ。
「私の任命で働いていた女が、私の府を告発する。公平な立場だと言えるのですか」
「だから、彼女一人の説明で決めてはおらぬ」
陛下が静かに言った。
「商会の記録と、府の帳簿を照合している。異議があるなら、その記録について述べよ」
殿下は口を閉じた。
◇
翌日の審理には、保全された執務日誌が運び込まれた。
前日に押収目録と保管場所を確かめ、担当者を呼ぶ時間が必要だったためだ。
日誌は、殿下自身の日記ではない。
執務室を出入りした官吏と、報告した案件を、当番の書記が記すものだった。
法務卿は日誌を保管していた者に封印を確認させ、当日の書記へ尋ねた。
「この記載を、お前がしたのか」
「はい。マルセル様が、商会からの訂正要求を報告なさいました」
「報告の全文を覚えているか」
「全文は覚えておりません。ですから、日誌にも『送金保留の報告』とだけ記しました」
神殿記録官が、その短い一行を読み上げた。
日付は、帳簿を送金済みとして閉じた日と同じ。
「殿下の返答は」
「日誌には残しておりません。私の記憶だけでよろしければ、申し上げます」
「記憶による証言と明記する。話せ」
書記は王太子を見たあと、法務卿へ向き直った。
「『保留なら、私の決裁を取り消して出し直せ』と」
広間のどこかで、椅子が鳴った。
マルセルが両手を握りしめた。
「私は、訂正すれば自分の不備が明らかになると思いました。それで……帳簿だけを閉じました」
殿下が立ち上がる。
「私は取り消せと言った! その男が従わなかったのだ!」
声が、大広間の奥まで届いた。
私は筆を止めた。
法務卿が、発送控えを指す。
「取り消すよう命じたのは、この返書への決裁か」
「そうだ。処理を進めるなと命じた」
「では、最初の決裁をしたことは認めるのだな」
殿下の顔が強張った。
逃れようとして、自分で認めた。
けれど私は、歓声を上げる代わりに、今の言葉を正確に書いた。
取り消しを命じたのなら、その事実も残す。
最初に私の名で返答を送ることを認めた責任と、送金済みの虚偽を記入した責任は、同じ人が負うとは限らない。
だから、一つずつ分ける。
「殿下。この返書に、なぜ私の名を記したのですか」
今度こそ、その問いから始められた。
◇
審理の終わりに、法務卿は私を呼び止めた。
「復職の承諾を求める件は、調査の条件から外した。今後、出頭や資料確認が必要な場合は、当方から正式に依頼する」
私は受け取った書面を読み返した。
証言すること。
雇われて会計を直すこと。
その二つが、ようやく別のものとして扱われている。
廊下でシリウス様が尋ねた。
「これから、どんな仕事をしたい」
私はすぐに答えられなかった。
何を片づけるべきかなら、いつも分かった。
何をしたいかを尋ねられることには、まだ慣れていない。
「村へ届く記録を、作りたいです」
やがて、そう答えた。
「王都で帳面を閉じても、村の人が食べられなければ、終わったことにはできません」
彼は頷いた。
「では、その仕事の条件を一緒に考えよう。あなたが選べるように」
そのとき、広間の扉が開いた。
法務卿の書記が、私へ告げた。
「殿下が、返書にあなたの名を用いた理由を話すと仰せです。ただし、あなたのお父上にも出席させたいと」
私は、受け取ったばかりの書面を握り直した。




