第3話 王太子は恋をしていなかった
台本を壊すためには、三人の主役が必要だった。
悪役令嬢イザベラ。
聖女リゼット。
そして、王太子アベルである。
問題は、アベルだった。
彼は真面目だった。
真面目すぎて、台本を信じていた。
「私は王太子だ。国のために、定められた物語を演じる義務がある」
イザベラが放課後の図書室で話を持ちかけると、アベルはそう言った。
「では、殿下はリゼットさんを愛しているのですか?」
「それは……台本にそう書かれている」
「質問に答えてくださいませ」
アベルは黙った。
イザベラは容赦しなかった。
「殿下は、彼女の好きな花をご存じ?」
「白百合だろう。聖女だから」
「薬草のカモミールですわ」
「……そうなのか」
「好きな食べ物は?」
「聖女なら、果物か?」
「味の濃い豆の煮込みですわ」
「意外だな」
「将来の夢は?」
アベルは答えられなかった。
イザベラは扇を閉じた。
「殿下はリゼットさんを愛しているのではありません。聖女を愛する王太子の役を演じているだけです」
アベルは悔しそうに唇をかんだ。
「なら、君はどうなのだ」
「私?」
「君は私の婚約者だろう。君は私を愛しているのか」
イザベラはきょとんとした。
そして、はっきり言った。
「いいえ」
アベルは傷ついた顔をした。
「そこは少し迷え」
「迷う理由がありませんもの」
「君は昔から私に厳しすぎる」
「殿下が昔から話を聞かないからですわ」
二人はしばらくにらみ合った。
やがて、アベルがため息をついた。
「では、君は何がしたい」
イザベラは少し黙った。
その表情が、初めて悪役令嬢ではなくなった。
「私は、劇場を作りたいのです」
「劇場?」
「ええ。誰も決められた役を演じなくていい劇場です。王子が王子をやめても、聖女が薬屋になっても、悪役令嬢が笑ってもいい場所」
リゼットが目を輝かせた。
「素敵です」
アベルは少しだけ笑った。
「君らしいな」
「殿下は?」
イザベラが尋ねた。
「台本を降りたら、何をなさいますの?」
アベルはすぐには答えなかった。
王太子として生きること以外、考えたことがなかったのだ。
長い沈黙の後、彼は小さく言った。
「私は……一度でいいから、自分で失敗してみたい」
イザベラとリゼットは顔を見合わせた。
アベルは少し照れたように言った。
「いつも正しい選択肢を選ばされてきた。失敗してもいいから、自分で選んでみたい」
イザベラはうなずいた。
「では、最初の失敗は盛大に参りましょう」
「何をする気だ」
「卒業舞踏会で、殿下には私を断罪していただきます」
アベルは眉をひそめた。
「それでは台本通りではないか」
「途中までは、ですわ」
イザベラは笑った。
「物語を壊すなら、観客が一番信じている場面で壊すのが効果的ですもの」




