心の奥で小さく光る希望
北京都の街並みから遠く離れた、錆びついた廃工場。そこは、扶情隼と桜木亙の激しい戦いの舞台となっていた。肉弾戦の応酬は、互角に見えた。しかし、一瞬の隙が隼の命運を分けた。亙の左腕が異形のアームへと変形し、その無骨な指が隼の体を容赦なく捕らえたのだ。全身を締め付ける鋼鉄の圧力に、隼は身動き一つ取れない。絶体絶命のピンチだった。
工場の天井近くを、小型のドローンが旋回している。そのレンズは、この凄惨な戦いを克明に捉え、北京都の全テレビ局へと生中継されていた。街の人々は、それぞれの自宅や店先で、息を呑んでその光景を見守っている。
桜木 亙
「……ドローンか?きっとこの戦いを生中継されてるんだな。ということは、この街のテレビに【お前の死に様が流れるってことか。】」
亙の冷酷な声が、工場の錆びた壁に反響する。その言葉と共に、左手のアームがさらに強く握り締められ、隼の体から呻き声が漏れた。
「くそ……動けねぇ……この外道が!お前らを生かしたらこの街の人々は……ウッ……」
隼の言葉は、亙の逆鱗に触れた。アームの締め付けはさらに強まり、隼の意識が遠のきかける。
「お前はもういくら喋っても無駄だ。この私と戦っている時点で終わりなんだよ。よく釣れたもんだ。初めてだったよ、お前みたいな俺に逆らう度胸のある奴。だから今戦っててすごい楽しいぜ。でもその時間はもうお終い。お前の命と一緒になぁ!」
亙の歪んだ歓喜の声が、工場の隅々まで響き渡る。その声は、テレビの向こうで固唾を呑んで見守る市民たちの耳にも届いていた。彼らは、画面に映し出される隼の苦悶の表情に、ただ祈ることしかできなかった。
「じゃあな。
【来世でも頑張ってくれたまえ、このデカブツ。】」
亙は、とどめを刺すかのように、アームの真ん中からマグマのような熱を放とうとする。不気味な駆動音が工場内に響き渡り、熱気が肌を焼く。隼の視界は、赤く染まり始めていた。
「……俺、このまま死ぬのか。まだ中一っていうのに。なんで俺は勝手に異世界に入り込まれてこんなところで……」
隼の脳裏に、走馬灯のように過去の記憶が駆け巡る。それは、楽しかった日々、大切な仲間たちとの思い出、そして、初めて飼った愛猫「ぶみ」との温かい記憶だった。
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「おいぶみ!今日は猫じゃらしを買ってきたぞー」
隼の声に、ぶみは「なー(嬉しい)」と応えるように、しっぽを振って駆け寄ってきた。その光景を、朱木と瑠樹が微笑ましげに見守っている。
「良かったなー、遊び道具買っておいて。めちゃくちゃ遊んでるな〜」
「可愛いねー。隼、いっぱい遊んであげてね!」
ぶみは「な〜(楽しいよ)」と、二人の言葉に甘えるように、隼の足元でじゃれついた。夜になり、隼が眠りにつくと、ぶみはそっと隼の胸元に潜り込む。
「……んん……うわ!びっくりした、ぶみか……」
「な〜(眠たいよ)」
「遊び疲れたんだな。おやすみ、ぶみ。また遊んでやるからなー」
隼は、ぶみの小さな体を優しく抱きしめ、再び眠りについた。その温かい記憶が、隼の心を癒していく。しかし、その温かさは、一瞬にして冷たい憎悪へと変わる。
バンッ!
「このクソ猫が。俺に噛み付いてきやがって……」
あの日の、耳を劈くような銃声。そして、亙の冷酷な声。隼の目の前には、血に染まったぶみの姿が鮮明に蘇る。初めて飼った、たった一匹の猫。その命が、無慈悲に奪われた瞬間。
「……嘘だろ。ぶみ……初めて飼った猫、なのに……死刻の五柱、お前ら許さねぇ……」
その記憶が、隼の心に眠っていた、ある感情を呼び覚ました。それは、深い悲しみと、燃え盛るような怒り。そして、この街の人々を無差別に傷つける者たちへの、絶対的な拒絶だった。
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「……俺はこんなところでは死なねぇよ……無差別に殺された悲しき人々。そして、俺が初めて飼った猫、ぶみを殺したこと。俺は、絶対にお前を許さねぇ!!」
隼の心の奥底にあった、小さき希望の光が、工場内に赤黒く輝くオーラとなって大きく放たれた。それは、絶望の淵から這い上がる者の、魂の叫びだった。
桜木 亙
「うわっ!なんだこの光りは!眩しい……もしかして……お前も!?」
亙は、突然の光に目を細め、驚愕の声を上げた。テレビ中継を見ていた街の人々も、画面に映し出された赤黒いオーラに、一斉に息を呑んだ。それは、何千万人に一人という、奇跡的な確率でしか発現しない、特別な力。扶情隼は、その場で【ソウルエンデム】を使えるようになったのだ。
隼が所持したソウルエンデムは、
【赫覇:クリムゾン・ドミナス】。その力は、隼の全身を赤黒いオーラで包み込み、その肉体を強化する。亙のアームに捕らえられていた隼の腕が、赤黒く変色し、その力が漲る。そして、その腕は、鋼鉄のアームを素手で破壊した。ガシャン、と金属が砕け散る音が工場内に響き渡り、隼は地面に軽やかに着地した。
「嘘だろ!?俺のアーム、『エーリー・デレ』が壊されただと……そして……お前もたった今、あの【ソウルエンデム】を手にしただと……」
亙の顔に、初めて焦りの色が浮かんだ。彼の絶対的な自信が、音を立てて崩れていく。
「……そのようみたいだな。お前はここで終わり?俺はこんなところじゃ死なねぇよ。人々の悲しみと『ぶみ』を殺したこと……今ここで仇を取ってやるよ!!」
隼の瞳から放たれる赤黒い覇気が、桜木亙の巨体を襲った。その強烈なプレッシャーに、亙は膝をつく。
「うわ!?なんだこれは、眩しい!……くそ、なぜだ……力が出ねぇぞ……この私が……」
亙は、全身の力が抜け落ちるような感覚に襲われ、ドリルに変形した右腕も、その力を失っていく。隼は、ゆっくりと膝をついた亙に近づき、その両腕を掴んだ。隼の右膝は、赤黒いオーラを纏い、禍々しく変色していた。
(くそ……ドリルが出せねぇ……!何もできない……)
亙の脳裏に、絶望がよぎる。その時、隼の右膝が大きく振り上げられた。
「終わりなのはお前だ。ここで、【くたばれ】桜木亙!」
赤黒く変色した隼の右膝が、膝をついた亙の胸と顔面に向けて、渾身の力で叩き込まれた。その衝撃は、工場内に轟音となって響き渡り、テレビを見ている人々は、全員が度肝を抜かれた。画面に映し出されたのは、隼の圧倒的な勝利だった。
(……逆に俺たちが、悪役だったって、ことか……)
亙は、その場で倒れ込み、微動だにしなかった。彼の瞳からは、もはや光は失われていた。
「……お前もお前なりの正義があって、俺も俺なりの正義がある。今回の【正義】は、この俺が正しい。」
廃工場に、隼の勝利の言葉が響き渡る。テレビの向こうでは、街の人々が歓声を上げた。
扶情隼は、倒れている桜木亙を背にしたまま、静かに、しかし力強く宣言した。
「【俺の、勝ちだ】」




