夜陰の正義vs 冷酷な快楽者
笑嵐廻の不可解な能力によって、陰平亜月たちは、この街のあちこちに散り散りにされた。亜月が次に意識を取り戻した時、彼の視界に飛び込んできたのは、朽ちかけた木造校舎のだった。埃とカビの匂いが鼻腔をくすぐる。どうやら、水無瀬朧真と共に、山奥にひっそりと佇む廃校に飛ばされたらしい。
「…おいまたワープかよ…ここは…旧北京都第三中学校?この学校、かなりボロボロだな…」亜月は、全身の倦怠感を振り払うように立ち上がった。鬱蒼とした木々が広がり、人里離れた場所であることを物語っている。壁には落書きが残され、かつての賑わいは見る影もない。
「やぁ、気がついたか。亜月くんだっけ?よろしく頼むよ」
背後から、ひどく間の抜けた声が聞こえた。振り返ると、そこに立っていたのは、白い白衣を身につけ、左目に眼帯をつけた男、水無瀬朧真だった。その顔には、どこか病的な笑みが浮かんでいる。亜月は、その男から漂う異様な雰囲気に、警戒心を強めた。
「なるほど。舞台はこの廃校ってわけか」亜月は、朧真の言葉を遮るように言った。彼の心には、この状況を打開しようとする強い意志が燃え上がっていた。
「さぁ、楽しく行こうぜ…この街の闇は、俺たちが晴らしてやるさ」
亜月の言葉に、朧真はフフフと不気味に笑った。「フフフ、かっこいいね〜君。じゃあそろそろ、【治療】の時間へといきますか…」
その言葉と共に、朧真の左目に装着された眼帯のようなものが、不気味な緑色の光を放ち始めた。その光は、まるで獲物を定めるかのように、亜月の全身をマークする。朧真は、ゆらゆらと体を揺らしながら、右手を亜月へと向けた。その腕は、みるみるうちに金属的な光沢を帯び、無数の銃口を持つマシンガンのような形状へと変形していく。そして、勢いよく中から薬品の入った注射器が数本、亜月目掛けて撃ち出された。
「さぁ、こい…って危な!なんだあの突起物は!?」亜月は、咄嗟に身を翻し、飛来する注射器を紙一重で避けた。注射器は、彼のすぐ後ろの地面に突き刺さる。すると、刺さった場所を中心に、土がみるみるうちに腐食し始めた。草木は枯れ、地面は黒く変色し、異臭が立ち込める。
「…地面がどんどん腐食していく…」亜月は、その光景に戦慄した。ただの注射器ではない。猛毒か、あるいは強力な酸か。
朧真は、その様子を愉しむかのように、さらに笑みを深めた。
「お〜君、よく避けましたね…素晴らしい。あれ、体に少しでも触れていたら、亜月くんはもう死んでいたかもしれませんね…さぁ本番はこれからですよ…痛くしないから体の手当てをしてあげますよ!!!」
その言葉は、まるで狂気の医者が患者に語りかけるかのようだった。朧真は、また違う種類の注射器を次々と投げつけ、亜月を執拗に襲う。亜月は、迫り来る注射器の嵐を避けながら、必死に思考を巡らせた。
「くそっ…このままだとこいつの餌食になるだけだ。とりあえず学校の中に逃げよう!」
亜月は、校舎の玄関へと駆け込んだ。朧真の追撃を振り切るため、廃校の複雑な構造を利用するしかない。しかし、朧真の声は、彼の背中を追いかけるように響いた。
「いつまで逃げられますかね、亜月くん。君は、もう【終わり】ですよ」
亜月は、荒い息を整えながら、廃校の薄暗い廊下を駆け抜けた。心臓が警鐘のように鳴り響く。朧真の言葉が、耳の奥で反響する。「君は、もう【終わり】ですよ」。
「はぁはぁはぁ…このままだと逃げられる。普通に考えてあいつとサシでやり合うのは絶対に無理だ…」
亜月は、冷静に状況を分析した。朧真の能力は未知数だが、その攻撃力は尋常ではない。まともに戦えば、勝ち目はないだろう。廊下の奥から、朧真の足音がゆっくりと近づいてくるのが聞こえる。彼はまだ生徒玄関にいるはずだ。亜月は、とっさに近くの教室に飛び込んだ。理科室だった。
散乱した実験器具、薬品棚、そして古びた人体模型。亜月は、その中で最も身を隠すのに適した場所を探した。そして、埃を被ったロッカーの陰に身を潜めることにした。金属の扉が、彼の焦燥感を映すように冷たい。廊下の奥の方から、朧真の声がかすかに聞こえる。
「おーい亜月くーん。どこに逃げても…」
朧真の声は、やがて遠ざかっていった。亜月は、ロッカーの中で息を潜め、耳を澄ませる。静寂が訪れた。いなくなったのか?
「…いなくなったか?とりあえず落ち着け亜月。このままだとまた追われて死ぬだけだ。どこに逃げても勝ち目はない…どうやってあいつを倒そ…」
亜月は、思考を巡らせた。朧真の能力は一体何なのか。どうすれば、あの狂気の医者を止めることができるのか。しかし、その思考は、突然の衝撃によって中断された。
グサッ!
「!!??」
ロッカーの金属扉を突き破り、鋭利な刃物が亜月の腕に突き刺さった。激痛が走り、亜月は思わず声を殺した。なんと、いつのまにか朧真は理科室の前にいたのだ。壁越しに、手術用のメスのようなものが、亜月の隠れるロッカーを正確に貫いていた。
「…どこに逃げても、【無駄】ですよ…」
朧真の声が、ロッカーのすぐ外から聞こえる。その声には、嘲笑と、獲物を追い詰めた者の愉悦が混じっていた。亜月は、痛みに顔を歪ませながら、腕に刺さったメスのようなものを引き抜いた。血が、ロッカーの床に滴り落ちる。
(くそっ…この戦い流石に無理あるだろ…)
亜月は、急いでロッカーから飛び出した。朧真は、理科室の教卓までゆっくりと歩み出ていた。その顔には、相変わらず病的な笑みが浮かんでいる。
「フフフ、もう逃げられないですよ、亜月くん。君の墓場はここのようですね」
朧真の言葉に、亜月は問いかけた。「…お前は人間なのか?手をマシンガンにしたり、メスのような形に変形したり。…これが噂の【能力】ってやつか…」
朧真は、亜月の問いに満足げに頷いた。
「…まぁそうですね。簡単に説明すると、この能力は、【ソウルエンデム】というものです。辛い過去を背負い、希望も何もなくなった時に発動する能力。けれど全員がそうではありません。確率的には数千万人に一人とされている。この街、北京都では八百万人弱の人たちがお住みになっています。その中で出会ったソウルエンデムの持ち主の集まりが、私たち、
【死刻の五柱】なのです」
亜月は、朧真の言葉に耳を傾けながら、その異様な能力の正体を知った。死刻の五柱。彼らが、この街の闇の根源なのか。そして、その能力は、絶望から生まれるというのか。
「なるほどな。どうりで他の人たちとは違う異様な雰囲気を感じたわけだ。その中のひとりが、お前、朧真って訳か。お前の、その…ソウルエンデム?はどんな能力だ」
亜月の問いに、朧真は再び笑みを深めた。
「私の能力は、【独占ノ治癒者:ドミナル・ドクター】っと言ってね、様々な医療器具を操り、武器にしたりできるとても殺傷能力が高いものだ。過去にちなんだ能力…なのかもしれないね」
「過去にちなんだ…というと、お前には医者が関わるような辛い過去があったということか?」
亜月は、朧真の言葉の裏に隠された真実を探ろうとした。
「…フフフ。あぁ、そのとおりだ。まぁお前には話すようなことではない。…あの頃は本当に思い出したくないさ」
朧真の言葉の奥には、深い闇が潜んでいるように感じられた。亜月には伝わっていないが、ここから水無瀬朧真の過去の回想シーンが始まる。彼の狂気の根源が、今、明かされようとしていた。




