第79章 銀の魔導人形
セレスティア王国北方、アルセリア辺境伯領。
主要防衛砦の城壁から見える丘は、無数の魔物によって黒く染まっていた。
狼型、猪型、亜人型。そして、その後方には巨大な魔物の影まである。
確認された数は三千以上。
対する砦の守備兵は、およそ二千人だった。
アルセリア辺境伯「弓兵、第一射用意! 魔術部隊は先頭の大型魔物を狙え!」
騎士団長「全軍、攻撃開始!」
無数の矢が空を埋め尽くした。
続いて火球が飛び、魔物の群れの中で爆発する。
先頭の数十匹が倒れ、城壁から歓声が上がった。
兵士「よし! 効いてるぞ!」
だが、後続の魔物は止まらない。
倒れた仲間を踏み越え、次々と押し寄せてくる。
フィオナ「……やっぱり数が多すぎるな」
フィオナは城壁の上から戦況を見渡していた。
右腕は包帯で固定されている。軍医から戦闘を禁じられているため、今は指揮の補佐に徹していた。
その時、西側の斜面を進む魔物たちが目に入った。
フィオナ「……待てよ」
砦の西側には、弓兵の射界から外れる窪地がある。
そこを利用すれば、魔物は大きな損害を受けずに城壁へ接近できる。
フィオナ「閣下! 西側へ魔物が回り込んでいます!」
アルセリア辺境伯「数は?」
フィオナ「百以上! まだ増えています!」
アルセリア辺境伯「西側へ槍兵二百を移動! 弓兵も援護に回せ!」
騎士団長「承知!」
兵士たちが慌ただしく動き始める。
フィオナは小さく息を吐いた。
(……剣が振れなくても、やれることはある)
しかし、戦いはまだ始まったばかりだった。
数時間後。
砦の周囲には倒れた魔物が積み重なっていた。
王国軍も奮戦している。
だが、押し寄せる敵の勢いは衰えなかった。
魔術師「防護結界の魔力残量、三割を切りました!」
騎士団長「予備の魔石を使え!」
魔術師「すでに使用しています! このままでは持ちません!」
その時、城門の前に巨大な猪型魔物が数匹集まった。
地面を蹴り、一斉に突進する。
ドゴォン!
凄まじい衝撃が砦を揺らした。
兵士「城門が!」
さらに、亜人型の魔物たちが倒木を抱えて近づいてくる。
数匹が力を合わせ、その倒木を城門へ叩きつけた。
フィオナ「……おいおい、冗談だろ」
騎士「魔物が破城槌を使っている!?」
フィオナ「誰に教わったんだ、あんなこと……!」
しかし、考えている暇はなかった。
今度は西側の城壁で、甲高い音が響いた。
魔術師「西側、防護結界破損!」
騎士「大型魔物が城壁へ取りつきました!」
城壁上が騒然となる。
巨大な魔物が石材を掴み、よじ登ろうとしていた。
フィオナ「弓兵を下げろ! 西側の通路に槍兵を集めるんだ!」
騎士「城壁を明け渡すのですか!?」
フィオナ「突破された場所に全員残ってたら、まとめてやられるぞ!」
フィオナは指揮官へ視線を向ける。
フィオナ「西側の通路は狭い! あそこなら大型の魔物も自由に動けません!」
騎士団長「……よし、その案でいく! 第二防衛線を構築しろ!」
兵士たちが後退する。
侵入した魔物を狭い通路へ誘い込み、槍兵が正面を塞いだ。
その後ろから魔術師が攻撃を集中させる。
大型魔物が悲鳴を上げて倒れた。
騎士「押し返しました!」
フィオナ「よし! 今のうちに通路を塞げ!」
だが、フィオナの表情は険しいままだった。
防壁は傷み、魔力は減っている。
このままでは、いずれ限界が来る。
夕方。
ついに、その時が訪れた。
ドゴォォン!
城門が大きく揺れ、中央に亀裂が走った。
兵士「城門が持ちません!」
騎士団長「予備部隊を集めろ!」
兵士「すでに各所へ投入しています!」
巨大な猪型魔物が、再び城門へ突進する。
直後。
木材と鉄の破片が飛び散り、城門の一部が内側へ崩れ落ちた。
兵士「城門突破ぁっ!」
魔物が雪崩れ込んでくる。
騎士団長「槍兵、構えろ! ここを通すな!」
兵士たちが槍を並べ、必死に抵抗する。
しかし、後ろから次々と魔物が押し寄せていた。
その時。
崩れた城門の向こうに、ひときわ巨大な影が現れた。
分厚い甲殻をまとい、頭部には鋭い角。
通常の猪型魔物を何倍にも大きくしたような巨体だった。
騎士「……何だ、あれは!」
魔物が咆哮する。
そして、城門の内側にいる兵士たちへ突進を始めた。
兵士「避けろおおっ!」
しかし、負傷して動けない兵士が何人もいた。
フィオナは思わず左手で剣を抜いた。
若い騎士「フィオナ様! 戦闘は禁止されています!」
フィオナ「分かってる! でも、あいつらを見殺しにできるかよ!」
走り出そうとした瞬間。
フィオナは悟った。
今からでは、間に合わない。
巨大な魔物が兵士たちへ迫る。
フィオナ「……くそっ!」
その時だった。
空中に銀色の魔術式が広がった。
まばゆい光が城門前を照らす。
次の瞬間、巨大な魔物の前に半透明の障壁が何枚も出現した。
ドォォン!
魔物が障壁へ激突する。
凄まじい衝撃。
しかし、障壁は砕けなかった。
兵士「……え?」
全員が呆然とする。
すると、城門の上空から声が響いた。
ルミナ「敵性反応、多数確認。緊急介入を開始します」
銀色の光をまとった少女が、静かに降下してきた。
その周囲には、無数の光の槍が浮かんでいる。
ルミナ「射出」
光の槍が一斉に放たれた。
城門へ押し寄せていた魔物たちが次々と倒れ、兵士たちの前に退路が生まれる。
フィオナ「……は?」
フィオナは目を見開いた。
見覚えのある姿。
整った顔立ち。
感情をあまり表に出さない、不思議な少女。
フィオナ「……ルミナ!?」
ルミナ「お久しぶりです、フィオナ様」
フィオナ「お前、何でここにいるんだよ!?」
ルミナ「助力に参りました」
フィオナ「いや、それは見れば分かる!」
ルミナ「では、説明を省略します」
フィオナ「省略するな!」
戦場の真ん中で、思わずそんなやり取りをしてしまった。
ルミナは普段と変わらない表情で、フィオナを見つめていた。
フィオナ「……レオンに頼まれたのか?」
ルミナ「いいえ」
フィオナ「……え?」
ルミナ「レオン様からの指示は受けておりません」
フィオナ「じゃあ、どうやってここまで来た!?」
ルミナ「転移魔術を使用しました」
ルミナは、王国から伝えられた北方の異常な魔物の活動に強い危機感を抱いていた。
そして、自らの判断で学院を離れたのだ。
以前訪れた北方の古代施設。その正確な座標を利用し、施設の近くまで転移した。
そこからは自力で高速移動し、砦の上空へ到達したらしい。
フィオナ「……転移って、そんな簡単にできるものなのか?」
ルミナ「簡単ではありません。正確な座標を把握した特定の地点に限られます」
さらに、今のルミナが長距離転移で運べるのは自分自身だけ。
膨大な魔力を消費するため、短時間で何度も使うことはできないという。
フィオナ「……で、レオンには言ってきたのか?」
ルミナ「事後報告を予定しております」
フィオナ「……絶対に心配するぞ、あいつ」
ルミナ「その可能性は高いと考えています」
フィオナ「だったら、どうして?」
ルミナは少しだけ視線を下げた。
ルミナ「私は、ここにいる方々を助けたいと思いました」
フィオナ「……」
ルミナ「レオン様の命令ではありません。私自身の判断です」
フィオナは一瞬、言葉を失った。
かつては命令に従う存在だった古代魔導人形。
しかし、今のルミナは違う。
誰かの所有物ではない。
自分で考え、自分で選ぶことができる存在だ。
そして、その選択が、この砦の兵士たちを救った。
フィオナ「……そうか」
フィオナは笑った。
フィオナ「だったら、遠慮なく頼らせてもらうぞ!」
ルミナ「はい。お任せください」
しかし、ルミナが現れたからといって、戦いが終わったわけではない。
転移で魔力を大きく消費していたうえ、敵の数はあまりにも多かった。
ルミナ「現在の残存魔力量では、砦の全方向を同時に防衛することは困難です」
フィオナ「……分かった。なら、城門だけでいい!」
フィオナは素早く戦況を確認した。
フィオナ「ルミナ! 城門の前を少しの間だけ塞げるか!?」
ルミナ「可能です。ただし、長時間の維持はできません」
フィオナ「十分だ! その間に兵を立て直す!」
ルミナ「了解しました」
ルミナが両手を広げる。
銀色の魔術式が城門前へ展開され、巨大な障壁が魔物の進路を遮断した。
魔物たちが障壁へ激突する。
だが、通れない。
フィオナ「今だ! 負傷者を下げろ! 槍兵は第二列へ!」
騎士団長「城門前へ予備の弓兵を集めろ!」
兵士たちが一斉に動く。
フィオナは地形と敵の動きを読み、ルミナへ指示を出した。
フィオナ「右側の大型魔物! あいつだけ動きを止められるか!?」
ルミナ「可能です」
光の鎖が大型魔物の脚へ絡みついた。
動きを封じられた魔物へ、魔術騎士たちが火球を集中させる。
轟音。
大型魔物が倒れた。
フィオナ「よし! 次は左だ!」
ルミナ「了解しました」
フィオナの指示と、ルミナの正確な魔術。
二人の連携によって、城門へ殺到していた魔物たちは次々と押し返されていった。
ついに、城門前の敵が途切れた。
騎士団長「……押し返したぞ!」
兵士たち「おおおおっ!」
フィオナ「喜ぶのは後! 今のうちに城門を塞げ!」
兵士たちが瓦礫や予備の資材を運び込み、応急の防壁を築き始める。
ルミナは障壁を維持しながら、その作業を援護した。
そして、ようやく敵の突入が止まった。
砦は、ひとまず持ち直したのだった。
アルセリア辺境伯はルミナのもとへ歩み寄った。
アルセリア辺境伯「援護に感謝する。君が来なければ、城門は完全に突破されていただろう」
ルミナ「当然の行動をしたまでです」
アルセリア辺境伯「……レオンは、君がここへ来たことを知っているのか?」
ルミナ「いいえ。まだ知りません」
辺境伯は一瞬、黙った。
アルセリア辺境伯「……そうか」
フィオナ「たぶん、相当心配しますよ」
ルミナ「その場合は、私から説明いたします」
アルセリア辺境伯「私からも事情を伝えよう。ただし、まずはこの戦いを生き延びてからだ」
ルミナ「はい」
その時だった。
城壁の向こうから、一人の斥候が駆け込んできた。
斥候「閣下! 緊急報告です!」
アルセリア辺境伯「何があった!?」
斥候「東方の街道に、別の魔物の大群を確認しました!」
騎士団長「何だと!?」
斥候「数は少なくとも二千! この砦を迂回して南へ向かっています!」
会議室の空気が一変した。
フィオナ「……っ!」
フィオナは地図を見た。
東方の街道。
その先には、まだ避難の終わっていない町がある。
フィオナ「……くそっ! せっかくここを守ったのに!」
騎士団長「砦の守備兵を動かす余裕はありません!」
アルセリア辺境伯「……敵はこの砦だけを狙っているわけではない、ということか」
ルミナは静かに地図を見つめた。
ルミナ「確認されている魔物の群れは、複数の経路から南下しています」
フィオナ「……つまり、ここを守っても終わらないってことか」
ルミナ「はい」
フィオナは歯を食いしばった。
右腕はまだ使えない。
兵士たちは疲れきっている。
ルミナも大量の魔力を消費していた。
それでも、まだ守るべき人々がいる。
ルミナ「フィオナ様」
フィオナ「何だ?」
ルミナ「私は、まだ助力できます」
フィオナはルミナを見た。
そして、少しだけ笑った。
フィオナ「……頼もしいな、お前」
ルミナ「ありがとうございます」
フィオナ「じゃあ、今度はこっちが頭を使う番だ」
フィオナは地図を広げた。
砦を迂回した魔物二千。
迫る危機。
残された戦力。
まだ、できることはあるはずだ。
フィオナ「簡単に諦めてやるもんか」
その隣で、ルミナが静かに頷いた。
砦は守った。
しかし、セレスティア王国北方の戦いは、まだ始まったばかりだった。




