第8章 もう一人の天才剣士
翌日の放課後。
俺はクラリッサに腕を引かれながら、学院西棟の裏にある第二訓練場へ向かっていた。
「そんなに引っ張らなくても逃げないって」
「昨日までのレオンを見てたら信用できない!」
「ひどい評価だな」
「保健室を避難所に使ってた人が何言ってるの」
何も言い返せなかった。
今日は約束通り、剣術部を見学する日だ。
本音を言えば、ただでさえ特別剣術班で剣を振っているのだから、放課後まで剣を握りたくはない。
しかし約束してしまった以上、行かないわけにもいかなかった。
俺の右側をエリシアが歩き、その少し後ろにはヴィクトリアまでついてきている。
「何でヴィクトリアまでいるんだ?」
「あなたが何か余計な騒ぎを起こさないよう監視するためですわ」
「俺が起こしてるみたいに言うな」
「違いますの?」
「……半分くらいは事故だ」
「半分は自覚がありますのね」
エリシアが口元を押さえて笑った。
最近、俺が何か言うたびにこの二人が笑っている気がする。
前世なら馬鹿にされていると思って逃げていただろう。
でも今は、少なくともそういう笑いではないと分かるようになってきた。
そこは少しだけ進歩なのかもしれない。
第二訓練場は、第一訓練場より広かった。
中央には砂を敷いた模擬戦用の区画があり、その周囲で二十人ほどの学生が剣を振っている。
「ようこそ剣術部へ!」
クラリッサが両腕を広げた。
「自分の家みたいに言うな」
「ほぼ毎日いるから似たようなもんだよ」
部員たちも俺に気づいたらしい。
視線が一斉に集まった。
(またこれか)
もう慣れたくないのに、少しずつ慣れてきている自分が嫌だった。
「銀髪の一年だ」
「セシリア先輩から一本取ったっていう?」
「セルジュ先生にも勝ったらしいぞ」
「本当かよ」
聞こえている。
全部聞こえている。
「帰っていい?」
「駄目!」
クラリッサに即座に拒否された。
そこへ、一人の上級生らしい男子が近づいてきた。
「君がレオン・アルセリアか」
大柄な青年だった。
茶髪を短く整え、肩幅も広い。
「俺は剣術部副部長のダリオ・グランツ。二年だ」
「レオンです」
「噂は聞いてる。今日は見学だったな。無理に入部を勧めるつもりはないから安心してくれ」
「まともな人だ……」
「何だその反応は」
「最近、会う人みんな何かしら強引なので」
ダリオ先輩が笑った。
「まあ、ここは変人が多いからな」
「先輩!」
クラリッサが抗議する。
「お前もその一人だ」
「否定できないけど!」
意外と居心地は悪くなさそうだった。
少なくとも、剣術部だからといって全員が血の気の多い戦闘狂というわけではないらしい。
「今日は好きに見ていけばいい。興味があれば軽く参加してもいいし、見てるだけでも構わない」
「ありがとうございます」
その時だった。
訓練場の奥から、空気の変わる気配がした。
何人かの部員が自然と道を開ける。
一人の少年が歩いてくる。
年齢は俺と同じくらい。
濃い青髪。
灰色の瞳。
整った顔立ちをしているが、俺とは全く違う種類の美形だった。
静かで、冷たい。
そして何より。
(強い)
立ち方だけで分かる。
身体の軸がぶれていない。
剣を提げている位置も、手を伸ばせば最短で抜けるよう調整されている。
セシリア先輩ほど完成されてはいない。
だが一年生として考えれば異常だった。
「来たか」
ダリオ先輩が少し面倒そうに呟く。
「誰です?」
俺が聞くと、エリシアが小声で教えてくれた。
「アーヴェル・クロイツ様です。クロイツ侯爵家の嫡男で、今年の首席入学生ですよ」
「首席?」
「筆記、魔術、剣術の総合成績で一位ですわ」
ヴィクトリアも続ける。
「特に剣術は、入学前から《若き蒼剣》と呼ばれておりますの」
「そんな二つ名まであるのか」
俺にはいらない。
絶対にいらない。
アーヴェルは真っ直ぐ俺の前まで来た。
近くで見ると、やはり隙が少ない。
「レオン・アルセリア」
「はい」
「昨日の査定を見た」
「そうですか」
「セルジュ教官から一本取ったな」
「たまたまです」
「嘘だ」
即答された。
「……もう少し迷ってくれない?」
「セシリア先輩にも勝っている。偶然が二度続くとは思わない」
正論だった。
嫌になるくらい正論だ。
「それで?」
「俺と戦え」
「嫌です」
俺も即答した。
周囲がざわつく。
クラリッサだけが何故か嬉しそうだ。
「やっぱりそうなると思った!」
「思ったなら止めてくれ」
アーヴェルは少しだけ眉を寄せた。
「理由は?」
「もう十分戦ったから」
「強者と戦える機会を捨てるのか」
「捨てます」
「なぜだ」
「疲れる」
アーヴェルが黙った。
俺も黙った。
周囲も妙に静かになった。
やがてヴィクトリアが額へ手を当てる。
「レオン。もう少し格好のつく理由はありませんの?」
「本当の理由なんだけど」
「そこが問題ですわ!」
アーヴェルは諦めなかった。
「俺は入学前から、セシリア先輩を超えることを目標にしてきた」
「立派だな」
「だが、その先輩に勝った一年がいる」
「一本取っただけです」
「それでもだ」
灰色の瞳が真っ直ぐ俺を見る。
「自分がどこまで通じるのか知りたい」
その言葉には嫌味も見栄もなかった。
本気なのだ。
ただ強くなりたい。
自分より強いかもしれない相手と戦いたい。
そういう人間らしい。
(……面倒だけど、嫌いじゃないな)
前世の俺にはなかったものを持っている。
目標。
努力。
挑戦する勇気。
俺は小さく息を吐いた。
「一回だけ」
「本当か?」
「見学の範囲でな」
「模擬戦を見学とは言わないと思います」
エリシアが静かに突っ込んだ。
訓練場中央。
俺とアーヴェルが向かい合う。
周囲にはいつの間にか部員全員が集まっていた。
「お前たち練習はどうした」
ダリオ先輩が言う。
「副部長も見てるじゃないですか!」
「……まあな」
結局みんな見るらしい。
クラリッサは最前列。
ヴィクトリアは腕を組み、エリシアは少し心配そうにしている。
「ルールは一本先取。魔法なし。急所禁止」
ダリオ先輩が宣言した。
「二人ともいいな?」
「はい」
「問題ない」
剣を構える。
アーヴェルの構えは正統派だった。
右足を半歩前。
剣先をこちらの喉元へ。
攻守どちらにも移れる。
(綺麗だな)
余計な癖がない。
そして。
「始め!」
速い。
アーヴェルが一気に間合いを詰めた。
上段。
受ける。
次は突き。
横へ外す。
そこから切り返し。
「おっ」
思わず声が出た。
上手い。
昨日戦った上級生三人より明らかに強い。
剣聖スキルを使えば動きは見える。
だが技の繋がりが自然で、無理がない。
「余所見するな!」
「してない!」
攻撃が続く。
アーヴェルは一度も止まらない。
こちらへ考える時間を与えないつもりだ。
そして十合ほど打ち合ったところで、俺は気づいた。
(……これ、楽しいな)
セルジュ先生との時と同じだ。
相手が強い。
だから次を考える。
どう受ける。
どう返す。
身体だけではなく、頭まで動く。
前世で対戦ゲームをしていた頃に少し似ていた。
ただ、今は画面の向こうではない。
目の前に相手がいる。
「レオン!」
アーヴェルが踏み込む。
鋭い突き。
俺は半身になって避ける。
そのまま手首を返せば剣を弾ける。
だが。
(それじゃ昨日と同じか)
一歩下がる。
アーヴェルが追う。
もう一歩。
追う。
三歩目。
踏み込んでくる瞬間、俺は前へ出た。
「なっ……!」
距離を潰す。
剣を振るう空間を消す。
肩と肩が触れるほど近づき、そのまま柄で相手の剣の根元を押す。
アーヴェルの剣先が横へ流れた。
俺の剣先が胸元へ触れる。
「……一本」
ダリオ先輩の声。
静寂のあと、周囲から大きなどよめきが起こった。
俺はすぐ剣を下げた。
「終わり」
アーヴェルは動かなかった。
負けたことに怒ったのかと思った。
しかし。
「……もう一度」
「嫌だ」
「即答するな!」
初めて声を荒らげた。
思ったより人間味がある。
「一回って約束しただろ」
「なら明日だ」
「何でセシリア先輩と同じ思考になるんだよ!」
周囲が笑う。
アーヴェルは少し不満そうだったが、やがて剣を収めた。
「分かった」
「分かってくれた?」
「今日は諦める」
「今日だけ?」
「明日また頼む」
「分かってないじゃないか」
模擬戦のあと。
俺は訓練場の端で水を飲んでいた。
そこへアーヴェルがやって来る。
「レオン」
「今度は何だ?」
「礼を言う」
「礼?」
「戦ってくれて」
意外だった。
「負けて腹立たないのか」
「腹は立つ」
「立つんだ」
「だが、それ以上に分かったことがある」
アーヴェルは自分の手を見る。
「俺はまだ弱い」
「十分強いと思うけど」
「お前より弱い」
「比較対象を俺にする必要ないだろ」
「ある」
「なぜ」
「同い年だからだ」
俺は少し困った。
でも、その目は真剣だった。
「次は勝つ」
「次がある前提なんだな」
「ああ」
「……好きにしてくれ」
俺が答えると、アーヴェルは初めて少しだけ笑った。
それから手を差し出してくる。
「アーヴェル・クロイツだ」
「さっき聞いたけど」
「改めてだ」
なるほど。
俺も手を出した。
「レオン・アルセリア」
握手する。
その瞬間、クラリッサが横から飛び出してきた。
「おおっ! ライバル誕生!」
「勝手に物語を作るな」
「でもそういう感じじゃん!」
「違う」
「俺は構わない」
「アーヴェルまで乗るな!」
また笑いが広がった。
帰り道。
今日はアーヴェルも途中まで同じ方向だった。
俺の隣を歩くエリシアが、少し嬉しそうに言う。
「良かったですね」
「何が?」
「男のお友達ができました」
「友達?」
俺は前を歩くアーヴェルを見る。
彼はクラリッサに何か話しかけられながら、珍しく困った顔をしていた。
「……友達なのか、あれ」
「少なくとも、向こうはそう思っているのでは?」
「ライバルと言ってたぞ」
「両立すると思います」
なるほど。
前世では、友達というものにすら明確な定義が必要だと思っていた。
何回会えば友達なのか。
どれくらい話せばいいのか。
遊びに行かなければ駄目なのか。
そんなことを考えているうちに、結局誰とも距離が縮まらなかった。
今は。
「……まあ、いいか」
「何がです?」
「友達ってことにしておく」
エリシアが笑った。
「はい」
俺も少しだけ笑った。
明日は魔術研究会。
明後日は東方剣術研究会。
セシリア先輩もいる。
アーヴェルという妙なライバルまで増えた。
俺の静かな学園生活は、もうどこにも見当たらない。
それでも。
前世では一人で閉じこもっていた俺の周りに、今は少しずつ人が増えている。
そのことを、以前ほど嫌だとは思わなくなっていた。
そして翌日。
俺は魔術研究会で、剣以上に扱い方の分からないものに遭遇することになる。
それは魔法でも魔導具でもなかった。
女子生徒から渡された、一通の恋文だった。




