第7章 剣術序列査定と、放課後の約束
翌日の朝。
俺は机の上に置かれた一枚の通知書を、もう五分ほど眺め続けていた。
何度読んでも内容は変わらない。
《一年生レオン・アルセリア。剣術序列暫定特別査定を本日第五時限終了後に実施する》
その下には、ご丁寧に監督責任者としてセシリア先輩の名前まで書かれている。
「……休んだら駄目かな」
「駄目です」
正面から即答したのはエリシアだった。
「まだ何も言ってないんだけど」
「お顔を見れば分かります」
「最近みんな俺の顔を読むようになってない?」
「レオン様が分かりやすいだけだと思います」
美しい栗色の長髪を肩から流しながら、エリシアが小さく笑う。
その隣ではヴィクトリアが呆れたように腕を組んでいた。
「学院の正式査定から逃げようとなさる貴族を初めて見ましたわ」
「俺も正式査定を受けるのは初めてだからな」
「そういう話ではありません!」
朝から元気だ。
さらに後ろの席からクラリッサが身を乗り出してくる。
「でも楽しみだなあ。昨日はセシリア先輩から一本取ったんでしょ? 今度はちゃんと測るんだよね」
「測らなくていい」
「なんで?」
「知らない方が幸せなこともある」
俺の場合、特に自分の実力がそれだった。
剣聖スキルの底がどこにあるのか、自分でも分からない。
これまで使ったのは、ほとんど反射的な技術ばかりだ。
本気で剣を振ったことなど一度もない。
そして正直、試したいとも思わない。
力があると知れば、それを使えと言われる。
期待される。
役目を与えられる。
前世では何者にもなれなかったくせに、今度は何者かになることを求められる。
極端すぎる。
「……はあ」
「またため息ですか」
エリシアが心配そうに覗き込んでくる。
「そんなに嫌なのですか?」
「嫌というか、面倒というか」
「同じことでは?」
「かなり違う」
説明は難しい。
すると、いつの間にか近くに来ていたカグラが静かに言った。
「怖いのでは」
「え?」
「自分がどこまでできるか知るのが」
黒髪の少女は相変わらず表情が薄い。
だが妙に核心を突いてくる。
「……そうかもな」
俺が素直に認めると、ヴィクトリアが少し意外そうな顔をした。
「あなたでも怖いものがあるのですね」
「失礼だな。俺は怖いものだらけだぞ」
「たとえば?」
「人混み。初対面。宴会。自己紹介。知らない人から突然話しかけられること」
「剣ではありませんの!?」
「剣の方が楽だ」
教室中から笑い声が上がった。
俺は頭を抱えた。
何で普通に話しているだけで笑われるんだ。
そして放課後。
学院第一訓練場には、予想以上の人数が集まっていた。
「……これ公開する必要ある?」
観覧席まで埋まっている。
一年生だけではない。
二年、三年。
教師まで何人かいる。
訓練場の端にはミレイユ先生まで白い医療ローブ姿で立っていた。
「先生まで何してるんですか」
「怪我人が出たら困るから」
「出さない予定です」
「君がじゃなくて、相手がね」
「俺、そんな危険人物扱いされてます?」
「半分くらい」
そこへセレフィア先生まで現れた。
「レオンさん」
「先生も?」
「私は精神状態の確認です」
「帰っていいですか」
「駄目です」
笑顔で封じられた。
本当に逃げ道がない。
中央ではセルジュ先生が試験用の訓練剣を確認している。
そしてその隣にセシリア先輩。
今日も淡い灰金色の長髪を束ね、凛とした姿で立っていた。
「来ましたね」
「来たくて来たわけではないです」
「知っています」
「分かってるなら中止にしてください」
「それはできません」
この人、少しずつ俺の扱いに慣れてきている気がする。
「査定は三項目だ」
セルジュ先生が説明を始めた。
「第一、基本動作。第二、対複数戦。第三、実戦形式の模擬戦。魔法は禁止。剣技のみで判定する」
「最後の相手は?」
聞きたくないが聞いておく。
「俺だ」
「よかった」
思わず安心した。
セルジュ先生が眉をひそめる。
「何がよかった?」
「セシリア先輩じゃなかったので」
「……私では不満ですか?」
隣から冷たい声。
「逆です。もう十分です」
「まだ一度しか戦っていません」
「普通は一回で十分なんです」
セシリア先輩の目が僅かに細くなった。
まずい。
何か余計なことを言ったかもしれない。
第一項目は何とか誤魔化せた。
素振り。
足運び。
突き。
受け。
最低限の速度に抑え、必要以上に綺麗に見せない。
「……わざと崩しているな」
セルジュ先生に即座に見抜かれた。
「気のせいです」
「次やったら減点するぞ」
「手を抜いて減点される査定ってあるんですか」
「今作った」
横を見ると、ミレイユ先生が笑っている。
教師陣の自由度が高すぎる。
第二項目は三人の上級生を同時に相手にするものだった。
「三人?」
「多いか?」
「いや」
むしろ少ない。
そう思った瞬間、自分でも嫌になった。
前世の俺なら、一人に肩を掴まれただけで逃げていたのに。
「始め!」
三方向から剣が来る。
右。
左。
正面。
すべて見える。
避ける。
受け流す。
踏み込む。
一人目の剣を軽く叩いて軌道を変え、その刃を二人目の攻撃へぶつける。
二人が一瞬止まる。
その隙に三人目の懐へ入る。
剣先を胸元寸前で止める。
「一本」
セルジュ先生の声。
残る二人が左右から来る。
反射的に動く。
一人の剣を手首で誘導し、もう一人の足元へ。
「うわっ!」
二人とも体勢を崩した。
片方の肩へ剣を触れさせる。
もう一方へ振り返る。
相手は構え直していた。
「待て!」
「え?」
「終了だ」
セルジュ先生が止める。
「まだ一人」
「もういい」
「でも」
「お前、今の一連の動作、何秒だったと思う」
「……十秒くらい?」
「四・八秒だ」
観覧席が静かになった。
(やった)
まただ。
またやった。
抑えたつもりだった。
いや、本当に抑えていた。
なのに四秒台。
「……もっと遅くした方が」
「もう何も言うな」
セルジュ先生が額を押さえた。
そして最後。
セルジュ先生との模擬戦。
今度こそ失敗できない。
「レオン」
「はい」
「一つ条件を追加する」
「嫌な予感しかしません」
「俺に一本取れ」
「取らなかったら?」
「査定未完了として後日再試験」
「卑怯だ!」
「教師の権限だ」
完全に逃げ道を塞がれた。
周囲ではクラリッサが大喜びしている。
ヴィクトリアも期待した目をしている。
エリシアだけが少し心配そうだった。
セシリア先輩は無言。
こちらを見ている。
「……分かりました」
剣を構える。
セルジュ先生も構えた。
空気が変わる。
この人は強い。
昨日のセシリア先輩とは種類が違う。
彼女が美しく研ぎ澄まされた刃なら、セルジュ先生は実戦で何度も傷つきながら残った剣だ。
勝ち方を知っている。
同時に、負け方も知っている。
「始め!」
先に動いたのはセルジュ先生だった。
速い。
昨日よりずっと速い。
俺の左肩へ振り下ろす。
受けない。
横へ。
次が来る。
下段。
避ける。
そこから刺突。
(繋ぎが速い)
少し楽しくなってきた。
そう思った瞬間、自分で驚いた。
剣で戦うことが楽しい。
今までそんな感覚はなかった。
ただ身体が勝手に動いていた。
でも今は違う。
相手が次に何をするのか。
どう返すのか。
考えるのが面白い。
「……笑ったな」
セルジュ先生が言う。
「え?」
「今、笑ったぞ」
言われて気づく。
本当に口元が少し上がっていた。
「余裕か!」
「違います!」
先生の剣がさらに速くなる。
十合。
二十合。
金属音が連続する。
いつの間にか観覧席の声が消えていた。
セルジュ先生が本気になっている。
なら。
俺も少しだけ。
踏み込む。
その瞬間、世界が静かになった。
相手の肩。
肘。
腰。
剣先。
全部が繋がって見える。
次の攻撃が来るより先に、その攻撃が生まれる場所へ自分の剣を置く。
カン。
軽い音だった。
セルジュ先生の剣が止まる。
俺の訓練剣は、先生の胸元に触れていた。
「……一本」
セルジュ先生が呟いた。
少し遅れて、観覧席からどよめきが起こる。
俺はすぐ剣を下ろした。
「……終わりですよね?」
「ああ」
「再試験ないですよね?」
「ない」
「よかった」
本気で安心する。
するとセルジュ先生が苦笑した。
「普通は俺から一本取ったことを喜ぶところだ」
「再試験がない方が嬉しいです」
「本当に変な奴だな」
* * *
査定結果は、その日のうちに出た。
俺の剣術序列は――。
「暫定十二位?」
掲示板を見て首を傾げる。
学院全体で十二位。
十分高い。
いや、高すぎる。
だがセシリア先輩に勝ったのだから、もっと上にされるかと思っていた。
「実績不足だからです」
横からセシリア先輩が言った。
「公式戦績がほとんどありませんから、暫定順位ではこれが限界です」
「じゃあこのままでいいです」
「いずれ上がります」
「上げなくていいです」
「無理でしょう」
「何で?」
「あなたは強いからです」
またそれだ。
「強いだけで順位を上げる必要あります?」
「剣術序列ですから」
「正論やめてください」
セシリア先輩がほんの少し笑った。
最初に会った時より、随分表情が柔らかくなった気がする。
「ところで」
「はい?」
「明日の放課後は空いていますか」
「……何でです?」
「剣の稽古を」
「断ります」
「まだ最後まで言っていません」
「内容が分かるので」
「では明後日」
「日付を変える問題じゃないです!」
ようやく解放された帰り道。
俺の左右にはエリシアとヴィクトリアがいた。
後ろにはクラリッサ、カグラ、リリアーナ。
気づけば完全に集団行動になっている。
「そういえばレオン様」
エリシアが言う。
「明日から部活動の見学でしたよね」
足が止まった。
忘れていた。
「あ……」
「忘れていましたわね?」
ヴィクトリアがすぐ気づく。
「少し」
「約束ですわよ」
「誰からだっけ」
「剣術部!」
クラリッサが即座に手を上げる。
「魔術研究会も」
リリアーナも続く。
カグラが静かに言った。
「東方剣術研究会も」
「増えてない?」
「今、追加した」
「勝手に追加するな!」
また笑いが起きる。
俺はため息をついた。
でも。
以前のような、心の底からのため息ではなかった。
疲れる。
面倒だ。
できれば静かにしてほしい。
それでも、一人になりたいとは思わなかった。
「……一日一つだからな」
俺が言うと、クラリッサが嬉しそうに拳を上げた。
「じゃあ明日は剣術部!」
「そこは抽選じゃないのか?」
「早い者勝ち!」
「貴族学院でその理屈が通るのかよ」
夕暮れの校舎へ笑い声が響く。
その少し後ろで、エリシアが俺を見て微笑んでいた。
視線に気づいて振り返る。
「何?」
「いいえ」
「言ってくれ」
「では一つだけ」
栗色の長髪を夕風に揺らしながら、彼女は柔らかく言った。
「最近のレオン様、とても楽しそうです」
俺は反射的に否定しようとした。
でも、できなかった。
「……そう見える?」
「はい」
少し考える。
前世では、明日が来るのが嫌だった。
また同じ一日が始まるだけだから。
でも今は。
明日は剣術部の見学。
たぶんクラリッサに振り回される。
その次は魔術研究会。
リリアーナに何を実験されるか分からない。
セシリア先輩にも追い回されそうだ。
面倒事しかない。
それなのに。
「……まあ、少しだけな」
そう答えると、エリシアは嬉しそうに笑った。
そして俺はまだ知らなかった。
翌日の剣術部見学で、俺が初めて同年代の男子から真正面から勝負を挑まれることを。
しかもその相手が、学院で俺とは別の意味で有名な人物だということを。




