第75章(続き)クラリッサを被験者にしてはいけない
結局、アーヴェルは模擬戦を引き受けた。
もちろん安全のため、木剣を使用し、攻撃の威力も制限する。
ところが。
二人が向かい合った途端、装置から壮大な音楽が流れ始めた。
そして空中に巨大な文字が現れる。
『勇者クラリッサ、出陣!』
クラリッサ「おおっ!」
さらに。
『その前に立ちはだかる、恐怖の魔王アーヴェル!』
アーヴェル「恐怖の魔王……」
俺は思わず吹き出した。
レオン「ぶっ……!」
アーヴェル「笑うな」
レオン「ご、ごめん……!」
マリアベル「えっ、ちょっと待って。対戦相手の役柄まで自動生成されたの!?」
リリアーナ「物語演出機能が正常動作した模様」
レオン「そんな機能までつけたの!?」
マリアベル「研究が進めば、演出に変化があった方が面白いでしょう?」
もう隠す気もないらしい。
クラリッサ「魔王アーヴェル! 覚悟!」
アーヴェル「乗りすぎだろ……」
クラリッサが踏み込む。
アーヴェルが木剣で受ける。
『魔王の鉄壁の守り!』
アーヴェル「普通に防いだだけだよ!」
『勇者、苦戦!』
クラリッサ「くっ! さすが魔王!」
アーヴェル「頼むから普通に戦ってくれ」
アーヴェルが反撃する。
『恐るべき魔王の反撃!』
アーヴェル「俺だって攻撃くらいするだろ!」
クラリッサがそれをかわす。
『勇者、奇跡の回避!』
クラリッサ「やったー!」
『勇者に希望の光が差し込む!』
なぜか天井から光が降り注いだ。
レオン「ちょっと待って。これ、もう演劇じゃない?」
マリアベル先輩は机に手をついていた。
マリアベル「んふ……ふふっ……だ、駄目……!」
肩が震えている。
レオン「先輩?」
マリアベル「ま、魔王って……アーヴェル君が……んふふっ!」
アーヴェル「部長が一番笑ってるじゃないですか!」
リリアーナ「新発見」
レオン「何?」
リリアーナ「対戦相手の怒りも、闘志向上に寄与しています」
アーヴェル「誰のせいだと思ってんだ!」
リリアーナ「研究に協力していただき、ありがとうございます」
アーヴェル「そういう事じゃねぇ!」
問題は、ここからだった。
訓練室の隅では、研究会の別の部員が魔導投影装置を調整していた。
実験内容を隣の観察室へ映すためのものらしい。
ところが、接続先を間違えた。
訓練室の幻影演出が、そのまま学院内の案内用魔術板へ送られてしまったのである。
最初に異変へ気づいたのは、通りかかった一年生たちだった。
『勇者クラリッサ、魔王アーヴェルとの決戦!』
生徒A「……何これ?」
生徒B「魔王?」
生徒C「アーヴェルって、あのアーヴェル?」
中庭の案内板にも。
『恐怖の魔王アーヴェル、勇者を迎え撃つ!』
廊下の掲示板にも。
『決戦、いよいよ佳境!』
しまいには研究棟の入口にまで。
『勇者クラリッサを応援しよう!』
そんな文字が浮かび上がっていた。
当然、学院内は騒然となった。
俺が異変に気づいたのは、エリシアたちが訓練室へ駆け込んできた時だった。
エリシア「レオン様!」
レオン「エリシア? どうしたの?」
エリシア「学院中の掲示板に、勇者と魔王の戦いが映し出されているのですが……」
レオン「……はい?」
ヴィクトリア「いったい何をしていますの!?」
ヴィクトリアも一緒だった。
その後ろには、ソフィア、カグラ、ルミナまでいる。
状況を見たヴィクトリアが目を見開いた。
ヴィクトリア「……クラリッサ?」
クラリッサ「ヴィクトリア! 見て見て! 私、勇者になった!」
ヴィクトリア「勇者!?」
アーヴェル「俺は魔王です」
ヴィクトリア「……なぜあなたが?」
アーヴェル「こっちが聞きたいよ!」
カグラがアーヴェルをじっと見る。
カグラ「似合ってる」
アーヴェル「嬉しくねえよ?」
ソフィア「で、でも、アーヴェルさんが魔王だなんて……」
アーヴェル「ソフィア、違うから、装置が勝手に言ってるだけだから」
ルミナ「確認しました。学院内の掲示板十三か所で、魔王アーヴェル様の情報が表示されています」
アーヴェル「……なに?」
ルミナ「では、魔王アーヴェル様」
アーヴェル「普通に呼んでくれ」
その間にも、装置の演出は続いていた。
『魔王、勇者を追い詰める!』
ヴィクトリア「……本当に何をしていますの?」
レオン「俺も途中から分からなくなった」
エリシア「ずいぶん楽しそうな研究ですね」
レオン「楽しんでるの、先輩とリリアーナとクラリッサだから!」
マリアベル先輩は笑いながら記録を続けていた。
マリアベル「だ、駄目……ふふっ……こんなに面白い結果が……!」
リリアーナ「学会発表に値する可能性ーー
『対人模擬戦における英雄役・魔王役の心理的影響について』」
マリアベル「素晴らしい題名ね!」
レオン「発表しないでください!」
さすがに、これ以上続けるわけにはいかない。
学院中に魔王アーヴェルの名前が広まっている。
放っておいたら、明日には本当に魔王として知られてしまいそうだ。
レオン「マリアベル先輩! もう止めましょう!」
マリアベル「ええっ? でも、まだ貴重なデータが――」
レオン「学院中に映ってますから!」
マリアベル「……え?」
マリアベル先輩が振り返る。
ルミナが現在の掲示板の映像を小さな幻影にして見せた。
『最終決戦! 勇者クラリッサ対魔王アーヴェル!』
先輩が固まる。
マリアベル「……学院中?」
ルミナ「はい」
マリアベル「……全部?」
ルミナ「十三か所です」
マリアベル「……」
しばらく沈黙。
マリアベル「リリアーナ」
リリアーナ「はい」
マリアベル「これ、研究会の宣伝としては大成功じゃない?」
レオン「そういう問題じゃありません!」
俺が思わず叫ぶと、マリアベル先輩はようやく苦笑した。
マリアベル「冗談よ。さすがに止めましょう」
リリアーナ「緊急停止、実行」
装置の光が消える。
音楽が止まり、巨大な文字も炎の幻影も消えていった。
ようやく訓練室に静けさが戻る。
アーヴェル「……終わった」
レオン「長かったね」
アーヴェル「俺、今日だけで十年分くらい魔王って呼ばれた気がする」
レオン「お疲れさま、魔王」
アーヴェル「お前まで言うな!」
ところが。
クラリッサ「よーし! 次はレオンと勝負だ!」
レオン「……え?」
クラリッサ「勇者と剣聖の対決!」
レオン「装置はもう止まってるよ!?」
クラリッサ「だから普通に勝負!」
レオン「何でそんな元気なの!?」
リリアーナが手元の記録を見る。
リリアーナ「観測結果」
マリアベル「何かしら?」
リリアーナ「装置停止後も、クラリッサの闘志はほぼ低下していません」
マリアベル「……すごいわ」
レオン「感心するところですか!?」
ルミナ「結論が出ました」
レオン「何?」
ルミナ「最も高性能な闘志増幅装置は、クラリッサ様自身です」
妙に納得してしまった。
クラリッサ「えへへ! そうかな!」
アーヴェル「褒めてんのか、それ!?」
そして、マリアベル先輩が考え込む。
マリアベル「……待って」
嫌な予感。
マリアベル「だったら、装置を使わない状態のクラリッサさんを詳しく調べれば――」
レオン「もう実験は終わりです!」
リリアーナ「残念」
クラリッサ「えーっ!」
何で三人とも残念そうなんだ。
* * *
当然、この騒動が先生たちの耳に入らないはずがなかった。
しばらくして、セレフィア先生が部室へやってきた。
セレフィア「……皆さん」
穏やかな声だった。
ただし、笑顔ではない。
セレフィア「説明していただけますか?」
マリアベル先輩が背筋を伸ばす。
マリアベル「はい。今回の実験は、闘志と魔力効率の関係について――」
セレフィア「その研究内容は、後ほど報告書で確認します」
マリアベル「はい」
セレフィア「まず、学院中の掲示板に魔王が現れた経緯からお願いします」
部室が静まり返った。
アーヴェルが俺の袖を引く。
アーヴェル「……なあ」
レオン「何?」
アーヴェル「俺、被害者だよな?」
レオン「うん」
アーヴェル「なのに、何で一緒に怒られてるんだ?」
レオン「魔王だからじゃない?」
アーヴェル「違うだろ!」
セレフィア「レオン君、アーヴェル君」
レオン・アーヴェル「はい!」
俺たちまで背筋を伸ばした。
……完全に巻き添えである。
* * *
その後、マリアベル先輩とリリアーナには、正式な実験報告書と再発防止策の提出が命じられた。
学院内の掲示装置との接続を確認する手順も追加するらしい。
研究会の部長として、マリアベル先輩はきちんと責任を引き受けていた。
マリアベル「今回は私の確認不足だったわ。みんな、ごめんなさいね」
リリアーナ「接続先の確認工程を改善します」
レオン「お願いします。本当に」
クラリッサ「でも、すっごく楽しかった!」
マリアベル「そう言ってもらえるのは嬉しいわ」
レオン「そこで意気投合しないでください!」
アーヴェル「俺は全然楽しくなかったぞ!」
クラリッサ「でも強かったよ! 魔王!」
アーヴェル「魔王じゃない!」
マリアベル先輩が再び吹き出した。
マリアベル「んふ……ふふっ……ご、ごめんなさい……!」
アーヴェル「先輩、全然反省してないでしょう!」
マリアベル「してるわ! してるけど……んふふっ!」
その横でリリアーナが静かに記録をつけていた。
レオン「リリアーナ、何を書いてるの?」
リリアーナ「実験の総括」
レオン「見せて」
手帳には、丁寧な字でこう書いてあった。
『被験者クラリッサ――闘志増幅効果、非常に高い』
『対戦相手アーヴェル――怒りによる戦意向上を確認』
『被験者の満足度――極めて高い』
『対戦相手の満足度――極めて低い』
レオン「……ぷっ」
アーヴェル「何で笑った?」
レオン「いや、すごく正確だなって」
アーヴェル「何が!?」
俺はこの日、一つの教訓を得た。
剣術部より危険な場所が、この学院にはある。
それは、魔術研究会だ。
そして、最も恐ろしいのは魔導具でも、難解な魔術式でもない。
好奇心旺盛な研究者二人と、何でも面白がって引き受けるクラリッサ。
この三人を同じ部屋に集めてはいけない。
絶対に。




