第74章 ヴィクトリア、料理の名誉を取り戻す
《記憶投影晶》の調査から数日。
幸い、それ以降は特に何も起きていなかった。
記憶が飛ぶこともなければ、変な魔導具に触れることもない。授業を受けて、昼休みになって、みんなで食堂へ行く。
ようやく普通の学院生活が戻ってきた。
(……こういうのでいいんだよ)
最近は本当に、普通の一日がありがたい。
そんなことを考えながら昼食の席についた、その時だった。
ヴィクトリア「レオン」
レオン「ん?」
目の前にヴィクトリアが立っていた。
妙に胸を張っている。
ヴィクトリア「本日、あなたには訂正していただきたいことがありますわ」
レオン「何を?」
ヴィクトリア「わたくしが料理下手だという、不名誉な認識をですわ!」
レオン「まだ気にしてたんだ……」
ヴィクトリア「気にしますわ!」
即答だった。
思い当たる原因はある。
合同演習の時、ヴィクトリアが作ったスープ。
塩。
とにかく塩。
あれはもはや、スープというより塩水に近かった。
さらに少し前。噂話についてヴィクトリア自身が、
『材料だけは正しいのに、調理の仕方が完全に間違っていますわ』
と言ったせいで、俺が料理のことを思い出してしまった。
ヴィクトリア「だからといって、いつまでも料理下手扱いされるのは納得できませんの」
レオン「別にいつも言ってないけど」
ヴィクトリア「顔に出ていますわ!」
レオン「出してないよ!?」
ヴィクトリア「出ています!」
そんな自信満々に言われても困る。
ヴィクトリアが机の上へ包みを置く。
中には綺麗に詰められた昼食。焼いた肉、野菜、卵料理、小さなパンまである。
レオン「……これ」
ヴィクトリア「わたくしが作りましたわ」
レオン「本当に?」
ヴィクトリア「その疑い方をまず訂正しなさい!」
俺が少し身を乗り出す。
見た目は普通に美味しそうだ。
エリシア「昨日、少しだけお手伝いしました」
ソフィア「味付けも一緒に確認しました」
カグラ「塩の量も確認した」
ヴィクトリア「皆さん! 余計な情報を追加しないでくださいまし!」
レオン「結構厳重に監視されてたんだね」
ヴィクトリア「監視ではありませんわ!」
クラリッサ「私は味見した!」
ヴィクトリア「あなたは食べただけですわ!」
クラリッサ「美味しかったよ!」
ヴィクトリア「それは今言わなくていいです!」
何となく、全員の視線が俺へ集まる。
レオン「……何?」
ヴィクトリア「食べてくださいまし」
レオン「俺が?」
ヴィクトリア「そのために持ってきたんですの!」
レオン「そうなんだ」
ヴィクトリア「そうです!」
ずいぶん緊張している。
そこまでされると、こっちまで緊張する。
レオン「じゃあ……」
一口。
全員が黙った。
何で、ただ昼ご飯を食べているだけなのに、こんなに注目されてるんだ。
ヴィクトリアまで、こっちをじっと見ている。
ヴィクトリア「どう、ですの?」
声が少しだけ小さい。
俺はもう一口食べる。
レオン「……おいしい」
ヴィクトリア「!」
レオン「普通においしいよ」
ヴィクトリアの顔が一気に明るくなる。
ヴィクトリア「そ、そうでしょう!」
そしてすぐ、何事もなかったように胸を張った。
ヴィクトリア「わたくしが本気を出せば、この程度は当然ですわ!」
でも、耳まで赤い。
レオン「かなり練習した?」
ヴィクトリア「当然ですわ。わたくしが本気を出せば――」
カグラ「三回焦がした」
ヴィクトリア「カグラ!」
カグラ「事実」
ヴィクトリア「今は黙っていてくださいまし!」
ソフィア「味付けを間違えたのも二回ほど……」
ヴィクトリア「ソフィアまで!?」
ソフィア「す、すみません……」
エリシア「でも、最後はヴィクトリア様がお一人で仕上げられましたよ」
ヴィクトリア「エリシア……!」
ヴィクトリアが助けられたような顔をする。
俺は料理を見る。
焦がしたり、味付けを間違えたり。それでも何度も作り直したんだろう。
レオン「頑張ったんだね」
ヴィクトリアが止まった。
ヴィクトリア「まあ」
レオン「うん」
ヴィクトリア「少しくらいは」
急に小声になる。
何だろう。こういうところ。
レオン「そういうところ、やっぱり可愛いね」
ヴィクトリア「なっ――!」
ヴィクトリアの顔が一瞬で真っ赤になった。
アーヴェル「お前」
横からアーヴェルの声。
レオン「何?」
アーヴェル「本当に学習しないな」
レオン「何が?」
アーヴェル「そういうこと平然と言うところだよ!」
レオン「だって本当にそう思ったから」
アーヴェル「それが問題なんだよ!」
ヴィクトリア「アーヴェル!」
アーヴェル「はい?」
ヴィクトリアが勢いよく振り返る。
ヴィクトリア「今の発言は忘れなさい!」
アーヴェル「俺に言われても!」
ヴィクトリア「忘れなさい!」
アーヴェル「記憶って命令で消せないんですよ!」
それは俺が一番よく知っている。
クラリッサ「じゃあ次!」
突然、クラリッサが手を上げた。
レオン「何が?」
クラリッサ「今度は私が作る!」
レオン「何で競争になるの?」
クラリッサ「だってヴィクトリアだけずるい!」
レオン「何がずるいの!?」
カグラ「私も」
レオン「カグラも?」
カグラ「負ける理由がない」
レオン「勝ち負けになってる」
ソフィアも少し考えながら口を開く。
ソフィア「でしたら、私も何か作ってみましょうか……」
レオン「ソフィアまで?」
エリシアを見る。
笑っている。
レオン「エリシア」
エリシア「はい?」
レオン「参加する顔してるよね?」
エリシア「楽しそうですね」
レオン「やっぱり!」
話がどんどん変な方向へ進んでいく。
ヴィクトリア、クラリッサ、カグラ、ソフィア、エリシア。
誰が何を作るか、いつ作るか、何が得意か。
そんな話になり始めた。
レオン「待って」
俺は手を上げる。
レオン「何で俺が審査員みたいになってるの?」
リリアーナ「新しい比較実験」
レオン「やめよう?」
もう手帳を出していた。
リリアーナ「料理技能と好感度上昇量の相関関係」
レオン「絶対やめよう!」
リリアーナ「有用なデータ」
レオン「誰に!?」
その横でルミナが首を傾げる。
ルミナ「質問があります」
レオン「嫌な予感がする」
ルミナ「異性へ手料理を提供する行為は、求愛行動に分類されますか?」
全員が止まった。
レオン「ルミナ」
ルミナ「はい」
レオン「今日はその研究しなくていいから」
ルミナ「なぜですか?」
レオン「大事故になるから!」
アーヴェルが深いため息をつく。
アーヴェル「昨日まで結婚の噂で騒いでたのに」
レオン「何?」
アーヴェル「今度は手料理か」
レオン「だから?」
アーヴェル「外から見たら」
一拍。
アーヴェル「婚約候補たちが、正妻の座を賭けて料理対決してるように見えるぞ」
全員が黙った。
俺もちょっと想像した。
かなりまずい。
レオン「中止!」
クラリッサ「まだ始まってないよ!?」
レオン「始まる前に止める!」
クラリッサ「何で!?」
レオン「また噂が増えるから!」
ヴィクトリアが腕を組む。
ヴィクトリア「さすがに、そこまで都合よく歪曲されるとは――」
全員でアーヴェルを見る。
アーヴェル「何で俺を見るんだよ!」
レオン「実例があるから」
アーヴェル「俺を実例にするな!」
その時だった。
食堂の近くをセシリア先輩が通りかかった。
レオン「あ」
レオン「セシリア先輩」
セシリア先輩がこちらを見る。
机いっぱいの料理。
その中央に俺。
周囲には女子たち。
そして、何となく気まずそうなアーヴェル。
セシリア先輩が数秒止まった。
レオン「先輩?」
セシリア「今回は」
レオン「はい?」
少し間。
セシリア「何人目ですか?」
レオン「違います!」
アーヴェル「先輩、もう完全に毒されてるじゃないですか!」
セシリア「……失礼しました」
アーヴェル「そこで普通に謝られると余計に困ります!」
結局、料理対決は中止。
というか、そもそも始めていない。
ヴィクトリアの料理を中心に、みんなで少しずつ昼食を分けるだけになった。
クラリッサ「これ美味しい!」
ヴィクトリア「さっきも食べたでしょう!」
クラリッサ「二回目も美味しい!」
ヴィクトリア「そういう問題ではありませんわ!」
カグラは黙々と食べている。
ヴィクトリア「カグラ」
カグラ「何?」
ヴィクトリア「どう?」
カグラ「美味しい」
ヴィクトリア「……!」
ヴィクトリアが少し嬉しそうな顔になる。
ソフィアも頷く。
ソフィア「本当に上手になりましたね」
ヴィクトリア「当然ですわ」
また胸を張る。
俺も、もう一度料理を食べる。
レオン「うん。これならもう、料理下手って言わないよ」
ヴィクトリア「当然ですわ!」
満足そうだった。
その横で、アーヴェルが小声で言う。
アーヴェル「“もう”ってことは、前は認めてたんだな」
ヴィクトリアがゆっくり振り返る。
ヴィクトリア「アーヴェル」
アーヴェル「はい」
ヴィクトリア「あなたの話は」
一拍。
ヴィクトリア「半分だけ信じることにしますわ」
アーヴェル「何で俺に返ってくるんですか!?」
レオン「多数決が増えたね」
アーヴェル「お前は黙れ!」
レオン「でも今ので四人目くらい――」
アーヴェル「数えるな!」
その後も、昼休みは最後まで騒がしかった。
クラリッサが俺の分を勝手に食べて、ヴィクトリアが怒る。
カグラは焼き菓子を確保し、リリアーナは何かを記録し続け、エリシアとソフィアはそれを見ながら笑っていた。
少し前まで、俺は記憶を失っていた。
原因の分からないことも、まだ残っている。
それでも。
こういう普通で、騒がしくて、くだらない時間は、ちゃんと戻ってきた。
(……やっぱり、こういうのが一番いいな)
そう思った、その時。
ルミナ「レオン様」
レオン「何?」
ルミナ「確認したいことがあります」
レオン「嫌な予感がする」
ルミナ「ヴィクトリア様の料理を口にした際、レオン様の表情変化率が通常の食事より十二パーセント上昇しました」
ヴィクトリア「……!」
レオン「そんなところ測ってたの?」
ルミナ「はい」
ヴィクトリア「ル、ルミナ。その情報に特に意味はありませんわ!」
ルミナ「さらに、ヴィクトリア様がレオン様の返答を待っていた際、心拍数が――」
ヴィクトリア「そこから先は禁止ですわ!」
ヴィクトリアが勢いよく立ち上がった。
ルミナ「なぜですか?」
ヴィクトリア「なぜでもです!」
リリアーナ「続けて」
ヴィクトリア「リリアーナ!?」
リリアーナ「重要な観測結果」
ヴィクトリア「重要ではありませんわ!」
アーヴェル「いや、ちょっと気になるな」
ヴィクトリア「あなたまで何ですの!」
レオン「そんなに緊張してたの?」
ヴィクトリア「しておりません!」
ルミナ「していました」
ヴィクトリア「ルミナ!」
ルミナ「測定結果では――」
ヴィクトリア「測定結果を封印なさい!」
すると、カグラがヴィクトリアの料理をもう一口食べながら言った。
カグラ「でも」
ヴィクトリア「何ですの?」
カグラ「レオンが美味しいって言った時、一番嬉しそうだった」
ヴィクトリア「カグラまで!?」
クラリッサ「うん! すごい顔してた!」
ヴィクトリア「どんな顔ですの!?」
クラリッサ「こんな!」
クラリッサが思いきり嬉しそうな笑顔を作った。
ヴィクトリア「そんな顔しておりませんわ!」
エリシア「少し似ていましたよ」
ヴィクトリア「エリシア!?」
ソフィア「……少しだけ」
ヴィクトリア「ソフィアまで!?」
アーヴェルが俺の肩を軽く叩く。
アーヴェル「レオン」
レオン「何?」
アーヴェル「これはもう、料理の名誉回復どころじゃないな」
レオン「どういう意味?」
アーヴェル「分からないなら、そのままでいろ」
ヴィクトリア「アーヴェル!」
アーヴェル「はいはい」
レオン「何で俺だけ分からないの?」
ルミナ「説明しましょうか?」
ヴィクトリア「絶対にやめなさい!」
レオン「何で!?」
結局。
ヴィクトリアの料理下手という評価は、その日、無事に撤回された。
代わりに。
本人が全力で撤回したがっている別の何かが、みんなの中に残った気がする。
ヴィクトリア「何も残っておりませんわ!」
レオン「心読まないで!?」
アーヴェル「そこは半分くらい信じとけ」
レオン「君の話を?」
アーヴェル「俺じゃねえよ!」
今日も。
いつもの昼休みは。
最後まで静かには終わらなかった。




