第71章 留守の間に、何人と結婚することになったんです?
王都から遠く離れた辺境。
ここ数週間。
セシリア先輩は。
実戦形式の剣術留学を続けていた。
そして。
その訓練相手として。
アルセリア家に仕える辺境騎士家の娘であるフィオナも。
毎日のように一緒に剣を振っていた。
フィオナにとって。
ここは留学先ではない。
昔から暮らし。
剣を鍛えてきた場所だった。
王都の情報が届くのは遅い。
だから。
最初に聞いた話は。
まだ普通だった。
「そういや、アルセリア家の三男に縁談が来たらしいな」
休憩中。
王都方面から来た騎士が何気なく言った。
フィオナが顔を上げる。
「レオンに?」
「らしいぞ。公爵家だとか」
セシリア先輩は剣の手入れを続けながら。
「貴族であれば、珍しい話ではありません」
「まあ、そうだよね」
その時は。
それで終わった。
数日後。
今度は。
交易商人から別の話を聞いた。
「公爵令嬢だけじゃないらしいぞ」
フィオナ。
「え?」
「伯爵令嬢とも婚姻話が進んでるとか」
「……二人?」
セシリア先輩。
「“婚姻候補”が途中で“婚姻”になった可能性があります」
「なるほど」
まだ。
冷静だった。
さらに数日後。
「あと、魔導人形の娘も嫁にするそうだ」
「……」
フィオナが止まった。
セシリア先輩も。
剣を拭く手が止まった。
「……増えた」
「増えましたね……」
噂は。
そこからさらに成長した。
「王国から役人まで来たそうだ」
「役人?」
フィオナが聞き返す。
「魔導人形との婚姻を正式に認めてもらうためだとか」
「王国まで動かしたの!?」
セシリア先輩の眉が。
ほんの少しだけ動く。
「……本人へ確認する必要がありそうですね」
「セシリア、ちょっと気になってる?」
「情報の正確性が気になっています」
「ふーん」
「何ですか」
「別に」
そして。
話はいつの間にか。
さらに具体的になっていた。
ヴィクトリア。
公爵家の正妻。
エリシア。
第二夫人。
ルミナ。
王国特例で認められる第三夫人。
「……もう順番まで決まってる」
フィオナが呟いた。
さっきまでなら。
笑って流せた。
でも。
ここまで具体的になると。
逆に少し不安になってくる。
「ねえ、セシリア」
「何ですか」
「これ……本当に全部ただの噂だよね?」
セシリア先輩は。
すぐには答えなかった。
「……少なくとも」
「うん」
「私たちが王都を離れる前には、そのような話はありませんでした」
「でも、何週間も離れてる」
「ええ」
「その間に、本当に話が進んでたら?」
「……」
セシリア先輩が黙る。
フィオナの顔から。
少しずつ笑いが消えていく。
「レオンなら、何も言わないまま変なことに巻き込まれててもおかしくないよね」
「否定しづらいですね」
「しかも役人まで来たんでしょ?」
「……そう聞いています」
「セシリア」
「はい」
「ちょっと心配になってきた」
一拍。
「私もです」
今度は。
二人とも笑わなかった。
ところが。
ここへ。
別の話が混ざった。
「そういや、レオンの親友が学院を辞めるらしいぞ」
「親友?」
「アーヴェルとかいう奴」
フィオナが首を傾げる。
「何で?」
「喧嘩したらしい」
「レオンと?」
「そう聞いた」
さらに。
数日後。
「二人きりで決闘したらしいぞ」
フィオナ。
「……何で?」
「さあ」
さらに。
さらに。
話は変わった。
「レオンの結婚話を聞いたアーヴェルが嫉妬したらしい」
「……」
フィオナがゆっくりセシリア先輩を見る。
「嫉妬?」
「私に聞かないでください」
「そのあと、自分では駄目なのかってレオンへ迫ったとか」
「……」
「……」
沈黙。
フィオナ。
「……レオン、そっちも?」
「……」
最終的に。
辺境まで届いた話は。
こうなっていた。
レオンが複数の女性との結婚を決める。
それを知った親友アーヴェルが。
長年秘めていた想いを告白。
しかし。
レオンは応えられない。
二人は。
人目のない訓練場で。
想いをぶつけ合いながら決闘。
アーヴェル敗北。
そして。
『お前の幸せを、遠くから願う』
という言葉を残し。
傷心のまま学院を去った。
「……誰?」
フィオナが言った。
「アーヴェルという方でしょう」
「いや、そうじゃなくて」
「……」
しかも。
話はまだ終わらなかった。
「そのあと、レオンが倒れたそうだ」
フィオナの顔が変わる。
「倒れた?」
「目を覚ましたら、学院に入ってからの記憶を失ってたとか」
「……それ、本当?」
「そこまでは分からん」
セシリア先輩が。
今度こそ完全に手を止めた。
そして。
最後に届いたのは。
こういう話だった。
複数婚を決めたレオン。
親友アーヴェルとの破局。
その心労で記憶を失う。
目覚めたレオンは。
婚約者候補たちのことまで忘れていた。
そこで。
女性たちが一人ずつ。
レオンとの愛の思い出を再現。
最後に。
ルミナの名前を呼んだ瞬間。
すべての記憶を取り戻した。
フィオナ。
「……王都へ行こう」
セシリア先輩。
「ええ」
「即答だね」
「記憶障害まで含まれている以上、確認すべきです」
「結婚の方も?」
「……それも情報整理が必要です」
「気になってるんだ」
「フィオナ!」
数日後。
王立セレスティア高等学院。
「だからさ」
昼休み。
アーヴェルが俺の机の前で。
まだ怒っていた。
「『アーヴェルの話は半分だけ信じろ』って書いた奴ら」
「うん」
「俺まだ許してないからな」
「三人くらいいたよね」
「人数は関係ねえ!」
「多数決なら負けてるけど」
「多数決で俺の信用を決めるな!」
その時。
教室の扉が開いた。
淡い灰金色の長い髪。
見覚えのある。
凛とした立ち姿。
「セシリア先輩?」
その後ろ。
「フィオナ?」
二人とも。
旅装のままだった。
「お久しぶりです」
「久しぶり」
俺たちも簡単に挨拶する。
「お久しぶりです」
「お帰りなさい」
エリシアたちも。
口々に声をかけた。
そして。
挨拶が終わった。
次の瞬間。
セシリア先輩が俺を見る。
「レオン」
「はい?」
「結局」
一拍。
「何人と結婚する予定なんですか?」
「……はい?」
教室が。
静かになった。
フィオナも俺を見る。
「まず、ヴィクトリアでしょ?」
「何で!?」
ヴィクトリアが立ち上がる。
「正妻と聞きました」
セシリア先輩。
「決まっておりませんわ!」
「じゃあ違うの?」
フィオナ。
「婚約候補です!」
「候補なんだ」
「そこは本当なんだ」
「言い方!」
「次に」
フィオナが。
エリシアを見る。
「エリシアが第二夫人」
「第二……」
エリシアまで。
珍しく固まった。
俺は頭を抱える。
「何で順位まで決められてるの!?」
「違うの?」
「違う!」
エリシアが。
少しだけ困ったように笑う。
「私も、候補のお話が出ただけです」
「じゃあ」
フィオナ。
「二人とも候補ではあるんだ」
「……」
俺。
ヴィクトリア。
エリシア。
三人とも黙った。
「そこは否定しないんだ」
「話がややこしくなるから!」
セシリア先輩の視線が。
ルミナへ向く。
「そして、ルミナ」
「はい」
「レオンとの婚姻を王国に認めさせるため、役人が学院へ来たと」
「違います!」
俺が即答。
ルミナ。
「王国側の担当者が来たこと自体は事実です」
「ルミナ!」
フィオナの目が大きくなる。
「本当に来たの!?」
「目的が違う!」
ルミナが淡々と説明する。
「私の法的な立場と、学院での居住について確認するためです」
「……」
フィオナ。
「全然違うじゃん」
「だから言ってる!」
セシリア先輩。
「では、現在の婚約者は?」
「ゼロです!」
「婚約候補は?」
「……」
「レオン?」
「複数……です」
フィオナ。
「そこは本当なんだ」
「だから言い方!」
「では次です」
セシリア先輩の視線が。
俺の横へ。
アーヴェル。
「何ですか?」
「あなたが普通に学院にいることにも驚いています」
「何でです?」
フィオナ。
「レオンに振られて学院を去ったって聞いた」
「……は?」
「え?」
俺もアーヴェルを見る。
「俺、アーヴェル振ったの?」
「俺に聞くな!」
フィオナが説明する。
「レオンの結婚を知って」
「うん?」
「アーヴェルが嫉妬して」
「してねえ!」
「自分じゃ駄目なのかって迫った」
「言ってねえ!」
「そのあと二人だけで訓練場へ」
セシリア先輩。
「決闘」
俺。
「普通の模擬戦です!」
アーヴェル。
「そこだけ本当だからややこしいんだよ!」
フィオナ。
「それでアーヴェルが負けて」
「まあ、負けたけど」
「『お前の幸せを遠くから願う』って」
「誰だその俺!?」
教室中から。
笑い声。
クラリッサ。
「アーヴェル、そんな想いを……」
「乗るな!」
カグラ。
「親友以上」
「違う!」
リリアーナ。
「興味深い新説」
「記録するな!」
ルミナ。
「過去の行動記録との整合性を――」
「検証しなくていい!」
「実際は?」
フィオナが聞く。
アーヴェルは頭を抱えた。
「親父が体調崩したから、一回家に戻っただけ!」
「じゃあ退学は?」
「しかけただけ!」
「レオンとの決闘は?」
「帰る前に模擬戦!」
「二人きりで?」
「……まあ」
「人目の少ない訓練場?」
「夕方だからな」
「……」
「その顔やめろ!」
セシリア先輩。
「噂が形成された経緯だけは理解できました」
「理解しないでください!」
フィオナ。
「で、そのあとレオンが」
「うん?」
「アーヴェルを振ったショックで記憶を失った」
「何で振った俺がショック受けるの!?」
アーヴェル。
「俺が聞きてえよ!」
ただ。
セシリア先輩の表情が。
そこで変わった。
「記憶を失ったという話自体は?」
「……それは本当です」
二人とも。
笑わなくなった。
「でも」
俺はすぐ続ける。
「もう全部戻りました」
「後遺症は?」
「ありません」
「体調は?」
「普通です」
セシリア先輩が。
俺をじっと見る。
「本当に?」
「はい」
少し間。
「……それなら」
小さく息を吐いた。
「よかったです」
フィオナも。
「ほんとに。そこだけ聞いた時は心配したんだから」
「ありがとうございます」
そして。
「じゃあ」
フィオナ。
「みんながレオンとの思い出を一人ずつ再現したのは?」
「……まあ」
「本当?」
「だいたい」
エリシア。
「皆で、思い出すお手伝いをしました」
「最後にルミナの名前を呼んだら?」
ルミナ。
「記憶が回復しました」
「何でそこだけ正確なんだよ!」
全部。
説明し終えた頃。
俺は机に突っ伏していた。
「疲れた……」
アーヴェル。
「俺なんて勝手に男に失恋させられてるぞ」
「俺なんて勝手に三人と結婚してる」
「交換する?」
「どっちも嫌だよ」
ヴィクトリアが。
大きくため息をつく。
「それにしても」
「うん?」
「噂というものは恐ろしいですわね」
腕を組む。
「材料だけは正しいのに、調理の仕方が完全に間違っていますわ」
「……」
皆がヴィクトリアを見る。
「……何ですの?」
「ヴィクトリアが調理の仕方って言うと――」
「今それは関係ありませんわ!」
教室中。
爆笑。
少し落ち着いてから。
俺はフィオナに聞いた。
「フィオナは、王都にしばらくいるの?」
「ううん」
「え?」
「明日、剣の成果を確認してもらったら」
腰の剣へ触れる。
「また辺境へ戻る」
「もう戻るんだ」
「うん」
「じゃあ今回は」
「レオンたちの様子を確かめに来ただけ」
「……わざわざ?」
フィオナは少し笑った。
「レオンが記憶失ったなんて聞いたら、心配するでしょ」
「……ありがとう」
「あと」
「何?」
「本当は誰と結婚するのか気になった」
「そっちが本命じゃないよね!?」
すると。
セシリア先輩まで。
「その点については」
「はい?」
「私もまだ明確な回答をいただいていません」
「セシリア先輩まで!?」
ヴィクトリア。
「わたくしも聞きたいですわ」
エリシア。
「私も少しだけ」
「増えないで!」
ルミナ。
「質問人数が増加しています」
「数えなくていい!」
アーヴェルが。
横で笑っていた。
「人気者は大変だな」
「君の話、やっぱり半分だけ信じることにする」
「まだそれ引っ張るのかよ!」
久しぶりに会った二人。
そして。
いつものみんな。
結局。
今日も教室は。
やたらとうるさかった。




