第63章 公爵家から、俺に婚約話が来た
昼休み前。
「レオン・アルセリア。学院長室へ」
「……また?」
教師に呼ばれた瞬間。
嫌な予感しかしなかった。
黒い魔晶石。
二百十三年前。
東部観測拠点。
最近。
学院長室へ呼ばれて、楽しかった記憶がない。
「失礼します」
「来ましたね、レオン」
レティシア学院長。
机の上には。
一通の封書。
やたら立派な封蝋。
「今回は何です?」
「古代遺跡ではありません」
「よかった」
「黒い魔晶石でもありません」
「さらによかった」
「婚約です」
「……はい?」
今。
何て?
「グランベルク公爵家からです」
学院長が封書を俺へ向ける。
「グランベルク……」
「はい」
「ヴィクトリアの?」
「そのグランベルクです」
嫌な予感の種類が変わった。
「内容は?」
「あなたを、ヴィクトリア・アーデルハイト・フォン・グランベルク嬢の正式な婚約候補として検討したい、と」
「…………」
俺は。
封書を見る。
学院長を見る。
もう一度。
封書を見る。
「誰と誰が?」
「あなたとヴィクトリア嬢です」
「何で?」
「そこからですか?」
「待ってください」
椅子へ座る。
「婚約候補ですよね?」
「そうです。決定ではありません」
「断ることも?」
「当然可能です」
「じゃあ――」
「ただし、公爵家から辺境伯家への正式な申し入れです」
「簡単に無視はできない?」
「そうなります」
なるほど。
全然安心できない。
「……ヴィクトリア本人は知ってるんですか?」
「おそらく、まだ正式には」
「そこ一番先に聞こうよ!」
その瞬間。
扉が開いた。
「学院長」
ヴィクトリアだった。
いつもの華やかな金髪の縦巻き。
白いブラウスに濃紺の制服。
細い腰に沿って整えられた上着。
長い脚を上品に見せる膝下丈のスカート。
今日も。
完璧なお嬢様。
――だった。
「父からこちらへ書状を送ったと聞きまし――」
止まった。
机の上。
公爵家の封蝋。
俺。
封書。
俺。
「……まさか」
「俺も今知った」
「…………」
頬が。
見る見る赤くなる。
「お父様ぁぁぁぁっ!」
完璧なお嬢様が消えた。
「どういうつもりですの!」
「俺に怒らないで!」
「あなたではありませんわ!」
「よかった!」
「よくありません!」
どっち!?
学院長だけ。
少し楽しそうだ。
「ヴィクトリア嬢。落ち着いて」
「落ち着いていられませんわ!」
珍しい。
ここまで取り乱すヴィクトリア。
「お父様は昔からそうですの! わたくしが少し気に入ったと言えば、すぐ話を大きくして――」
止まった。
俺と目が合う。
「……少し気に入った?」
「聞かなかったことになさい」
「無理じゃない?」
「なさい!」
少しして。
ヴィクトリアはようやく落ち着いた。
「わたくしが怒っているのは」
「うん」
「そこではありませんの」
金髪を整え。
小さく息を吐く。
「結婚するのは、わたくしです」
「そうだね」
「公爵家に生まれた以上、家への責任があることも理解していますわ」
そして。
俺を見る。
「ですが」
今度は真剣だった。
「好きになる相手くらい、自分で決めたいですわ」
俺も。
そこはすぐ答えられた。
「それは俺もそう思う」
「……そう」
ヴィクトリアが。
ほんの少しだけ。
嬉しそうに笑った。
翌朝。
教室へ入った瞬間。
全員。
俺を見る。
「……何?」
アーヴェルが笑いを堪えるかのように肩を震わせる。
「おめでとう」
「何が?」
「結婚」
「しないよ!?」
早い!
「レオン!」
クラリッサが飛んできた。
「結婚するの!?」
「しない!」
「ヴィクトリアと!?」
「候補になっただけ!」
「じゃあ私にもまだ機会ある!?」
「何の!?」
「……」
クラリッサ停止。
「……あ」
顔が赤くなる。
「忘れて!」
走っていった。
「廊下走るなよー」
本人が前に言ってたのに。
昼休み。
「レオンさん」
エリシアが。
いつもの柔らかい笑顔で俺の正面へ立った。
「ヴィクトリア様との婚約のお話が出たそうですね」
「出ただけだよ」
「なるほど」
エリシアが微笑む。
「では、練習しておきましょう」
「何を?」
「婚約者との接し方です」
「何で!?」
「正式な婚約話が出た以上、今後の社交では必要になるかもしれません」
「いや、まだ婚約してないよ?」
「だから練習です」
「誰と?」
「私が相手役をしますね」
「何でエリシア?」
「他に女性がいませんので……ではまず、社交の場で婚約者と歩く場合」
「……いきなりすぎない?」
エリシアが俺の隣へ。
「こうします」
自然に。
腕を絡められた。
「近くない?」
「婚約者ですから」
「練習だよね?」
「もちろんです」
そう言いながら。
エリシアの耳。
少し赤い。
「エリシア?」
「何ですか?」
「そっちも恥ずかしいんじゃない?」
「そんなことありません」
「耳赤いけど」
「照明です」
「外だけど?」
「日光です」
強い。
「次です」
「まだあるの?」
「紹介の練習をしましょう」
エリシアが笑う。
「私を婚約者として紹介してください」
「何て?」
「普通で構いません」
「じゃあ」
俺は考える。
「俺の婚約者のエリシアです」
「…………」
止まった。
「エリシア?」
「もう一度お願いします」
「何で!?」
「聞き取れませんでした」
「絶対聞こえてたよね!」
「参考のためです」
「何の参考!?」
「こういう時って」
俺は首を傾げる。
「綺麗な婚約者です、とか付けるもの?」
「…………」
「エリシア?」
「レオンさん」
「はい」
「少し黙っていてください」
「何で怒られたの!?」
「怒っていません」
顔。
真っ赤だけど。
「あなたたち」
後ろから。
声。
「何をしていますの?」
ヴィクトリアだった。
俺。
エリシア。
腕。
まだ組んでる。
「……」
嫌な予感。
エリシアが笑顔で答えた。
「婚約者の予行練習です」
「なぜあなたが相手をしていますの!?」
「練習役が必要でしたので」
「本人がここにいますわ!」
沈黙。
ヴィクトリアが固まった。
「……本人?」
「あ」
今度はヴィクトリアが自爆した。
「何してるの?」
クラリッサまで来た。
エリシア。
「婚約者の練習です」
「私もやる!」
「やりませんわ!」
ヴィクトリア即答。
カグラも来る。
「練習なら、複数人で比較した方が正確」
「比較しませんわ!」
ソフィアが小さく手を上げる。
「あ、あの……必要なら私も……」
「必要ありませんわ!」
そしてルミナ。
「婚約候補者選定実習ですか?」
「違うから!」
食堂。
大騒ぎ。
その中心で。
エリシアだけはいつもの笑顔に戻っていた。
でも。
俺と目が合うと一瞬だけ頬が赤くなる。
「エリシア」
「はい?」
「さっきの」
「忘れてください」
「今日それ三回くらい聞いてる気がする」
「気のせいです」
その日の夕方。
実家から手紙が届いた。
父から。
『本人が望まぬ婚姻を強制するつもりはない』
「父さん……!」
心から安心した。
しかし。
『ただし、公爵家から正式な申し入れがあった以上、一度は話し合う必要がある』
「ですよね」
さらに。
追伸。
母。
『ヴィクトリアさん、私はとても素敵な方だと思います』
「母さん!」
『もちろんエリシアさんも素敵ですね』
「増やさないで!」
『クラリッサさんも元気で可愛らしかったです』
「だから増やさないで!!」
隣で手紙を見ていたルミナ。
「婚約候補者が増加しています」
「数えなくていい!」
「現時点では――」
「数えるな!」
「承知しました」
少し間。
「しかし」
「何?」
「レオン様」
ルミナが真顔で言う。
「明日以降、さらに増加する可能性があります」
「やめて」
「客観的推測です」
「今だけは外れて!」
翌朝。
教室。
俺の机の上。
見覚えのない家紋が刻まれた封書。
三通。
「……」
アーヴェルが横から覗く。
「増えたな」
「笑うな」
「静かな学院生活は?」
「言うな!」
どうやら。
俺の学院生活は。
黒い魔晶石とは。
まったく別方向から。
大変なことになり始めていた。




