第4章 魔力は平凡――のはずだった
午後の魔力適性検査は、学院本館の裏手に建つ《星環塔》で行われることになっていた。
名前からして嫌な予感しかしない。
高い天井を持つ円形の塔へ足を踏み入れると、中央には人の背丈ほどある透明な結晶柱が置かれ、その周囲を幾重もの魔法陣が取り囲んでいた。
「何なんだ、これ……」
「魔力測定晶です」
隣にいたエリシアが教えてくれる。
今日の彼女は実技授業の名残で栗色の長髪を後ろに束ねており、制服姿とはまた少し印象が違った。
「触れるだけで魔力量、属性適性、制御精度を測定できます。王立学院にあるものは国内最高精度だそうですよ」
「聞けば聞くほど触りたくなくなるな」
「どうしてです?」
「何か変なのが出そうだから」
昨日からそんなことばかりだ。
剣術も普通にやるつもりだった。
結果、騎士科主任の武器を落とした。
今度こそ平凡な結果であってほしい。
むしろ魔法については本当に平凡なはずだった。
この身体――レオン・アルセリアがこれまで受けてきた検査記録では、魔力量は同年代の平均程度。火、水、風、土の主要属性にも特別な才能はなかった。
俺が転生時に得たものも《剣聖》のスキルだけ。
(よし。今回は大丈夫だ)
そう自分へ言い聞かせる。
「皆さん、集まりましたね」
静かな声が塔に響いた。
セレフィア先生だった。
淡い銀紫色の髪を胸元へ流し、今日も深い蒼紫の瞳に柔らかな笑みを浮かべている。
その隣には、なぜか保健医のミレイユ先生までいた。
「……どうして保健の先生まで?」
「珍しい結果が出た時に倒れる子がいるからだよー」
ミレイユ先生が眠たげに答える。
「そんなことあるんですか?」
「あるある。自分は炎の大魔術師になるんだって思ってた子が、水属性百パーセントだったりね」
「精神的な方ですか」
「そっちもあるね」
安心できない。
周囲には俺たち以外にも十数人の新入生が集められていた。
昨日大剣を使っていた赤髪の少女もいる。
名前はクラリッサ・バルシュタイン。騎士伯家の娘で、腕を組んだままこちらを露骨に見ていた。
その隣には腰まで届く艶やかな黒髪の少女。
東方諸侯の家から留学してきたカグラ・ミカヅキというらしい。涼しげな黒い瞳をしており、表情の変化がほとんどない。
さらに、小柄な紫髪の少女がセレフィア先生のすぐ近くにいる。
昨日、訓練剣へ勝手に火をまとわせて怒られていた子だ。
「リリアーナ・エルメスティアです」
こちらが見ていたことに気づいたらしく、少女は小さな声で名乗った。
「……どうも。レオンです」
「知っています」
「ですよね」
もう誰も俺を知らないという前提で話さない方がいいらしい。
検査はヴィクトリアから始まった。
「わたくしが最初でよろしくてよ」
いつも通り堂々としている。
彼女が結晶へ手を触れると、塔全体が金色の光に包まれた。
「光属性八十二。火属性六十一。魔力量は上位十二パーセント……素晴らしいですね」
セレフィア先生が結果を読み上げる。
ヴィクトリアが当然とばかりに胸を張った。
「グランベルク家の者として当然ですわ」
「でも制御精度は少し荒いですね」
「えっ」
「力任せになる癖があります。これから一緒に直しましょうね」
「……はい」
セレフィア先生に優しく微笑まれた途端、ヴィクトリアの勢いがなくなった。
(強いな、この先生)
次はエリシア。
彼女が触れると、今度は結晶の周囲に淡い緑色の光が広がった。
「風七十四、水六十八。魔力量は平均よりかなり上。そして制御精度九十一」
周囲がざわめく。
「九十一って高いのか?」
俺が小声で聞くと、リリアーナがこちらを見上げた。
「八十を超えたら上級魔術師候補。九十を超える学生は学年に数人だけです」
「……エリシアってすごかったんだな」
本人は褒められて少し頬を赤らめていた。
クラリッサは火属性特化。
カグラは風と雷。
リリアーナに至っては、魔力量そのものが学年トップクラスだった。
順番が進むたびに、俺の安心感が増していく。
みんな十分すごい。
これなら俺が平均値を出しても目立たない。
「では最後に、レオンさん」
来た。
「……普通でありますように」
思わず呟く。
セレフィア先生がくすりと笑った。
「検査なのですから、願って結果を変えようとしないでください」
「先生、昨日から俺だけ妙な結果が続いてるんです」
「それも個性ですよ」
「いらない個性です」
結晶の前へ立つ。
手を伸ばす。
冷たい。
透明な表面へ掌が触れた。
魔法陣が光り始める。
一秒。
二秒。
三秒。
何も起きない。
(よし!)
俺は心の中で拳を握った。
やった。
今度こそ平凡だ。
結晶は薄い白色にしか光っていない。
「……魔力量、五十二」
セレフィア先生が読み上げる。
周囲から小さな声が聞こえた。
平均値は五十前後。
完璧だ。
(勝った)
何に勝ったのか分からないが、とにかく勝った。
「属性適性も平均的ですね。火四十八、水五十一、風四十九、土五十三」
「普通だ……」
俺の口から安堵の声が漏れた。
ヴィクトリアが呆れる。
「自分の才能が平凡で、そこまで喜ぶ方を初めて見ましたわ」
「平凡は素晴らしいんだ」
「昨日セルジュ先生の剣を落とした人が言っても説得力ありません」
エリシアまで少し笑っている。
これで終わりだ。
そう思って結晶から手を離そうとした時だった。
「待ってください」
セレフィア先生の声が変わった。
俺の手が止まる。
「……先生?」
先生は測定盤を見ていた。
さっきまでの優しい微笑みは残っている。
しかし、その瞳だけが真剣になっていた。
「制御精度の測定が終わっていません」
「まだあるんですか?」
「ええ。もう少しそのままで」
嫌な予感が戻ってきた。
結晶の中心に、一点だけ青白い光が生まれる。
それが少しずつ細くなる。
糸のように。
さらに細く。
やがて髪の毛よりも細い光へ変わった。
ミレイユ先生の眠そうな目が開く。
「……あれ?」
セレフィア先生が測定盤を見る。
そして珍しく、完全に黙った。
「先生?」
「……」
「何か悪い結果ですか?」
「いいえ」
セレフィア先生がこちらを見る。
「逆です」
それが一番嫌なんだが。
「制御精度、九十九・八七」
塔が静まり返った。
俺だけ意味が分からない。
「……高い?」
リリアーナがこちらを凝視していた。
ヴィクトリアは口を開けたまま固まっている。
エリシアですら驚きを隠していない。
「歴代記録は?」
ミレイユ先生が尋ねる。
「九十七・四です」
「更新してるね」
「ですね」
「ちょっと待ってください」
俺は慌てて口を挟んだ。
「魔力量は普通ですよね?」
「はい」
「属性も普通」
「そうですね」
「だったら普通でしょう」
セレフィア先生は、とても優しい笑顔で首を横に振った。
「レオンさん。たとえば同じ一杯の水でも、普通の人が桶で撒くところを、あなたは針の穴へ一滴もこぼさず通せるということです」
「……それって何に使えるんです?」
先生は少し考えた。
「極端な話をすれば、初級魔法の魔力量で上級魔法に近い効果を出せる可能性があります」
俺は天井を見上げた。
(終わった)
やっぱり終わった。
「もう一つ試しましょう」
セレフィア先生に言われ、俺は塔の奥にある訓練区画へ連れていかれた。
目の前に蝋燭が一本置かれる。
「火属性の初級魔法、《火種》を使ってみてください」
「やったことないです」
「術式はこちらで補助します。火を灯すだけで結構です」
先生が俺の後ろへ立ち、肩へそっと手を置いた。
「力を込めないでください。魔力を押し出すのではなく、指先へ静かに流すだけで大丈夫です」
不思議だった。
セレフィア先生にそう言われると、焦る気持ちが自然と落ち着く。
母親に手を引かれて何かを教わるような、妙な安心感がある。
「はい。ゆっくり」
「……こうですか?」
指先へ魔力を流す。
ほんの少し。
その瞬間。
蝋燭へ火が灯った。
「できた」
「そのまま維持してください」
「はい」
「では炎を半分に」
意識する。
炎が半分になる。
「さらに半分」
小さくなる。
「左右へ分けられますか?」
「……やってみます」
炎が二つに分かれた。
周囲から声が消えた。
「次は?」
セレフィア先生も少し楽しそうになってきた。
「では三つに」
三つ。
「五つ」
五つ。
「十」
「先生、遊んでません?」
「少しだけ」
十個の極小の火球が、俺の指先の周りを円を描いて浮いていた。
ミレイユ先生が壁にもたれながら感心したように眺めている。
「魔力量そのものは普通。でも一粒も無駄にしてないんだね」
「珍しいんですか?」
「珍しいどころじゃないよ」
リリアーナが突然前へ出てきた。
小柄な少女が俺を真っ直ぐ見上げる。
「レオン様」
「はい?」
「私と魔術研究会に入りませんか」
「急だな」
「あなたの魔力制御を研究したいです」
「俺自身じゃなくて能力目当てなんだな」
「はい」
正直だった。
そこへヴィクトリアまで口を挟む。
「ちょっとお待ちなさい! レオンは剣術科ですわ!」
「魔術の才能もあります」
「だからといって勝手に連れていかないでくださいませ!」
「ヴィクトリア様に決定権はありません」
「なっ……!」
エリシアがその二人を見ながら困ったように笑う。
「レオン様、人気者ですね」
「嬉しくない……」
「どうしてです?」
「静かに生きたいから」
エリシアは少しだけ俺を見つめた。
「でも、静かに生きることと、誰とも関わらずに生きることは同じではありませんよ」
その言葉に、少しだけ胸を突かれた。
前世の俺は、その二つを完全に同じものだと思っていた。
面倒を避ける。
傷つくことを避ける。
恥をかくことを避ける。
そうしているうちに、誰とも関わらなくなった。
そして最後には、本当に一人になった。
「……そうかもな」
俺が小さく答えると、エリシアは柔らかく笑った。
検査が終わったあと。
俺は一人で廊下を歩いていた。
「レオンさん」
後ろからセレフィア先生に呼び止められる。
「少しよろしいですか?」
「はい」
窓際で向かい合う。
夕方の光が先生の銀紫色の髪へ差し込み、どこか現実離れした輝きを作っていた。
「今日の結果について、不安ですか?」
「不安というより……また面倒が増えそうだなと」
「ふふ。あなたらしい答えですね」
先生は窓の外を見た。
「才能というものは、持っているから使わなければならないわけではありません」
俺は先生を見る。
「剣聖のような剣技があっても、魔力制御に優れていても、それで人生の役割が決まるわけではないのです」
「……そうなんですか?」
「当然でしょう?」
セレフィア先生は穏やかに微笑んだ。
「才能はあなたの一部です。でも、あなたそのものではありません」
その言葉を聞いた瞬間、なぜか前世の自分を思い出した。
何もできない。
何の才能もない。
だから価値がない。
ずっとそう思っていた。
今度は逆だ。
才能がある。
だから何かをしなければならない。
そんなふうに考え始めていた。
「……先生」
「はい?」
「教師って、みんなそういうこと言えるものなんですか?」
「いいえ」
先生は少し悪戯っぽく笑った。
「私は少しだけ、生徒を甘やかすのが好きなのです」
「自覚あるんですね」
「もちろんです」
その時、廊下の向こうからミレイユ先生が歩いてきた。
「セレフィアー。レオン君、借りてもいい?」
「何かありましたか?」
「追加検査」
「俺、また何か見つかったんですか?」
「ううん」
ミレイユ先生は笑った。
「今日は頑張りすぎだから、強制休憩」
「それ検査じゃないですよね」
「保健医の診断です。反論禁止」
左右から二人の教師に見られる。
一人は神秘的で包み込むようなセレフィア先生。
もう一人は眠たげで気の抜けるミレイユ先生。
性格は全く違うのに、どちらも妙に逆らいにくい。
「……この学院、先生まで濃いな」
俺が呟くと、二人は顔を見合わせて笑った。
剣術。
魔術。
貴族令嬢。
そして、一癖も二癖もある教師たち。
俺の異世界学園生活は、平穏になるどころか、日を追うごとに登場人物ばかり増えていく。
ただ――。
前世では自分の部屋から一歩も出たくなかった俺が、明日は誰と話すのだろうと少しだけ考えるようになっている。
その変化を、この時の俺はまだ認めたくなかった。




