第2章 目立ちたくないのに、剣術試験が始まった。
入学初日に暴れ馬を素手同然で止めた。
改めて考えてみても、最悪のスタートだった。
俺が望んでいたのは、教室の隅に座って授業を受け、誰からも名前を覚えられないまま三年間を終える生活である。前世で引きこもっていた頃なら、そんな学生生活を「青春を捨てている」と笑ったかもしれないが、実際に貴族社会へ放り込まれてみれば、目立たないことほど安全なものはない。
ところが現実は、講堂へ入った時点ですでに違っていた。
「あの方ですわ」
「銀髪の……」
「馬車を止めたという?」
「アルセリア辺境伯家の三男でしょう?」
聞こえている。
全部聞こえている。
剣聖スキルの副作用なのか、この身体は耳まで妙に良い。
(頼むから聞こえないところで噂してくれ……)
俺はできるだけ存在感を消しながら、新入生用の席へ腰を下ろした。
王立セレスティア高等学院では、十八歳になった貴族子弟や推薦を受けた平民が三年間学ぶ。見た目だけなら前世の高校に近いが、実態は将来の騎士や魔術師、官僚、領主候補を育てる専門教育機関らしい。
当然、入学式もやたらと格式ばっていた。
学院長の話。
王国への忠誠。
貴族としての責務。
魔法と剣を正しく使え。
民を守れ。
そんな話が延々と続く。
前世なら途中で寝ていただろう。
だが今はそれどころではない。
斜め前に、さっきの栗毛の少女――エリシア・ローゼンベルクが座っている。
腰まで届く美しい栗色の髪は丁寧に手入れされ、背筋もまっすぐだ。落ち着いた雰囲気で、周囲の令嬢から何度も話しかけられている。
少し離れた場所には、暴れ馬から助けた金髪縦巻きの少女もいた。
こちらは時折振り返って、露骨に俺を見てくる。
(怖い怖い怖い。絶対何か言いに来るだろ)
予感は当たった。
入学式が終わり、学生たちが教室へ移動し始めた直後。
「お待ちなさい!」
背後から声が飛んできた。
振り返る。
金髪縦巻きの少女が仁王立ちしていた。
近くで見るとかなり整った顔立ちをしているが、それ以上に「私は貴族です」という自信が全身から溢れている。
「あなた、レオン・アルセリアですわね?」
「……はい」
「わたくしはヴィクトリア・アーデルハイト・フォン・グランベルク。グランベルク公爵家の長女ですわ」
(名前長っ)
もちろん口には出さない。
「先ほどは……」
ヴィクトリアはそこで言葉に詰まった。
視線が横へ逃げる。
「助けていただいたことについては、その……礼を申し上げますわ」
「別にいいですよ」
「別に!?」
なぜか怒られた。
「い、いや、怪我がなかったならそれで」
「貴族からの礼に対して『別に』とは何ですの!」
「すみません」
「謝ればいいというものでもありませんわ!」
どうしろと。
そこへ、柔らかな笑い声が入った。
「ヴィクトリア様、レオン様も困っていらっしゃいますよ」
エリシアだった。
「ローゼンベルクさん……」
「エリシアで構いません。同じ学年なのですから」
「いや、でも伯爵令嬢だし」
「レオン様も辺境伯家のご令息でしょう?」
「……そうだった」
未だに自分が貴族だという感覚がない。
ヴィクトリアが呆れた顔をした。
「ご自分の身分を忘れる貴族なんて初めて見ましたわ」
「俺も初めてです」
「あなたのことですわよ!」
その瞬間、近くにいた学生たちが笑った。
俺は消えたくなった。
どうして入学初日からこんなことになっている。
さらに悪い知らせは、教室へ入ってすぐにやって来た。
担任は、セレスティア学院騎士科主任のセルジュ・ヴァレンタインという三十代の男性だった。
短い黒髪に左頬の傷。
腰には実戦用の長剣。
一目見ただけで分かる。
(……強い)
剣聖スキルが勝手に相手を分析していた。
立っているだけで隙が少ない。
重心も安定している。
俺が持つ技術ほどではないにせよ、実戦経験なら圧倒的に相手の方が上だろう。
「入学おめでとう、と言いたいところだが、今日は祝いの言葉だけで終わらせるつもりはない」
嫌な予感がする。
「午後から剣術の実技試験を行う」
(やっぱりか)
「この試験で現在の力量を測り、今後の指導班を決定する。手を抜くな。だが見栄も張るな。自分の実力を正しく見せろ」
俺だけに刺さる言葉だった。
(どうする)
剣聖スキルをそのまま使えば確実に目立つ。
だからといって手を抜きすぎれば、アルセリア辺境伯家の名に泥を塗る可能性がある。
適度に強く。
しかし天才には見えない程度。
これだ。
(平均より少し上くらいに調整しよう)
完璧な作戦だった。
少なくとも、その時の俺はそう思っていた。
午後。
学院の訓練場には新入生が集められていた。
使用するのは刃を潰した訓練剣。
一人ずつ教官と軽く打ち合い、基本動作や反応速度を見るらしい。
エリシアは意外にも剣術が得意だった。
栗色の長髪を後ろで束ね、細身の剣を握ると雰囲気が変わる。柔らかな印象はそのままだが、動きには無駄がない。
「始め!」
合図と同時に踏み込む。
教官の攻撃を受け流し、横へ回る。
速い。
派手さはないが堅実だった。
「良い。ローゼンベルク、上級班候補だ」
「ありがとうございます」
エリシアが嬉しそうに一礼する。
次はヴィクトリア。
こちらは対照的だった。
「参りますわ!」
鋭い踏み込み。
訓練剣が光るような速度で振るわれる。
教官が受け止めた瞬間、金属音が訓練場に響いた。
「なかなかだ」
「当然ですわ!」
言うだけのことはある。
公爵令嬢だから守られて育ったお嬢様、というわけではないらしい。
さらに他の女子生徒も個性的だった。
赤い短髪の騎士家令嬢は大剣を振り回し、黒髪の東方系少女は片刃剣で静かな型を見せる。小柄な紫髪の少女は剣術ではなく魔法剣に適性があるらしく、刃へ炎を纏わせて教官に怒られていた。
(……この学校、濃すぎるだろ)
そして。
「次。レオン・アルセリア」
とうとう来た。
「はい」
前へ出る。
担当教官はセルジュだった。
「午前中に馬を止めたそうだな」
「……偶然です」
「そうか」
絶対に信じていない顔だった。
訓練剣を受け取る。
その瞬間。
世界が変わった。
相手の呼吸。
握り。
肩の位置。
足裏の荷重。
すべてが分かる。
(抑えろ)
普通に。
平均より少し上。
それだけでいい。
「始め!」
セルジュが踏み込んだ。
右上段。
速い。
一般の学生なら反応するだけで精一杯だろう。
俺は――。
避けた。
「あ」
避け方が完璧すぎた。
剣先が鼻先を紙一重で通り過ぎ、そのまま相手の懐へ入ってしまう。
剣聖スキルが囁く。
今なら勝てる。
(勝つな!)
俺は慌てて後退した。
セルジュの眉が僅かに動く。
再び攻撃。
今度は三連撃。
一撃目を受ける。
二撃目を受ける。
三撃目――。
身体が勝手に反応した。
相手の剣へ自分の剣を絡ませ、そのまま手首を返す。
カラン。
セルジュの訓練剣が地面へ落ちた。
静寂。
俺は剣を持ったまま固まった。
セルジュも、自分の空になった右手を見ている。
周囲の生徒たちも無言だった。
(……やった)
また別の意味で。
セルジュがゆっくりこちらを見る。
「今の技をどこで習った?」
「……家で?」
「疑問形で答えるな」
「すみません」
ヴィクトリアが立ち上がっていた。
「今、何をしましたの!?」
エリシアも目を大きくしている。
赤髪の令嬢など、完全に獲物を見つけたような顔でこちらを見ていた。
俺は天を仰いだ。
入学初日。
午前中に暴れ馬を止め。
午後には騎士科主任の剣を弾き飛ばした。
(……もう背景キャラは無理じゃないか?)
そんな絶望をよそに、セルジュは落ちた剣を拾うと、今度は楽しそうに笑った。
「レオン・アルセリア」
「はい」
「上級班では足りんな」
嫌な予感しかしない。
「明日から特別剣術班へ来い」
周囲がざわめいた。
俺だけが心の中で叫んでいた。
(そういう特別扱いが一番いらないんだよ!)




