第121章 聖地への旅路
セレスティア王国領内。
秋風の吹く街道を、五人の若者が歩いていた。
勇者フィンレイ。
幼馴染の弓使いエマ。
聖女候補オリヴィア。
聖騎士ガレス。
そして、十七歳の天才魔術師リゼット。
彼らの目的地は、王国と聖連邦の間で長く帰属が争われている聖地だった。
聖連邦にとって重要なその場所は、しかしセレスティア王国内にある。
戦争が始まった今、聖地を目指す旅は、以前にも増して危険なものとなっていた。
もっとも、現在の一行を悩ませているのは、道中の危険だけではなかった。
少し前に立ち寄った村での出来事。
自分たちと同じ聖連邦側の騎士たちが、王国領の村を焼き払おうとしたのである。
それを止めたのは、外套をまとった一人の女性だった。
彼女は圧倒的な実力を持ちながら、村人たちを守り、素性も明かさず立ち去っていった。
あの女性が何者だったのか、五人は知らない。
ただ、彼女の行動が、自分たちの信じてきた正義について考え直すきっかけになったことは確かだった。
フィンレイ「……なあ、みんな」
先頭を歩いていたフィンレイが口を開いた。
エマ「何?」
フィンレイ「俺たち、本当にこれでいいのかな」
その言葉に、誰もすぐには答えなかった。
フィンレイ「あの村の人たちは、何も悪いことをしていなかった。それなのに、俺たちの味方が村を焼こうとしていた」
フィンレイは足元へ目を落とした。
フィンレイ「俺は人を守るために勇者になったつもりだったんだけどな」
ガレス「……あの騎士たちの行為は、決して許されるものではない」
ガレスの声は硬かった。
聖騎士として鍛えられてきた彼にとっても、あの光景は受け入れ難いものだった。
オリヴィア「私も、今でも胸が痛みます。あの方が止めてくださらなければ、村の人々はどうなっていたのでしょう」
エマ「本当にね。しかも、あの人が何者なのかもわからないままだし」
再び沈黙が訪れた。
足音だけが街道に響く。
リゼット「……はい! 皆さんに重大なお知らせがあります!」
四人が振り向く。
エマ「今度は何?」
リゼット「私、そろそろ限界です!」
フィンレイ「えっ!? どこか具合でも悪いのか?」
リゼット「頭が!」
フィンレイが慌てて駆け寄ろうとした。
しかし、リゼットは得意げに人差し指を立てる。
リゼット「いい? 魔術師っていうのはね、ものすごく頭を使う職業なの!」
エマ「……それで?」
リゼット「術式の構築! 魔力配分! 属性干渉の計算! 周囲の魔力の観測! もう頭の中は大忙しなんだから!」
フィンレイ「確かに、魔術って難しそうだもんな」
リゼット「そう! だからこそ、頭を働かせるためには適切な補給が必要なんです!」
そう言って、リゼットは鞄から小さな包みを取り出した。
中には、蜂蜜を使った焼き菓子が入っていた。
リゼット「というわけで、休憩してお菓子を食べましょう!」
エマ「……最初からそれが目的だったんでしょ」
リゼット「違うよ! これは魔術師に必要な補給活動なの!」
ガレス「ふむ。甘味を摂取すれば、魔術の威力が上昇するのか?」
リゼット「気分はすっごく上がるよ!」
ガレス「……気分か」
リゼット「気分だって大事なんだから!」
オリヴィアが口元を押さえて笑った。
オリヴィア「ふふっ。では、私たちも少し休みましょうか」
リゼット「さすがオリヴィア! 話がわかる!」
エマ「でも、私たちは魔術師じゃないわよ?」
リゼット「弓使いだって風向きとか計算するでしょ!」
エマ「まあ、そうだけど」
リゼット「ガレスは戦い方を考えるし、オリヴィアは治療で頭を使うし!」
フィンレイ「じゃあ、俺は?」
リゼット「勇者なんだから、一番頭を使ってもらわないと!」
フィンレイは思わず吹き出した。
フィンレイ「ははっ! 結局、全員食べていいんじゃないか」
リゼット「そういうこと!」
エマ「最初からそう言いなさいよ!」
久しぶりに、一行の間へ笑い声が戻った。
木陰で休憩した五人は、再び聖地を目指して歩き始めた。
しばらく進んだところで、エマが足を止める。
エマ「……待って。あそこに誰かいる」
街道の先。
道端に荷車が一台止まっていた。
車輪が傾き、家財道具を積んだ荷台が大きく傾いている。
傍らには、疲れ切った様子の家族がいた。
幼い子供が二人。
そして、その子供たちを抱き寄せる母親。
父親らしい男は、壊れた車輪を必死に調べていた。
フィンレイ「……行ってみよう」
五人は荷車へ近づいた。
フィンレイ「こんにちは。何かお困りですか?」
男は驚いたように顔を上げた。
避難民の男「旅のお方ですか。実は、車輪が壊れてしまいまして……」
話を聞くと、一家は戦火を避けて西へ向かっているところだった。
しかし、途中で車輪が破損し、動けなくなってしまったという。
避難民の女「この辺りも軍隊が通るようになって、子供たちを連れているのが怖くて……」
女は幼い子供たちを抱き寄せた。
フィンレイは、その姿を見つめた。
先日の村で見た人々の顔が浮かぶ。
フィンレイ「……俺たちで、何とかできないかな」
ガレス「まずは車輪を確認しよう」
ガレスが荷車の下へ屈み込んだ。
しばらく調べたあと、頷く。
ガレス「軸はまだ使える。車輪の一部を補強すれば、近くの集落までは動かせるだろう」
リゼット「だったら、私の出番だね!」
リゼットが勢いよく手を挙げた。
エマ「……壊さないでよ?」
リゼット「壊さないってば!」
彼女は荷車の横へしゃがみ込み、慎重に魔力を集中させた。
淡い光が荷台の下へ広がる。
持ち上げる力を一か所に集中させず、車体全体へ分散させていく。
リゼット「よし。これで荷車を少し浮かせるから、ガレスはその間に車輪を直して!」
ガレス「承知した」
荷車がゆっくりと持ち上がる。
ガレスは破損した部分に予備の木材を当て、手際よく固定し始めた。
フィンレイも荷物を下ろして作業を手伝う。
エマは街道の両側を警戒し、オリヴィアは子供たちの様子を見ていた。
オリヴィア「もう大丈夫ですよ。皆さんが直してくださっていますからね」
幼い少女が、不安そうに尋ねた。
避難民の少女「……お姉ちゃんたち、兵隊さんなの?」
オリヴィアは少し考えてから微笑んだ。
オリヴィア「旅の途中なんです。でも、困っている人がいたら、できるだけお手伝いしたいと思っています」
少女は安心したように頷いた。
やがて、荷車の修理が終わった。
ガレス「応急処置だが、しばらくは持つはずだ。速度を落として進むといい」
避難民の男「ありがとうございます! 本当に助かりました!」
リゼット「えへへ。魔術師にかかれば、このくらい簡単なんだから!」
エマ「さっきまで頭が限界だって言ってたのに?」
リゼット「補給したから復活したの!」
フィンレイが笑った。
その様子を見て、避難民の子供たちも小さく笑う。
修理を終えた荷車が、ゆっくりと動き始めた。
避難民の女「皆さん、どうかお気をつけて」
フィンレイ「そちらも。無事に着けるといいですね」
家族は何度も頭を下げながら、街道を進んでいった。
その姿が見えなくなるまで、フィンレイたちは見送っていた。
フィンレイ「……あの人たちも、戦争がなければ家を離れずに済んだんだよな」
フィンレイがぽつりと呟いた。
オリヴィア「ええ。戦争で苦しむのは、戦っている人々だけではありませんから」
ガレス「だからこそ、我々には果たすべき使命がある」
ガレスの言葉に、フィンレイは頷いた。
だが、すぐに別の疑問が浮かぶ。
フィンレイ「……聖地へ着いたら、何が変わるんだろう」
目指す場所は、セレスティア王国内にある聖地。
聖連邦と王国が、長く帰属を争ってきた土地だった。
聖連邦にとって重要な場所であることは、フィンレイも理解している。
しかし、そこに暮らす人々にとって、この戦争は何を意味するのだろう。
フィンレイ「俺たちは聖地へ向かうように言われている。でも、そのために苦しむ人がいるなら……」
言葉が途切れた。
ガレスは、しばらく黙っていた。
ガレス「……使命を果たすことと、無関係な民を傷つけることは別だ」
フィンレイが顔を上げる。
ガレス「我々は聖地へ向かわねばならん。しかし、途中で罪のない者を見捨てる理由にはならない」
オリヴィア「私も、そう思います」
エマ「当たり前でしょ。困ってる人がいたら、助ければいいのよ」
そんな仲間たちの言葉を聞きながら、リゼットは少し考えていた。
リゼット「……ねえ、フィンレイ」
フィンレイ「何?」
リゼット「魔術の研究ってね、最初から答えを決めつけると、だいたい失敗するんだよ」
フィンレイ「……魔術?」
リゼット「うん。ちゃんと調べて、何が起きてるのか確かめて、それから考えるの。結果が予想と違ったら、もう一度やり直す」
リゼットは得意げに胸を張った。
リゼット「まあ、私は天才だから、だいたい一回で成功するけど!」
エマ「この前、鍋の底を吹き飛ばしたのは誰だったかしら?」
リゼット「……あれは例外!」
エマ「例外、多くない?」
リゼット「研究には失敗がつきものなの!」
フィンレイが小さく笑った。
リゼットも笑う。
しかし、そのあとで彼女は少し真面目な表情になった。
リゼット「だからさ、今すぐ全部の答えが出なくてもいいんじゃない?」
フィンレイ「……うん?」
リゼット「聖地に行って、自分たちの目で見て、それから考えようよ。私たち、まだ知らないことばっかりなんだから」
フィンレイはしばらく彼女を見つめていた。
そして、静かに頷いた。
フィンレイ「……そうだな」
その表情は、少しだけ明るくなっていた。
夕方。
一行は街道の分岐点へ到着した。
古い道標の向こうに、二本の道が延びている。
一方は、軍の往来が増えている街道。
もう一方は、小さな集落を経由する遠回りの道だった。
フィンレイは地図を広げた。
フィンレイ「……みんな、少しいいかな」
エマ「どうしたの?」
フィンレイ「こっちの道を通りたいんだ」
指差したのは、集落を経由する道だった。
ガレス「少し遠回りになるな」
フィンレイ「うん。でも、軍の行き来が多い街道を避けられる。それに……」
フィンレイは、先ほど助けた家族の姿を思い出した。
フィンレイ「途中の村がどうなっているのか、確かめておきたい」
ガレスは地図を見つめた。
やがて頷く。
ガレス「危険を避けるという点でも理にかなっている。聖地への到着を大きく遅らせないのであれば、異論はない」
オリヴィア「私も賛成です。助けを必要としている方がいれば、できる限りのことをしたいと思います」
エマ「私も。どうせ急いだところで、戦争がすぐ終わるわけじゃないしね」
リゼットが元気よく手を挙げた。
リゼット「私も賛成!」
フィンレイ「ありがとう、リゼット」
リゼット「それに、村があるなら、お菓子を補充できるかもしれないし!」
エマ「最後のが本音でしょ!」
リゼット「ちゃんとみんなのことも考えてるよ!」
フィンレイが笑った。
フィンレイ「……うん。じゃあ、こっちにしよう」
こうして五人は、遠回りの道を選んだ。
夕暮れの街道。
西の空が赤く染まる中、五人は並んで歩いていた。
目指す聖地は変わらない。
与えられた使命も、なくなったわけではない。
ただ、フィンレイは少しだけ考え方を変えていた。
これから先、何が正しいのかわからなくなることもあるだろう。
それでも、目の前で困っている人がいれば助けたい。
そして、迷ったときは一人で抱え込まず、仲間たちと考えたい。
その隣で、リゼットが鞄を覗き込んでいた。
リゼット「……あれ?」
エマ「今度は何?」
リゼット「お菓子、あと一枚しかない」
エマ「さっきあんなに食べるからでしょ」
リゼット「困ったなあ。聖地に着くまで、まだいっぱい頭を使うのに」
ガレス「ならば、残りは計画的に配分すべきだな」
リゼット「……ガレスって、こういうときだけ妙に真面目だよね」
ガレス「当然のことを言ったまでだ」
リゼットは最後の焼き菓子を取り出した。
しばらく眺める。
そして、半分に割った。
リゼット「はい、フィンレイ」
フィンレイ「……俺に?」
リゼット「勇者は一番頭を使うんでしょ?」
フィンレイは少し驚いた。
そして、柔らかく微笑んだ。
フィンレイ「……ありがとう」
エマが肩をすくめた。
エマ「自分が一番食べたいくせに、優しいじゃない」
リゼット「だから半分は残したんだよ!」
その言葉に、五人全員が笑った。
少し前まで、一行の間には重苦しい沈黙が続いていた。
だが今は違う。
疑問がすべて解決したわけではない。
戦争が終わったわけでもない。
それでも、仲間たちと話し、考えながら進むことはできる。
フィンレイは、遠くへ続く街道を見つめた。
その先には、王国と聖連邦が争う聖地がある。
そこへ辿り着いたとき、自分たちは何を見て、何を選ぶのだろう。
今はまだ、わからない。
それでも、以前より少しだけ、自分たちの足で進んでいる気がした。
そんなフィンレイの隣で、リゼットが最後の焼き菓子を嬉しそうに頬張る。
リゼット「んー! やっぱり甘いものは最高!」
エマ「結局、それが一番大事なのね」
リゼット「違うよ! 魔術師にとっては、これも立派なお仕事なんだから!」
明るい笑い声が、夕暮れの街道に響いた。
聖地への旅は、まだ続く。




