第119章(続き)再戦
先に動いたのはオスティナートだった。
これまでとは比較にならない速度。
小柄な身体が、地面を滑るように間合いを詰める。
少女と見紛うほど可憐な顔立ち。
少年のような凛々しさ。
その華奢な身体から繰り出される剣は、恐ろしく鋭かった。
俺は《勇者の剣》で受け止めた。
凄まじい衝撃。
足元の土が抉れる。
レオン(……重い!)
以前の俺なら、今の一撃だけで体勢を崩されていただろう。
しかし、今は違う。
魔力の流れを整える。
身体の軸を崩さず、剣に伝わる力を受け流す。
《魔力循環剣》。
魔王から教わった技術が、俺の身体に馴染んでいた。
続く二撃目。
三撃目。
俺は最小限の動きで受け流し、反撃へ転じる。
剣と剣がぶつかり、火花が散った。
オスティナート「……なるほど。素晴らしいですね」
オスティナートが微笑んだ。
オスティナート「以前とは、まるで別人のようです」
レオン「君の剣も、相変わらず恐ろしく鋭いよ」
オスティナート「ありがとうございます。そう言っていただけると嬉しいです」
丁寧な口調。
穏やかな微笑み。
しかし、その剣には一切の容赦がなかった。
俺の反応を誘い、次の攻撃へつなげる変則的な剣筋。
先ほどまでとは明らかに戦い方が違う。
レオン(……こっちの動きに合わせて、剣を変えてきたのか)
俺が強くなったからといって、相手が弱くなったわけではない。
むしろ今の俺を相手に、オスティナートも本来の技量を発揮し始めていた。
激しい斬り合いが続く。
一合。
二合。
三合。
以前なら受け止めるだけで精いっぱいだった剣を、今は正面から受け流せる。
そして、反撃できる。
ヴェルセリアから学んだ《無拍子》。
魔王から学んだ《魔力循環剣》。
その二つが、《剣聖》の力と自然に結びついていた。
剣戟は、さらに激しさを増していた。
オスティナートの表情から、先ほどまでの余裕が消えていた。
レオンの剣が速い。
いや、単純な速度だけではない。
剣を受け流しても、次の一撃が既に迫っている。
踏み込めば間合いを外され、退けば追撃が来る。
自分が攻撃しているはずなのに、いつの間にか相手の剣に誘導されている。
オスティナート(……強いですね)
以前のレオンとは、まるで違う。
あのときは、確かに自分の剣が上回っていた。
だが、今は。
剣を交えるほどに、二人の実力差が明らかになっていく。
そして、オスティナートは悟った。
――このままでは、勝てない。
相手はまだ攻撃を選んでいる。
致命傷を与える機会があっても、そこへ剣を運ばずにいる。
それほどの余裕が、今のレオンにはあるのだ。
オスティナートは、思わず小さく笑った。
オスティナート「……本当に、お見事です」
その声には、皮肉も悔しさもなかった。
ただ、純粋な感嘆があった。
だが、剣を止めるわけにはいかない。
自分には、守らなければならないものがある。
小さな村。
豊かとは言えない土地で、慎ましく暮らす人々。
彼らの笑顔。
そして、領主との約束。
自分が戦場で役目を果たし続ける限り、村の人々の暮らしは守られるはずだった。
たとえ、自分が帰れなくなったとしても。
オスティナート(……ここまで、でしょうか)
レオンの剣を受け流しながら、そんな考えが浮かんだ。
不思議と、恐怖はなかった。
戦場に立つ以上、いつかこうなる可能性はある。
それは、最初から覚悟していたことだ。
ただ、少しだけ心残りがあった。
村の人々に、もう一度会いたかった。
いつものように声をかけられ、何でもない話をして。
そんな穏やかな日常へ帰れたなら、どれほどよかっただろう。
しかし。
オスティナートは、すぐにその思いを胸の奥へしまった。
オスティナート(……まあ、これだけの戦果を上げたのですから)
王国軍の防御線を幾度も突破した。
多くの騎士を退け、与えられた任務を果たしてきた。
領主も、その働きを知らないはずがない。
オスティナート(領主様も、村の皆を無下にはなさらないでしょう)
それだけは、信じたかった。
自分がここで命を落としても、村の人々が平穏に暮らせるのなら。
自分の剣にも、自分という存在にも、意味があったと思える。
オスティナート(……それだけでも、私がここにいたことは無駄ではありません)
そう思うと、胸の奥が少し軽くなった。
そして、オスティナートは静かに決意した。
たとえ勝てなくても。
たとえ、これが最後の一撃になろうとも。
自分の剣だけは、最後まで振り抜こう。
オスティナートの剣筋が変わった。
これまでの正確な連撃とは違う。
自分の守りを顧みず、すべてを一撃に託すような踏み込み。
俺は思わず息を呑んだ。
レオン(……何だ、この剣は!?)
相手の攻撃は、これまで以上に鋭かった。
しかし、同時に感じたものがある。
妙な覚悟。
いや。
まるで、自分が傷つくことを恐れていないような剣だった。
オスティナートが踏み込む。
全身の力を込めた斬撃。
俺は《勇者の剣》で受け止めた。
激しい衝撃が走る。
だが、受け止められる。
魔力循環を維持する。
呼吸を乱さない。
身体の軸を崩さない。
(……違う)
俺は、相手の剣を感じ取っていた。
これは、単に勝とうとしている者の剣じゃない。
何かを守るために、最後まで戦おうとする者の剣だ。
そんな気がした。
オスティナートが再び剣を引く。
次の一撃が来る。
俺は、それを待たなかった。
半歩、踏み込む。
相手が攻撃へ移る、そのわずかな瞬間。
《無拍子》。
俺の剣が走った。
オスティナートの瞳が大きく見開かれる。
反応が遅れる。
勇者の剣が相手の長剣を弾き飛ばした。
金属音が響いた。
オスティナートの剣が宙を舞い、地面へ突き刺さる。
そして。
俺の剣先が、相手の首元で止まった。
静寂。
夕暮れの風が、二人の間を通り抜ける。
オスティナートの柔らかな髪が揺れ、白い頬に影を落とした。
その可憐な顔には、驚きが浮かんでいた。
オスティナート「……お見事です」
澄んだ声だった。
やがて、相手は静かに微笑んだ。
オスティナート「完敗ですね」
その声には、不思議なほど悔しさがなかった。
むしろ、どこか安堵したようにも聞こえた。
俺は剣を構えたまま尋ねた。
レオン「……もう、やめにしない?」
オスティナートは少しだけ目を丸くした。
オスティナート「……よろしいのですか?」
レオン「何が?」
オスティナート「私を、ここで斬らなくても」
俺は小さく息を吐いた。
レオン「……必要ないから」
オスティナートは、しばらく俺を見つめていた。
レオン「俺がここで君を斬ったら、それで何かが良くなるのかな」
相手は答えなかった。
レオン「もちろん、戦わずに済むならそれが一番いい。でも、守るためには戦わなきゃいけないときもある」
俺は倒れている王国軍の兵士たちへ視線を向けた。
レオン「だから、俺は剣を振るった」
そして、もう一度オスティナートを見る。
レオン「でも、勝ったからって、相手を傷つけ続ける必要はないだろ」
オスティナートは、しばらく黙っていた。
やがて、その可憐な顔に微笑みが戻った。
オスティナート「……なるほど」
静かな声だった。
オスティナート「剣の使い方だけでなく、剣を振るう理由まで変わったのですね」
レオン「……そうかもしれない」
オスティナートは、ゆっくりと目を伏せた。
オスティナート「私にも、守りたいものがあります」
澄んだ声が、夕暮れの戦場に響いた。
オスティナート「小さな村です。決して豊かではありませんが、私にとっては大切な場所です」
俺は黙って聞いていた。
オスティナート「そこに暮らす人々を守るために、私は剣を振るっています」
レオン「……そうだったんだ」
オスティナート「ええ。ですから、戦いを途中で投げ出すわけにはいきませんでした」
そう言って、オスティナートは少しだけ微笑んだ。
俺は小さく頷いた。
レオン「……少しわかった気がするよ」
相手にも、守るべきものがある。
戦う理由がある。
だからといって、敵であることが変わるわけじゃない。
だが、相手の命を奪うことだけが答えではない。
俺は《勇者の剣》をゆっくりと引いた。
レオン「……もう、戦わないでくれる?」
オスティナートは、地面に突き刺さった自分の剣を見つめた。
そして、静かに頷いた。
オスティナート「今日のところは、これ以上剣を振るう理由がありません」
俺はようやく息を吐いた。
オスティナートは剣を拾い、鞘へ収めた。
オスティナート「……ありがとうございます、レオン・アルセリア」
レオン「……いや、こっちこそ」
小柄な剣士は、少女のように可憐な微笑みを浮かべた。
オスティナート「いつか、剣を交えずにお会いできる日が来るとよいですね」
レオン「……俺も、そう思うよ」
そして、オスティナートは静かに背を向けた。
灰色の外套が風に揺れる。
その可憐な後ろ姿は、血と泥にまみれた戦場にはあまりにも不釣り合いだった。
オスティナートの姿が見えなくなると、俺はようやく大きく息を吐いた。
レオン「……疲れた」
前回は一方的に敗北した。
愛剣を折られ、シオンに救われた。
あのときの悔しさは、今でも忘れていない。
だが、今回は違った。
ヴェルセリアから学んだ《無拍子》。
魔王から教わった《魔力循環剣》。
そして、魔界で授かった《勇者の剣》。
そのすべてが、俺をここまで強くしてくれた。
けれど、本当に大きな変化は剣の腕だけじゃない。
以前の俺なら、勝ったという結果だけで満足していたかもしれない。
でも、今は違う。
勝利そのものよりも、その先に何を残せるのか。
それを考えるようになった。
俺は腰の《勇者の剣》へ手を添えた。
レオン「……ありがとう、ヴェルセリア」
そして、もう一人の師を思い浮かべる。
レオン「魔王……いや、澪さん」
自然と、小さな笑みが浮かんだ。
レオン「……二人のおかげで、少しは前に進めた気がするよ」
夕暮れの空を見上げる。
遠くでは、まだ戦闘の音が響いていた。
戦争は終わっていない。
俺一人が強くなったところで、すべてが解決するわけじゃない。
だが、守れるものは以前より確実に増えたはずだ。
それだけは、胸を張って言える。
俺は《勇者の剣》を鞘へ収めた。
そして、倒れている王国軍の兵士たちへ歩み寄る。
王国軍兵士「……レオン殿。助かりました」
レオン「まだ安心するのは早いよ。後方まで連れていくから」
兵士は小さく頷いた。
俺はその身体を支えながら、王国軍の陣地へ向かって歩き始めた。
剣を振るう意味。
それは、ただ相手を倒すことではない。
何かを守るために戦うこと。
そして、必要のない戦いを終わらせること。
勝つために剣を振るうのではなく、守るために剣を振るう。
その境地へ、レオン・アルセリアは確かに一歩を踏み出していた。




