第119章 再戦
剣閃が走った。
次の瞬間、三人の王国軍騎士が地面へ叩きつけられた。
王国軍騎士「ぐあっ!」
王国軍兵士「馬鹿な! 五人がかりでも歯が立たないのか!?」
セレスティア王国西部。
西方諸侯連合の侵攻によって戦火に包まれた平原で、一人の剣士が王国軍を圧倒していた。
灰色の外套をまとった、小柄な剣士。
柔らかな髪が風に揺れ、白い肌に長い睫毛が影を落とす。
少女と見紛うほど可憐な容貌。
しかし、その澄んだ瞳と凛とした立ち姿には、どこか少年らしい気品が宿っていた。
血と泥にまみれた戦場には、あまりにも不釣り合いな美しさだった。
だが、その剣は容赦がない。
王国軍騎士「囲め! 相手は一人だ!」
六人の騎士が同時に踏み込んだ。
正面から槍が突き出され、左右から長剣が迫る。
小柄な剣士は、わずかに身体を傾けた。
槍が空を切る。
そのまま滑るように踏み込み、剣の柄で一人の顎を打つ。
続く一閃で二人の武器を弾き、返す刃で三人目の肩口を斬り裂いた。
まるで舞踏。
しかし、そこに優雅な音楽などなかった。
あるのは悲鳴と金属音だけだ。
王国軍兵士「化け物だ……!」
兵士の一人が後ずさった。
小柄な剣士は、静かに微笑んだ。
オスティナート「もう退かれた方がよろしいのでは?」
澄んだ、柔らかな声。
その言葉遣いは丁寧で、敵意すら感じさせない。
オスティナート「これ以上、無理をなさる必要はありません」
王国軍騎士「ふざけるな!」
騎士が怒声とともに斬りかかる。
だが、剣士は軽く身をかわし、相手の手首を打った。
剣が地面へ落ちる。
続いて胸元へ一撃。
騎士はその場に崩れ落ちた。
小柄な剣士は、もう一度静かに微笑んだ。
オスティナート「残念です」
そのときだった。
剣士の動きが止まった。
戦場の向こう。
折れた槍や倒れた兵士たちを隔てた先に、一人の銀髪の少年が立っていた。
腰近くまで伸びる美しい銀髪。
澄んだ青い瞳。
そして、腰には見覚えのない一振りの剣。
小柄な剣士の瞳が、わずかに見開かれた。
オスティナート「……おや」
その顔に、初めて明確な喜びが浮かんだ。
オスティナート「これは、思いがけない再会ですね」
少年が静かに歩み寄ってくる。
レオン「……久しぶりだね、オスティナート」
オスティナートは、花がほころぶように微笑んだ。
オスティナート「お久しぶりです。レオン・アルセリア」
目の前の相手を見て、俺は静かに息を吐いた。
オスティナート。
忘れもしない。
かつて俺を圧倒し、愛剣を折った剣士だ。
あのとき、シオンが助けに入らなければ、俺はここに立っていなかったかもしれない。
その相手が、今また目の前にいる。
しかも、王国軍の兵士たちを次々と打ち倒していた。
レオン「……相変わらず、恐ろしく強いね」
オスティナート「ありがとうございます。ですが、あなたも以前とは違うようですね」
オスティナートの視線が、俺の腰へ向けられた。
オスティナート「剣が変わっています」
レオン「前の剣は、誰かに折られちゃったからね」
オスティナート「そうでしたね」
可憐な顔に、少し申し訳なさそうな微笑みが浮かんだ。
オスティナート「あのときは、少々手荒なことをしました」
レオン「少々?」
思わず聞き返してしまった。
あれを少々で済ませるのか。
俺の人生で、間違いなく上位に入る危機だったんだけど。
オスティナート「ですが、こうして再び剣を交えられるのであれば、嬉しい限りです」
レオン「……俺は、あまり嬉しくないかな」
そう答えながら、俺は周囲を見渡した。
倒れた王国軍の兵士たち。
傷を押さえ、苦しそうに呻く騎士。
その背後には、まだ退却しきれていない部隊がいた。
ここでオスティナートを放置すれば、さらに犠牲が増える。
俺は《勇者の剣》の柄へ手を添えた。
レオン「……今度は、通すわけにはいかない」
オスティナートが小さく首を傾げた。
オスティナート「私を止めるおつもりですか?」
レオン「そうだね」
オスティナート「それは残念です」
そう言いながらも、その表情は少しも残念そうではなかった。
オスティナート「ですが、あなたの剣がどれほど変わったのか、興味があります」
その細い指が剣の柄を握る。
オスティナート「お相手していただけますか?」
俺は《勇者の剣》を抜いた。
レオン「……望むところだよ」
先に動いたのはオスティナートだった。
軽やかな踏み込み。
小柄な身体が、風に乗るように間合いを詰めてくる。
次の瞬間、鋭い斬撃が俺の首元へ迫った。
速い。
以前と変わらない、恐ろしい速度。
だが。
俺は半歩だけ身体を動かし、剣を受け流した。
甲高い金属音が響く。
続く二撃目。
三撃目。
俺はすべてを最小限の動きでかわした。
オスティナート「……ほう」
オスティナートの瞳が、わずかに細められる。
オスティナート「以前とは、随分違いますね」
レオン「……いろいろ、教わったからね」
剣を交えながら、俺は魔界での修練を思い出していた。
ヴェルセリア・ドラグレイン。
北境戦役で出会った竜族の女将軍。
彼女から学んだ《無拍子》。
そして、魔王から教わった《魔力循環剣》。
その二つを自分の剣術へ取り入れたことで、俺の実力は飛躍的に高まっていた。
以前の数倍。
少なくとも、剣を交えたときの対応力は、以前とは比較にならない。
だが。
魔界で俺が学んだことは、技術だけではなかった。
以前の俺は、強くなることを単純に考えていた。
相手より速く剣を振ること。
相手より正確に攻撃すること。
そして、相手に勝つこと。
それが剣士としての強さなのだと思っていた。
だが、ヴェルセリアとの修練は、その考えを変えてくれた。
剣を振るう前に、相手を見極める。
自分の動きを理解する。
そして、必要のない一撃を振るわない。
魔王から学んだ魔力循環も同じだった。
力を増やすのではない。
持っている力を、無駄なく、自然に巡らせる。
力を使い切ることと、力を使いこなすことは違う。
今なら、その意味が少しわかる。
レオン(……俺は、何のために剣を振るう?)
以前なら、勝つためだと答えただろう。
だが、今は違う。
目の前の相手に勝ったところで、戦場から悲しみが消えるわけじゃない。
むしろ、剣を振るうことで新しい悲しみを生むこともある。
それでも。
守るべきものがある。
退くことのできない場所がある。
だから、俺は剣を握る。
勝つことだけが目的じゃない。
自分の剣によって、これ以上失われるはずだったものを守る。
それが、今の俺の答えだった。
オスティナートの剣が迫る。
俺は受け流し、そのまま踏み込んだ。
《無拍子》。
剣の起こりを消し、相手の意識の外から一撃を放つ。
オスティナートの瞳が見開かれた。
オスティナート「……!」
甲高い金属音。
ぎりぎりで受け止められた。
しかし、相手は一歩後退していた。
以前の戦いでは、一度も見られなかった動きだ。
オスティナート「素晴らしいですね」
レオン「……防ぐのかよ」
思わず本音が漏れた。
今の一撃は、かなり自信があったのに。
オスティナート「いえ、完全に見切れたわけではありません。少し対応が遅れました」
そう言って、可憐な剣士は感心したように微笑んだ。
オスティナート「今の技は、剣速だけでは説明できませんね。攻撃を認識したときには、既に刃が届いていました」
レオン「そこまでわかってるなら、十分見切ってると思うんだけど」
オスティナート「いいえ。見切ることと、辛うじて防ぐことは違います」
穏やかな言葉だった。
しかし、その瞳には、先ほどまでとは異なる鋭い光が宿っていた。
オスティナート「以前のあなたなら、私の剣を受けるだけで精いっぱいでした。ですが、今は私に攻撃を強いている」
小柄な剣士は、静かに構え直した。
オスティナート「実に興味深い成長です」
そして、ふと思い出したように尋ねた。
オスティナート「ところで、レオン・アルセリア。あなたは何のために剣を振るっているのですか?」
レオン「……え?」
予想外の質問だった。
戦場の真ん中で、いきなりそんなことを聞かれるとは思っていなかった。
オスティナート「以前のあなたは、何としても私に勝とうとしていました。しかし今は、勝利そのものへの執着が薄いように感じます」
俺は少し考えた。
レオン「……守りたいものがあるから、かな」
オスティナート「守りたいもの、ですか」
レオン「うん。以前は、とにかく強くなれば大丈夫だと思ってた。でも、違ったんだ」
俺は倒れた王国軍の兵士たちへ目を向けた。
レオン「強くなっても、守れないものはある。勝ったからって、全部が上手くいくわけじゃない」
オスティナートは黙って聞いていた。
レオン「だから今は、勝つためだけじゃなくて、失いたくないものを守るために剣を振りたい」
俺は、もう一度相手を見る。
レオン「……君はどうなの?」
オスティナート「私、ですか?」
レオン「そう。君ほどの剣士なら、剣を振るう理由くらいあるんじゃない?」
オスティナートは、少しだけ目を丸くした。
そして、静かに微笑んだ。
オスティナート「……もちろん、ありますよ」
その表情から、先ほどまでの無邪気さが消えた。
オスティナート「私にも、守りたいものがあります」
澄んだ瞳が、遠くの戦場へ向けられる。
オスティナート「大切にしたい約束があります。失われてほしくないものもあります。そして、そのためには、私自身が剣を振るわなければならない」
言葉は穏やかだった。
だが、そこには確かな意志があった。
オスティナート「あなたが守ろうとしているものと、私が守ろうとしているものは、きっと同じではありません」
レオン「……そうだね」
オスティナート「ですが、だからといって、あなたの考えを否定するつもりはありません」
可憐な剣士は、少し寂しそうに微笑んだ。
オスティナート「守るために剣を振るう。その気持ちは、私にも理解できますから」
俺は思わず相手を見つめた。
初めて会ったとき、俺はオスティナートを、ただ恐ろしく強い剣士だと思っていた。
だが、今は少し違う。
この相手にも、剣を振るう理由がある。
俺には知らない事情がある。
それでも、剣を交えなければならない。
戦争とは、そういうものなのかもしれない。
オスティナート「……さて」
オスティナートが剣を構え直した。
オスティナート「お互いの考えがわかったところで、続きを始めましょうか」
レオン「……結局、戦うんだね」
オスティナート「ええ。残念ながら」
少年のように爽やかな微笑み。
しかし、剣を握る指には迷いがなかった。
オスティナート「私も、譲れないものがありますので」
俺は《勇者の剣》を構え直した。
レオン「……わかった」
相手にも守るものがある。
それでも、俺には俺の守るべきものがある。
だから、退くわけにはいかない。
夕暮れの戦場で、二人の剣士が再び向かい合った。




