第118章 聖戦の風景
セレスティア王国東部。
秋の風が吹き抜ける街道を、五人の若者たちが歩いていた。
東方聖連邦軍は、先鋒だけで九万もの兵力を投入し、王国領内への侵攻を続けている。
その軍勢が通過した地域には、戦争の傷痕が少しずつ広がり始めていた。
街道脇には打ち捨てられた荷車があり、畑には踏み荒らされた跡が残っている。
そんな光景を、金髪碧眼の青年フィンレイ・アルヴェストは沈んだ表情で眺めていた。
エマ「フィン。さっきから黙ってるけど、大丈夫?」
フィンレイ「……うん。ただ、思っていたのと違うなって」
エマ「……戦争のこと?」
フィンレイ「聖連邦は、正しい信仰と秩序を取り戻すために戦ってるんだよな。でも、ここに暮らしてる人たちは……」
フィンレイは言葉を切った。
幼い頃、魔物に両親を奪われた彼にとって、力なき人々が理不尽に傷つけられることは、決して他人事ではなかった。
大盾を背負った聖騎士ガレスが、静かに口を開く。
ガレス「戦争になれば、民にも被害が出る。それは避け難い現実だ」
エマ「だからって、仕方ないで済ませられるの?」
ガレス「……そうは言っていない」
ガレスの声にも苦いものが混じっていた。
その重苦しい空気を変えようとしたのか、魔術師リゼットがわざと明るく声を上げる。
リゼット「ま、まあ! まずは次の村で休憩しようよ! あたし、お腹ぺこぺこ!」
フィンレイ「……さっき食べたばかりじゃなかった?」
リゼット「魔術師は頭を使うの! 頭を使えばお腹も空くの!」
エマ「さっきから食べ物の話しかしてない気がするけど?」
リゼット「細かいことは気にしない!」
そのやり取りに、聖女候補オリヴィアが小さく微笑んだ。
オリヴィア「ふふっ。村に着いたら、皆様で温かいものをいただきましょう」
フィンレイも少しだけ表情を緩める。
しかし、その笑顔は長く続かなかった。
風に乗って、焦げ臭い匂いが流れてきたのである。
エマ「……ねえ。何か焦げ臭くない?」
ガレス「……煙だ」
街道の先。
小高い丘の向こうから、黒煙が幾筋も立ち上っていた。
フィンレイ「村の方角じゃないか!」
ガレス「急ぐぞ!」
五人は一斉に駆け出した。
最初に聞こえたのは、女の悲鳴だった。
次いで、子供の泣き声。
そして、怒号。
丘を越えたフィンレイたちの目に、信じ難い光景が飛び込んできた。
村が燃えていた。
藁葺きの家々には炎が移り、広場には村人たちが縄で縛られて座らされている。
道端には、動かなくなった人々の姿があった。
その周囲を取り囲んでいるのは、鎧姿の騎士たち。
鎧の胸元に刻まれている紋章は、フィンレイたちがよく知るものだった。
――東方聖連邦。
フィンレイ「……え?」
足が止まった。
エマ「……嘘……」
オリヴィア「そんな……!」
ガレスも顔を強張らせる。
ガレス「……我が国の騎士だと……?」
村の広場では、騎士隊長らしき男が村長の胸倉をつかんでいた。
聖連邦騎士隊長「何度言わせる! 異端の信仰を捨て、聖なる教えに帰依せよ!」
村長「お、お許しください……! 私どもは、ただ先祖代々の教えを守っているだけで……!」
聖連邦騎士隊長「その教えこそが異端だと言っている!」
騎士隊長は村長を突き飛ばした。
老人は地面へ転がり、苦しそうに咳き込む。
聖連邦騎士隊長「聖なる教えを拒む者は、神に背く者! 神敵を庇う者もまた同罪!」
周囲の騎士たちが、家屋へ次々と火を放っていく。
逃げようとした村人が槍で突かれ、地面に倒れた。
フィンレイ「……な、何を……」
声が震えた。
目の前で起きていることが、理解できなかった。
聖連邦の騎士。
人々を守り、正しい信仰を広める存在。
フィンレイは、そう教えられてきた。
しかし、今、その騎士たちが無抵抗の村人を殺している。
リゼット「……ねえ。あれ、何かの間違いだよね……?」
誰も答えられなかった。
エマの手が、背負った弓へ伸びる。
だが、彼女もまた、すぐには矢をつがえられなかった。
相手は自分たちと同じ聖連邦の騎士なのだ。
それ以上に、あまりにも突然の惨劇だった。
五人の足が、まるで地面に縫いつけられたように動かなかった。
そのときだった。
村の母親「お願いします! せめて、この子だけは!」
広場の隅。
一人の母親が、幼い少女を抱き締めていた。
騎士が二人へ近づく。
聖連邦騎士「異端の子も、いずれ異端となる。見逃すわけにはいかん」
村の母親「そんな……! この子はまだ何も知らないんです!」
少女が母親の腕をすり抜け、逃げ出した。
少女「いやああっ!」
騎士が剣を振り上げる。
フィンレイ「……や、やめ……!」
フィンレイは叫ぼうとした。
だが、その瞬間。
――キィィン!
鋭い金属音が広場に響き渡った。
騎士の剣が宙を舞った。
何が起きたのか、誰にも分からなかった。
少女と騎士の間に、一人の人物が立っていた。
長身の女剣士。
深い色の外套をまとい、フードを目深に被っている。
顔立ちも髪も、ほとんど見えない。
その手には、一振りの剣。
派手な装飾のない、旅人が携えるような武器だった。
聖連邦騎士「なっ!? 何者だ、貴様!」
女剣士「……子供へ剣を向けるのか」
低く、澄んだ声。
女剣士「そなた、それでも騎士か?」
聖連邦騎士「異端者を庇うつもりか!」
女剣士「答えになっておらぬ」
女剣士は一歩前へ出た。
女剣士「剣を収めよ。無抵抗の者に刃を向けることは許さぬ」
聖連邦騎士「黙れ! 邪魔をするなら貴様も――!」
騎士が腰の短剣を抜いて突進する。
女剣士は動かない。
いや。
フィンレイには、そう見えた。
次の瞬間には、騎士の身体が地面に倒れていた。
聖連邦騎士「……がっ……!」
女剣士がいつ剣を振ったのか、分からなかった。
フィンレイ「……え?」
少女が泣きながら母親のもとへ駆け戻る。
女剣士は、その背中を一度だけ見やった。
女剣士「……よい。母上のそばにおれ」
そして、騎士たちへ向き直る。
聖連邦騎士隊長「貴様ああっ! 何をしている!」
女剣士「見てのとおりだ。子供を救った」
聖連邦騎士隊長「我々は聖連邦の騎士だぞ! 逆らえばどうなるか分かっているのか!」
女剣士「……それがどうした?」
あまりにも静かな返答だった。
女剣士「そなたたちの掲げる旗が何であろうと、罪なき民を殺めることが許される道理はない」
聖連邦騎士隊長「この女を討て!」
号令と同時に、騎士たちが動いた。
五人。
十人。
さらに後方からも、武装した騎士たちが集まってくる。
その全員が、一人の女剣士へ向かっていった。
だが。
そこから先は、戦闘と呼ぶことさえ難しかった。
最初の騎士が剣を振り下ろす。
女剣士は半歩ずれる。
ただそれだけで、刃は空を切った。
続く一閃。
騎士が倒れる。
横から槍を突き出した男も、瞬く間に武器を失った。
背後から斬りかかった騎士は、剣を交えることすらできなかった。
外套が翻る。
刃がきらめく。
そして、騎士が倒れる。
その繰り返しだった。
リゼット「……な、何なの、あれ……!」
エマ「……見えない……」
ガレス「……いや、見えてはいる。だが……」
ガレスの額に冷や汗が浮かんだ。
ガレス「……動きが、まるで読めん……!」
聖騎士である彼には分かった。
女剣士は、ただ速いだけではない。
相手が剣を振るう前から、次に何が起こるのかを把握しているかのようだった。
間合い。
呼吸。
体重移動。
踏み込みの瞬間。
そのすべてを見透かし、最小限の動作で制圧している。
騎士たちの攻撃は、一度として彼女の身体に届かない。
そして女剣士には、戦いを楽しむ様子がまるでなかった。
むしろ、剣を振るうたびに、その声は冷たさを増していく。
女剣士「武器を捨てよ」
騎士の一人が槍を落とし、後ずさった。
女剣士は追わなかった。
しかし別の騎士が、彼女の背後にいる村人へと剣を向ける。
聖連邦騎士「動くな! こいつを殺されたくなければ――!」
女剣士「……愚かな」
一瞬だった。
その騎士は剣を振り下ろすより早く斬り伏せられた。
女剣士は、怯える村人を背後へ退かせる。
女剣士「逃げるがよい。ここは私が引き受ける」
その姿を、フィンレイは呆然と見つめていた。
腰には聖剣がある。
手を伸ばせば、いつでも抜ける。
だが、抜けなかった。
恐怖だけではない。
目の前で聖連邦の騎士たちが行ったこと。
その騎士たちが次々と倒れていくこと。
そして、たった一人で村人を守り続ける女剣士の姿。
何もかもが、彼の理解を超えていた。
フィンレイ(……俺は……)
勇者。
聖剣に選ばれた者。
人々を守るために戦うはずだった者。
それなのに。
フィンレイ(……何を、してるんだ……?)
最後に残った騎士隊長が、怒号を上げた。
聖連邦騎士隊長「おのれええっ! 神敵めええっ!」
隊長は剣を振りかざす。
女剣士は、静かに構えを取った。
女剣士「……もうよせ」
聖連邦騎士隊長「黙れええっ!」
刹那。
女剣士の剣が閃いた。
隊長の身体が崩れ落ちる。
広場に、静寂が訪れた。
聖連邦の騎士たちは、全員が地面に倒れていた。
抵抗を続けた者は討たれ、降伏した者も武器を取り上げられて戦闘不能となっている。
立っている者は、ただの一人もいない。
女剣士だけが、広場の中央に静かに立っていた。
炎のはぜる音が聞こえる。
どこかで子供が泣いている。
その声で、フィンレイはようやく我に返った。
フィンレイ「……終わった……?」
隣にいたエマも、まだ弓を握り締めたままだった。
エマ「……うん……」
フィンレイは自分の手を見下ろした。
何もしていない。
いや、何もできなかった。
少女が殺されそうになったときも。
騎士たちが女剣士へ襲いかかったときも。
そして、戦いが終わるまで。
ただ、その場に立っていただけだった。
フィンレイ「……俺……」
言葉が続かない。
その間にも、女剣士は倒れた騎士たちの武器を遠ざけ、村人たちのもとへ向かっていた。
女剣士「怪我をした者はいるか?」
村長「……あ、ありがとうございます……! おかげで、残った者たちだけでも……!」
女剣士「礼には及ばぬ。まだ危険は去っておらん。火を消し、負傷者を安全な場所へ運ぶのだ」
女剣士は老人を支え、倒れた荷車を起こし、村人たちの避難を手伝い始めた。
あれほど恐ろしい剣を振るっていた人物とは思えないほど、動作は丁寧だった。
その姿を見て、オリヴィアがようやく一歩を踏み出した。
オリヴィア「……私、治療をしなければ!」
オリヴィアは負傷者たちへ駆け寄った。
オリヴィア「大丈夫です。今、傷を診ますから!」
続いて、ガレスも動き出す。
ガレス「……エマ、リゼット。生存者を捜してくれ。俺は倒れた騎士たちの武装を確認する」
リゼット「……う、うん!」
エマ「……フィン。行こう」
しかし、フィンレイは動かなかった。
エマ「……フィン?」
フィンレイ「……俺、何もできなかった……」
エマは言葉を失う。
フィンレイ「……あんなに人が殺されてたのに……」
声が震えていた。
フィンレイ「聖剣に選ばれたって、勇者だって言われて……それなのに……!」
エマは、そっと彼の腕に触れた。
エマ「……フィン」
それ以上、何も言わなかった。
今、どんな慰めの言葉をかけても、彼の苦しみは消えないと分かっていたからだ。
夕刻。
生き残った村人たちは、ようやく広場の近くに集められていた。
焼け残った建物を使い、負傷者の手当てが進められている。
オリヴィアは治癒魔術を使い続け、疲労で額に汗を浮かべていた。
リゼットは残り火を魔術で抑え、エマは村人たちから行方不明者の話を聞いていた。
ガレスは、捕らえられた騎士たちの処遇と、聖連邦への報告について考えていた。
そしてフィンレイは、広場の端に立つ女剣士のもとへ歩いていった。
フィンレイ「……あの」
女剣士「……何だ?」
フィンレイ「……ありがとうございました」
女剣士「私に礼を言う必要はない」
フィンレイ「でも、あなたがいなかったら……」
女剣士「ならば、生き残った者たちを助けるがよい。今はそれが先だ」
フィンレイは唇を噛んだ。
フィンレイ「……俺、勇者なんです」
女剣士は少しだけ顔を上げた。
フードの奥に隠れた表情は、よく見えない。
女剣士「……勇者?」
フィンレイ「はい。フィンレイ・アルヴェスト。聖剣に選ばれた勇者です」
彼は腰の聖剣へ視線を落とした。
フィンレイ「……でも、今日は何もできませんでした」
女剣士「……そうか」
フィンレイ「怖くて……何が正しいのかも分からなくなって……」
女剣士は、しばらく黙っていた。
やがて、ゆっくりと口を開く。
女剣士「……そなたは、その剣で何を守りたい?」
フィンレイ「……え?」
女剣士「信仰か。祖国か。それとも、目の前で助けを求める命か」
フィンレイは答えられなかった。
女剣士「祖国を愛することは、恥ずべきことではない。信仰を重んじることも同じだ」
その声は穏やかだった。
女剣士「だが、それを理由に己の目を曇らせてはならぬ」
フィンレイ「……っ」
女剣士「剣は、持つ者の心まで正してはくれぬ。たとえ、それが聖剣であろうともな」
フィンレイの胸に、その言葉が深く突き刺さった。
聖剣に選ばれた。
それだけで、自分は勇者なのだと思っていた。
だが、目の前の女剣士は違った。
勇者でもなければ、聖剣を持っているわけでもない。
それでも彼女は、迷うことなく人々を守った。
フィンレイ「……あなたは、どうしてあんなに強いんですか?」
女剣士「長く剣を振ってきた。それだけのことだ」
フィンレイ「……俺も、あなたみたいになれますか?」
女剣士は、すぐには答えなかった。
女剣士「……それは、そなた次第だ」
そして静かに続ける。
女剣士「強くなることと、正しく剣を振るうことは別だ。どちらも忘れるな」
フィンレイは、ゆっくりと頭を下げた。
フィンレイ「……はい」
その返事に、女剣士は小さく頷いた。
日が沈みかけた頃。
女剣士は村を去ろうとしていた。
その背中を、フィンレイが呼び止める。
フィンレイ「待ってください!」
女剣士「……何だ?」
フィンレイ「名前を、教えてもらえませんか?」
女剣士は足を止めた。
しかし、振り向かない。
女剣士「……名乗るほどの者ではない」
フィンレイ「そんなことありません! あなたは、この村を救ってくれたんです!」
女剣士「ならば、その出来事を覚えておればよい」
フィンレイ「……でも……」
女剣士「名など知らずとも、そなたが今日見たものは消えまい」
フィンレイは口を閉じた。
女剣士「……勇者よ」
フィンレイ「……はい」
女剣士「今日の悔しさを忘れるな。だが、悔しさだけで剣を振るう者になるでないぞ」
フィンレイ「……分かりました」
女剣士「……では、さらばだ」
彼女は、それ以上何も言わずに歩き去った。
遠ざかる外套の背中を、フィンレイはいつまでも見つめていた。
エマ「……フィン」
フィンレイ「……俺、強くなるよ」
エマ「……うん」
フィンレイ「今日みたいに、何もできないのは……もう嫌だ」
エマは、彼の隣へ並んだ。
エマ「だったら、私も一緒に頑張る」
フィンレイ「……エマ」
エマ「一人で何でもできるようにならなくたっていいでしょ。私たち、仲間なんだから」
フィンレイは小さく頷いた。
その視線の先には、焼け落ちた村が広がっている。
助かった者はいる。
しかし、もう二度と帰ってこない者たちもいる。
今日の出来事を、忘れることなどできなかった。
夜。
村から遠く離れた森の奥。
外套姿の女剣士が、ひとり歩いていた。
街道から外れ、獣道を抜け、深い木立の間へと進んでいく。
やがて、月明かりの差し込む小さな空き地へ出た。
彼女は足を止める。
周囲を見渡し、耳を澄ませた。
風が枝葉を揺らす音。
遠くで鳴く夜鳥の声。
それ以外に、何も聞こえない。
女剣士はさらに周囲の気配を探った。
人の気配はない。
追跡者もいない。
街道からこちらを見通すこともできない。
それを確かめてから、ようやく小さく息を吐いた。
女剣士「……ここなら、誰もおるまい」
彼女は、ゆっくりと外套のフードへ手を伸ばす。
そして、深く被っていたフードを外した。
夜風が、長い髪をさらう。
月明かりの下に気高く美しい顔立ちと、
竜族特有の角が現れる。
片方の角は、先端が短くなったままだった。
竜族の女将軍、ヴェルセリア・ドラグレイン。
かつてセレスティア王国の北境で大軍を率いた魔王軍の将軍である。
彼女は王国と聖連邦の戦争勃発、そして新たな聖剣の勇者が覚醒したとの報せを受け、その真偽と現地の情勢を自らの目で確かめるため、身分を隠して王国領内を視察していたのだった。
ヴェルセリア「……まさか、このような惨状を目にするとはな」
ヴェルセリアは静かに息を吐き、再びフードを被った。
ヴェルセリア「……聖連邦の動向も、あの若き勇者の行く末も、もう少し見極める必要がありそうだ」
そう呟くと、彼女は夜の森へと歩き出した。




