第116章 聖戦
東方聖連邦、聖都中央大神殿。
勇者フィンレイ・アルヴェストと四人の仲間が旅立った翌朝。
大神殿の奥にある最高評議会議場には、各都市国家の代表者、聖職者、軍の高官たちが集結していた。
議場中央には、セレスティア王国東部の地図が広げられている。
国境から王国内へ進んだ場所には、一つの古代遺跡が記されていた。
聖連邦が古来より神聖視し、長年にわたって返還を要求し続けてきた聖地である。
強硬派評議員「諸卿! 我らが祖先の時代より祈りを捧げてきた聖地は、今なおセレスティア王国の支配下にある!」
男は地図を叩いた。
強硬派評議員「幾度となく返還を要求したにもかかわらず、王国は一向に応じぬ! この屈辱を、いつまで耐えねばならんのだ!」
慎重派評議員「しかし、王国にも領有を主張する根拠がございます。武力による解決は、新たな禍根を残しかねません」
強硬派評議員「神聖なる地を取り戻すことが、なぜ禍根となる!」
議場に怒号が飛び交った。
その騒ぎを鎮めるように、一人の将軍が進み出る。
聖連邦軍将軍「諸卿。今こそ千載一遇の好機です」
将軍は地図の北部を指さした。
聖連邦軍将軍「セレスティア王国は北境の魔王軍との戦争で、大きな損害を被りました」
続いて、西方へ指を移す。
聖連邦軍将軍「さらに西方諸侯軍の侵攻を受け、現在も戦力を西へ割かねばならぬ状況です」
評議員「つまり、王国には東方を守る余力がないと?」
聖連邦軍将軍「余力が皆無とは申しません。しかし、今ほど王国の防備が手薄になる機会は、そう訪れますまい」
慎重派評議員「……弱っている隣国を攻めるのですか?」
強硬派評議員「侵略ではない! 聖地の奪還だ!」
そして、男は声を張り上げた。
強硬派評議員「何より、王国は魔王と和平を結んだ! 人に仇なす魔物どもと、一時的にでも手を結ぶなど、我らの教義では到底認められぬ!」
聖職者A「魔と妥協する王国は、信仰を失ったも同然!」
聖職者B「魔に魂を売った堕落した王国へ、神々の鉄槌を!」
強硬派評議員は両手を広げる。
強硬派評議員「そして、そのような時に勇者が目覚めた! 聖剣が選ばれし者を認めたのだ! これこそ神々の御意志ではないか!」
議場が歓声に包まれる。
だが、慎重派評議員は立ち上がった。
慎重派評議員「お待ちください! 勇者の覚醒と、王国への侵攻は別の問題です!」
強硬派評議員「そなたは神の奇跡を疑うのか!」
慎重派評議員「いいえ! 奇跡を人間の都合で解釈することを恐れているのです!」
一瞬、議場が静まり返った。
しかし、すでに大勢は決していた。
大神官長が、ゆっくりと立ち上がる。
大神官長「……諸卿の意見は聞いた」
すべての視線が集まる。
大神官長「聖地は我らが信仰の根幹に関わる。そして魔王との和平は、看過できぬ選択である」
大神官長は厳かに宣言した。
大神官長「東方聖連邦は、聖地奪還のための軍事行動を開始する!」
議場に歓声が轟いた。
強硬派評議員「聖連邦に栄光あれ!」
聖職者たち「「「神々の御名において!」」」
そして、将軍が侵攻計画を明らかにした。
聖連邦軍将軍「王国侵攻の先鋒として、九万の兵を投入いたします!」
その数字に、評議員たちが息を呑む。
聖連邦軍将軍「さらに本国には、別途後続の軍勢を待機させます。必要となれば、追加投入を検討いたしましょう」
後続軍の正確な兵力や投入時期は、まだ決定されていない。
だが、先鋒だけで九万。
聖連邦が、この戦争にどれほどの力を注ごうとしているかは明らかだった。
その頃、勇者本人はすでに聖都を離れていた。
自分の覚醒が、九万の軍勢を動かす口実にされたことなど、知る由もなかった。
数日後。
セレスティア王国東方国境。
街道を埋め尽くすように、聖連邦軍が進軍していた。
白と金の軍旗。
規則正しく並ぶ槍兵。
重装騎士、弓兵、魔術兵、補給部隊。
九万の先鋒軍は複数の縦隊に分かれ、国境一帯へ圧力をかけていた。
聖連邦軍将軍「我らの目的は聖地の奪還! そして、魔王との和平を選んだ王国に神々の裁きを示すことだ!」
聖連邦騎士たち「「「聖連邦に栄光あれ!」」」
号令とともに、軍勢が国境を越えていく。
その報告は、王国東方守備隊にも届いた。
王国伝令「報告! 東方聖連邦軍が国境を越えました!」
王国東方守備隊長「……ついに来たか!」
王国伝令「敵は複数の街道から侵入! 先鋒の総兵力は、およそ九万と見られます!」
王国東方守備隊長「九万だと!?」
守備隊長は地図を睨みつけた。
王国参謀「聖連邦は、勇者の覚醒を聖戦の正当性を示す奇跡として宣伝しております!」
王国東方守備隊長「勇者が目覚めたから他国を攻めてよいというのか! 何という理屈だ!」
北境での戦争。
西方諸侯軍の侵攻。
そこへ東方から九万の大軍。
王国が置かれた状況は、極めて厳しかった。
王国東方守備隊長「全軍、主要街道の防衛陣地へ配置! 王都にも急報を送れ!」
こうして、セレスティア王国は東西二方面からの侵攻に直面した。
その頃。
勇者フィンレイ・アルヴェストは、四人の仲間とともに西方へ向かっていた。
街道沿いの宿場町。
そこで五人が目にしたのは、荷車を引いて東へ逃れる人々の列だった。
フィンレイ「……何だろう。随分、人が多いな」
エマ「みんな、家財道具まで持ってるわね」
エマが周囲を見回す。
そこへ、疲れ切った男が通りかかった。
フィンレイ「あの、何かあったんですか?」
避難民の男「知らないのかい? 聖連邦軍が王国へ攻め込んだんだよ!」
フィンレイ「……え?」
避難民の男「九万もの兵が動いてるって話だ! 戦場になる前に逃げようって、みんな必死なのさ!」
フィンレイは言葉を失った。
聖連邦が、王国と戦争を始めた。
しかも、その大義名分には、勇者の覚醒が利用されているという。
フィンレイ「……俺が、勇者になったから……?」
その呟きに、エマが振り返った。
エマ「フィン?」
フィンレイ「……いや、何でもない」
しかし、その表情は晴れなかった。
そのとき。
少年「……お父さん……お母さん……」
幼い少年が、道端で泣いていた。
フィンレイは足を止める。
その声が、遠い日の記憶を呼び覚ました。
燃える家。
凶暴化した魔物の咆哮。
そして、父の背中。
父親「フィンレイ! 母さんと一緒に逃げろ!」
幼少期のフィンレイ「父さんも一緒に!」
父親「父さんは、みんなを助けてくる!」
それが最後だった。
母はフィンレイの手を引き、必死に逃げた。
しかし、逃げ道にも魔物が現れた。
母親「フィンレイ! 走りなさい!」
幼少期のフィンレイ「母さんも!」
母親「大丈夫……あなたは必ず助かるから!」
母は息子を逃がすため、魔物の前に立ちはだかった。
その後、フィンレイを家族として迎え入れてくれたのが、エマの両親だった。
あの日の悲しみは、今も胸の奥に残っている。
エマ「……フィン?」
エマの声に、フィンレイは我に返った。
フィンレイ「……大丈夫」
そして、泣いている少年の前にしゃがみ込む。
フィンレイ「どうしたんだ?」
少年「……お父さんと、お母さんが……いないの……」
フィンレイ「……そっか」
フィンレイは少年の手を握った。
フィンレイ「一緒に探そう。きっと見つけるから」
エマも隣にしゃがむ。
エマ「大丈夫よ。もう一人じゃないからね」
少年は、二人の手を握り返した。
五人は避難民たちの救援を始めた。
オリヴィアが負傷者へ治癒魔術を施し、リゼットは破損した荷車を補強する。
ガレスは避難民を整理し、エマは弓を手に周辺を警戒した。
フィンレイは、少年の両親を探し続けた。
しばらくして。
母親「……ああ! 坊や!」
少年「お母さん!」
少年が母親へ駆け寄った。
父親も現れ、三人は泣きながら抱き合う。
父親「ありがとうございます! 本当に、ありがとうございます!」
フィンレイ「……いえ。無事でよかったです」
少年が笑った。
少年「お兄ちゃん、ありがとう!」
その笑顔を見て、フィンレイも微笑んだ。
だが、胸の奥には小さな痛みが残っていた。
自分には、もう二度と叶わない再会だったからだ。
エマは、そんな彼の横顔を静かに見つめていた。
夕方。
避難民たちが休息を取っていると、エマが突然弓を構えた。
エマ「フィン! 森の中に何かいる!」
木々の奥から、低い唸り声が響く。
次の瞬間。
――グルルルルッ!
凶暴化した魔物の群れが飛び出してきた。
血走った瞳。
剥き出しの牙。
異様に興奮した魔物たちは、避難民へ向かって突進する。
フィンレイ「……っ!」
その姿を見た瞬間、身体が硬直した。
故郷を襲った魔物と、よく似た姿だった。
炎。
悲鳴。
父と母の最後の言葉。
エマ「フィン!」
エマの声が響いた。
フィンレイは、はっと顔を上げる。
目の前には逃げ惑う人々がいる。
先ほど助けた少年も、恐怖に震えていた。
少年「……お兄ちゃん!」
その声が、胸を突き刺した。
フィンレイ「……今度は、守る!」
フィンレイは聖剣を抜いた。
白銀の刀身が、夕陽を反射して輝く。
ガレス「フィンレイ! 俺が正面を押さえる! お前は右側を守れ!」
フィンレイ「分かった!」
ガレスが大盾を構え、魔物の突進を受け止める。
――ガァン!
激しい衝撃が響く。
エマは素早く矢を放ち、側面から近づく魔物を射抜いた。
エマ「フィン! 右から二匹!」
フィンレイ「見えてる!」
フィンレイが聖剣を振るう。
一匹を斬り伏せる。
しかし、もう一匹の突進に対応が遅れた。
フィンレイ「しまっ……!」
その瞬間。
――ドォン!
炎の魔術が魔物の目前で炸裂した。
リゼット「ぼーっとしない!」
フィンレイ「助かった、リゼット!」
リゼット「お礼はあとでいいわ!」
オリヴィアは避難民の前に防御魔術を展開する。
オリヴィア「皆さん! こちらへお下がりください!」
魔物の一匹が防壁へ突進した。
しかし、淡い光の壁が攻撃を受け止める。
オリヴィア「フィンレイ様! どうかお気をつけて!」
フィンレイは頷いた。
そして、聖剣を強く握り締める。
フィンレイ「……俺は、もう逃げない!」
胸の聖痕が輝き始めた。
白い光が刀身へ集まる。
次の瞬間。
フィンレイ「はあああっ!」
光をまとった一撃が、魔物を斬り裂いた。
さらに、聖剣から放たれた衝撃が周囲の魔物を吹き飛ばす。
だが、その直後。
フィンレイ「……っ!」
急激な疲労が襲い、フィンレイは膝をついた。
ガレス「フィンレイ! 無理をするな!」
ガレスが前へ出る。
エマの矢が残る魔物を射抜き、リゼットの攻撃魔術が最後の一匹を倒した。
戦闘が終わる。
避難民たちは無事だった。
フィンレイ「……守れた、のか?」
エマ「……もう!」
エマが駆け寄ってくる。
その目には、うっすらと涙が浮かんでいた。
エマ「心配させないでよ!」
フィンレイ「……ごめん」
エマ「謝るくらいなら、もっと自分を大切にしなさいよ!」
オリヴィアも駆け寄り、治癒魔術を施す。
オリヴィア「フィンレイ様。どうか、お一人で背負い込まないでください」
ガレス「そうだ。お前には俺たちがいる」
リゼット「そうそう! 私の魔術だって、まだまだ本気じゃないんだから!」
フィンレイ「……みんな」
フィンレイは仲間たちを見回した。
そして、小さく笑った。
フィンレイ「……ありがとう」
翌朝。
避難民たちを送り出していた五人の前に、聖連邦軍の騎士部隊が現れた。
その隊長は、フィンレイの聖剣を見て驚愕した。
聖連邦騎士隊長「……まさか! 勇者フィンレイ様ではありませんか!」
フィンレイ「……はい」
騎士隊長は喜色を浮かべる。
聖連邦騎士隊長「何という吉兆! 勇者様が我が軍の進撃路にお姿を現されるとは!」
そして部下たちへ叫んだ。
聖連邦騎士隊長「皆の者! 勇者様も聖地奪還の聖戦を見守っておられる! 神々は我らとともにある!」
聖連邦兵士たち「「「おおおっ!」」」
フィンレイは慌てて声を上げた。
フィンレイ「待ってください! 俺は王国と戦うために来たわけじゃありません!」
聖連邦騎士隊長「ご謙遜を! 勇者様の存在そのものが、我らへの祝福なのです!」
フィンレイ「……違います!」
エマが一歩前に出た。
エマ「フィンは困っている人たちを助けていただけです! 勝手に戦争の象徴にしないでください!」
騎士隊長の表情が険しくなる。
その間へ、ガレスが進み出た。
ガレス「隊長。勇者一行は独立した使命を帯びている。軍務への参加は命じられていないはずだ」
オリヴィアも静かに頭を下げる。
オリヴィア「私たちは、人々の救護を優先いたします。どうかご理解ください」
騎士隊長は渋々頷いた。
聖連邦騎士隊長「……承知いたしました。しかし勇者様。いずれ神々のために剣を振るうべき時が訪れましょう」
そう言い残し、騎士たちは去っていった。
フィンレイは、しばらく黙っていた。
同じ頃。
セレスティア王国東方の主要街道では、聖連邦軍と王国東方軍が激突していた。
聖連邦軍は正面から歩兵を進ませ、別働隊を林道へ迂回させる。
聖連邦軍将軍「正面から圧力をかけ続けよ! 敵が兵力を集中させたところで側面を突く!」
王国軍も必死に抵抗する。
王国東方守備隊長「正面に釣られるな! 敵の迂回を警戒しろ!」
王国軍は丘陵地帯を利用し、激しい攻撃に耐え続けた。
しかし、兵力差は大きい。
やがて右翼の一角が突破される。
王国参謀「隊長! 右翼が持ちません!」
王国東方守備隊長「……やむを得ん。第二防衛線へ後退する!」
王国軍は秩序を保ちながら後退した。
聖連邦軍は主要街道の一部を確保し、聖地へ向けて進軍を続ける。
だが、王国軍の主力は健在だった。
戦いは、まだ始まったばかりだった。
夕暮れ。
フィンレイたちは小高い丘の上から、西の空を見つめていた。
遠くには、戦場から立ち上る煙が見える。
フィンレイ「……エマ」
エマ「何?」
フィンレイ「俺、魔物は怖い。憎いって思うこともある」
エマ「……うん」
フィンレイ「父さんと母さんを殺した魔物を、許せる日が来るのかも分からない」
フィンレイは聖剣を見つめた。
フィンレイ「でも、今日助けた人たちは魔物じゃなかった。王国の人も、聖連邦の人も、家族がいるんだよな」
エマは黙って頷いた。
フィンレイ「……俺がこの剣を持つ意味って、何なんだろう」
オリヴィアが歩み寄ってくる。
オリヴィア「フィンレイ様。私は、神々の御心をすべて理解しているわけではありません」
彼女は穏やかに続けた。
オリヴィア「ですが、人を救おうとするそのお気持ちは、決して間違っていないと思います」
ガレスも口を開いた。
ガレス「俺は聖連邦の騎士だ。命令を軽んじるつもりはない」
そして、フィンレイを見つめる。
ガレス「だが、お前の剣が今日守ったものについては、俺も誇りに思う」
リゼットが肩をすくめた。
リゼット「難しいことは分からないけど、今日のフィンは格好よかったわよ!」
エマ「……そうね。そこは認めてあげる」
フィンレイ「……みんな」
フィンレイは小さく笑った。
そして、聖剣を握り直す。
フィンレイ「……決めた」
仲間たちが彼を見る。
フィンレイ「俺は、魔王が本当に倒すべき相手なのか、自分で確かめる」
フィンレイ「それに、聖連邦がやっていることも、ちゃんと自分の目で見る」
聖剣に夕陽が映る。
フィンレイ「……勇者だからって、誰かの言うとおりに剣を振るうだけにはなりたくない」
エマが微笑んだ。
エマ「うん。それでこそフィンよ!」
オリヴィア「私も、お供いたします」
ガレス「ならば、まずは生き延びるだけの実力を身につけろ」
リゼット「そうそう! 聖剣の秘密も、まだまだ分かってないんだから!」
五人は顔を見合わせた。
そして、再び歩き始める。
同じ夜。
セレスティア王国領内。
東方聖連邦が神聖視する古代遺跡では、王国守備隊が警戒を強めていた。
遺跡の周囲には、風雨にさらされた古い石柱が並んでいる。
石碑には、現代の人々にも完全には読み解けない古代文字が刻まれていた。
王国にとっては、自国領内の歴史的遺跡。
聖連邦にとっては、信仰の根幹に関わる聖地。
その帰属をめぐり、両国は長い年月にわたって対立してきた。
そして今。
九万の先鋒軍が、聖地奪還を掲げて迫っている。
王国守備隊長「……聖地、か」
守備隊長は、古い石碑へ視線を向けた。
王国守備隊長「ここを奪うために、いったい何人が死ぬことになるのだろうな」
夜風が吹き抜ける。
遺跡は、何も答えなかった。
勇者の覚醒。
聖地をめぐる戦争。
そして、魔王との和平。
それぞれの思惑が交差する中、世界は新たな動乱へと向かっていた。




