第11章 学院最強の先輩から、答えのない質問をされました
教室が静まり返っていた。
セシリア先輩は俺の机の前に立ったまま、まっすぐこちらを見ている。
「私は、その条件に入りますか?」
逃げたい。
今まで何度もそう思ってきたが、今回は特に強かった。
何しろ周囲にはエリシア、ヴィクトリア、クラリッサ、カグラ、リリアーナがいる。
しかも全員、こちらを見ている。
「……先輩」
「はい」
「どうしてそれを俺に聞くんです?」
「気になったからです」
「どういう意味で?」
「それが分からないので聞いています」
駄目だ。
この人、剣だけではなく会話まで真正面から来る。
誤魔化すという発想がないらしい。
「レオン」
ヴィクトリアが小声で呼ぶ。
「何だ」
「慎重にお答えになった方がよろしくてよ」
「分かってる」
「本当に?」
「分かってるって」
むしろ、この状況で適当に答えられる人間がいたら尊敬する。
俺は改めてセシリア先輩を見る。
優しいか。
最初に会った時は冷たい人だと思った。
けれど、実際には後輩へ理不尽な態度を取るわけでもなく、稽古でも危険な攻撃は避けている。俺が嫌がっていることを理解してからは、以前ほど強引に模擬戦を迫らなくなった。
一緒にいて疲れないか。
剣を持っていなければ、意外と静かだ。
必要以上に踏み込まないか。
……そこは少し怪しい。
「どうですか?」
「考えてます」
「かなり長いですね」
「人生に関わりそうな質問なんですよ」
クラリッサが耐えきれず吹き出した。
「レオン、真面目すぎ!」
「お前は他人事だから笑えるんだ!」
「だってセシリア先輩が好きなタイプに当てはまるか聞いてるだけじゃん」
「その『だけ』が重いんだよ!」
するとセシリア先輩がわずかに首を傾げた。
「重いですか?」
「今この場では、かなり」
先輩は少し考え込んだ。
どうやら本当に深い意味まで考えていなかったらしい。
だったら俺も、変に逃げずに答えた方がいい。
「……入る部分はあると思います」
瞬間。
教室の空気が変わった。
「ほう」
クラリッサが楽しそうな声を出す。
ヴィクトリアの眉が動く。
リリアーナはなぜかノートを開いた。
「記録するな」
「重要事項です」
「重要じゃない」
セシリア先輩だけは落ち着いていた。
「どの部分ですか?」
「細かく聞くんですか?」
「はい」
「……先輩は真面目だし、困ってる人を放っておくタイプではないと思います。あと、黙ってても気まずくはならなそうです」
「なるほど」
「ただし」
「ただし?」
「剣を見ると俺の意思を無視して戦いたがるところは減点です」
数秒の沈黙。
セシリア先輩の口元が僅かに緩んだ。
「改善します」
「改善するんですか?」
「あなたの好みに近づくためなら」
「待ってください」
また話がおかしい方向へ行った。
今度こそ教室が大きくざわめく。
「セシリア先輩!?」
ヴィクトリアが立ち上がる。
エリシアも驚いている。
クラリッサなど完全に面白がっていた。
「先輩、それはどういう意味です?」
俺が聞くと、セシリア先輩は少し考えてから答えた。
「まだ分かりません」
「またそれですか」
「ただ、あなたに嫌われるのは好ましくないと感じました」
真正面からそんなことを言われると困る。
「だから改善します」
「……そうですか」
「はい」
本人があまりにも真面目なので、それ以上何も言えなかった。
ホームルームが始まり、セシリア先輩は三年生の教室へ戻っていった。
だが問題は残った。
「レオン様」
エリシアが隣から呼ぶ。
「はい」
「セシリア先輩は条件に入るのですね」
「一部だぞ」
「なるほど」
微笑んでいる。
いつもの柔らかな笑顔なのに、なぜか少し怖い。
反対側からヴィクトリア。
「では、わたくしは?」
「え?」
「わたくしは条件に当てはまりますの?」
「何でそうなる?」
「セシリア様だけ評価されるのは不公平でしょう!」
「何の公平性だよ!」
クラリッサも乗ってきた。
「じゃあ私は?」
「やめろ!」
「カグラは?」
「私はどちらでもいい」
そう言いながら、カグラもこちらを見ている。
「気にしてるだろ!」
「少し」
「正直だな!」
最後にリリアーナ。
「私は?」
「研究対象として俺を見てくるところが大幅減点」
「改善します」
「お前まで!?」
教室中が笑いに包まれた。
俺だけが笑えない。
どうして好きなタイプを一度聞かれただけで、こんなことになっているんだ。
昼休み。
いつものように食堂へ向かうと、今度はアーヴェルが待っていた。
「レオン」
「何だ」
「今朝、セシリア先輩に好みを聞かれたらしいな」
「お前まで知ってるのか!」
「もう一年生の大半が知っている」
「この学院、情報統制どうなってるんだよ……」
俺は頭を抱えた。
アーヴェルは向かいの席へ座る。
「それで」
「お前まで聞くなよ」
「何を?」
「自分が条件に入るかとか」
アーヴェルの顔が珍しく引きつった。
「なぜ俺が聞く」
「良かった。お前は正常だ」
「お前の中で俺は何だと思われているんだ」
「今日一番安心できる人」
「意味が分からない」
男友達は素晴らしい。
恋愛の質問をしてこない。
少なくとも今のところは。
「ところで今日、東方剣術研究会を見学するんだったな」
「ああ」
忘れかけていた。
カグラとの約束だ。
「お前も来る?」
「興味はある」
「じゃあ一緒に行こう」
言ってから気づく。
自分から誰かを誘った。
前世では、ほとんどした記憶がない。
アーヴェルも少し意外そうだったが、すぐに頷いた。
「ああ」
たったそれだけ。
でも俺には、少し嬉しかった。
放課後。
東方剣術研究会が使っている小さな道場へ向かった。
学院の西端にある木造建築で、他の校舎とは明らかに雰囲気が違う。
板張りの床。
壁には木刀。
そして入口で靴を脱ぐ。
「……落ち着くな」
思わず呟いた。
前世の日本を思い出したからかもしれない。
「気に入った?」
カグラが尋ねる。
「ああ。何となく懐かしい」
「来たことがある?」
「いや」
「では、なぜ懐かしい?」
「……説明すると長い」
カグラはしばらく俺を見た。
だが追及しなかった。
「分かった」
こういうところは本当に楽だ。
アーヴェルも道場の木刀を興味深そうに見ている。
「剣が細いな」
「東方剣術は、力より速度と間合いを重視する」
カグラは壁から一本の木刀を取り、俺へ差し出した。
「レオンも」
「今日は見学じゃなかった?」
「見学してから体験」
「結局振るんだな」
受け取る。
その瞬間。
俺の手に妙な感覚が走った。
剣聖スキルが反応したのだ。
西洋剣とは違う。
片刃。
引いて切る。
重心。
刃筋。
膨大な技術が頭の中に流れ込む。
「……あ」
「どうした?」
「いや」
まずい。
これ、たぶん使える。
しかも相当。
カグラが木刀を構えた。
「基本から教える」
「頼む」
「まず握り方」
教えられた通りに持つ。
いや。
正確には、すでに知っている身体に合わせて、わざと少し不自然に持った。
「違う」
一秒で直された。
「こう」
「はい」
「もっと力を抜いて」
「はい」
「……レオン」
「何?」
「初心者のふりをしている?」
「してない」
「嘘」
最近、誰も俺の嘘を信じてくれない。
少し離れたところで、アーヴェルが笑った。
「諦めろ。お前は剣を握ると隠せない」
「お前まで言うな」
カグラは俺の前へ立った。
「一度だけ、本当に振って」
「本当に?」
「うん」
「何か壊れても怒らない?」
「……何をするつもり?」
「分からないから確認してる」
カグラが少し考え、道場の奥を指した。
「では、あの藁束へ」
十分ほど離れた場所に、試し斬り用らしい太い藁束が置かれている。
ただし持っているのは木刀だ。
「木刀で?」
「当てるだけ」
「了解」
構える。
剣聖スキルに任せすぎない。
軽く。
本当に軽く。
一歩。
振る。
ヒュン――。
乾いた音がした。
藁束には触れていない。
距離があるのだから当然だ。
俺は安心した。
「ほら、何も――」
言い終わる前だった。
藁束の上半分が、ゆっくり滑り落ちた。
「……」
俺。
カグラ。
アーヴェル。
三人で無言になる。
「……木刀だよな?」
俺が確認する。
アーヴェルが頷く。
「木刀だ」
「俺、触ってないよな?」
「触っていない」
カグラが切断面へ近づく。
しばらく観察したあと、振り返った。
いつも無表情に近い彼女の目が、今は明らかに輝いていた。
「レオン」
「嫌な予感がする」
「明日も来て」
「やっぱり!」
俺の叫びが道場に響いた。
結局どこへ行っても同じらしい。
剣術部。
魔術研究会。
東方剣術研究会。
どこでも俺は静かに見学するだけで終われない。
だが、カグラとアーヴェルが切れた藁束を見ながら真剣に議論している姿を眺めていると、不思議と嫌ではなかった。
面倒事が増える。
人間関係も増える。
予定まで増える。
それでも前世の何もなかった毎日より、ずっと忙しくて――たぶん、ずっと楽しかった。
そんなことを考えていた時。
「レオン」
カグラが突然こちらを見る。
「何?」
「今度は私も聞く」
「何を?」
少しだけ間を置いて。
「私も、あなたの好きな条件に入る?」
「まだその話続いてたのかよ!」
アーヴェルが隣で声を上げて笑った。
俺はその場で頭を抱えた。
どうやら剣より先に、女心の防御術を身につける必要がありそうだった。




