第10章 好きなタイプを聞かれて、なぜか学院中が騒ぎ出した
好きな女性のタイプ。
俺はその言葉を聞いた瞬間、完全に固まった。
剣術なら相手の構えを見れば次の動きが読める。魔術だって仕組みを教われば、少なくともどう制御すればいいかは分かる。
だがこれは分からない。
何を答えれば正解なのか、そもそも正解があるのかすら分からない。
「……難しいな」
俺が真剣に悩み始めたせいか、ソフィアも少し緊張した表情になった。
「そ、そんなに深く考えなくても……髪の色とか、性格とか、そういうので……」
「髪の色……」
まず頭に浮かんだのはエリシアだった。
柔らかそうな栗色の長髪。
穏やかな緑の瞳。
いつも自然にこちらを気遣ってくれる。
次にヴィクトリア。
華やかな金髪と、何だかんだで面倒見のいい性格。
クラリッサは一緒にいると騒がしいが、裏表がなくて気楽だ。
カグラは静かで、無理に会話を続けなくていい。
リリアーナは研究の話になると危険だが、正直で分かりやすい。
セシリア先輩は……剣を持たせなければ、たぶん綺麗で落ち着いた先輩だ。
いや。
(なんで知り合いを一人ずつ思い浮かべてるんだ、俺)
これでは答えがまとまらない。
「優しい人……かな」
最終的に出てきたのは、あまりにも無難な答えだった。
ソフィアが瞬きをする。
「優しい方、ですか?」
「ああ。あと、一緒にいて疲れない人」
「……疲れない」
「別に会話が途切れても気まずくならないとか、一人でいたい時に無理に踏み込んでこないとか。でも本当に困ってる時は放っておかない人というか……」
話しているうちに、自分でも妙に具体的だと思い始めた。
ソフィアは真剣に聞いている。
「外見は?」
「外見?」
「はい」
「特にないかな」
「本当に?」
「綺麗な人を見れば綺麗だとは思うけど、それだけで好きになるかと言われたら分からない」
前世なら、画面越しの女性を見て外見だけで好き勝手に理想を語っていた。
だが実際に人と関わるようになってからは、少し違う。
エリシアの笑い方。
ヴィクトリアの怒り方。
クラリッサの豪快さ。
カグラの短い言葉。
リリアーナの妙な真面目さ。
そういうものを知った後では、顔や髪だけで人を好きになるという感覚がよく分からなくなっていた。
「……変かな」
「いいえ」
ソフィアは首を横に振った。
「何だか、レオン様らしいです」
「俺らしいって最近よく言われるけど、自分では全然分からない」
「では、これから分かればいいと思います」
ソフィアは少しだけ笑った。
その表情から最初の緊張が抜けている。
「もう一つ聞いてもいいですか?」
「どうぞ」
「今、好きな方はいますか?」
さっきより難しい。
「……分からない」
「分からない?」
「そういう感情をちゃんと持ったことがないから」
これは半分だけ真実だった。
前世で異性に憧れたことはある。
けれど誰か一人と向き合って、その人自身を知りたいと思った経験はなかった。
「だから、たぶんまだいない」
「……そうですか」
ソフィアの顔が少し明るくなる。
意味が分からず首を傾げると、彼女は慌てて手を振った。
「い、いえ! 何でもありません!」
昼休みが終わる頃には、俺とソフィアは最初より普通に話せるようになっていた。
彼女はレイネル男爵家の次女で、魔導薬学科を志望しているらしい。
実家が薬草の栽培地を持っており、将来は領地に診療所を作りたいという。
「立派だな」
「そんなことありません。まだ夢ですから」
「夢があるだけでもすごいと思う」
「レオン様にはないんですか?」
「……平穏に生きる」
「それは夢というより希望では?」
「俺にはかなり壮大な夢なんだ」
ソフィアが笑った。
俺も少し笑う。
最初は恋文だと思って身構えていたが、普通に話せば一人の同級生だった。
そのことに少し安心した。
「またお話ししてもいいですか?」
別れ際、ソフィアが聞いてくる。
「ああ。俺でよければ」
「はい!」
嬉しそうに去っていく。
俺はその後ろ姿を見送りながら思った。
(なんだ。普通に話せたな)
人間関係というものを、俺は今まで難しく考えすぎていたのかもしれない。
その考えが甘かったと知るのは、教室へ戻ってからだった。
扉を開ける。
全員がこちらを見る。
「……何?」
空気がおかしい。
エリシアは微笑んでいる。
ヴィクトリアは腕を組んでいる。
クラリッサは露骨に楽しそう。
リリアーナは机の上に紙とペンまで用意していた。
カグラだけが普段通りに見える。
「レオン様」
ヴィクトリアが先に口を開く。
「お話は終わりましたの?」
「ああ」
「どのようなお話を?」
「普通の話」
「具体的には?」
「何で取り調べみたいになってるんだ」
クラリッサが笑いを堪えながら言う。
「好きなタイプ聞かれたんでしょ?」
「何で知ってる!?」
ソフィアと話していた場所は中庭だ。
確かに人通りはある。
だが、いくら何でも広まるのが早すぎる。
「さっき一年の女子が話してたよ」
「情報の伝達速度おかしくない?」
貴族社会の噂話を舐めていた。
「で?」
クラリッサが身を乗り出す。
「なんて答えたの?」
「別に言う必要ないだろ」
「隠すと余計気になる」
「優しい人だ」
面倒なので答えた。
一瞬、静かになる。
エリシアの表情が少しだけ変わった気がした。
「それだけですか?」
「あと、一緒にいて疲れない人」
今度はカグラがこちらを見る。
「会話がなくても大丈夫な人」
カグラがわずかに頷いた。
なぜ頷く。
「本当に困ってる時は助けてくれる人」
ヴィクトリアの腕組みが少し緩む。
「踏み込みすぎない人」
リリアーナが書き始めた。
「何を記録してる?」
「条件整理です」
「捨てろ」
俺が紙を奪おうとすると、リリアーナは素早く引っ込めた。
「外見的条件は?」
「特にない」
「胸の大きさとか?」
クラリッサが聞く。
「やめろ」
「男性ってそういうの気にするんじゃないの?」
「知らない」
「本当に?」
「少なくとも、誰かを好きになる条件にするつもりはない」
そう答えた瞬間、なぜか女子たちが互いの顔を見た。
「……何だよ」
「いえ」
エリシアが微笑む。
「思っていたより、ちゃんとした答えでしたので」
「普段の俺を何だと思ってるんだ」
「女性から話しかけられるだけで逃げそうになる方です」
「最初はそうだったな……」
否定できなかった。
午後の授業が終わった頃には、噂はさらに拡大していた。
廊下を歩くと知らない女子生徒たちがこちらを見てひそひそ話す。
「優しい子が好きらしいですわ」
「一緒にいて落ち着く方だとか」
「外見は気にしないそうです」
「本当に?」
全部聞こえている。
剣聖スキルの聴力が今ほど邪魔だと思ったことはない。
「……帰りたい」
「寮へ?」
隣を歩いていたアーヴェルが聞く。
「世界から」
「そこまでか」
「お前には分からない」
「確かに分からない」
相変わらず正直だ。
「そういえば、恋文をもらったらしいな」
「お前まで知ってるのか」
「剣術部で聞いた」
「誰だ、広めたの」
「クラリッサ」
「やっぱりあいつか」
今度会ったら一言言おう。
「返事は?」
「別に告白じゃない。話しただけだ」
「そうか」
アーヴェルはそれで興味を失ったらしい。
こういうところは楽だった。
必要以上に追及しない。
「お前は恋人いるのか?」
何となく聞いてみる。
「いない」
「好きな人は?」
「いない」
「迷いがないな」
「剣で忙しい」
「それはそれで心配になるな」
前世の俺が言えたことではないが。
その日の放課後。
廊下を歩いていると、セレフィア先生に呼び止められた。
「レオンさん」
「先生」
今日も銀紫色の長髪を柔らかくまとめ、いつもの穏やかな微笑みを浮かべている。
「ずいぶんお疲れですね」
「噂って怖いですね」
「ああ」
先生はすぐに理解したらしい。
「恋文のお話ですね」
「先生まで知ってるんですか!?」
「職員室にも届いていますよ」
「何でだ!」
思わず大きな声が出た。
セレフィア先生がくすくす笑う。
「学生たちはそういうお話が好きですから」
「俺は好きじゃないです」
「でも、悪いことばかりでもないでしょう?」
「何がです?」
「誰かに好意を持ってもらえるということは、その人があなたの何かを素敵だと思ったということです」
「……まあ」
「受け入れるかどうかは別として、その気持ちまで否定する必要はありません」
この先生は本当に、時々こちらが考えていることを先回りする。
「困ってました」
「好意を向けられることが?」
「はい。俺なんかにって」
口にした瞬間、セレフィア先生の表情が少しだけ変わった。
怒ってはいない。
でも、いつもより真剣だ。
「レオンさん」
「はい」
「その『俺なんか』という言い方、少しずつやめていきましょうか」
「……またそれですか」
「またです」
先生は優しく笑う。
「すぐに自分を好きになれとは言いません。ただ、誰かがあなたを大切だと思った時、その人の見る目まで否定しないであげてください」
何も返せなかった。
前世では、自分には価値がないと決めつけていた。
だから誰かが近づいてきても、どうせ勘違いだと思って離れた。
もし今も同じことを繰り返せば、転生した意味など何もないのかもしれない。
「……努力します」
「それで十分ですよ」
セレフィア先生は満足そうに頷いた。
その時、背後からゆっくりした声がした。
「セレフィアー」
ミレイユ先生だった。
白い医療用ローブのポケットに両手を入れ、眠たげな目でこちらを見る。
「レオン君、また悩み?」
「先生たち、俺を見ると悩んでる前提になってません?」
「だいたい当たってるし」
「否定できない……」
ミレイユ先生は俺の顔を覗き込む。
「顔色はいいね。食欲は?」
「あります」
「睡眠は?」
「最近よく眠れます」
「じゃあ健康」
早い診断だ。
「恋の病は?」
「ありません」
「即答」
セレフィア先生まで笑った。
俺は頭を抱えた。
「先生までからかわないでくださいよ」
「すみません。少しだけ面白くて」
「母性的な先生だと思ってたのに」
「母親だって、時には子供をからかいますよ」
「俺、先生の子供じゃないですよね?」
「もちろんです」
穏やかな笑顔で言われる。
なんだか負けた気分だった。
翌日。
朝のホームルームが始まる直前。
教室の扉が開いた。
入ってきたのはセシリア先輩だった。
三年生が一年生の教室へ突然入ってきたことで、一気に静かになる。
先輩は周囲の視線を気にする様子もなく、真っ直ぐ俺の机まで来た。
「レオン」
「……何ですか?」
「聞きたいことがあります」
嫌な予感がする。
「昨日、好きな女性の条件について話していたそうですね」
「なんで先輩まで知ってるんですか!?」
教室のあちこちから笑い声。
セシリア先輩は真剣だった。
「優しく、一緒にいて疲れず、必要以上に踏み込まず、困った時には助けてくれる女性」
「まとめなくていいです!」
「確認したかっただけです」
「何を?」
セシリア先輩は少し考えた。
そして、いつもの無表情に近い顔で尋ねた。
「私は、その条件に入りますか?」
教室が完全に静まり返った。
エリシア。
ヴィクトリア。
クラリッサ。
カグラ。
リリアーナ。
全員の視線がこちらへ集まる。
「……え?」
剣聖スキルでも。
魔力制御九十九・八七でも。
この質問に対する正しい答えだけは、どこにも表示されなかった。




