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『キモデブニートだった俺が、剣聖スキル持ちの銀髪美少年に転生したケース』  作者: ぷっぷくクリーナー


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第104章 魔王の慰問


 北境、魔王軍中央本陣。


 停戦翌朝。


 昨日まで大地を震わせていた剣戟と砲声は、嘘のように消えていた。


 しかし、魔王軍司令部の慌ただしさは、戦闘中と何ら変わらなかった。


 いや、むしろ今の方が忙しい。


魔族参謀「将軍! 南方陣地の負傷者搬送が遅れております!」


ヴァルガス「運搬車を増やせ。補給隊から回して構わねえ。ただし食糧輸送は止めるなよ」


魔族副官「王国軍捕虜の名簿について、確認の要請が!」


ヴァルガス「負傷者、行方不明者、戦死者を分けて記録しろ。家族が待ってるんだ。いい加減な報告は許さんぞ」


魔族参謀「西方陣地では食糧が不足しております!」


ヴァルガス「予備の備蓄を回せ。停戦監督部隊の分も忘れるな」


 ヴァルガスは矢継ぎ早に指示を飛ばした。


 机の上には報告書が山積みになり、片づけたそばから新しい書類が運び込まれる。


ヴァルガス「……おいおい。停戦した途端、戦ってた頃より忙しくなってねえか?」


魔族副官「……申し訳ありません、将軍」


ヴァルガス「謝ることじゃねえさ。戦争を終わらせるのも将軍の仕事だからな」


 そう言いながら、新しい報告書へ目を通す。


 補給不足。


 医療物資の不足。


 故郷への帰還を待つ兵士たち。


 停戦は成立した。


 だが、幾万もの将兵を動かした戦争が、一夜で片づくはずもない。


ヴァルガス「……生き残った連中を、何としても故郷へ帰してやらねえとな」


    


 そんな中、副官が妙に言いにくそうな顔をして近づいてきた。


魔族副官「……将軍。少々、妙な噂がありまして」


ヴァルガス「……何だ? また補給品が消えたのか?」


魔族副官「いえ。ヴェルセリア将軍のことでございます」


ヴァルガス「……あいつが?」


魔族副官「先の戦闘で、王国の銀髪剣聖に片方の角を斬られたのは、ご存じかと思いますが……」


ヴァルガス「ああ。よくもまあ、あいつの角に剣を届かせたもんだ」


魔族副官「その後、どうやら……銀髪剣聖に恋心を抱かれたのではないかと……」


 ヴァルガスの手が止まった。


 数秒の沈黙。


ヴァルガス「……ぷっ」


魔族副官「……将軍?」


ヴァルガス「ははっ! そうか、そうか!」


 思わず笑い声が漏れた。


魔族副官「……驚かれないのですか?」


ヴァルガス「いや、驚いたぜ。だが、考えてみりゃ仕方ねえな」


魔族副官「……と、申しますと?」


ヴァルガス「あいつは三百年近く、剣と戦場に人生を捧げてきた女だぞ? 色恋沙汰への免疫なんざ、からっきし無えんだから仕方ねえさ」


 ヴァルガスは愉快そうに肩を揺らした。


ヴァルガス「強敵の剣なら何百年でも受け止められるくせに、初恋の一撃にはまるで備えがなかったってわけだ」


魔族副官「……なるほど」


ヴァルガス「それで? 本人は隠そうとしてるんだろ?」


魔族副官「……はい。ですが、周囲にはほとんど隠せていないようで」


ヴァルガス「……はははっ! あいつらしいぜ!」


 ひとしきり笑ったところで、ヴァルガスは表情を引き締めた。


ヴァルガス「まあ、将としての任務は最後まで果たした。あいつが防御線を守ってくれたおかげで、停戦まで持ちこたえられたんだからな」


魔族副官「……はい」


ヴァルガス「恋くらい好きにさせてやれ。あいつにだって、そういう幸せがあっていいだろうさ」


 そして、少しだけ困ったように笑う。


ヴァルガス「……もっとも、相手が王国の剣士ってのは、なかなか面倒な話だがな」


    


 その日の午前。


 魔王軍中央本陣へ、緊急の知らせが届いた。


魔族伝令「ヴァルガス将軍! 魔王陛下が北境へお越しになります!」


ヴァルガス「……陛下が?」


魔族伝令「はい! 停戦後の将兵を慰問されるとのことです!」


 司令部に緊張が走った。


 しかし、ヴァルガスはすぐに指示を出した。


ヴァルガス「歓迎式典は必要ねえ。陛下が来られるからって、医療兵や補給兵を仕事から引き離すなよ」


魔族参謀「……よろしいのですか?」


ヴァルガス「負傷者が苦しんでる横で、旗を並べて太鼓を鳴らすこともねえだろ。陛下だって望まれねえさ」


 そして間もなく、魔王が本陣へ到着した。


 漆黒の衣装に、繊細な銀の装飾。


 長い銀白色の髪を優雅にまとめ、顔の上半分には青銀色の仮面を着けていた。


 目元を覆う仮面には、翼を広げたような左右対称の透かし彫りが施されている。


 精緻な金属細工の隙間から瞳が覗き、光を受けるたび、青い宝石のような輝きが走った。


 威圧的な形状ではない。


 むしろ、美術品を思わせる優美な仮面だった。


 だが、その仮面が魔王の顔にあるだけで、周囲の兵士たちは自然と背筋を伸ばしていた。


 兵士たちが慌てて整列しようとすると、魔王は片手を上げて制した。


魔王「皆、そのままでよい。持ち場を離れる必要はない」


 穏やかで、それでいて不思議と威厳を感じさせる声だった。


 魔王はヴァルガスへ歩み寄る。


魔王「ヴァルガス。長い間、よく軍を支えてくれた」


ヴァルガス「……陛下。俺は自分の務めを果たしたまでです」


魔王「そなたの働きには感謝している」


ヴァルガス「……もったいないお言葉です」


 ヴァルガスは深く頭を下げた。


 その間にも、長年仕える君主の姿をさりげなく観察していた。


 姿勢はいつもどおり堂々としている。


 装いにも乱れはなく、声にも弱さは感じられない。


 しかし、頬の線が以前よりわずかに細くなっていた。


 肩も、昔より少し痩せたように見える。


 戦争が始まって以来、顔を合わせるたびに、少しずつ。


 本人は巧みに隠している。


 だが、ヴァルガスの目はごまかせなかった。


 彼は何も言わず、ただ静かに頭を下げ続けた。


魔王「負傷者たちに会いたい。案内してくれ」


ヴァルガス「承知しました」


 魔王は堂々と歩き始めた。


 銀白色の髪が、歩みに合わせて揺れる。


 その後ろ姿を見ながら、ヴァルガスは昔のことを思い出した。


 かつて、この髪は艶やかな黒色だった。


 魔王の座を継承する以前、彼女は長い黒髪を持つ、物静かで心優しい女性だった。


 しかし、魔王を継承したあの日。


 歴代魔王から受け継がれてきた強大な魔力をその身に宿したことで、髪は銀白色へと変わった。


 ただ王位を継いだのではない。


 魔境を守り、民の未来を背負う存在となったのである。


 ヴァルガスは、その変化を見てきた。


 髪の色が変わっても、彼女の優しさは少しも変わらなかった。


 かつて魔王は、臣下に対してもごく自然に敬語を使っていた。


 命令するより、お願いする方が得意な君主だった。


 だが、ヴァルガスや他の幹部たちは、そんな魔王へ繰り返し助言してきた。


 魔境を率いる者は、時として威厳を示さねばならない。


 兵士たちは君主の姿に安心を求める。


 そのため、公の場では堂々とした口調で話し、顔には魔王としての象徴となる仮面を着けるよう勧めたのだ。


 魔王はその助言を受け入れた。


 城の外や公式の場では、ほとんど必ず仮面を着ける。


 しかし、負傷者の治療や子供たちの相手をするときには、つい外してしまうことが多かった。


 仮面越しでは、相手を安心させられないと思うのだろう。


 ヴァルガスたちも、今ではそれを咎めることはなかった。


    


 野戦病院。


 そこには多くの負傷兵が横たわっていた。


 深い傷を負った者。


 手足を失った者。


 痛みに耐えながら故郷への帰還を待つ者。


 魔王の姿を見つけた兵士が、慌てて身体を起こそうとする。


負傷兵「……へ、陛下!?」


魔王「無理に起きるな。傷に障る」


負傷兵「……このような姿をお見せするとは……」


魔王「恥じることはない。よく生きて戻ってくれた」


 魔王は寝台の傍らへ膝をついた。


魔王「痛みはどうだ?」


負傷兵「……少しだけ、でございます」


魔王「私の前で強がる必要はない。痛いなら痛いと言え」


 負傷兵は唇を噛んだ。


負傷兵「……本当は、かなり……」


魔王「そうか。よく耐えているな」


 魔王は医療兵へ視線を向けた。


魔王「私にも手伝わせてくれ」


魔族医療兵「……陛下!?」


 魔王は静かに仮面へ手を伸ばした。


 青銀色の仮面を外すと、その下から、優しくも疲れの滲む美しい素顔が現れた。


 長い睫毛に縁取られた瞳。


 整った顔立ち。


 そして、どこか儚げな微笑み。


魔王「少しでも痛みを和らげてやりたい」


 魔王は自ら魔力を用い、医療兵とともに治療を始めた。


 出血を抑え、傷の状態を安定させ、苦痛を和らげる。


 もちろん、魔王であってもすべての傷を癒せるわけではない。


 失われた手足を取り戻すことも、命を失った者を蘇らせることもできなかった。


 それでも、できる限りのことをした。


魔王「今は休め。故郷で待つ者たちのためにもな」


負傷兵「……陛下……!」


 兵士の目から涙が零れた。


 魔王はその手を静かに握り、次の寝台へ向かった。


 ヴァルガスは少し離れた場所から、その様子を見守っていた。


 素顔を見れば、疲労の色は一層はっきりと分かる。


 それでも負傷兵と向き合うとき、魔王は優しく微笑んでいた。


 兵士が安心して目を閉じると、その微笑みがほんの一瞬だけ消える。


 そしてまた、次の寝台へ向かう。


 ヴァルガスは何も言わなかった。


 ただ、医療兵が不足している場所を確認し、後方へ増員の指示を送った。


    


 自軍の負傷兵を見舞い終えた魔王は、隣接する別の治療施設へ向かった。


魔族医療兵「陛下。この先には、捕虜となった王国軍の負傷兵が収容されております」


魔王「……そうか。案内してくれ」


魔族医療兵「……よろしいのですか?」


魔王「傷ついた者に、敵も味方もあるまい」


 魔王は仮面を手にしたまま、扉をくぐった。


 王国軍の捕虜たちは、その姿に驚愕した。


王国軍捕虜「……魔王!?」


王国軍捕虜「……なぜ、ここに……!」


魔王「負傷者の様子を見に来た」


王国軍捕虜「……我々は、あなた方の敵だ」


魔王「戦場ではそうだった。だが、今は停戦している」


 捕虜の一人が険しい表情で問いかけた。


王国軍捕虜「……何を企んでいる?」


魔王「何も企んではいない。治療を手伝いたいだけだ」


 その返答に、捕虜は戸惑った。


魔王「望まぬ者に無理強いはしない。だが、助けが必要なら遠慮なく言え」


 そのとき、奥の寝台から弱々しい声が聞こえた。


王国軍負傷兵「……お願いです……隣の仲間を……助けてください……」


 魔王は、その兵士の視線を追った。


 隣には、重傷を負った若い王国兵が横たわっていた。


魔王「……分かった。できる限りのことをしよう」


 魔王は仮面を脇へ置き、医療兵と協力して治療を始めた。


 出血を抑え、魔力で痛みを和らげ、傷の処置を続ける。


 やがて、苦しんでいた兵士の呼吸が落ち着いた。


王国軍捕虜「……なぜ、敵である我々を助ける……?」


 魔王は静かに答えた。


魔王「そなたたちにも、帰りを待つ家族や友がいるだろう」


王国軍捕虜「…………」


魔王「それは、魔境の兵たちも同じだ」


 捕虜たちは言葉を失った。


魔王「我が軍はそなたたちの仲間を殺した。そなたたちも我が軍の兵を殺した。だが、これ以上の犠牲を出さずに済むなら、そうするべきだ」


 その言葉に、すべての捕虜が納得したわけではなかった。


 仲間を失った怒りも、魔王軍への憎しみも、簡単には消えない。


 しかし、目の前の魔王が敵である自分たちを治療したことだけは、紛れもない事実だった。


 魔王はしばらく捕虜たちの様子を見守った後、再び仮面を着け、静かに部屋を後にした。


    


 慰問を終えた魔王は、戦死者の名を記した記録の前に立った。


 そこに記された犠牲者の数も、戦況も、すでに報告で把握している。


 戦争を選んだときから、多くの命が失われることは覚悟していた。


 だが、覚悟したことと、その死を悲しまないことは違う。


 魔王は、一人ひとりの名前を静かに目で追った。


魔王「……ヴァルガス」


ヴァルガス「……はい」


魔王「戦死者の遺族には、十分な支援を届けてくれ」


ヴァルガス「すでに手配を進めております」


魔王「ありがとう。身寄りのない者も、手厚く弔いたい」


ヴァルガス「承知しました」


 魔王はしばらく名簿を見つめた。


魔王「皆が命を懸けて守ろうとした魔境の未来を、無駄にはできない」


ヴァルガス「……陛下」


魔王「だが、私が戦争を選んだ責任まで消えるわけではない」


 ヴァルガスは静かに首を横に振った。


ヴァルガス「……陛下。我等将兵皆、かつて陛下に救われた身です。未来などないと思っていた我々に、陛下は希望を与えてくださった」


 いつもの砕けた口調とは違い、その声には深い敬意が込められていた。


ヴァルガス「だからこそ、我々は自らの意志で剣を取りました。陛下に命じられたからではありません。陛下と同じ未来を望み、それを守りたいと願ったからです」


 ヴァルガスは真っ直ぐに魔王を見つめた。


ヴァルガス「……どうか、その責を陛下お一人で背負おうとなさらんでください。我々も、同じ道を選んだ者なのですから」


 魔王は少し驚いたようにヴァルガスを見つめた。


 青銀色の仮面の奥で、瞳がわずかに揺れる。


 やがて、その表情が和らいだ。


魔王「……ありがとう、ヴァルガス」


 しかし、すぐに戦死者名簿へ視線を戻した。


魔王「そなたたちの覚悟は、よく分かっている。だからこそ、その忠義に報いねばならない」


 魔王の声は静かだった。


 そこには悲しみがあった。


 しかし、決して責任から逃げようとしない覚悟もあった。


 ヴァルガスは、それ以上何も言わなかった。


 戦争が始まってから、魔王が少しずつやつれてきていることにも気づいていた。


 それでも魔王は、将兵の前では背筋を伸ばし、弱音一つ吐かない。


 その強さと優しさを知っているからこそ、ヴァルガスは心の中で誓った。


 この方に、これ以上すべてを背負わせてはならない、と。




午後。


 竜族の女将軍ヴェルセリア・ドラグレインが、魔王のもとへ報告に訪れた。


 片方の角は、先端が短くなったままだった。


ヴェルセリア「魔王陛下。ヴェルセリア・ドラグレイン、参上いたしました」


魔王「ヴェルセリア。よく戻った」


ヴェルセリア「お心遣い、感謝いたします」


魔王「角を負傷したと聞いた。痛みはないか?」


ヴェルセリア「問題ございません。戦場で受けた傷です」


魔王「……そうか。ならばよい」


 ヴェルセリアは背筋を伸ばした。


ヴェルセリア「我が軍は停戦命令が届くまで、防御線を維持いたしました」


魔王「よく務めてくれた。そなたの働きに感謝する」


ヴェルセリア「……ありがたきお言葉」


 そこにいるのは、誇り高き竜族の女将軍だった。


 だが、彼女は少しためらった後、静かに頭を下げた。


ヴェルセリア「……陛下。一つ、お詫び申し上げたいことがございます」


魔王「何だ?」


ヴェルセリア「先の戦闘中、私は少々、感情を乱してしまいました」


魔王「……そうか」


ヴェルセリア「敵の剣技に感銘を受け……将たる者として、いささか軽率な言動がございました」


 その声は真剣だった。


 戦場でレオンを「レオン様」と呼んでしまったこと。


 自分でも理解できないほど胸が高鳴ったこと。


 それらを思い出すだけで、今も恥ずかしくなる。


ヴェルセリア「……未熟でした。お恥ずかしい限りです」


 魔王は穏やかに答えた。


魔王「そなたは最後まで任務を果たしたのであろう?」


ヴェルセリア「……はい」


魔王「ならば、誰かの剣に心を動かされたことまで恥じる必要はない」


ヴェルセリア「……ありがたきお言葉」


 そのとき、ヴァルガスが口を挟んだ。


ヴァルガス「……まあ、三百年近く武人一筋だったんだ。色恋の免疫がからっきし無えんだから、仕方ねえさ」


ヴェルセリア「……ヴァルガス!」


ヴァルガス「おっと。悪い悪い」


 仮面の奥で、魔王が小さく笑った気配がした。


魔王「ヴェルセリア。誰かを尊敬し、心を動かされることは恥ずべきことではない」


ヴェルセリア「……け、決して、そのような特別な感情では……!」


魔王「……私は特別な感情とは言っていないが?」


ヴェルセリア「…………!」


 ヴェルセリアの顔が、一瞬で真っ赤になった。


ヴァルガス「……ははっ!」


ヴェルセリア「……笑うな、ヴァルガス!」


 歴戦の竜族将軍が、まるで年若い乙女のように頬を赤らめている。


 魔王は、それ以上からかわなかった。


魔王「よく戦ってくれた。そなたも少し休むとよい」


ヴェルセリア「……はっ。感謝いたします!」


     


 その後、話題は停戦監督の任務へ移った。


ヴェルセリア「王国軍との連絡経路については、私が責任を持って調整いたします」


魔王「頼もしいな。双方の将兵が無用な衝突を起こさぬよう、慎重に進めてくれ」


ヴェルセリア「承知いたしました。特に、王国側の信頼できる人物との協力が重要かと」


ヴァルガス「……そのとおりだな」


ヴェルセリア「……レオン様のような高潔な剣士であれば、相互理解も容易に……」


 沈黙。


ヴェルセリア「…………」


ヴァルガス「…………」


魔王「…………」


ヴェルセリア「……いや! レオン・アルセリアのことです!」


ヴァルガス「……誰も聞いてねえぞ?」


ヴェルセリア「……っ!」


 またしても顔が赤くなる。


ヴェルセリア「私は、あくまで軍務上の必要性を申し上げただけだ!」


ヴァルガス「分かってるって。そう怒るなよ」


魔王「必要であれば、正式な連絡経路を通して協力を求めるとよい」


ヴェルセリア「……はっ!」


 深々と頭を下げるヴェルセリア。


 本人は将軍としての威厳を保っているつもりだった。


 しかし、レオンの名前が出るたびに声が柔らかくなり、頬が赤くなる。


 その恋心は、もはや隠しようがなかった。


 ヴァルガスは、そんなヴェルセリアを見て小さく笑った。


 その視線が、ふと魔王へ移る。


 魔王もまた、二人のやり取りに穏やかな笑みを浮かべていた。


 仮面の奥から覗く瞳には、長い戦争の間ほとんど見せることのなかった安堵があった。


 ヴァルガスは、そのひとときを邪魔しなかった。


    


 夕刻。


 慰問を終えた魔王は、本陣へ戻った。


 長い一日だった。


 負傷兵たちの顔。


 王国軍捕虜の傷。


 戦死者の名前。


 その一つひとつが、胸の奥へ静かに積み重なっていた。


ヴァルガス「陛下。お疲れでしょう。少しお休みになっては?」


魔王「……ありがとう、ヴァルガス」


ヴァルガス「必要なら護衛を手配します」


魔王「いや。少しだけ、一人で歩きたい」


ヴァルガス「……陛下?」


魔王「心配するな。遠くへは行かぬ」


 ヴァルガスは何か言いかけた。


 だが、魔王の表情を見て、静かに頭を下げた。


ヴァルガス「……承知しました」


魔王「今日まで、よく軍を支えてくれた。感謝している」


ヴァルガス「……もったいないお言葉です」


 魔王は静かに歩き出した。


 ヴァルガスは、その背中を見送った。


 昔より少しだけ細くなった肩。


 だが、歩みは変わらず、背筋も伸びている。


 顔には、青銀色の仮面があった。


 幹部たちの助言に従い、君主としての威厳を保つために着け始めた仮面。


 そして、その背に流れる銀白色の髪。


 かつて黒かった髪が、魔王の継承とともに変わったことを、ヴァルガスは覚えていた。


 魔王の座も、強大な魔力も、魔境の未来も。


 彼女は、それらを一身に引き受けてきた。


 そのうえ、戦争によって少しずつやつれてきている。


 仮面の下に、どれほどの疲労を隠しているのか。


 ヴァルガスは、おおよその見当がついていた。


 しかし、何も口にしなかった。


 ただ、長年仕えてきたからこそ分かる変化を、胸の内に留めていた。


    


 夕暮れ。


魔王が向かったのは、北境の国境を見渡せる小高い丘だった。


そこには、戦争が始まるよりも前から、一基の墓石が立っていた。


かつて王国との和平を願い、使者として旅立った者の墓だった。


生前、その使者は国境への埋葬を望んでいた。


いつか王国と魔境の人々が、この道を笑顔で行き来する日を見守りたい。


ただ、その願いだけを残して。


 風に揺れる草の間に、ひっそりと墓石が立っている。


 魔王は、その墓石の前で足を止めた。


 しばらく、何も言わなかった。


 やがて、ゆっくりと仮面へ手を伸ばす。


 青銀色の仮面を外すと、夕日の光がその素顔を照らした。


 戦争が始まる前より、少し痩せた頬。


 疲労の滲む目元。


 それでも失われることのない、優しい面差し。


 夕風が、銀白色の髪を揺らした。


 かつて、この髪は黒かった。


 魔王の座を継承したあの日、強大な魔力をその身に受け入れたことで、銀白色へと変わった。


 あの日から、彼女は魔境のすべてを背負うことになった。


 髪の色も、立場も、背負う責任も変わった。


 だが、その心の奥にある優しさだけは、何も変わっていなかった。


 魔王は墓石の前へ膝をつき、外した仮面をそっと傍らに置いた。


魔王「……お久しぶりです」


 その声は、昼間とは違っていた。


 兵士たちの前で見せていた、君主としての威厳ある口調ではない。


 もっと柔らかく、控えめで、丁寧な話し方。


 魔王がもともと持っていた、本来の言葉だった。


魔王「……ようやく、王国との話し合いが始まりました」


 墓石に手を添える。


魔王「あなたが願っていたことです。……随分と、遅くなってしまいましたね」


 ほんの少し、微笑む。


 だが、その笑みはすぐに消えた。


 魔王は墓石を見つめたまま、長い間、黙っていた。


 使者を送り出した日のことが思い出される。


 平和的な交渉への希望。


 無事に帰ってくると信じていた日々。


 そして、二度と戻らなかった使者。


 あの日から、どれほどの時間が流れただろう。


 魔王は魔境の民を救うため、戦争を選んだ。


 その決断によって犠牲が出ることは、最初から分かっていた。


 覚悟もしていた。


 それでも、昼間に見た兵士たちの姿が、頭から離れない。


 故郷を思いながら傷に耐える魔族の兵。


 敵である自分へ仲間の救命を願い出た王国軍の捕虜。


 そして、もう二度と故郷へ帰ることのできない者たち。


 魔王は、墓石に添えた手を静かに握りしめた。


魔王「……ごめんなさい」


 声が震えた。


魔王「……もっと早く、別の道を見つけられていたら……」


 そこで言葉が途切れた。


 俯いた頬を、一筋の涙が伝う。


 戦争を選んだ責任から逃げるつもりはない。


 民を救うために、これからも前へ進まなければならない。


 だが、失われた命の重さを思えば、胸が張り裂けそうだった。


 魔王は唇を噛んだ。


 そして、ゆっくりと墓石へ額を寄せた。


魔王「……私、皆さんを救いたかったんです……」


 声がかすれる。


 肩が震え始めた。


 墓石の冷たさが、額に伝わる。


 それでも、離れることができなかった。


 かつてこの墓に眠る使者は、戦争ではなく対話によって魔境の未来を開こうとした。


 ようやく、その話し合いが始まった。


 だが、そこへ辿り着くまでに、あまりにも多くの命が失われてしまった。


 魔王は、堪えきれずに泣き崩れた。


魔王「……ごめんなさい……本当に……ごめんなさい……!」


 それ以上、言葉にはならなかった。


 嗚咽だけが、静かな墓地に漏れた。


 昼間、魔王は将兵たちの前で毅然としていた。


 傷ついた者へ手を差し伸べ、責任を引き受け、これからの未来を語った。


 その姿は、間違いなく魔境を率いる王だった。


 しかし今は、誰も見ていない。


 誰にも、強い姿を見せる必要はなかった。


 傍らには、君主としての威厳を象徴する青銀色の仮面。


 そして夕風に揺れる、魔王の継承によって色を変えた銀白色の髪。


 髪も、仮面も、魔王としての立場を象徴していた。


 だが、その涙だけは、魔王になる前から変わらない、一人の女性のものだった。


 墓石へすがるように身を寄せたまま、魔王は泣き続けた。


 夕日が沈み、墓地に長い影が伸びていく。


 遠くの本陣では、将兵たちが明日へ向けて働いている。


 王都では、ラプソディアによる和平交渉が動き始めていた。


 その交渉の裏に、魔王自身も知らぬ別の目的が隠されていることなど、今は誰も知る由がない。


 風が、墓前の草を静かに揺らした。


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