↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
薔薇と梔子  作者: 安井優
第三章 雪に咲く薔薇あるいは梔子

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
37/39

第九話 薔薇と雪

 汽車が目的地へ着く頃、外はすっかり暗くなっていた。

 駅舎に下り立ち、私はその光景に目を見張る。

「わぁ……」

 一面の雪景色。駅舎についている明かりに照らされて地面はキラキラと白銀に輝いていた。

 乗車中は、途中から窓帷を閉じてしまったから気づかなかった。

 こんなことなら開けておけばよかったと思いながら、人生初めての雪に恐る恐る足を踏み入れる。サクリと氷が削れるような音がして、足元がじんと冷えていくのがわかった。もっとふわふわとしたものかと思っていたが、意外にも硬い。踏みしめるたびにギュムギュムと雪は沈んで固まり、うっすらと半透明になってまた凍る。

「すごいわ、不思議なものね」

 吐き出した息は白く、それすらも情緒を感じさせた。

 数名の足跡が駅舎の出口に伸びている。雪原では足跡が残るのだということも今日初めて知った。

 夜の帳が下りた人気のない駅舎に残る、微かな人の気配。凍てつくような寒さと、踏みしめるたびに響く雪の音。

 幻想的な景色を噛みしめながら、私も駅舎の出口へと向かう。

 出口に続く二重扉を開けると待合室になっていた。石炭ストーブが我が物顔で鎮座している。寒冷地では暖房機器が駅舎の中にまで普及しているのかと驚きながら、まだ燃えているそれに近づく。ほんのりと暖かな熱が伝わってきて、私は冷えた体を少しだけ暖めることにした。知らない土地で緊張していたのか、寒さのせいか、強張っていた体がほぐれていくのを感じる。

 待合室の外へ目をやると、切符の回収箱が置かれているだけだった。すでに駅員の姿はなく、どうやらそこへ切符を入れておけば良いらしい。

 朝早くに来なければ、帰りの切符は購入できないだろうと想像する。まだ、帰る日取りは決めていない。

 体が温まったところで、私は駅舎を出て宿へ向かう。駅舎の外は暗闇が広がっていた。田舎町だとは聞いていたが、ここまでとは。街灯もあまり立っておらず、雪の上に残されている足跡もまばらだ。駅舎の周りにはあまり家もないようだった。

 時刻はすでに二十二時を回っている。勤め先の看護婦が知り合いだという宿を紹介してもらい、連絡もしているが、果たしてまだ開いているだろうか。

 慣れない雪の積もる地面に悪戦苦闘しながら、足早に駅から宿まで十数分の道のりを歩く。不安が極限に達した頃、暗がりに湯煙が昇り立っているのが目に留まった。教えてもらった通りの看板が出ていて安堵する。

「ごめんください」

 やはり二重扉になっている引き戸を開けると、感じの良い女将さんが「あらあら」と驚いたような声を上げながら出てきた。

「こんな遅くに、どなたかと思えば。随分綺麗なお嬢さまねぇ」

「遅くなって申し訳ありません。しばらくこちらでお世話になります、高嶺美羽です」

 名乗れば、彼女はすぐに「ああ、あなたが!」と私を部屋へ案内してくれた。

 部屋はこじんまりとした綺麗な和室で、すでに布団が敷かれている。女将さんから共用の風呂場は温泉が湧いていると聞き、私は鞄を下ろしてすぐに浴場へと向かった。どれほど疲れていて、すぐに眠りたいと思っていても、温泉の誘惑には抗えない。

 結局、温泉からあがってしばらくすると、旅の疲れが出たのか、車内で眠ったにも関わらず、私はぐっすりと眠りについた。

 翌朝、朝食を済ませてから、私は庭で雪かきをしている女将さんへ声をかける。

「あの、少しお話をお聞きしても?」

 尋ねれば、彼女は愛想よく二つ返事で了承した。雪かきは男衆に任せてと、宿の広間に通される。

「実は、あたしも聞きたかったのよ。こんなに若くて綺麗なお嬢さんが一人で旅行なんて珍しいから。お嬢さん、この辺の人でもないでしょう?」

「わかりますか?」

「ええ、言葉が違うもの。こう見えてもあたし、長いこと、ここで宿をやってるのよ。いろんな人を見て来たからわかるわ」

 この辺りは街も小さいしねぇと冗談めかして女将さんが「それで?」と私に続きを促す。

 見つかっても、見つからなくても、会えても、会えなくてもいい。

 でも、もしも、神さまが許してくださるのならば。

 ――もう一度だけ、先生に会いたい。

 祈るような気持ちで女将さんにここまで来た用を告げる。

「人を、探しているんです」

「人?」

「木梨司という男性です。三年前にこの辺りへ引っ越したとお聞きして。年は、三十七。背が高くて……」

 私が先生の特徴を言い終わる前に、

「なんだ、あなた、先生の知り合いだったの?」

 女将さんが説明を遮った。

「え?」

 私以外に彼を「先生」と呼ぶ人がいると思わなかった。それに、見つかるとは思ってもいなかったせいで、拍子抜けしてしまう。私が呆然としていると、女将さんは「あら、違ったかしら?」と不思議そうに首を傾げる。

「い、いえ! その、先生で、あっていると思います」

「あらまあ。あの先生も綺麗だと思ってたけど……、なるほどね。先生も隅に置けないわ。どうりでどれだけ勧めても縁談を断るわけね」

 女将さんは一人納得したように私を上から下までまじまじと観察する。私にはなんのことだかさっぱりわからないが、先生が縁談を断っているという話にほっとした自分がいて気恥ずかしい。

 ――まだ、先生を好きだなんて。菜々ちゃんの言う通り、やっぱり私って変なんだわ。

 内心で独り言ちている間に、女将さんは卓上に置かれていた紙に住所を書きつけた。

「先生のお家なら、この先にある民家よ。あの人出不精だから、きっとお家にいらっしゃるんじゃないかしら」

 手渡された紙を見つめ、じわじわと本当に先生に会えるのだと実感が湧いてくる。まさか、こんなにも簡単に会えるとは思わなかった。ここまで来ることの道のりを思えば、そう簡単でもなかったのかもしれないけれど。

 私の驚きをどう捉えたか、女将さんがいたずらに笑う。

「田舎だから、よそから来た人のことはすぐにわかるのよ。さ、用があるならいってらっしゃい。今日は雪の予報だから、遅くなるといけないわ」

 言われて、私は飛び出すように宿を出た。

 ――先生に会える。

 駆けだした道にはまだ雪が積もっている。

 先生も、同じ雪を見ている。

 一面を白く覆われた街並みは、まるで梔子が満開に咲いていたあの庭のように見えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。