第七話 薔薇と結果
「それじゃあ、美羽は面接を受けられなかったってこと?」
私の話を聞いた菜々ちゃんが眉根を寄せる。
私が力なく頷くと、
「馬鹿!」
菜々ちゃんの大きな声が私の耳を貫いた。鼓膜が破れてしまうんじゃないかと思うほど、キンと耳が痛む。
散々自分で自分を責めた後なのだから、もう勘弁してほしい。
私がうんざりと菜々ちゃんを見つめると、菜々ちゃんもまた我に返ったのか「ごめん」と謝罪を述べた。だが、その顔には不満がこれでもかと現れている。
「先生に会うんじゃなかったの?」
「でも……、どうしてもそのかたを放っておけなかったのよ」
「立派な心がけよ。美羽のそういう優しさがあたしは好き。でも、今回ばかりは……」
菜々ちゃんは私以上に悔しそうに唇を歪める。
「名前も知らないご令嬢でしょう? 美羽の夢はその程度だったの?」
「……それは、そうだけど」
私が口をつぐむと、菜々ちゃんもまた口を閉ざした。
菜々ちゃんの気持ちはわかる。私だって、同じことを自分に何度言い聞かせたかわからない。
だが、今回ばかりは菜々ちゃんの言うことを素直に受け入れられなかった。
気持ちの問題だ。正解はない。強いて言えば、この問題について菜々ちゃんは部外者で、私を咎める権利もなければ、その立場にもないはずだということだった。けれど、菜々ちゃんにそれを突きつけるのは、親友を辞めようと言うようなものだ。彼女まで失いたくはない。
それでも互いに譲れないと私たちは顔を背ける。
勝ち負けなどないのに、沈黙を破れば負けだという気持ちが姿勢に現れていた。
今までであれば、助け舟よろしく瑞希くんの迎えが来て解散できた。一日もすれば、お互いに頭を冷やして仲直りできる。だが、今はその瑞希くんもいない。
――このまま、帰ろうかしら。
私が鞄に手をかけると、教室の扉が開いた。反射的に、私たちの視線は音のしたほうに向けられる。
立っていたのは学級担任だった。
「高嶺さん、あなたにお電話ですよ」
「「……電話?」」
私と菜々ちゃんの声が重なる。
「看護婦養成所のかたからです」
「「えっ?」」
再び私たち二人の声が放課後の人気ない教室に響く。担任に「あなたたち、本当に仲が良いわね」と苦笑された。
「先日の試験について、お伝えしたいことがあると。早く支度なさい」
言われた瞬間、私も菜々ちゃんも立ち上がった。手には鞄を握り締めている。どうやら、菜々ちゃんも私と同じく帰ろうとしていたところだったらしい。
それまでの喧嘩が嘘のように私たちはごく自然と顔を見合わせた。言い合っていたのが馬鹿らしくなる。照れくささを隠して、真顔を取り繕う。
「あたしも行く」
「……ありがと」
言葉少なに会話を交わし、私たちは教員室に向かう。
教員室の壁に備え付けられた電話機は私をいまかいまかと待ち詫びていたようだった。
合否判定の連絡は文書で通知されると思っていたが、個別に連絡もしているのだろうか。改まって不合格を告げられることに、耐えられる自信がない。
私は唾を飲み込み、震える手で机に置かれたままの受話器を持ち上げた。
「もしもし」
声まで震えてひっくり返ってしまいそうだった。
雑音の向こうから、電話機特有の加工されたような薄い声が返ってくる。
「高嶺美羽さんですね?」
「え、ええ」
「先日の試験について、あなたを特別に合格とすることが決まりました」
「え?」
驚きのあまり、私の手から受話器が滑り落ちた。慌てて拾い上げると、一拍置いて話が再開される。
「本日、合格者から一名、辞退の申し出がありました。代わりにあなたを合格者にして欲しいと。事情を聞き、養成所内の教員で話し合った結果、これを採択することとしました」
脳裏に一人の女子生徒の顔が浮かぶ。
――あの子だわ。
お手洗いで泣いていた彼女。名前も知らぬ、あの子。彼女は面接に間に合い、合格したらしい。なのに、彼女はどういうわけか私にその枠を譲った。そのまま黙っていれば良かったのに。
「ご自宅に合格通知書と入学手続きの案内をお送りします。期日までに必ず返信するように。なにか、質問は?」
「……い、いえ……」
「あなたの行動は、将来、看護婦を担う者として素晴らしいものです。期待していますよ」
「はい! ありがとうございます!」
電話越しに私は深く頭を下げる。
それだけで、菜々ちゃんにも、担任にもなにが起きたのか理解できたらしかった。
受話器を置くと、菜々ちゃんが私を抱きしめる。
「合格したのね!」
「そ、そうみたい……。一人、辞退した子がいて……、そのかたが、席を譲ってくださったの」
口に出してみても、まるで実感が湧かない。良くできた物語でも読んでいる気分だ。
「夢みたいだわ」
「現実よ!」
菜々ちゃんがさらにきつく私を抱きしめる。制服越しに伝わる彼女の体温もまた、私に現実だと訴えるようだった。
「看護実習で空きができて、今度は合格者の辞退なんて……でき過ぎてるわ」
「でも、それが現実なの。美羽は、そういう星のもとに生まれてきたのね。きっと、諦めなければ夢は叶うってやつだわ」
「……そうね。うん、そう思うことにする」
私たちは喜びを噛み締めた。
担任に帰宅を促され、それぞれの帰路につく頃には、すっかり喧嘩していたことが過去か嘘のように、私たちはいつも通り笑顔で手を振りあっていた。
看護婦になる夢が一歩近づく。先生にもう一度会う夢にも。
――先生がいれば、喜んでくださったかしら。
本当であれば、直接先生に伝えたかった。先生のおかげで、無事に夢を叶えられそうだと喜びを分かち合いたい。
「……なんて。我慢ね。先生を驚かせなくちゃ」
そして、私を妹と重ねているからと振ったことを後悔させるのだ。
先生がもう一度医師に戻りたいと思うくらい良い看護婦になってもいいし、この子に勉強を教えて良かったと誇ってもらえればそれでもいい。
家庭教師になって良かったと、高嶺美羽に出会えて良かったと思ってもらいたい。
先生が、私と出会ったことを後悔しないで欲しい。
空を仰げば、冬らしくどこまでも澄み切った青空が広がっていた。一羽の鳥が空を横切る。
私はこれから先、もっと、もっとどこまでも行ける。諦めなければ、看護婦になる夢も叶えられる。
虚弱でも、他人の心臓で生きていても。
高嶺美羽として――自分の意志で、自由に羽ばたけるのだから。




