第二話 薔薇と親友
「ねえ、美羽。あたし、あなたを親友だと思っているからはっきり言うわね。あなた、やっぱり変よ」
授業を終えた教室の片隅。湿気のせいでいつもより波打つ私の長髪を編み込みながら、親友であり、学友の鈴原菜々子が断言する。
彼女の歯切れの良さは女学校一だ。裏表のなさも。私はそれを気に入っている。
が、「変」と言われては喜べない。
「好きな人がいるのにそれを秘めているなんて。そんなに好きなら、木梨先生に想いを告げればいいのに」
「ちょっと、菜々ちゃん」
慌てて私が振り返ると、菜々ちゃんはちょうど編み込んだ髪にリボンを結び終えたらしく、含み笑いを隠しもせずに頭上から私を覗き込んだ。私の態度こそ気持ちを雄弁に語っていると言いたげだ。
「なぁに?」
「……好き……だ、なんて、そんな……」
「だって、そうでしょう? 美羽ったら、先生が来た翌日には決まって先生のお話ばっかり。誰が聞いても、先生が美羽の特別なお相手なんだってわかるわよ」
「それは……」
私はしどろもどろになりながらも言葉を探す。好きだと自覚しているのに、いざ他人に指摘されたら、そうではないと虚勢を張る自分が情けない。そう思うのに、私はいつだってそうしてしまうのだ。
菜々ちゃんのようになれればどれほど良いだろう。だが、先生に想いを告げることなど、婚約者のいる身で許されるとも到底思えなかった。
なにより、先生に想いを告げたところで、応えてもらえるとも思えない。
私はそれが怖い。一等怖い。
「なによぅ?」
菜々ちゃんに続きを促され、私は想像してしまった恐怖を頭の片隅へ追いやった。
急かされるままに先生への好意を別の言葉へ置き換える。
「先生は私の体のことを知っても、私の夢を否定したり嘲笑ったりせずに応援してくださっているの。学業も、職業婦人になることも、見守ってくださっていて……」
「つまり?」
「つまり……、そう、同士よ!」
「同士?」
「ええ、私と共に五年間ずっと隣で歩んでくださっている。同士みたいなものだわ」
「ふーん。同士、ねえ」
菜々ちゃんは私が病弱であることも、そのために家族や婚約者が私の体を必要以上に案じて気を遣っていることも知っている。同様に、学友たちが私をどこか特別扱いしていることにも気づいている。
そして、私がそんな気遣いをあまり望んではいないことも。
だからだろうか。彼女は私の説明にはそれ以上言及せずに、「なるほどね」と静かに頷いた。
代わりに、私が吐き出せない想いを聞いてやろうと言うように微笑を称える。甘い笑みは、菜々ちゃんが『女学校の王子』と呼ばれるに相応しいものだった。
「それじゃあ、美羽にとって先生は尊敬や憧れの対象ってこと?」
菜々ちゃんが首を傾げたはずみで、彼女の切り揃えられた短髪がさらりと揺れる。女性には珍しい髪形も凛々しい菜々ちゃんの顔立ちにはよく似合っていた。
「そうよ。先生は私にとって希望の光なの。尊敬できる大人だし、兄のようにも思っているわ」
あえて、「好き」という言葉で一つにまとめてしまうには複雑な気持ちが混ざっているのだと強調する。
――だから、想いを告げるなんてありえない。
私が視線で菜々ちゃんに釘を刺すと、彼女は「わかった」とようやく両手を上げて降参の意を示す。
「ま、美羽は高嶺財閥のご令嬢だものね。あたしだったら、親が勝手に決めた婚約者なんてクソくらえって感じだけど。家が絡むと面倒ね」
「菜々ちゃん、口が悪いわよ」
「あら、ごめんあそばせ」
菜々ちゃんは意にも介していない声音のまま、学生服の袴を持ち上げて優雅に礼をした。臙脂色の裾がふわりと宙を揺蕩う。
鐡道会社に勤めている父を持つ菜々ちゃんは、自分はあくまでも一般庶民だと言う。たしかに女学校に通う一般的な生徒に比べ、菜々ちゃんの家は決して大きくも裕福でもないのだろう。
だが、彼女の所作は美貌も相まって惚れ惚れするほど美しい。少々乱暴な言い回しを親友として聞かなかったことにしてしまえるほどに。
「ほんと、菜々ちゃんってずるい……」
むくれた私の頬をつんつんと指でつつく菜々ちゃんの指が不意に止まった。
「あ」
菜々ちゃんの視線は窓の外に向けられており、私もまた、彼女につられて外を見た。
見慣れた黒の自動車が校門の前に停車する。
「残念。今日はここまでね」
菜々ちゃんは言うと、綺麗に結ってくれた私の三つ編みを軽く撫でて鞄を手に立ち上がった。軽く手を振る彼女の瞳に少しの同情にも似た色が浮かんでいるように見えたのは、気のせいだろうか。
私も菜々ちゃんを追うように帰り支度を済ませ、立ち上がる。
廊下を出て靴を履き替える。私が傘を開くのと同時、後部座席から降りて来た車の主も運転手から傘を受け取っていた。雨のせいで灰に沈んだ世界では、彼の爽やかな青の背広は特に目を引く。
急ぐ必要はないのに、彼を待たせてはいけないと、ここ数年両親から叩き込まれた教育のせいか、つい歩調が速まる。
校門へ向かうと、雨音にも負けず、よく通る彼の声が鼓膜を揺らした。
「みぃ!」
周囲にいた女学生の視線が一斉にこちらへ集まり、「丸井さまだわ」「いつもお迎えに来てくださるなんて、本当に素敵な婚約者さまよね」「それにかっこいいし」と雨音に似たさざめきが聞こえる。
今を時めく丸井商會の一人息子。容姿端麗で文武両道。快活で頼もしい性格も相まって、女性だけの花園にいる乙女たちにはまさに理想の男性に思えるだろう。もとよりこと恋愛話には飽きなど覚えない女学生たちだ。彼の送迎は毎日のことなのに慣れる様子もなく、それどころか日増しに生温かな視線が増えているような気がする。
私は傘で周囲の視線を遮った。今日が雨で良かったと心から思う。ついでに、先ほどまでの菜々ちゃんとの会話を思い出して後ろめたくなる気持ちも隠す。影の中でなんとか笑みを作った。
「お待たせしました」
瑞希くんと彼の名を呼べば、婚約者の丸井瑞希は少しの陰りもない満面の笑みで私を出迎える。
全身全霊で私を愛してくれているのだとわかって、私の胸は針で刺されたように痛んだ。
見慣れた光景にも飽きずに心を動かされるのは、先の女学生も私も同じだ。
「雨には濡れてないか?」
「ええ、大丈夫ですわ」
「よかった。さ、風邪を引かないうちに早く帰ろう」
瑞希くんの善意も私には痛い。
しかし、私はそれをおくびにも出さないように細心の注意を払って、彼の優しさを受け取る。
なにも持たない私には、そうするしかできない。




