第七話 薔薇と診療録
看護実習は想像以上に大変で、けれどその数倍楽しかった。
私たちは内科と小児科の病棟に三名と二名で割り当てられ、私は菜々ちゃんと共に小児科の担当となった。幼少の頃に世話になったという自己紹介を看護婦長が覚えていてくれての采配だそうだ。
小児科での主な業務は子供たちの世話役に近い。早朝に集合し、看護婦たちと子供たちの検温や食事の配膳にあたる。子供たちの用便の付き添いも看護婦の仕事だ。食事を終えたら、寝台の清掃に病棟内の掃除。それらが済むと次は昼食の時間が近づく。昼食の準備をしたら、子供たちが食事をとっている間にようやく私たちも交代で食事と少しの休憩をとる。その後は、子供たちの相手をしたり、各病室を巡回したり、訪れた親の相手をしたりと休む暇なく夕方まで動く。夕食の時間にはまたも準備と片付け、それを終えてようやく私たちは解放されるのだ。
子供たちは予測不能な動きで私と菜々ちゃんをからかい、十分な遊び相手になると判断すればこれでもかといたずらをしかけてくるが、それも可愛らしいものだ。遊び疲れてぐっすりと眠る姿を見れば心も安らぐし、楽しかった、ありがとうと感謝されれば私たちの疲れは簡単に吹き飛んだ。
とにかく慌ただしく、息を吐く暇もない。けれど、なにもかもが目新しく、少しでも役に立てているのだと思うと気持ちがいい。
それが、実習が始まってから三日ほどの感想だった。
もちろん、家に帰ってからは通常通り学校の課題を片付ける。先生の課題はしばらく休みにしてもいいと言われたが、論文の翻訳だけは少しずつ進めることにした。絶賛翻訳中の三章は親子での療養への取り組みについて書かれている。実践と紐づいた知識が手に入るとなれば私も早々休んではいられなかった。
そうして夜は今までにないほどぐっすりと眠り、気づけば朝を迎える。この繰り返しだ。
そんな生活に慣れてきたのは一週間が経とうかという頃。病院に休日はないが、日曜日とあってか看護実習生には久しぶりの休日が与えられた。
貴重な休日に私が向かったのはやはり病院だった。
車が病院の前に止まると、瑞希くんが呆れたように額を押さえる。
「まったく。俺の未来のお嫁さまはとんだ仕事馬鹿らしいな」
「お休みの日に申し訳ありません……」
「いや、良い。頼ってくれて嬉しいよ。でも、本当に無茶はしてないのか?」
「ええ、平気です。むしろ、いつもより体調も良いくらいで」
私が笑うと、瑞希くんも仕方ないと私の髪を撫でて微笑んだ。
「それじゃあ、気をつけて。また夕方に迎えにくる」
「はい。瑞希くんも」
車が去っていくのを見送って、私はすっかりくぐりなれた病院の関係者入り口を抜ける。
休日といえど一秒も無駄にすることはできない。私の足は一目散に小児病棟、ではなく、看護婦や医師が普段休息や職場として使用している溜室へと向かう。
今日は、私の心臓移植について調べる予定なのだ。自分の心臓移植について病院が秘匿しているのは間違いない。直接聞けばまた黙されるかもしれないと、勉強のために過去の資料を見たいと別の名目をでっちあげ、良く一緒に仕事をする看護婦に依頼した。結果、うまく話をつけてくださったらしい。休日であればと看護婦長を通じて書物庫への立ち入りが許可されたのである。
私は溜室の扉を叩き、「失礼します」と入室する。当直の看護婦が一人滞在しているだけで、それ以外の人は出払っていた。
「あら? 高嶺さんじゃない。今日は休日よ、どうしたの?」
「後学のために、過去の資料をお見せいただけると看護婦長からお伺いして。書物庫の鍵がこちらにあると聞いたんですが……」
後ろめたい気持ちを隠して尋ねると、看護婦は疑うことなく「ああ、それなら」と鍵の在りかを教えてくれた。それどころか「休みの日まで偉いわね」と褒め言葉まで。
「ありがとうございます。失礼します」
私は鍵を手に、再び溜室を出る。
書物庫は病院の最上階、院長室のすぐ近くだ。階段を登り、関係者以外立ち入り禁止の看板がかけられた紐をくぐる。最上階は院長室をはじめ、講義室や倉庫、書物庫など医療従事者のみに開放されている場所だ。患者も関係者もおらず、シンと静まり返っている。
私は書物庫に鍵を差し込み、そっと扉を押し開いた。当然だが人はいない。中は暗く、古紙特有の香りがする。書類を保管するためか、窓がないのだと気づいたのは電灯をつけてからだ。たくさんの棚に所狭しと並べられた書類はどれも丁寧に紐でつづられてまとめられており、ご丁寧にその年代順かつ一定の規則に従って並べられているようだった。
私が入院していた頃の書類はすぐに見つかった。小児科に関係した書類の束を一つ一つめくっていく。中の書類も名前順に並んでいて、年代さえ特定できれば誰でも簡単に見つけられる。とてもなにかを隠せるとは思えないほど整理が行き届いていた。
――そもそも、ここに入れる人が限られてるんだもの。まさか、患者本人がこんな風に調べるとは思ってないわよね。
私はありがたく恩恵を頂戴しつつ、『た行』の患者の診療録をまとめた書類を探す。
いくつかの書類をパラパラとめくり、私がそれを見つけたのは書物庫に入ってから数刻が経った頃だった。
「あ」
筆記体混じりで読みづらいが、たしかに自分の名前や生年月日が記されている。子供の頃から病気がちだったせいかその診療録は中々に分厚かった。
一枚一枚をめくり、私は手を止める。
「あった……」
心臓移植の手術について、特に事細かに記されたそれら。どのように手術をするのか。時間や順番、必要な薬剤まで。当時の医者たちの思索の跡が見てとれる。
私は執刀医の名前を探して隅から隅まで書類に目を凝らした。
蘭語でも、英語でもない言語に四苦八苦しながらいくつかの書類をめくり――私の手が止まった。
「……え……?」
ふわりとどこからか梔子の香りがする。
果たして、そこに記されていた名前は。
木梨司。
私が恋した家庭教師と同じ名前だった。




