2.謎の少女
「そのまま、じっとしてろ」
フクロウがいつもの羊飼いの杖を眼前に構えると、先端近くに紐で付けられていた鈴のような丸い物がパアッと光を放ち、そこから透明な薄い氷のような幕が広がった。そして、フクロウとアゲートのみならず、細い道の途上でもなるべくひとかたまりになろうと集まって怯えている羊たち、そして果敢にも向かってくる怪獣のごとき巨大な大鷹に吠えかかるキトを、皆覆い尽くした。
突風が吹き付け、暗く影が掛かる。思わず目をぎゅっと閉じた。
ガキン――……!
勢いよく石と石が打ち付け合ったような音がして、ドキリとして目を開くと、遠ざかって行く鳥影と、上部に僅かに罅の入った魔法の氷が見えた。
フクロウは、まだ杖を構えたまま、額に滲んだ汗を片手で拭う。
「……ふう。いざというときの為に、バリアが出る魔法道具を買っておいて良かった。これは、あらかじめ毎日コツコツと魔力を溜めておかなければならないし、一日でも補充を忘れるとすぐに溜めてあった魔力まで霧散してしまうから使い勝手が悪いが、無いよりはましだと思って備えていた甲斐があった。まさに、備えあれば憂いなしだな」
「フクロウおじいさん、あいつ、まだ諦めていないようだよ。また近づいて来る」
「むむむ……魔力が持てばいいが。あの罅も気になるな。城の魔法使いほどの魔力の持ち主ならば、攻撃魔法の一つや二つ放って撃退出来たんだろうがな。あいにく、俺は一般人に毛が生えたほどしか魔力を持たん。どれだけ持ちこたえられるか」
「僕の魔力も込めるよ。その魔法道具に触れればいいの?」
「いかん、いかん。アゲート、お前の魔力は俺よりも大分少ないだろう。すぐに魔力切れになってしまう。そうしたら、高山病のような症状になって動けなくなるぞ。歩けなくなったら困るから、力は温存しておきなさい」
「歩くもなにも、怪獣に襲われたらそれどころじゃないだろ」
「大丈夫だ、なんとかなる」
フクロウは頑としてアゲートの手助けを拒んだ。アゲートは唇を噛み魔法道具を睨み付けた。平時ではただの平凡な石にしか見えなかったそれは、今やフクロウおじいさんがコツコツ溜めてきた魔力を惜しみ無く放って、眩しく輝いている。
僕にもっと魔力があれば――。
何度も敵は飛び来て、その度にバリアは罅が増えていった。罅は蜘蛛の巣のようにあちこちにでき、亀裂はジグザグと曲がりながら伸びていく。パラパラと、小さな破片が降ってくる。欠片は落ちながら、地面に着く前に空気に溶けて消えた。
パキン!
「くっ……! 穴が開いちまった」
「ど、どうしようおじいさん」
「大丈夫、まだ大丈夫。あれくらいなら、まだ持ちこたえられる」
キトを抱き締め、バリアの向こう側を見据える。今や細かな罅だらけで白い蜘蛛の巣に覆われたようになり、向こう側が殆ど見えない。
あまりに頼りないバリアに守られながら、アゲートは祈った。
「精霊さま、どうか力をお貸しください。誰か、助けて……」
ガシャーン!!
何が起きたのか分からなかった。
あまりにも予想外なことが同時に起きたのだ。
頭の中は防衛本能なのか何なのか今までになく素早く働き、周りの状況が嫌にゆっくりと見えた。
バリアが砕け、破片がキラキラと降る中で、向こう側から姿を現したのは怪獣ではなく、黒髪を靡かせた少女だった。何もない空中から落ちてきたとしか思えない少女は、全く動じた様子もなく、『ちょっと料理の味付けを間違った』みたいな風に呟いた。
「あら! 出るところを間違えたわ」
そして、崖っぷちから微妙に外れた場所へと無表情で落ちていく。
「危ない!」
アゲートは咄嗟に足を踏み出すが、少し遠くて間に合わない。万事休すかと思われたその時、少女は冷静にポケットから何かを取り出し、空中で身体を捻って後ろへ投げつけた。それは小さな小石のようだったが、気が逸れていた間にいつの間にか間近に迫っていた大鷹に打ち当たる。
そんな小さな小石一つ当たったくらいで分厚い羽毛に阻まれてびくともしないだろう。それよりなにより、今にも谷底に落ちて行っている彼女の身がもはや絶望的に危ぶまれる。って他人の心配をしている場合でもなかった。今にも鋭い鍵爪を光らせて襲いかかろうとしている怪獣が眼前に迫っていた。
と、小石が当たった所からにわかに爆発が起こり、怪獣は驚いて逃げていく。少女は爆風に飛ばされて崖の道の上に浮かび上がったはいいが、勢いがつきすぎて奥の壁に背をしたたか打ち付けたようで、
「うぐっ……!」
と苦悶の声を漏らしたのを最後にばたりと倒れて動かなくなった。
アゲートとフクロウは、呆気に取られてその場に立ち尽くしたが、すぐに正気を取り戻し、少女に駆け寄った。幸い、命に別状は無さそうだ。しかしなかなか目を覚まさないので、すでに日が陰ってきた山道をフクロウと交代で背負いながら羊たちと共に村まで歩いた。




