22話「泡沫の女神」
「火災が起きた当時から、時が止まっているのかしら」
彼女はそう言って辺りを見回しました。
しかし、追われていることを思い出し、感傷に浸っている場合ではないと自分を戒めました。
やがて二人の目の前には、二つの所々変色し崩壊しかけている、見事な装飾の施された石造りの螺旋階段が登ってくれよと言わんばかりに、堂々と立ちはだかっていました。
その階段の最初の段には変色した立派な獅子の石造が両脇に控えており、かつて王宮に相応しい見事な空間が広がっていたことを想起させました。
二人は数秒言葉を交わしてから頷くと、作戦を決行しました。
二人は二手に分かれ、グレイシアは右側の螺旋階段を一気に駆け上がりました。
エリオットはすぐに石造の背後に隠れると、後を追ってやってきた兵士達二人を撃ちました。
グレイシアが階段を登り切るまで彼は石造に隠れながら、左側のもう一つの螺旋階段を登り始めた、後から来た二人の兵士に攻撃を仕掛けました。
彼は、忍ばせていたナイフを思いきり先に登っていた一人の兵士の足めがけて投げつけました。
ナイフは命中し、兵士は悲鳴を上げて後に続いて上っていた、もう一人の兵士を巻き添えにして階段から転落していきました。
その後エリオットは足を引きずり、重傷を負った兵士達と銃撃戦を繰り広げたのち、とどめを刺してから左側の階段を駆け上がりました。
その途中で、新たにやって来た兵士数名にいち早く気づくと狙いを定めて、全員撃ち殺しました。
そうして、エリオットもなんとか無事にグレイシアと同様に階段を上り終えました。
しかしその直後、彼はいきなり誰かに思いきりタックルされました。
その瞬間、大きな銃声がこだまし、彼がさっきまで位置の数センチ先の壁に穴が開きました。
彼をタックルして、覆いかぶさったのはグレイシアでした。
エリオットが階段を登り切るまで、彼女は敢えて先へ進まずに、子柱に隠れて様子を伺っていたのです。
そしてグレイシアは、エリオットが階段を登り切ったタイミングで撃たれそうになったのに気づき、タックルをしかけて銃弾をよけさせたのでした。
銃を撃ったのは紛れもなく、ヴァンチェスター公爵でした。
彼は折角先を行かせたはずの手下が、全員エリオットによって始末されたことに内心震えが止まりませんでしたが、再びカチャカチャと音を立てながらおぼつかない足取りでゆっくりと階段を上ってきました。
二人は階段を登り切った先にある廊下を歩き、目の前に広がる3つの部屋のうち、真ん中の部屋に入りました。
そこはとても広く、天井は円形の形をしており、辺りには参列席が並べられ、しっかりとした骨組みの柱が何本も並んでいました。
目の前に広がる、焼け焦げた絨毯の敷かれた幅の広い階段の先には、装飾の施された立派な玉座がありました。
そして、その後ろの分厚い壁面には、割れた縦長の大きな色とりどりのステンドガラスの窓があり、割れたところから神秘的に日の光が差し込んでいました。
まるで聖堂のようなその場所は、かつてはとても華やかで女王の前に沢山の参列者が集まったことを想像させました。
壁に飾られている肖像画は、焼け落ちて額縁だけになっており、崩壊した女神と天使の石像が神秘的に佇んでいました。
グレイシアは複雑そうな表情でその光景を眺めていました。
エリオットは感傷に浸る彼女の側で銃を構え、息を潜めていました。
「この場所はね、王位継承や貴族や騎士の叙任式などの式典を行っていたところなの。
ここで私の両親は亡くなったわ」
グレイシアはそう言い、切なそうな表情を浮かべ、眉をひそめました。
そんな彼女の表情を目にした時、エリオットは思わず彼女を抱きしめたくなりましたが、今はそんな場合ではないと戒め、追ってきているヴァンチェスター公爵をどう仕留めるか思案していました。
「私ね、ヴァンチェスター公爵に聞きたいことがあるの」
グレイシアは武器の調整を始めているエリオットに、静かにそう言いました。
「そうか、それならようやくお出ましだぜ」
エリオットが短くそう言ったので、グレイシアがすぐ後ろを振り返ると、カチャカチャという音を部屋中に響かせながら、ゆっくりとこちらに歩きながら向かってくるヴァンチェスター公爵の姿が見えました。
彼は銃を構えながら二人の傍までやってくるとこう言いました。
「さあ、グレイシア。私の要求はただ一つ。
お前の持っている、アンドレア女王がかつて国民のために使ったとされる海の精霊の力で、この私を世界中で最も優れた貴族にするんだ!
お前の力さえあればこの世界を征服することだって可能だ!」
ヴァンチェスター公爵は狂った表情を浮かべながら狂気的に叫ぶと、手に持った拳銃をグレイシアに向かって構えました。
「ヴァンチェスター卿、貴方に聞きたいことがあります」
彼女は全く動じずに拳を固く握りしめ、正面からヴァンチェスター公爵を見つめてそう言いました。
あまりにも肝の据わった彼女の態度に少し、公爵はたじろぎました。
すると、彼女の側にいたエリオットはもはや何も言わずに、ヴァンチェスター公爵の左脚を素早く撃ちました。
なんと彼の左脚は義足だったのです。
瞬く間に左脚は崩壊し、鈍い音と共にカラカラとした金属の破片や木片がバラバラと地面に落ち、彼は体勢を崩し跪きました。
そして、その一瞬でエリオットは侯爵の前まで近づくと、俯いた彼の頭に銃口を突きつけました。
「武器を全て目の前に置け」
彼が低い声で公爵にそう命令すると、公爵は脅されるがままおずおずと花の装飾の施された銃と、懐に差していた剣を床に置きました。
グレイシアは床に置かれた剣を手に取るとエリオットの背後に置き、彼女は公爵が置いた拳銃を手に取ると、エリオットと同様に公爵を見下ろしながら頭上に銃口を向けました。
「まさか、貴方がルーマス侯爵の息子のノアを操っていたとは思いませんでした」
グレイシアは低い声で侯爵にそう言いました。
「ああ、そうだとも。元々はジルフォード卿に息子を殺された報復がしたくて潜入していたんだ。
だけど、グレイシア。お前がこの船に乗り合わせているとは夢にも思わなかった。
これはまさに運命だと思った」
ヴァンチェスター公爵は、にやりと笑ってそう言いました。
グレイシアは二人に銃口を突きつけられているというのに、笑うことが出来る公爵の余裕のある態度に眉をひそめると、こう言いました。
「単刀直入に言います。
貴方は、私の両親であるアンドレア女王とローレンス殿下、私の家に仕える従者達全員を殺しましたよね。
この石造りの城の厳重な警備を突破するのではなく、王族専属の使用人たちを貴方の生み出した黒魔術によって操り、彼らに火を放たせるというとても恐ろしい方法で」
彼女はそう言ってからこう言葉を付け足しました。
「幸い、私に専属で仕えていた執事のベンは操られていませんでしたが、彼は使用人の中で一番高齢でした。
忘れもしないあの日、この部屋で両親と話をしていた際に、彼以外の若い使用人達が突然次々と現れたんです。
皆気が狂ったようにそこら中に火を放ち、人間とは思えないような叫び声を上げて辺りを跳ねまわったのを思い出しました」
彼女は憎しみのこもった瞳で公爵を睨みつけながら、こう叫びました。
「貴方は私の大切な両親を殺した!!自ら手を下さずに、多くの人の命を犠牲にして!!」
彼女はそう言って思わず引き金を引きそうになりましたが、一歩手前で何とか持ちこたえ、唇を固く結びました。
ヴァンチェスター公爵は彼女の問いかけには答えず、項垂れたままでした。
グレイシアは引き続き、怒りの眼差しを彼に向けながらこう言いました。
「そしてあの火災が起きた夜から、私を16歳になる今まで育ててくれた執事のベンを、一昨日手下を使って殺させたのも、貴方ですよね」
彼女の言葉にヴァンチェスター侯爵はしばらく黙ったままでしたが、やがて口を開いて罪の意識などまるで感じていないかのように、平然とこう言いました。
「ああ、そうだとも。アンドレア女王は我々権力を求める貴族にとって邪魔な存在だった。
海の精霊の力を使える彼女が存在する限り、この国は絶対的な権力を持つ彼女によって支配され続けると思ったのだ。
そもそも彼女の持つ王族の力の正体は貴族の誰一人として分からず謎めいたままだった。
だからこそ、国民達は彼女が女神の様に見え、また手段を問わず権力を得たいと企む貴族でさえ彼女の力を恐れ、一部の教団は彼女を魔女とみなしていたほどだ。
私はその長い王政の時代に一石を投じたのだ。言わば革命を起こしたのだよ」
彼はそう言うと不敵に笑いました。
「ふざけないでください、一体何故そこまで権力にこだわるの。
貴方は既に女王を殺しもはや王位に就いたとも同然の地位を得た。
それなのに私を使って今度は世界を征服しようとするなんて、それが本当に貴方の望んでいることですか!!」
彼女がそう叫んで公爵を睨みつけると、公爵はうなだれていた顔を上げ、急に狂ったように高笑いをしました。
「あっはははははは、あっははははは!!!!!」
二人に銃を突き付けられ、グレイシアの言葉によって糾弾され、武器を奪われているのにも関わらず彼は酷く傷ついたグレイシアを醜い声で嘲笑いました。
エリオットは思わず怒りで手が震えました。
それから公爵は急に一瞬で笑みが消え、真顔になりました。
「貴様、似たようなことを随分とぬかしおって、何度も言わせるな。
それが私の本当に望むことだ!!!!」
公爵はそう叫ぶと、なんとまだ懐に隠していた狩猟用に作られた短い短剣を取り出し、エリオットを突き刺そうとしました。
彼女は瞬時に公爵の動きに気づき、エリオットの前に覆いかぶさりました。
グレイシアの腹にはぐっさりとナイフが突き刺さりました。
「やめて!!!撃たないで…」
グレイシアはエリオットに向かって、痛みに耐えながらなんとか苦しげに言いました。
エリオットは公爵を沸き立つ溢れんばかりの殺意の感情に任せて撃ち殺そうとしました。
しかし、それを見かねたグレイシアが彼を言葉で阻止したのです。
エリオットは彼女の腹に刺さっているナイフを引き抜くと、すぐさま着ていたコートを脱ぎ、彼女の腹から出ている血をふさぎました。
しかし、心臓の拍動の様にどくどくと流れ出る血は留まることがなく、彼女は激痛に表情を歪めながら痙攣し震える声で公爵にこう言いました。
公爵はひどく驚いた表情を浮かべながら、体勢を崩して床に倒れました。
公爵は荒く呼吸を繰り返しながら口から血を吐き、刺されてもなお懸命に自分を諭そうとする彼女に驚きました。
公爵はもうどうあがいても片足が使えませんでしたから、床にへばりついて彼女の姿を見上げました。
「私はね・・・貴方の望みを叶えるくらいなら死ぬわ・・・
元々この力は海の精霊メネシアを、命を捧げて救ったルーファス・ルフィールドが授かった力なの。
この力を使えば使うほど長く生きることが難しくなる。
海の精霊が力を貸す代償として寿命を吸い取ってしまうからよ。
アンドレア女王はその力のほぼ全てを国民のために使った。
だから彼女は国民から愛されていたの」
彼女の口は痙攣し、腹からはぽたぽたと血が流れ出ていました。
エリオットは彼女が話し終わるや否や、激昂し怒りに任せて公爵の体中を何発も、何発も撃ち、男爵は地面に突っ伏して倒れました。
ヴァンチェスター公爵は、自分でも訳が分かりませんでしたが、自然と目から一筋の涙を流していました。
「所詮・・・・全ての善意はエゴに起因するというというのに。何故・・・・何故、貴様はそんなにも眩しいのだ」
公爵は自分の骨が砕け、臓器が破裂し、もう二度と元の様に生きることも出来ないような重傷を一瞬で負いました。
想像を絶する痛みに耐えながら、そう言葉を口にし、目からまるで湧き水のように溢れ出る涙を流しながら横たわっていました。
ただ、彼の涙は撃たれた痛みによるものではありませんでした。
公爵はただ力なくこう呟きました。
「私は‥‥ただ‥‥」
その瞬間、大きな地響きと共に地面が激しく揺れました。
ゴボゴボと激しい音を立て、なんと城全体の吹き抜けた窓や壁のあらゆる隙間から大量の海水が入り込み、海面は一気に上昇してグレイシア達の体全てを飲み込んでしまいました。
グレイシアは訳も分からずまた突然意識を失いました。
* * *
「あれ・・・ここは一体」
彼女が意識を取り戻した時、自分の体が海の中にいることに気づきました。
グレイシアはただぼんやりと海の中を漂流するように浮いていました。
すると、突然、体中に細い光の線が巻き付いていくのを感じました。
不思議と海中の中に居るのにも関わらず、呼吸が出来ることや何もせずとも体が浮いていることを体感したグレイシアは、今自分は天国に居るのだと悟りました。
そして体中に巻き付いた光が見る見るうちに、彼女の腹部の刺し傷を癒していきました。
グレイシアは目を見開きながら、その光景をただ茫然と眺めていました。
「何が起きているの」
彼女が思わずそう呟いた時、自分のすぐ側で笑い声が聞こえました。
はっとして瞬きをすると、なんとグレイシアの体中に巻き付いていた光が彼女の目の前で集合し、一つの塊を成していきました。
やがてその光はある女性の姿になりグレイシアは思わず叫びました。
「お母様!!」
なんとその光は炎に焼かれて亡くなったティアラを頭に乗せ、豪華なドレスに身を包んだアンドレア女王に姿を変え、たった今グレイシアの目の前に現れたのです。
しかし、アンドレア女王の形を模した光の塊は口を開きました。
「ふふ。驚かせてごめんなさい。私は貴方の母であるアンドレア女王ではありません。
私は海の精霊、メネシア」
彼女は艶やかな声でそう言うと、たちまち姿を変えました。
彼女は、貝殻や珊瑚で出来た王冠を斜めに被り、髪はパーマのかかったとても長い髪に小さな花の髪飾りをあちこちにつけ、魚の尾ひれの様なひらひらとしたドレスを身に纏ったとても美しい人魚の姿になりました。
「貴方の声…聞き覚えがあります。
先程から私の脳内に語り掛けてきたのは、やはり貴方ですよね。
沈没しかけた豪華客船の乗客を救ったのも」
グレイシアは、海の精霊の声を聞くなりそう尋ねました。
彼女は微笑んでこう言いました。
「ええそうです。貴方がここに来ることを私はずっと待っていましたから」
海の精霊は慈しむ様な微笑みをグレイシアに向け、動揺しているグレイシアの両手を取り、再びこう言いました。
「人間というものは所詮、醜いもの。権力を手に入れてしまえば尚更です。
王族には、自らの望みや欲望のために使うことを禁じ、自らの家族や全て国民の為に使うことを条件に、私の持つこの力を使うことを許してきました。
王という国の中枢を担う人物は、自分以外の大切な誰かを守るために、自らの寿命を捧げる覚悟がある者であってほしいからです。
そうすることで王が私の力を愚かしく使い、数々の過ちを犯すことを防ぎ、国民は皆私の力のおかげで幸せな日々を過ごせるようになるのです。
私はこのルーヴァント王国を海の奥底から長い間守って来ました」
彼女はグレイシアの灰色の瞳を、まっすぐに見つめながらそう言いました。
「ここで一つ、昔話をしましょう。
私はこのルーヴァントの海の奥深くに封印されていました。
海の精霊とは聞こえの良いものです。
本当は、海に迷い込んだ人間の魂を吸い取り、力を蓄えるただの怪物でした。
今まで船を転覆させたり、人々の足を掴んで海に引きずり込んだり、酷いことを散々してきました。
ですから、ある日神から天罰が下ったのです。
封印を解くには、一人の人間からの愛情と魂が必要でした。
私は長い間嘆き悲しみ、深く反省し広い海を泳ぎたいとずっと願っていました。
そんな私をルーファスという王が自らの命と引き換えに助けてくれたのです。
私は彼という人間を深く愛し、このような条件で彼や彼の血を引く王族にこの力を授けることにしました。
きっと彼の血を引く者なら、喜んでそれを受け入れると思ったからです」
海の精霊はそう言うと、眉をひそめてこう言いました。
「ですが…アンドレア女王が亡くなってしまった。私は人間の醜さに心を痛めました。
彼女はとても立派な女王でした。
それから、私はアンドレア女王の意思を継ぐ貴方が現れるその日まで、この燃え果てた城を外敵から隠すために時折海に沈め、この国に住む全ての人々の船が荒波に呑まれ命を落とすことを防いできました」
海の精霊は満足げにグレイシアにそう言うと、彼女の手を再び強く握りました。
「ですがこの国はもう、無秩序で団結の無いボロボロの状態です。
いつ攻め込まれて崩壊してもおかしくないわ。
それでも、私はまだこの国と共に生きていたいのです。
かつて私を救おうとルーファスのような王が存在したこの国を・・・彼が愛したこの国を、私はまだ守り続けたい!
だって、私は彼を深く愛しているから」
海の精霊は、瞳から一筋の涙を流してそう言いました。
かつて自分の悪事の為に封印された海の精霊は、ルーファスという王に助けられ、その恩返しとして王族達に彼女は、魔法の力を貸していたのでした。
グレイシアはそう理解すると、深く深呼吸をしてから覚悟を決めるように、目を固く閉じました。
「貴方に頼みたいことがあります、そのために私の命全てを捧げても構いません」
グレイシアは再び目を開き、まっすぐに彼女を見つめてそう言いました。
彼女の灰色の瞳はキラリと輝き、その瞳が放つ光からは強い意志が感じられました。
「わかりました。でもその願いを叶えても、すぐに貴方の命全ては奪いません。
貴方はこれから女王になるべきなのですから。
しかるべき時に貴方を天国へ迎えに行きます」
彼女はそう言って微笑むとグレイシアの手を離しました。
グレイシアはただ目の前で小さな泡の粒へと姿を変え、キラキラと日の差し込む海面に向かって消えていく海の精霊の姿をただ茫然と見つめていました。




