13話「大騒ぎの曲芸」
やがて華やかな舞踏会はお開きとなり、貴族達は踊るのを止めて皆テーブル席に移動しました。
グレイシアはジェイスに声を掛けられ、ヒューバートン男爵家の皆が集まる席へと移動しました。彼女は沢山の初対面の人達と会話して踊り、精神的にも肉体的にも疲れてへとへとでした。
やっと終わったと安堵しながら、グレイシアは主催者であるジルフォード侯爵が再びステージの壇上に上がるのをぼんやりと眺めていました。
誰もが彼が閉会の言葉を口にすると思っておりましたが、参加者達の視線を集める中、仮面をつけて壇上に立つジルフォード侯爵は突然こう言いました。
「本日の舞踏会はお楽しみいただけましたかな。踊りつかれて羽を休ませたいところかと思いますが、晩餐会までまだまだ時間があります。
私が用意した最高のサーカスをお楽しみください」ジルフォード侯爵は堂々とそう言って手を2回叩きました。参加者達は思わず侯爵の言葉を聞くなり歓声を上げました。
そして、皆談笑しながら、今か今かとこれから始まる余興への期待に胸を躍らせました。ステージ以外の明かりがゆっくりと暗くなっていき、楽団達は笛や太鼓による愉快な音楽を奏で始めました。
その音楽が始まると同時に、道化師の格好をした侯爵の手下達が4人、舞台袖から出てきました。彼らは恭しく会釈すると、すぐに芸を披露し始めました。
最初に手下2人が大玉の上に乗りながら色とりどりのリングを使ってジャグリングをし始めました。器用にバランスを取りながら大胆にリングの数を増やしていく彼らの姿をグレイシアは息を呑んで見守りました。
無事に沢山のリングを一つも落とすことなく手下2人は玉の上に乗りながら、舞台袖にはけていきました。貴族達はこの見事な曲芸に盛大な拍手と感嘆の声を上げました。
後の手下2人は猛獣使いで、なんと燃え盛る炎に包まれた巨大なリングの間に立派なたてがみをした大柄の一頭のライオンをくぐらせるという大技を披露しました。
これにはヒューバートン男爵も、ワインを片手にステージに釘付けになっていました。貴族達はハラハラと息を呑んで見守っていましたが、成功した瞬間に拍手喝采が巻き起こりました。
最後は、新たに2人の手下がやって来ました。彼ら二人はそれぞれ空中ブランコに乗り、もう一人の手下の乗るブランコに宙返りしながら飛び移るという大技を披露しました。
2人の手下は息ぴったりでアクロバティックで大胆なその見事成功させました。ヒューバートン男爵や夫人も立ち上がり感嘆の声を上げて拍手しました。
ルーシャスもすっかり機嫌が良くなり、歓声を上げるローラとグレイシアの肩に自然と手を回して興奮気味に叫びました。
グレイシアは初めて観るサーカスの面白さに目を奪われ、疲れが吹っ飛んでいくのを感じました。全ての技を披露し終えた手下達は、歓声を浴びながら舞台袖へとはけていきました。
グレイシアはサーカスが終わったのかと思いましたが、まだ演奏は続いていましたから壇上をワクワクしながら見つめていました。しかし、壇上に彼らが現れた瞬間、思わず彼女は目の前の光景に目を疑いました。
なんと手下2人に連れられて、みすぼらしい服に首輪をつけて足枷をはめたどこか見覚えのある2人の幼い少年と少女が舞台袖から出てきたのです。
そのあまりの不気味さに先程の華麗な出し物で最高潮まで盛り上がった空気が一転し周囲はざわつきました。
幼い子供達は、手下2人によってダーツ盤に磔にされ、力なく虚ろな表情を浮かべていました。後から新たに手下2人がずらりと短剣が並んだテーブルを運んですぐに舞台袖にはけていきました。
1人の手下がテーブルの上に揃えられた鋭利な短剣を手に取ると、それを観客である貴族達に見せつけました。ローラはこれから起こることを想像したのか、顔を引き攣らせて思わずジェイスにこう耳打ちしました。
「何これ??ヤダ、怖い。あの子達、殺されちゃうの?」ジェイスは黙ってその様子を心配そうな顔で見ていました。
「このショーに参加してくれるのは、ジェスター伯爵の息子のリアンと娘のミアです」観客達が皆困惑する中、ジルフォード侯爵は再び舞台袖から堂々と登場して言いました。
彼は意地悪そうな表情を浮かべて、磔にされているリアンの元へ近寄ると、彼の首輪についた鈴をチリンと鳴らしました。
「皆さんもご承知の通り、ジェスター伯爵家は大変落ちぶれました。女王のお墨付きだったあの伯爵の娘息子がこんな姿になってしまうなんて、誰が想像できたでしょうか」侯爵は狂気的な悪魔のような笑みを浮かべながらそう言うと、我慢できなくなり下品な笑い声を上げました。
彼はこのクルーズが始まり今に至るまで品のある気高い振る舞いをしていたはずでしたが、まるでこの瞬間を待ちわびていたかのように、心から愉快そうに笑っていました。
彼の取り繕った仮面の内側は悪意に満ちて、常軌を逸しているのだということがありありと伝わりました。「おっとお前たち、くれぐれも手元が狂ってしまわないようにな」侯爵はそう言うと待ちきれないと言った様子で、手下2人に合図しました。
ルーシャスは壇上を見つめて、先ほど自分らの部屋から急に出て行ったはずの2人が何故こんなところにいるのかと理解出来ず眉をひそめました。
そして傍にいるグレイシアのほうに目をやると、彼女が既に居なくなっていることに気づきました。グレイシアは、素晴らしかったはずのサーカスの最後を飾る出し物がこんな悪意に満ちた辱めのようなものだとは夢にも思いませんでした。
彼女は一切の迷いを捨て、夢中で壇上に向かって走り出していました。しかしその間にナイフショーは始まってしまい、リアンとミアに向かって投げられた何本ものナイフが彼らの頭上や脚をかすめて刺さりました。
最初、貴族達は困惑した表情を浮かべてその光景を観ていましたが、やがて一部の貴族達のいるテーブルでは歓声が上がりました。
出し物が急に悪趣味なものに変わってしまったとほとんどの観客達は思い、皆壇上に釘付けになっていて誰1人、高いヒールでドレスをたくし上げながらステージを目指して走るグレイシアに気づきませんでした。
リアンの頬をナイフが掠め、皮膚を裂きました。血が床にぽたぽたと滴り落ち一部の客席では悲鳴が上がりました。
その時、舞台袖から紫色の豪華なドレスを纏った少女が壇上へ突然現れ、観客達は目を疑いました。その少女はもちろんグレイシアでした。彼女は力の限り叫びました。
「もうやめてください!」彼女の声に気づいた手下の1人がナイフを放とうとした手を止め、グレイシアの方を横目見ました。
「大事なショーの邪魔をしないで頂けますか?」もう一人の手下が、冷淡な声で彼女に言い放ちました。しかし、グレイシアは彼の忠告なんか聞く耳を持つ気になれませんでした。
彼女は真っ先に磔にされている彼らのもとに駆け寄りリアンの肩に触れて、彼に聞こえるようにはっきりと言いました。
「一体、どうしてこんなところに居るのですか?リアン様」彼女は荒く呼吸を繰り返して彼の言葉を待ちました。
しかし、リアンは虚ろな目をして無表情で、まるで他人ごとかのように冷淡な口調でこう言いました。「ショーの邪魔だ。退け」リアンは先ほど部屋で会った時と比べて、まるで人が変わったように冷たい態度を示したのです。
これにはグレイシアも驚き、自分の懸命な問いかけが全く彼の心に届いていないことに愕然としました。リアンの隣で磔にされているミアがそんな彼女にすかさずこう言いました。
「邪魔よ。退きなさい」グレイシアは、思わず「え?」と口走り、彼女のその機械的な声になんだか違和感を覚えました。
グレイシアはけして態度には表しませんでしたが、内心物凄く動揺していました。彼らは痛々しく擦り傷だらけで、普通なら助けを求めてくるはずだからです。
そんなグレイシアを手下の一人が乱暴に取り押さえ、彼女の耳元で怒鳴りました。「ジルフォード卿から、このサーカスが盛り上がらなければ殺すと命じられているんです。さっさと出て行ってください!!」これにはグレイシアも訳が分からなくなり、渋々その場を後にしようとしました。
しかし、そんなグレイシアの登場を面白がったジルフォード侯爵は舞台袖からやってきてこう言いました。「これはこれはなんと、ヒューバートン男爵の娘であるリリィ・プライスがこのショーに参加したいそうです!さあ、彼女の勇気に盛大な拍手を」彼は高らかな声でそう言いました。
そして、グレイシアの方を振り向き、恐ろしい形相で従えと言わんばかりの圧のある視線を送りました。
彼女は手下に誘導されて新しく用意されたダーツ盤に体を固定され、リアンとミア同様に磔にされてしまいました。「さあ、楽しいショーを再開しましょう」ジルフォード侯爵はすっかり気がおかしくなった様子で、再び手下に合図しました。
誰もが固唾を呑んで見守る中、グレイシアは手下がテーブルの上から鋭利な短剣を手に取るのを目にし、一気に青ざめ心臓の鼓動が一段と早くなるのを感じました。
手下が短剣を思い切りグレイシアの頭上目掛けて投げようとしたその瞬間、グレイシアは思わず目を瞑りました。すると鋭い銃声が響き渡り、誰かが倒れるような大きな音がしました。
グレイシアがゆっくりと目を開けると、目の前で自分に向かって短剣を投げようとしたはずの手下が、頭からどくどくと血を流して倒れていました。
そしてすぐに恐ろしい速さで今度はもう一人の手下も同じように撃たれて倒れました。観客席からは甲高い悲鳴が聞こえ、周囲はざわつき始めました。
手下達二人があっと間に何者かによって銃殺され、目の前で本当に殺人ショーが起きてしまったからです。ステージの床には血だまりが出来、流石のジルフォード侯爵も動揺してそそくさと舞台袖に逃げていきました。
グレイシアは衝撃のあまり放心していたものですから、ジルフォード侯爵と入れ違いで壇上に上がってくるアッシュグリーンの髪に豪華なネックレスをつけた長身の紳士が颯爽と登場したことに気づきませんでした。
「ごきげんよう、グレイシアさん」彼はそう言って、目を見開いて引き攣ったような表情を浮かべる彼女に微笑みました。
「貴方は素晴らしい。彼らを助けようとするなんて、その自己犠牲にも似た勇敢さには恐れ入ります」彼は目の前に転がる二人の死体が見えていないのでしょうか。
彼は恭しくそう言うとお辞儀しました。グレイシアは顔面蒼白としていて、彼にどう返してよいか分からず茫然としていました。
「ノア様・・この人達を撃ったのは貴方なの?」彼女は震える声で、倒れている手下達を見下ろしながらそう言いました。
「いや、残念ながら僕じゃない」彼は肩をすくめてそう言うと、磔にされているグレイシアの手足についた金具を丁寧に外しました。
グレイシアは無事に地面に立つとノアにおずおずと礼を言いました。ノアは自分たちに視線を向ける観客達を一瞥すると、その全員に聞こえるくらい声を張り上げてこう言いました。
「ジルフォード侯爵、貴方に一つ伝えたいのは、この余興は全く盛り上がらないということです。
正直に誰もそう伝えないのは主催者である貴方に皆気を遣っているからですよ。この華やかな会には相応しくない残酷さだ!」彼はそう言ってジルフォード侯爵を睨みました。
すると侯爵は高らかな笑い声をあげ、ノアの目の前までやってきました。「こんなに楽しい余興は他にないだろう?権力のない者を見世物にして何が悪いのかね。人間というものは、腹の底ではよく知る他人が落ちぶれていく様を見たくて仕方ない生き物だと思っているが」仮面をつけた侯爵はそう言うと、にやりと口角を上げて笑いました。
「演奏を再開しろ。ショーを続けるぞ」彼は楽団に向かってそう叫びました。しかし、楽団達はあまりの恐怖に楽器を投げ捨て、一目散に逃げだしました。
こうしてショーは中断され、長い沈黙が辺りを包み込みました。ジルフォード侯爵が少し動揺の色を見せると、その沈黙を破るかのように客席から野太い声が聞こえてきました。
「率直に私の意見を述べるなら、面白くないショーでしたな。私は娘を連れて部屋に戻りますぞ。気分が悪い」彼はいつの間にステージの傍まで来ており、壇上に立つジルフォード侯爵を見上げながらそう言いました。
彼は貫禄のある顔つきに整えられた白髪と顎髭を蓄えた細身の男性であり、彼こそが今日のためにはるばる他国からやってきたジルバラ伯爵でした。
そして、彼のすぐ傍には、美しいブルネットの髪に豪華な金色のドレスを纏ったヴィオラが怪訝な表情を浮かべて立っていました。
すると新たに観客席からステージに向かってくる貴族の姿がありました。彼はノアと似た白髪交じりのアッシュグリーンの髪を整え、黒い上品なコート身にまとった鍛えられた体つきに厳格な顔つきをした紳士でした。
「私の息子に賛同しよう。そこに磔にされている少年と少女はジェスター伯爵の血を引く者たちです。ジェスター伯爵はかつて自分の領土の為だけでなく、国の名誉のために戦争で先陣を切って大いに貢献した偉大なる人物だ。無礼にも程があるのではないか」彼はそう言って壇上に立つノアの方を見上げました。
ノアは彼に恭しくお辞儀しました。どうやら、彼こそがノアの父親であるルーマス侯爵の様でした。
「ジルフォード、女王のいないこの国では隣国との戦争も始まりかねん。今、我々貴族同士で少しは団結するべきではないのか。お前の行動には失望したぞ」ルーマス侯爵は眉をひそめ力強くそう言い放つとその場を去っていきました。それから一気に辺りはざわつき、客席から「そうだ、そうだ!!!」と次々と野次が飛びました。
「ジルフォード卿、貴方には大変世話になっている身だ。だが私目が意見することをどうか許してください」グレイシアは聞き覚えのある声にはっとして、ステージ下に目をやるとそこにはなんとあのヒューバートン男爵が立っていました。
「よくも大事な私の娘のリリィを危険な目に合わせようとしてくれたな。磔にして見世物にしようとするなど、私の娘を侮辱しやがって。今までどれだけお前と不当な契約を結ばされたと思っているんだ!!」男爵は怒りを露わにし、リリィの尊厳が傷つけられたことに対して腹を立ててそう叫んだのです。
これには、グレイシアだけでなく夫人もルーシャスもローラも、執事のジェイスも思わず目を見開いて驚きました。ヒューバートン男爵がジルフォード侯爵に対して歯向かったのはこれが初めてだったからです。男爵はグレイシアの勇敢さを目の当たりにし、彼女に感化されてジルフォード侯爵についに意見したのです。
彼の心からの叫びを筆頭に、多くの貴族たちが侯爵にブーイングを浴びせ始めました。そんな中、グレイシアは自分への注目が消えたのを見計らってリアンとミアの方に駆け寄ると、彼らを磔にしている金具を外しました。
彼らは急に力の抜けたようにその場に倒れこみました。グレイシアはリアンとミアの肩を揺さぶり、声を掛けましたが二人は相変わらず虚ろな顔をしたままでした。
「どうして何も言わないの」グレイシアは焦燥感にかられ思わず困惑した表情を浮かべました。そんな彼女を見かねたノアがわざとらしく聴衆にアピールするように大きな声でこう言いました。
「皆さん!聞いてください。ジェスター伯爵の息子のリアン様と娘のミア様には足枷と首輪がつけられています。これはまるで奴隷のようです。このような不名誉な仕打ちは」ノアが途中までそう言いかけると、ジルフォード侯爵はこれ以上火に油を注がないでくれと言わんばかりに、顔をしかめ舞台袖にはけていた手下達にすぐさま命令しました。
「お前たち何をしている。さっさと死体を片付けんか。あと、この子供達の拘束具を外せ」一気に多くの手下達がそそくさとやってきて、撃たれた手下二人を担いで運び出し、床を掃除しました。
それと同時に手下達は、リアンとミアにつけられている足枷と首輪を小さな鍵を使って外しました。その瞬間、グレイシアは思わず目を見開き、言葉を失いました。
なんと急にリアンとミアは意識を取り戻し、状況が把握出来ていない様子でキョロキョロと辺りを見回してから、リアンがこう言ったのです。
「うん?ここは何処ですか?」彼はきょとんとした顔をしていました。それから体中に走る痛みに彼は小さく叫び声を上げ、擦り傷だらけの自分の体を見て驚きの声を上げました。
その一方でミアは、周囲を見渡し自分が今どこにいてどんな状況なのか察したようでした。
「もしかして・・私達まさか」彼女が青ざめた顔でそう言いかけた時、グレイシアは迷いましたが真実を二人に伝えました。
「貴方達はナイフショーに出させられていたの。具体的には聞かない方がいいと思う。貴方達がこのステージに立つ前に止められなくてごめんなさい」グレイシアは悔やむような声で言いました。
「いえ、僕達記憶が無いんです。ボイラー室に居たところを貴方に助けてもらって、それからヒューバートン男爵の部屋に居た以降の記憶がごっそり無くて」リアンがグレイシアの顔を見つめながらおずおずとそう言いました。
「お兄様。私ここに居たくない!」ミアは自分たちに注がれる観客たちの視線に気づき、舞台につけられた照明のまぶしさも相まって舞台袖に向かって走り出しました。
リアンもそんな彼女の後を追いかけるようにしてまたもどこかへ行ってしまいました。
「ええ、このサーカスはあくまでも皆様に楽しんで頂くための催しだったのですが、ご満足いただけない結果となり、申し訳ない。
晩餐会までにはまだ時間があります。それまではお部屋に戻られてお休みください。
晩餐会では皆様の舌を十分満足させられるような豪華な食事を用意しておりますので、どうかご出席ください。それでは今度は素敵な夜にお会いしましょう」ジルフォード侯爵はステージの真ん中に立ち早口にそう言ってからお辞儀すると、手下に合図して一気に幕を下ろさせました。
侯爵は一刻も早くその場から立ち去りたい気分だったので、わざとずかずかと足音を立ててその場から姿を消しました。グレイシアはしばらく立ちすくんでいました。
すると舞台からいなくなった侯爵と入れ替えに、新しく彼女の元へ手下が一人やってきました。
グレイシアは思わず身構え、ノアは真剣な表情で彼女の前に立ちはだかりました。「おいおい、やめてくれよ」手下は鬱陶しそうに手を払うような仕草をしてそう言いました。
「エリオットなの?」グレイシアはその聞き覚えのある声に驚き、思わずそう言いました。「ああ。危ないところだったよ。命知らずだな」彼が呆れた声でそう言ったので、グレイシアは安堵した表情を浮かべました。
「貴方がまた私を助けてくれたの?」グレイシアは先程自分に向かってナイフを投げようとした手下と横に居たもう一人の手下を始末したのがやはり彼だったのだと思い、そう尋ねました。
するとエリオットは仮面を外しながら渋い顔をしてこう言いました。「ああ。全く懲りないね、お前は」エリオットは腹を立てながらそう言うと、最後にこう付け足しました。
「無事でよかった」彼がそう言ってはにかんだのでグレイシアは感極まり居てもたってもいられず、エリオットの傍に駆け寄ると、彼を抱きしめました。
「ありがとう。本当に」彼女は再び彼が自分を助けてくれたことや、緊張が解れたのも相まって思わず涙を流しそうになりました。エリオットはそんな彼女を優しく見つめて抱きしめ返しました。
その一方で2人を面白くなさそうな表情で見つめているノアの視線にエリオットは気づきました。
「さっき手下を撃ち殺したのは貴方でしたか?随分と野蛮だとは思いましたが、グレイシアを守ってくれてありがとう。エリオットさん」ノアは意味ありげにそう言いました。これにはグレイシアもすかさずノアにこう言いました。
「私がリリィ様ではなく、本当はグレイシアだということは内緒なはずではないですか」彼女はそう言って警戒するような視線を向けましたが、ノアは白々しくこう言いました。
「ああ、すみません。彼にも内緒にしておくべきでしたか?お知り合いのようですが」彼はそう言うとエリオットの顔をまじまじと見てから笑い出しました。
「あのリーフウッド男爵の息子にそっくりですね、貴方」これにはエリオットも思わず怪訝な顔をしました。
「どうも、僕は偉大なるルーマス侯爵の息子であり、長男のノアといいます。どうかお見知りおきを」彼はそう言って上品に会釈してから柔和な笑みを浮かべました。
「そりゃ凄いな」エリオットは聞かれてもいないのに仰々しい挨拶をしたノアに、少し呆れたような目を向けて言いました。
ノアとエリオットは競争心と牽制の気持ちが入り混じったような目でお互いを見つめ合いました。その場に沈黙が流れましたが、それを打ち消すようにグレイシアが口を開きました。
「ねえ、さっきリーフウッド男爵夫人にワインをかけられたの。私の着替えを手伝ってくださるかしら」グレイシアは急にいつもと変わった口調で首をかしげてエリオットにそう言いました。
エリオットは彼女の意図を察してすぐにこう返しました。「ああ、ワインが染みてべとべとだからな。そういうわけで失礼します」エリオットがノアに向かってそう告げると、グレイシアはエリオットの手を引いてステージから降りていきました。
ノアはそんな二人の様子をポカンとした表情で見届けるとこう呟きました。
「別にどこも濡れてないと思うけど」




